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6.広州の街

さて、部屋に通されて荷物を置いて早速、広州の街を探検することにした。とりあえず近所には観光スポットである六容寺(リウロンスー)に向かうことにした。六容寺は寺内の舎利塔でその名が知られている。この舎利塔は北宋紹聖4年重建のレンガ塔でてっぺんまで登ることが出来る。ホテルからもこの塔を観ることが出来るのでそこを目指して歩いて行くことにした。道々の路地には商店が所狭しと並んでいてとても活気にあふれている。広州の街並みを歩いていると何か自分が子供だった頃の街にタイムスリップしたような錯覚を覚える。子供の頃大阪市内に出かけたときに見た都会の街の雰囲気によく似た感じを受けるのだ。今大阪市内を歩いても何かよそよそしい感じがして、なつかしい感情を抱くことは無いが、広州の街は、何かとても懐かしい感じがするのだ。もちろん話している言葉は広東語だし、家の造りなどは中国風である。開放政策により経済が自由化されて高度成長を遂げている街の雰囲気が、戦後の混乱期を乗り切って高度成長期にたどり着いた頃の日本の街の雰囲気と重なるからそう思うのであろうか。そんなことを考えながら歩いていると六容寺にたどり着いた。いつものごとく怪しげな中国語と身振り手振りで切符を買ってみるとえらく値段が安かった。変だなと思って切符を確かめると塔にあがる切符が付いていない。売場に戻って塔に登る切符に換えてくれと頼むと「もう時間だからあがれない」と身振り手振りで教えてくれた。少し心残りであるが塔の上に登るのはあきらめて寺の境内を散策することにした。この寺は仏教寺なので日本の寺と造りがよく似ている・・・いや日本の寺がこの寺に似ていると言うのが正しいか。境内に線香を焚いている場所があって、お賽銭を入れて線香を貰うところまで一緒である。入った物の塔に上れなければあまり観るところはあまりない。社寺仏閣に興味のある人ならば楽しめるのではないだろうか?かなり古い建物であると説明の看板には書いてあった。看板には日本語の説明もあったが、何を書いているのか今一つ要領を得なかった。どうも看板を作った人は日本語が不得手だったらしい。隣に書いてる中国語の説明の方が理解しやすかったのはご愛敬である。ひとあたり散策して、お参りしてそのまま今来た路地を戻る。ホテルのある大通りまで戻ると目の前をういぃぃぃぃんという音と共にトロリーバスが走っていく。トロリーバスは連接車体で人をいっぱい乗せている。中国の都市では私の知っている限りでも北京、大連、上海、広州とトロリーバスの走っている都市は多い。日本ではもう都市部でこのトロリーバスを見ることは出来ない。思わず乗ってみたいと思ったが同僚の二人に「おなかが空いた」と言われてしまったのであきらめた。そうなのだ、この二人は「広東料理を食べる」ために私につきあってくれているのだ。何としても彼らの胃袋を満足させなければこの後の活動は望めない。大通りを歩いていると道の向こう側に怪しげなネオンを掲げている「レストラン」?らしき物を発見した。彼らのおなかはゆっくりと他の店を探す余裕を失っていた。いざ、あのレストランへ!!!と相成ったわけである。広い道なので簡単に向かい側に渡ることは出来ない。とりあえず交差点まで行ってそこで渡るのだが、交差点には信号は無い。広州の街では信号を見かけることは少ない。特に混雑している交差点には警官が交通整理をやっていることもあるがそこの交差点には警官もいない。勝手気ままに走る広州のドライバーが、それこそ勝手気ままに好きな方向に走っていく。それが広州の道路の交差点だ。ところが同僚の二人はそんな交差点を車の合間を縫いながらすいすいと渡っていく。後ろからみていて、かなりきわどかったものの二人は難なく交差点を渡りきってしまった。食欲の勝利である。

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