FAKE1

 


ファロンがデュナンからグレッグミンスターに戻ってきたのは深夜、闇にまぎれてのことだった。
そのまま1泊し、日中は家からでることはせず、そしてまた夜半に家をでる。
グレッグミンスターからさらに南下した影は、夜間を通して歩き続け、とある町に夜明け少し前に到着すると、薄明るくなり始めた港から1隻の小さな船に乗り込んだ。
「…どこへいくんですか?」
「ふふふ。ちょっとね。」
そういってファロンは微笑むとそのまま川面を見つめる。
先日まで自分達がいたシーアン城の前に広がるデュナン湖の水は、ラダトからトラン共和国を目指して川になる。山深い谷を競うように下る水は、遠い旅をしてこの川になる。
「この先って…トラン共和国から出ちゃうんじゃないですか?」
「…。」
ファロンは何も答えずにただ微笑むだけ。
船頭はどうやら彼女の旧知の人物らしく、何も言わずにいるのに邪魔もしなければナナミの助けもしない。知らんふりを決め込んで操船にいそしんでいる。
「…そろそろ、ですぜ。しっかりつかまっていてくださいよ。」
「ああ。ナナミ、気をつけて。」
「はい。」
やがて川は恐ろしいほどの急流になる。
船のへりをぎゅうっとつかんでいなければ本当に振り落とされそうだ。
手漕ぎではない、エンジンとやらがついた船を見るのは珍しく、ナナミは渦を乗り越えていくその機械を目を丸くしてみていた。
渦をこえてしまうと川は急に穏やかになり、ほっとしたのつかの間、船頭は到着を二人に知らせた。
ナナミの目の前には、なんとも粗末な桟橋が横たわっている。
「…ここは?」
「今のあなたに必要な場所。…大丈夫?一人で降りれるかな?」
夜通しの行軍に多少疲れの色が見え始めていたナナミにファロンは手を差し伸べる。
大丈夫、とは思っても、やはり怪我を負ってから日も浅い身であるからナナミは遠慮なく手をとった。
それは意外なほど小さく、華奢なつくりをしている。
「…さぁ、そこがそうだよ。」
驚いているナナミに気づかないのか、彼女は船べりからナナミを桟橋に引きとると、岸のほうに目線を走らせる。一緒にナナミも視線を移すと、岸の少し奥、小さな坂道の上に小さな庵が見えた。そこがどうやら自分に必要な場所、らしい。
今の自分に必要なのは隠れ家だ。確かにここならば隠れ家にはもってこいである。
「さぁ、行こう。」
しかし、その庵は誰かが住んでいる気配がする。一体、誰がここにいるのだろうといぶかりながら庵の前に行くと、ファロンはこんこんと軽いノックをしてから、返事もまたずにドアをあけた。
どうやら随分と親しい仲であるらしい。
ナナミはそんなことを思いながら後をついていく。
「おお、よくぞこの田舎まで参られたな。」
若い人だろうかと、予想を裏切り、聞こえたのは随分と年寄りの声である。
「…ごめんね、少し力を借りたいんだ。」
「この老いぼれで役に立てるのならかまわんよ。…どれ、後ろのお嬢さんかな?」
そういって笑う老人にナナミは確かに見覚えがあった。
あれは、確か初めてファロンにあった日。モンスターの毒を受けた子供を治療してくれた老人だった。
「…あなたは…。」
「…おお、あの時の嬢ちゃんだったか。…そうか、なるほど。」
そういって老人はファロンの顔を見る。
「ああ、大局が決まるぐらいまで預かって欲しい。」
「お安い御用じゃ。…どれ、まずは見てみようかの?」
どうやら詳しい話はすでにこの老人には届いているらしく、ファロンはほとんど説明もせずに診察に取り掛かった。ホウアン先生の治療のあとをじっくりとみながらふむふむ、とうなづいている。
「これなら心配なかろう。随分と酷い傷じゃったようじゃが、なるほど、デュナン軍はいい医者を抱えているようじゃ。」
そういってナナミの傷に消毒薬と薬をぬって丁寧に包帯でカバーする。
「…ナナミちゃん。この先生はリュウカン先生といって以前トラン解放軍で医者をしていたんだ。…ここならあの船以外でくることはできないからゆっくりしているといい。…戦況は逐次手紙で連絡するから、自分でもう大丈夫だと思ったらここから出るといい。」
「…でも…。」
ナナミは遠慮がちにリュウカンを見る。
「なぁに、わしならかまわん。…もっともお嬢さんがいやでなければの話だがな。…この通り、わし一人でここに住んでおる。退屈なのは仕方ないとして、もし暇で仕方ないのならば少し掃除やら何やらを手伝ってはくれんかの?」
「それだけでいいんですか?」
ナナミはぱあっと明るい顔になる。
「ああ。もちろんじゃ。それに狭いが、裏にはちっとばかり野菜も作れる畑もあるし、川では魚も取れる。山には囲まれておるが、なかなか便利な場所じゃよ。」
「私、頑張りますねっ!」
ようやく笑ったナナミにファロンはほっとして、帰ろうかとすると。
「ほれ、次はおぬしの番じゃ。」
そういって診察用の椅子に座らされた。
「…ふむ。こちらは随分と深い…。…毒矢と聞いていたが、もう解毒はすんだかな?」
「おかげさまで。」
「…このような傷を受けるなど珍しいことじゃな…。」
リュウカンはそういいながらファロンの傷口を丁寧に消毒していく。
「この傷はもうだいぶいい。…ただし、他の傷は酷く悪いようじゃが。」
その言葉にファロンは思い当たることがなく小首を傾げて、他に自分が何か傷を負っていたかと考える。
「…もう自分を許してやりなさい。」
「え?」
「ずっと責め続けてきたのじゃろう?」
その言葉にファロンは思わず言葉を詰まらせる。そしてリュウカンのいう傷が体の傷ではないことを理解した。
確かにこれは傷、なのかもしれない。
「…運命というものがある。なるべくしてなったことは誰の責任でもない。ましてや一人だけの責任でもないんじゃよ。だから、もう自分を責めるのはやめることじゃ。」
「でも…!」
ファロンは顔を上げた。
「…覆水盆に還らず、じゃ。…過去のことを悔いても仕方ない。」
酷く悲しそうな表情で、ファロンはそのままリュウカンを見つめている。
「人の一生なぞ、ほんの一瞬。…だからこそ、悔いのないようにせねばなるまい?」
「…ほんの一瞬だから、苦しいのも一瞬だけだよ。」
ファロンは寂しそうにぽつりと呟く。だけど、すぐに笑顔を浮かべてみせる。
「これでもね、結構、前向きなんだ。…きっと、次があるんだって。…私には時間がたっぷりあるからね。きっと、次が、ある。」
そうして、傷を覆っていた包帯をしゅるしゅると器用に自分で巻くと、そのままぴょんと立ち上がってナナミの方を見る。
「何か必要なものがあったら、さっきの船頭に言うといいよ。1週間に1度はここにくるからね。」
「ファロンさんは?」
「これからちょっと寄り道。それからちゃんとデュナンに戻って、連絡するから。…じゃあ、先生。お願いします。」
「ああ。お安い御用じゃ。」
そうしてファロンは丁寧にお辞儀をして庵を出て行った。






 

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