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ファロンが次に目覚めたのは、どこかで見た光景の中でだった。ここはどこだっけ?
 一瞬、どこに自分がいるのかわからなかったファロンは、自分が昏倒するまでの記憶を辿ってみる。
 ロックアックスで、フリックを庇って受けた鏃には毒が塗ってあったらしく、毒消しをとりに階上に上がっていった。
 そこでみたものは倒れているナナミとそれを抱き起こすようにして抱えて泣いているシェイ。
 そこから慌てて、シェイの瞬きの手鏡でシーアンに戻ってきて、ナナミは緊急手術が行われ、ファロンは強力な解毒薬を飲まされ、同時に麻酔を入れられて傷の縫合を行ったのだ。あれからどれぐらい時間がたったのだろうか。そして、ナナミはどうなったのだろうか。
 「お目覚めですか?」
 不意に声をかけられて、誰だろうと頭を動かそうとすると酷く肩が痛む。
 「ああ、いいですよ、そのままで。」
 そういって近づいてきたのは、誰あろう、ホウアン医師だった。
 「ナナミちゃんは?」
 「…なんとか、助かりました。」
 その言葉にファロンはほっと胸を撫で下ろす。ナナミの方が自分よりも遥かに酷い傷で、そのことにショックを受けて半分放心したようなシェイを見てしまったから、その安否がとても気になってたのだ。
 「ところでファロン殿ご自身の具合はいかかですか?」
 ニコニコとおそるおそるが混じったような複雑な顔でファロンに問いかける。
 「おかげさまで。…お手数をかけました。」
 「いえいえ。良くなってなによりです。一時はどうなることかと思いましたよ。」
 「そんな大げさな。」
 ファロンの言葉にホウアンは困ったような微笑を頬にはりつけた。
 「ここに運ばれてきてからのこと、覚えてないでしょう?」
 「はぁ…。」
 ファロンは毒消しを飲んでからの記憶がない。同時進行で麻酔を入れての矢傷の縫合手術ではないかと思っているだけで、実際のところはどうなったのか、ぜんぜん記憶にないのだ。
 「想像以上に性質の悪い毒薬でしたよ。毒薬の特定がなかなかできずに解毒にかなり時間がかかりまして、一時は仮死状態寸前にまで陥ったのですが、なんとか。」
 ホウアンからの話でいまさらながらぞくりと鳥肌が立つ。
 考えてみれば、治療魔法も尽き、シェイとナナミにすべての回復薬を持たせてしまったためにぎりぎりの生命力だけで戦っていたから、普段はたいしたことのない毒のダメージも重大なものになってしまったのだろう。
 「毒はなんとか抜くことができましたが、かなり衰弱しておりますし、まだ矢傷の方は到底完治したとはいえない状況ですから、もう少し安静が必要ですね。」
 手助けをするつもりで、ひとりだけ負傷していては話にならないと、ファロンは恥ずかしそうに頬をぽりぽりと掻く。
 「ありがとうございます。」
 ファロンが礼を言うと、ホウアンは小さく首をふって礼には及ばないとの意思表示をし、その後で酷く痛ましいような表情を浮かべた。
 「幸い、傷が骨や神経に達していなかったので大事にならずに済みましたが、本当に気をつけてくださいよ?」
 「はい。」
 戦争で「気をつけてくださいよ」はないもんだと苦笑しながらファロンはうなづいた。
 「それから、ファロン殿、ひとつお願いがあるのですが…。」
 言いにくそうに、ホウアンはファロンに話を切り出す。
 先ほどからホウアンの表情が晴れないのは彼には何か重大な懸念があるらしい。ファロンはどれほど大変なお願いがあるのかと身構える。
 「ああ、そんなに大変なことじゃあないんですよ、ファロン殿。」
 ファロンの様子を察したホウアンが慌てて首を振る。
 「…その…ナナミさんのことなんですが…。ファロンさんに相談したいことがあるそうなんです。」
 「私に?」
 ファロンは怪訝そうに眉を寄せる。
 ナナミから受ける相談なんておそらくシェイのことに違いない。一体、何があったのだろう。
 「ええ。今からお時間、よろしいでしょうか?」
 「かまいませんよ。」
 「それでは、ここにお連れします。」
 そうしてホウアンはファロンの寝ているベッドの隣のスペースにナナミのベッドを移動させる。ナナミも矢傷を受けているのでもちろん、まだ起き上がれる状態ではないのだ。ファロンはゆっくりと首をナナミの方にむけて、話をする体勢を調える。
 「ファロンさん。」
 ナナミは酷くさっぱりとした顔をしていた。かえってそのことがファロンを驚かせた。少し前まであれほど思いつめた表情をしていたナナミから、まるで憑き物が落ちたようになっているのだ。
 「ナナミちゃん、無事だったんだね。よかった。」
 「シェイが防具をいいものに変えてくれたおかげです。…あと、バナーでのレベル上げの成果かな。」
 悪戯っぽく笑う顔がおそらく本来のナナミの表情に違いない。
 「それなら、徹夜した甲斐があったね。」
 ファロンの言葉にくすっとナナミが笑い、それから息を小さくすうと宣言をするように言う。
 「私、決心したんです。」
 ナナミの強い瞳に力が宿っている。
 「デュナン軍から抜けます。」
 その宣言はファロンにとっては意外なものではなかった。
 ナナミが決意するのなら、軍に居ても一切シェイのことに口出しをしない、もしくは行軍についていかないか、あるいはいっそのこと軍から抜けるか。二つに一つしかないと思っていたから。
 「そう…それで後悔はしない?」
 ファロンが落ち着いた声で尋ねると、力強く頷く。
 「…私、今回のことでわかったんです。…もう、シェイは私の手の届かないところにいっちゃったんだなぁって。」
 寂しそうに笑う顔が痛ましくて、ファロンは胸が詰まる。
 彼女のその笑顔が、グレミオに重なって見えた。
 「…弟だから、だけではすまないところまで来ちゃったんだって。ようやくわかって。…でも、私、こんな性格だから、きっと側に居たら…。」
 そこでナナミはぐっと涙ぐんだ。
 ファロンは先を促さず、そのままナナミに任せている。
 「…だからね、抜けることにしました。…でも、兄弟を辞めるわけじゃないんです。…ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、みんなにシェイを貸してあげるんです。」
 そういったナナミの頬に、涙が一筋、つたう。
 それを拭ってやろうにも身動きの取れない自分が酷く情けない。
 涙は、すっと枕に吸い込まれ、だけど、あとからあとから、同じように枕に吸い込まれていった。
 「これから、どうする?」
 しばらくそうしてナナミの零す涙が落ち着くまで待って、それからようやくファロンが搾り出した言葉はそれだった。
 「…キャロに戻ろうかと思うんです。」
 「キャロに?…こんな時期に?」
 「だって、あそこしか戻るところはないんです。」
 「危険だよ。…戻ってきてるってばれたら、人質になる可能性だってある。」
 「でも…。」
 「戦況が少し落ち着くまでよかったらトランに来るといい。」
 「でも、私、トランでは…。」
 先日の舞踏会に招待されてナナミがシェイの姉だということを皆知っている。だからトランに行ったらナナミがそっと抜け出す意味がない。
 「ああ、グレッグミンスターではまずいけどね。…うってつけのところがあるんだ。」
 「え?」
 きょとんとした顔で、ナナミはファロンの顔を見つめた。
 「これでも、トランでは多少、顔が広くてね。」
 ファロンはくすくすっと悪戯っぽく笑った。
 
 
 ファロンがベッドから出られたのは3日後のことだった。
 その間、ナナミを死んだことにしたためにたとえフリックといえども面会謝絶にせざるをえなくなり、酷くフリックを心配させてしまうことになった。
 肝心のシェイはというと、やはり姉を失ったショックからか、元気には振舞っているがときおり沈む表情を見せる。ファロンはそれを見守り、励ますことはせず、ただ、黙ってそばについていた。
 ナナミはというと、自分の葬儀をこっそり病室からファロンと眺めるなどという珍しい体験をした。隠れている間は暇そうにしていたけれど、やはり今回ばかりは騒がずに、静かに他のものにばれないようにひっそりとすごした。
 そうこうしている間にファロンはベッドで手紙をしたため、それをグレミオに向けて言付ける。
 そして、ファロンの遠出が許されるようになった日の深夜。
 「…では、道中、よろしくお願いします。」
 穏やかな声に大丈夫だとばかりに力強く頷いてファロンが返事をした。
 「わかった。」
 そうして、深夜の城を出て行く影が3つ。草原を松明も掲げずに、月の光だけを頼りに歩き出す。
 「ほんとに、びっくりしましたよ。大怪我なさったって聞いたから…!」
 すっぽりと大きめのフードの影から鮮やかな金髪が見え隠れするグレミオが愚痴る。
 「すまなかった…。…でも、なんとか無事だろう?」
 苦笑交じりに答えるのは、少し小さめのフードのファロン。
 「こういうのは無事って言わないんですよ。」
 あきれた、とばかりにグレミオが少しだけ肩を竦めて見せる。
 「…おや?」
 ファロンは一番小さい影がついてきていないことに気がついて振り返る。
 一番小さい影は、名残惜しそうに月光に照らされるシーアン城を見つめていた。
 泣いてはいない。
 だけど、目にいっぱいの涙をためて、ただ、ただシーアン城を見つめていた。
 離れがたいに違いない。あれほど仲が良かったのだから。あれほど、心配していたのだから。
 二人は、急がせることもせず、ただ気の済むまで声をかけなかった。
 小さな影は祈るように城を見つめていた。
 自分が守りきった命が戦いで潰える事のないように、もっと沢山の命を救うように、そして、早く再会できるように。
 そして、できれば、また昔のように3人でいることができるように。
 願いをこめて。
 
 
 
 
 
 
 END
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