title
contents ホーム トピック 旅行記 園芸記 部屋訪問 リンク
mail


2000/9/24(
Vol.2
   つるがおかはちまんぐう
鶴岡八幡宮

鎌倉目次   大船〜若宮大路   高徳院

 「つるおか」ではなく「つるがおか」。
 鎌倉幕府の象徴として、幕府の儀式・行事が行われていました。
 多くのハトが飛び、リスが走り、木々が揺れる境内には
 いつの日も観光客が絶えません。
 
 ▼こんな所で源平合戦?悲しい恋
 ▼リスの隠れ家ハト印!
 ▼木と共にヤブサメ・ロード
 ▼それは実在する


このページの先頭 上 下 このページの最後 こんな所で源平合戦?
太鼓橋 初の征夷大将軍源頼朝(みなもとのよりとも)。
1度は平氏に破れ流人となった身ながらも
北条政子と結婚後、勢力を立て直して平氏を滅ぼし
初代将軍となり鎌倉幕府を開いたのは1192(建久3)年のこと。
その頃には京都と並んで政治文化の中心となっていたそうです。
そして頼朝は、鶴岡八幡宮を祀って源家の氏神としました。
 
表参道 さて、三の鳥居をくぐって最初に見えるのは太鼓橋(たいこばし)。
石で出来ている橋で、残念ながら渡れないようになっています。
傷みが激しいのかと思いきや、滑ってケガをする人がいるのだとか。
う〜ん、残念。渡ってみたかったなぁ・・・
 
まっすぐに延びる表参道を挟んで、左右に池があります。
源氏池平家池。源氏池には三つ(産=栄える)の島があり
手水舎 旗の色と同色の白い蓮を植え、
平家池には四つ(死=滅びる)の島があり
紅い蓮が植えられています。
対抗意識バリバリ(笑)。
 
その当時、源頼朝や北条政子らが
歩いたかもしれない参道を歩いて本宮へ向かいます。


このページの先頭 上 下 このページの最後 悲しい恋
舞殿 毎年4月に行われる鎌倉まつりで静の舞(しずかのまい)が催される
下拝殿(しもはいでん)。静御前(しずかごぜん)が
舞を奉納したことから舞殿(まいでん)と呼ばれています。
 
源義経(みなもとのよしつね)の愛人、静御前。
彼女は美人で、元々は京都で白拍子(しらびょうし)という
女性が男性の格好をして鼓に合わせて舞う舞の名手でした。
 
一方、義経は頼朝の異母兄弟で、幼名牛若丸
平家を滅亡に追いやった、若き武将。
 
やがて義経は、仲違いした頼朝に追われる身となり
家臣達や静と逃げますが、吉野山で静と別れます。
実は吉野山、女人禁制だったらしいのです。あ〜あ・・・
そして頼朝は静を捕らえ、義経の行方を尋ねますが
答えるわけないでしょ、頼朝さん。
 
その代わりと言ってはなんですが、
頼朝は静に舞を披露するよう言いました。
静はこの舞殿で美しい舞を舞い、を詠みました。
 
吉野山 峰の白雪 踏み分けて 入りにし人の あとぞ恋しき
しづやしづ しづのをだまき 繰返し 昔を今に なすよしもがな
 
自分をたたえる歌でも詠むかと思っていた頼朝は
反逆者である義経を慕う歌を詠んだ静に激怒
この時、頼朝をなだめたのは政子でした。
政子も駆け落ち同然で頼朝と一緒になったのです。
静の、義経を思う気持ちが痛いほど分かっていたのでしょう。
 
しかし、静が義経の子を妊娠している事が発覚。
女の子であれば助けるが、男の子であれば殺すという
頼朝の言葉通り、その子は産まれてすぐに
由比ヶ浜に沈められてしまいます。静が19歳の時でした。


このページの先頭 上 下 このページの最後 リスの隠れ家
大銀杏 本宮へ向かう途中に石段があります。
その左手にある銀杏の木。樹齢が1000年以上ともいわれていて
高さ 30m、胴回り 7m の大樹は県指定の天然記念物でもあり
秋には黄金色の葉をまといます。
 
1219(承久元)年、鎌倉幕府の3代将軍、源実朝(さねとも)を
甥である公暁が暗殺する際、この木の陰に隠れていたという伝説から
隠れ大銀杏とも呼ばれています。
 
そんな物騒な話はさておき、現在この木には
リスが少なくとも数匹棲息しているそうですが
残念ながら私達は遭遇できませんでした。


このページの先頭 上 下 このページの最後 ハト印!
本宮 さて、約60段ほどの石段の先にあるのは本宮(ほんぐう)。
龍や虎が浮き彫りになっていたり、
鮮やかな朱色の柱が眩しかったりと、見所の多い建物です。
 
楼門の上部にある、扁額(へんがく)と呼ばれる
表札(?)の様なものがあります。
ここには「八幡宮」と書いてあるのですが
ハトが! その「八」の字が、2羽のハトが寄り添って
並んでいるのです! 思わずニンマリ。
ここに集まる多くのハトをモチーフにしたのでしょうね。
 
ハトといえばもう1つ、鳩サブレ
鎌倉のお土産として有名ですね。
・・・ひよこサブレを思い出したのは私達だけでしょうか。


このページの先頭 上 下 このページの最後 木と共に
若宮 上下両宮の鶴岡八幡宮で、
上の宮(かみのみや)とされる本宮に対し
下の宮(しものみや)である若宮(わかみや)。
 
元は由比ヶ浜にあった八幡宮を
鎌倉入りした頼朝がこの場に移したもので、
現在の建物は徳川二代将軍、秀忠(ひでただ)の再建です。
 
社殿の横に立つ古い大木、柏槇(びゃくしん) 。
実朝が初めてから苗をとり寄せ、植えたと
伝えられています。
白旗神社  
さて、下の写真は白旗(しらはた)神社です。
朱色が目立つ境内の中で、珍しくを基調とした建物。
濃い緑のなかで静かにたたずんでいます。
 
頼朝は死後、白旗大明神としてここに祀られており、
中には頼朝の坐像が安置されているということです。
 
その後、実朝も一緒に祀られ
今では学業成就と勝負の神様とされているそうですが
ご存知の方は少ないのでは?


このページの先頭 上 下 このページの最後 ヤブサメ・ロード
流鏑馬馬場 この道は、流鏑馬(やぶさめ)神事が行われる道。
流鏑馬とは、疾走する馬の背にまたがり
鏑矢(かぶら・や)を放って三つの的を射る騎射の一種で
毎年9月14日〜16日に行われるそうです。
 
鎌倉時代の武士が日ごろの鍛練のために行ったおけいこごとで
この神事は八百年にわたる伝統を持っていて
天下泰平と五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈願するもの。
 
最近では外国の人にも人気があるそうで
わざわざ出向いて披露するといったこともあるそうです。


このページの先頭 上 下 このページの最後 それは実在する
さざれ石 敷地内にある鶴岡幼稚園の東側に石が置いてあります。
立て札を読むと、これはさざれ石とか。
そう、「君が代」に出てくる、あの石。
さざれ石が実在すると知っている人は少ないのでは?
私達も全く知りませんでした。
 
学名は石灰質角礫岩(せっかいしつかくれきがん)といい
石灰石が長い間に雨水で溶解されて小石を凝結し、
だんだん大きくなったものだそうです。
 
ちょっと見た感じでは、コンクリートの岩に
小石がくっついているような・・・
こんな事言うと、有り難みが無くなっちゃいますね(笑)。


鎌倉目次   大船〜若宮大路   このページの先頭   上   高徳院