リコンの町に戻ったファロンはそのままグレッグミンスターに戻ることなくレナンカンプを目指した。
偶然なのか必然だったのか、明後日はあの人の命日なのを先日、デュナンの城で思い出したからだ。
毎年、旅先でその日は小さな花束を用意して、川や海に流した。水に沈んだ彼女を弔うために。自らの策で、残されたものを思うがゆえに土に返れなかった彼女の為に。
志半ばにして倒れた、美しくて可愛らしい、聡明な彼女。
久しぶりのレナンカンプは昔よりも若干市街地が広がっていて、それは平和になったトラン共和国の元でこの町が発展していることを示していた。
ファロンは町の人にあまり気づかれないように早足でけやき亭に入る。
「お待ちしておりました。」
けやき亭の前の主人はあの時、彼女とともに倒れた。
今の主人はその志をついで宿を守り、そして今は落ち着いた宿屋の亭主として暮らしている。
「グレミオ殿から連絡を頂いて、おいでになるのをお待ちしておりました。明日は騒がしいですが、今日なら誰もおりません。」
そういってあの秘密の通路を開けてくれる。
「こんな感じでよろしかったでしょうか?」
そういって宿の主人が手配してくれた花束を渡してくれた。それは彼女を思い出すような白い、とても美しい百合の花束。
「ありがとう。」
礼を言うと、一人であの地下へ降りていく。
薄暗い階段をゆっくりと下りていけば、だんだんとあのときのことが鮮明な映像となって脳裏にフェードインしてくる。彼女が倒れた場所に立てば、今でも目の前に息も絶え絶えな彼女が蘇ってくるようだ。
苦しい息の下から自分は女を選んだのだと彼女は言っていた。
ならば、彼女の本当の心残りは、トラン解放運動などではなく、彼のことだったに違いない。まだ自分に追いついてこない彼を、時折もどかしく、時折頼もしく、側でその成長を見守りながら、自分の隣に追いついてくる日を待っていたに違いない。
そして、いつの日か、彼が自分の隣に立ったら、そのときは、きっと手を取り合って幸せになっていたに違いないのに。
今わの際まで彼を気にかけ、アクセサリーを託すほど心配だったのに。
いや、心配だったのではない。彼の側に残りたかったのかもしれない。彼女の名前がついた剣と、そして彼女が好んでつけていたであろうアクセサリーと。
ああ、そうだ。あれは彼の好きな色だった。
彼女も夢を見たのだろうか。
彼の隣で、穏やかに、幸せに暮らす日々を。
些細な喜びをわけあって、毎日を楽しく暮らす。そんな時間を。
そんな彼女の思いをすべて壊したのは自分なのだ。
どうしてあの時、自分は子供に気が付かなかったのだろう。
彼女を守ってやれなかったのだろう。
暗い、地下水路の側に立つと、よどんだ水面からじわじわと胸に後悔が這い上がってくる。
持ってきた花束を彼女に渡すために、水路に投げる。少し向こう側、流れの速いところに、少しでも速く彼女の元に届くように。
あの時、彼女が亡くならなければ彼はあんなに苦しまなくてよかったのだろう。
あの太陽のような明るい笑顔をみんなに向け、軍の中心としてみんなを引っ張り、彼女を助けて、無事に赤月帝国を倒し、そして二人で幸せになっていたのだろう。
そんな彼の幸せを全部奪ってしまったのは私だ。
「…私が…死ねば…よかった…。」
そうすれば、彼はずっと幸せでいれただろう。
私などにかまうこともなかったに違いない。
私が、邪魔者なのだ。
分かっていたことではあったが、こうして改めてそれを考えるとやはり辛い。
あまりの辛さに自ら命を断ちたいと何度思ったか知れない。
だけど、皮肉にもこの紋章がそれを許さない。しかるべき人間に受け継ぐか、もしくは自分がそれを持ち続けるか…。これをもつ身はこの二択しか許されていないのだから。
こうして、未来永劫この苦い思いを抱えていかなくてはならないのだと、改めて自分の罪深さを思い知る。
そして、涙が浮かびそうになったとき、ふいに誰も居ないはずの地下に足音が響く。
「誰!?」
よもや、曲者かと身構える。
地下水路なんて場所は何が出てきてもおかしくはない。
先手を打って倒せるように、神経を張り詰めてその音の正体を探るべく、じっと闇に目を凝らせば、それはとても意外で、でも一番ここにいるべき人。
「俺、だ。」
「フリック…。」
ああ、そうなのだ。
やはり、この人もまた彼女を、忘れられないのだ。
なくした人を自らの理想とし、そこへ行き着くために努力を惜しまなかった。
戦争中であっても弔いに来るほど、大事な、大切な人。
その瞬間に、私の脳裏をある想いが埋め尽くす。
デュナン軍の、決して平穏ではないこの事態にわざわざやってくるほど、大事にしていた彼女をそう簡単には忘れるわけがない。
だから私ではない、私の後ろにいる彼女を、きっと彼は好きなのだろう。
昔、トラン解放軍に居た頃に、私に立派なリーダーになれと、彼女の代わりなのだから彼女に恥ずかしくないような人間になれと、そういっていたのを思い出す。
そうだったのだ。私ではない、彼女が、やはり彼の想い人だったのだ。
そう思うと、胸が痛くなった。
比べ物になるわけがない。私は所詮、模造品なのだから。
そんなことはとうの昔にわかってはいたけれど。
「…あ、ごめん。…邪魔しちゃった、かな…?」
「いや…。」
バツが悪そうに言った顔が、困惑を浮かべている。
「…出てるから、ゆっくりしていって…。」
これ以上、二人を邪魔するわけには行かない。慌てて階段を上り始めると、彼は追いかけてきて私の腕をつかむ。
「…ファロン…?」
あまりにも不自然だったせいか、かえって心配そうに尋ねられて言葉につまる。邪魔をするつもりはなかっただなんていいわけになるだろうか?
いっそのこと、邪魔をするなとなじられたほうがよっぽどマシなのに。
それでも、そんなことはしない人。
「…どうしたんだ…?」
「なんでもない。」
観念して、そのまま振り返ると、心配そうな瞳にぶつかった。
「…上で待ってるから。…久しぶり、なんでしょう?」
そうして笑顔を作ってみせる。
「いや、もういいんだ。…それよりも、体は大丈夫なのか?」
「ん、平気。」
そうして、今度はゆっくりと宿屋へと通じる階段を上がっていく。
「…フリックがいるなんて知らなかった。」
言い訳にもならないことを零すと、彼はそんなことを気にも留めないように、古ぼけた小さな鍵を示す。
「ああ、昔の鍵を使ったからな。」
そういえば、昔からの幹部はそういったものを持っていた。あのときの鍵がまだ使用できるなんて思っても見なかった。
「そ、か…。道理で宿の人間も知らなかったはずだ。」
町から来たのではないということは、やはりそれなりに人に知られないように行動していたわけで、騒ぎにならないようにしてやらねばならないだろう。
「あ、れ…?フリック殿!?」
宿屋の人間に口止めをしてから、礼をしてそのまま宿屋を後にする。
足早に街中を目立たぬように出てしまえば、ようやくほっと息をつけた。
グレッグミンスターに一緒に戻るという彼を伴って歩きながら、少し泣けた。
一番になどなれないのは仕方ない。
彼女の代わりとして愛されているのだとしても、それで充分なのだ。ただ、この瞬間、隣にいることができる喜びを、一生忘れないでおこう。
ちゃんと頭では分かっているのに、胸がひどく苦しかった。
その夜、遅くに家につき、夕食をとったあと、クレオとグレミオはフリックを私の部屋に留めるようにといって部屋を支度しなかった。
「…夫婦、だからな。」
はにかんだような顔でそういったのは誰に向かってなのだろう。
たとえ、彼の目が私を通して彼女を見ていたとしても、それは仕方がない。
いっそのこと、私の魂なんて抜けてしまって彼女の魂がこの器に入ればいい。そうすれば、きっとフリックは幸せになれるだろう。
「なんで、悲しそうなんだ?」
不意に聞かれて慌ててかぶりを振る。
「そんなこと、ない。」
一緒にいるだけでいいのだから。
模造品としてでも、それだけで。
「………俺じゃ、頼りにならないか…?」
その言葉に思い切り首を振った。
そんなこと、思ったこともなかった。
「俺、さ。…看病しようって、思ってた、…俺のせいだからな、だから、ちゃんと看病して、側にいて、ファロンを…。」
そういいかけて、はぁっとため息をつく。
ああ、まただ。
どうして私はこの人を苦しめてしまうのだろう。
幸せに、笑っていて欲しいだけなのに。私の為に大切なものを失ってしまった彼の為に、自分の命だって差し出したってかまわないのに。
ただ、明るい、笑顔を見ていたいだけなのに。
きっと、私が傷を受けたことで彼女を失ってしまった記憶が鮮明に蘇ってしまったのだろう。
「…俺、どうすればいいんだろう。」
傷を受けたのは彼女ではない。彼女を守れなかったわけではない。だからフリックが気に病む必要などこれっぽっちもない。彼女と混同する価値さえないのだから、それに気が付けばいいだけの話だろう。
「…名前、を。」
私の名前。オデッサではない、私。
「名前、呼んで、…。」
怪我をしたのは、私。だから、心配する必要はない。オデッサではなく、ファロン。だから何も、気に病む必要はない。オデッサではない名前を呼べば、きっと気づくに違いないのだ。
「ファロン?」
気遣うように、そっと、ささやくような声音に思わず声が詰まる。
さきほどまでずきずきと焼け付くような痛みを覚えていた胸に、じんわりと穏やかな潤いが染みとおる。
「……っ…。」
思わずきゅっと唇を噛み締めると、知らないうちにたまっていた涙がぽろりとこぼれてくる。
「ファロン!?」
フリックの驚いたような声に、これはまずいと慌てて強く、ぎゅうっと目を閉じると、さらに涙がぽろぽろとこぼれてきて、自分でもどうにもならなくなる。
我慢しようと思うのに、あとからあとからこぼれてくる涙は一向に止まらずに、しゃくりあげそうになるのを力を込めて必死にこらえて、唇を噛み締めた。
どうして泣けてくるのか、自分でもよくわからない。
そんな私の状態を知っているのか、フリックは何も問うことをせず、そのまま私の体をそうっと抱きしめて、子供をあやすように背中をなでてくれながら、何度も何度も名前を呼んでくれた。
そうして、いつの間にか私はそのまま眠りに落ちていった。
END
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