「平和問題ゼミナール」
(旧)ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)
   
最終更新 2003/01/16

第64回配信
旗なき旗揚げ近し


1月9日から10日にかけて、ベオグラードも大雪が降りました

   明けましておめでとうございます。筆者多忙のため更新が遅れましたが、2003年もよろしくお願いします。今回配信ではセルビアとモンテネグロの政治状況のその後を再整理しておこうと思います。

   第62回配信でも書いたように、10月13日に行われたセルビア共和国大統領選の第2回投票は、結局コシュトゥニツァ・ユーゴ連邦大統領がラブス連邦副首相に大差を付けたものの、投票率が50%に満たなかったため共和国選挙法により不成立となりました。これではダメだ、第2回投票に関しては「50%条項」を削除する必要がある、という議論が噴出しました。これを討議するはずの共和国議会は、相変わらずどの政党が何議席なのか分からないままの混乱が続いていましたが、一度は全員除名の決定が出されていたセルビア民主党(コシュトゥニツァ党首)45議席の復活を急遽取り決めて審議が開かれました。一度始めた選挙はやり直しでも同じルールで通すべきだ、という議論もありましたが、結局第2回(決選)投票での50%条項は廃止され、12月8日にやり直し選挙第1回投票が行われることになったのです。
セルビア共和国大統領選
第1回投票(12月8日=投票率45・2%)
V・コシュトゥニツァ(セ民主党)57・7%(約170万票)穏健右派
V・シェシェリ(セ急進党)36・1%(約106万票)右派・極右
B・ペレヴィッチ(セ統一党)3・5%(約10万票)右派・極右
投票率が50%に満たなかったため規定により選挙無効、不成立。
   現ユーゴ連邦大統領の職と異なり、新共同国家セルビア=モンテネグロの大統領は実権を伴わない名誉職の色彩が濃いため、これを嫌って共和国大統領への横滑りを狙うコシュトゥニツァが秋に続いて再度立候補。これと対立するジンジッチ・セルビア共和国首相らの親欧・中道左派勢力は、出馬断念の意思が強いラブスに替わる強力候補を立てることが出来ませんでした。結局ジンジッチらが対立候補擁立を断念、しかし選挙ボイコットを標榜しない代わりにコシュトゥニツァ陣営もジンジッチ派への表立った批判を控える、という政治的妥協が成立しました。こうして12月のやり直し選挙は、強い人気を誇るコシュトゥニツァに極右・セルビア急進党シェシェリ党首、同じく極右・セルビア統一党ペレヴィッチ党首の二人が挑む格好になりました。シェシェリ候補が100万票を越える予想外の善戦を見せましたが、結果は表の通りの大差が付きました。しかしまたしても投票率は50%を下回り不成立。こんなことなら第1回投票の50%条項も廃止しておけばよかったのに、と言っても後の祭りです。現職ミルティノヴィッチの任期が年末で満了、セルビアは9月以来3度の投票でも選出が出来ない大統領不在での年越しとなりました。
   ミルティノヴィッチは99年の空爆中にオランダ・ハーグの旧ユーゴ戦犯法廷からミロシェヴィッチらと同時に訴追されています。共和国大統領在任期間中は「(セルビアはユーゴを構成するひとつの国家であり、)一国家の元首を在任中に外国の法廷に引き渡すのはどうか」という国内意見も強かったため、ハーグ側が移送先送りを黙認してきたところがありました。しかし本稿執筆現在彼の「自発的出頭」か「強制的連行・移送」かを巡って司法当局と本人の話し合いが続いています。
ミチッチ議会議長の表紙写真が諸兄のみならず諸姉の間でも話題になった週刊ニン誌昨年12月12日号
憲法の定めるところに従い、次の大統領が選出されるまではミチッチ共和国議会議長(セ市民連合=親欧左派)が大統領執務を代行することになります。まだまだ男性中心と言わざるを得ないセルビア政界で、一時的な代行とは言え女性が 「元首」を務めることに関しては、ミニスカート姿の同議長が自動車から降りる瞬間の写真が雑誌の表紙を飾るなど、(主に男性諸氏の)不謹慎な内容も含めて巷間の話題を呼んではいますが、まず彼女の最重要職務は2月8日までに次の大統領選を公示することです。
   3回やってもダメだった大統領選。中道派の長老として第一線を退いた後も論を張るD・トシッチ元連邦議員は「我々は民主主義に向いていないのではないか?」と言います。もちろんこれは悲観論ではなく、真の複数政党制を定着させたいという同氏の反語です。何でもセルビアが一番で問題は全くなし、という一般に広まるセルビア中華論があるが、一方でティトー、ミロシェヴィッチ以来の一党独裁で時の権力者に媚びる体質が出来上がってしまっている。少なくとも秋の選挙では複数の選択肢があったのに、半数以上の市民がカリスマ性の足りない、線の細い候補への投票を避けてしまった。大統領も選べない国民自身の政治的未熟をもっと直視せよ、と氏は警告します。「カリスマ性と野心の強い人物を直接選挙で大統領に選ぶより、やはり議会で間接的に定めた方が我々の社会にとってはいいのかも知れない」(日刊ポリティカ紙昨年12月23日付)。
   コシュトゥニツァ率いるセルビア民主党45議員の「復活」で、議会は何とか審議が出来る状態に戻りました。しかし選挙直後の12月13日に03年度予算(2615億ディナール=約5200億円)案が通過した時もジンジッチ派にとっては薄氷の勝利でした。定数250の共和国議会で議決に必要な出席議員数は半数プラス1の126。ところがセ民主党や与党連合(セルビア民主野党連合=DOS)内の反ジンジッチ派が野党と足並みを揃えて欠席戦術を取ったため、採決直前には出席半数を割ってしまいました。休憩時間、民主党などジンジッチ派議員が画策、社会党から離脱したイフコヴィッチ議員らの一派と、退場したDOS右派の一部議員から「予算案に賛成票は投じないが採決には出席する」という奇妙な約束を取り付けました。休憩後の出席128、反対9。賛成したのは本来の半数にも満たない119で、辛うじて予算案通過です。かえって「議会混迷続く」の印象は強まりました。
ジンジッチ派だけでなく、同派が推すジェリッチ共和国蔵相(写真)ら経済派にとっても03年度予算案議会通過は薄氷の勝利だった
   コシュトゥニツァの右腕、マルシチャニン前議会議長などセルビア民主党幹部は「今後もジンジッチ政権倒閣へ全力を傾注する」と発表しましたが、秋の時点では「ラブス不支持、コシュトゥニツァ支持」に動いたDOS内部の中道グループ(ミチューノヴィッチ連邦下院議長など)が同党への同調を控える方針を明らかにし、セ民主党は勢いをそがれたまま推移しています。右のコシュトゥニツァ、左のジンジッチの間にあって中道グループのキーパースンの一人と目されるチョーヴィッチ共和国副首相は、即時政府潰しの動きには消極的なものの、「04年の任期満了まで現在の議会構成が続くことは困難」と、話し合いか前倒し選挙での政界再編の必要を示唆しています(週刊ニン誌1月9日号)。
   同副首相は10月政変とその後の2年を総括して言います。「DOSは勝てるという自信があって政変に向かって行ったわけではなかったし、(ミロシェヴィッチ政権打倒、以外の)計画を持って権力を掌握したのではなかった。だが一旦権力の座に就くとそれが永遠に続くかのように慢心してしまう。わが国には絶対的な権力を握れるような成熟した政党も政治家もいない」。2年しか経っていないのにユーゴ政変は遠くなりにけり、なのでしょうか?
   新国家はいつまでも発足せず、共和国大統領は不在、議会は混乱を続ける。こうした政治の不安定が経済発展のネックになり得る、と悲観的なのは経済関係者です。経済研究所は03年はユーゴ政変以降もっとも大変な年になる、と警告します。これまで経済の潤滑油の役割を果たしてきた先進国の無償援助は減少するだろうし、外国からの直接投資は政情不安定が続く以上リスクが高く大きな伸びを期待できない。また米・イラク戦争が勃発すれば原油価格の高騰を招くだろう。03年から巨大企業の民営化に着手が予定されているが、民営化リストラによる失業者が増大し社会問題となる危惧もある。「2000年政変後の経済指標の伸びが、夏ちょうど選挙戦が始まった頃から止まってしまった」(サヴィッチ研究員)、「現在の平均月収167ユーロが200ユーロになるのは05年くらいか」(バエツ研究員)。だいぶ厳しい見方ですね。

   セルビアの選挙不成立は、政変後与党に就いたコシュトゥニツァ、ジンジッチらの驕りに対する有権者の抵抗の意思表示だったと解釈出来ないこともありません。その文脈で考えると、モンテネグロのジュカノヴィッチ派の現在も同じような状況だと言うことが出来るでしょう。第45回配信でも書いたように、国論を二分する状況が常に続くモンテネグロでは選挙での投票率が高く、独立の是非を問う形になった一昨年の総選挙では80%を越える新記録が達成されました。新国家成立後3年間独立の凍結が決定した昨年10月20日の総選挙では、ジュカノヴィッチ大統領を支持するかどうかが選挙戦のポイントとなり、やはり投票率は77%を越えました。直前のセルビア大統領選、ボスニア各レベル選の低調とは、この時点では対照的だったと言えます。
モンテネグロ共和国議会選(10月20日、定数75)
自由連合独立強硬
ジ大統領派39 独立推進
連邦維持派30独立反対
アルバニア人 独立支持
   結果的には表のようにジュカノヴィッチ大統領派が足場を固め、独立反対派、これと共同歩調を取って大統領派に対抗していた独立強硬派は退潮しました。両派は5月末にヴヤノヴィッチ首相以下政府を不信任に追い込んだまでは良かったのですが、やはり本来手を組んではいけない独立反対派と独立強硬派の結託という無節操が批判を受けたようです。しかし、ここで大統領派(社会主義者民主党=DPS)は年末の大統領選に向けて専横的な戦略を選択してしまいました。DPS党首ジュカノヴィッチの大統領就任(97年、それ以前は首相を務めていた)以来、ナンバー2として首相の座に座り続けてきた副党首ヴヤノヴィッチが大統領に、そして「親分」ジュカノヴィッチは首相に入れ替わるという方針を発表したのです。
   セルビア同様モンテネグロでも首相候補を議会に推薦するのは大統領です。さすがにジュカノヴィッチ大統領が「自分を首相に」と議会推薦するわけには行きません。そこで(1)ヴヤノヴィッチ前首相が議会議長に就任する(5月の政府不信任以降は首相ではないので、兼職禁止規定はクリア)(2)ジュカノヴィッチが大統領を辞職する(3)大統領が不在なので、憲法上大統領代行となったヴヤノヴィッチ議長がジュカノヴィッチを首相候補として議会に推薦、さらに大統領選公示(4)ヴヤノヴィッチ前首相・現議会議長が大統領選に立候補する、という手続きを取りました。反DPS勢力や有権者にとっては「バカにするな」と言いたくなってしまうような、ミロシェヴィッチ時代のセルビアやユーゴでも例のない政治的アクロバットです。
元首相、前大統領、そして新首相に。ジュカノヴィッチの相変わらずのワンマンぶりに野党の批判は強まるばかりだが、選挙で勝てば何でもアリ?
   独裁と言われても数で議会を押えた方が勝ち。(3)までは順調に事が運び、バルカン的なDPSの横暴が通るかのように思われましたが、12月22日に行われた大統領選では有権者が厳しい判断を下しました。2週間前のセルビア大統領選同様、こちらも投票率45・1%。ヴヤノヴィッチが次点ハイドゥコヴィッチ候補ら無名候補に大差を付けたものの不成立となりました。独立反対派のボイコット呼び掛けが効を奏しました。ヴヤノヴィッチ候補は「不成立は残念だが票数には満足している」、ジュカノヴィッチ首相も「不成功は見てくれだけのもので、次は大丈夫だ」と強がりますが、ヴヤノヴィッチが集めた約18万票はちょうどDPSが2ヶ月前の議会選で集めた票数です。再選挙は2月9日実施が決まりましたが、共和国選挙法により今回の選挙で立候補していない候補者の出馬は認められず、反DPS票はもちろん浮動票の伸びも期待できないことから、セルビア同様やり直し大統領選も不成立に終わるのではないかという見方が有力です。「一回の選挙には160万ユーロが掛かる。小さなモンテネグロには大きな圧迫となり得る額だ」と選挙監視団関係者は言いますが・・・。セルビアにお付き合い、モンテネグロも大統領なしでの年越しとなりました。1月9日には新内閣が選出され、首相の座に収まったジュカノヴィッチ元首相・前大統領・新首相は「3年後の独立実現に向け、各分野でヨーロッパの水準を満たせるよう努力して行きたい」と述べました。しかし、このニュースを見て白々しく思ったのは私だけではないでしょう。

   驕れる者は久しからず。盛者必衰の考え方は、平家物語の国や仏教圏、儒教圏の専売特許ではないはずです。パンタ・レイ(Panta rei 全ては流れる)という言葉はセルビア語ならず欧州語の文献ではしばしばお目に掛かりますが、この言葉が象徴する万物流転を説いたのは古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトスだったはず。どうも旧ユーゴの権力者たちは、言葉は知っていても今から2500年前のバルカン地域の叡知を実感しているとは思えません。不落の壁に思えたミロシェヴィッチ政権が倒されてからまだ2年少ししか経っていないのですが。因みにこの在オランダ・ユーゴ前大統領が党首を現在も形式上務めるセルビア社会党は本稿執筆現在、再び派閥対立が表面化。気の早いウォッチャーの間では「空中分解へ」説も取り沙汰されています。

   さて新国家セルビア=モンテネグロを巡る動きです。昨年3月のベオグラード協定(共同国家枠内でのセルビアとモンテネグロの関係に関する原則協定)によって、新憲法草案が両共和国議会、現連邦議会の批准を受けるとされた「旗揚げ」の期限が6月末(第55回配信参照)。
現ユーゴ連邦議会はそのままセルビア=モンテネグロ議会(一院制、定数126)に模様替えすることになった
3議会各勢力代表27名から成る制憲委員会が討議を続けましたが、議会選挙の方法は直接か間接か、など3月の協定時点では穴になっていた事柄についてなかなか話し合いが付かず、憲法草案完成は7月、9月・・・と延々先延ばしにされていました。欧州評議会は11月上旬の閣僚理事会までに議会批准があれば、新国家として加盟を認めると約束しましたがこれも見送り。市民の関心も低くなってしまった、と言うより忘れられた頃になって12月上旬、ようやく憲法草案が定まりました。制度構成については本文とは別に少し大きめのGIFファイルでまとめましたのでこちらをクリックしてご参照下さい。
   草案が出来たのならば早く制憲委員会から議会討議へ送ればいい、とも思うのですが、今度は現行ユーゴ憲法と新憲法の「空白」を埋めるための憲法施行法に関してまたも委員会内の議論が空転。年末ギリギリの議会送りも流れ、いったいいつになったら新国家セルビア=モンテネグロの出発に至るのか誰もわからないままモヤモヤした状態が続いていました。パンタ・レイ、万物流転もゆっくり過ぎるのは考え物だな、と私も思っていた1月11日、制憲委員会は突然「憲法草案をモンテネグロ、セルビア両共和国議会に送ることで全会一致の決定をした」と発表しました。しかしこれは27人のうちセルビア民主党、モンテネグロ独立反対派らが欠席した16人での討議だったことが発覚。シャミ委員(セ民主党)は「決定を下すには3分の2の18人の出席が必要だったはずだ」と抗議しています。こうした事情で本稿執筆現在、まだ具体的に議会討議と批准(連邦議会を通過した時点でユーゴが正式に消滅し、新国家が発足します)がいつになるとははっきり言えない状態ですが、ともあれ新国家成立が半歩近づいたことは間違いないようです。
   新国家の特徴を見てみましょう。ユーゴ連邦の現行憲法ではセルビアとモンテネグロは連邦を構成する共和国として定義されていますが、新憲法は二つの「国」の共同体という、構成する側の独立性を強調する語を使っていますので、このHPでは今後は(この共同体への)「加盟国」という言葉を使おうと思います。大統領はユーゴ連邦と異なり議会からの間接選出、しかも議会が解散すれば大統領も交代。むしろ閣僚評議会(政府)の長としての首相に近い権限になります。
新憲法は両加盟国の平等性に配慮している。ジフコヴィッチ現内相(左)が正防衛相になると、同じセルビアのスヴィラノヴィッチ現外相(右)は正外相になれず外務副大臣に
議会は懸案の議員選出方法については、最初の2年任期は間接選出、第2回からは直接選挙となりました。モンテネグロ出身者枠がセルビアの3分の1強ですが、セルビア票、モンテネグロ票それぞれの多数がないと議決が通らないようになっていて、多数のセルビア票だけでモンテネグロの声を押えてしまう危険を避けています。この他にもモンテネグロとセルビアの「平等性」に配慮したところが多々あります。防衛相と外相は別加盟国の出身、任期4年の半分でまた別加盟国の副大臣と正副交替する、などです。軍については徴兵を各加盟国領内で務められるという点が新しいポイントで、将来は2つの国家になることがここでも予見されていると言えるでしょう。ベオグラード協定通り加盟国の独立は3年間凍結され、モンテネグロが独立した際、コソヴォに関する国連安保理決議1244など現ユーゴが持つ国際法上の主体はセルビアが継承するとし、コソヴォ独立問題は凍結されました。ただしコソヴォ独立を狙う勢力にとっては(1)モンテネグロが独立した際にセルビアが国家共同体セルビア=モンテネグロを名乗り続ける(!?)のかどうか不明(2)両加盟国がともに独立する際の継承権については話し合いの余地がある、など重箱の隅をつつく僅かなチャンスが残された形となっています。
   閣僚人事については既にマスコミの憶測が始まっています。92年の発足以来ユーゴ連邦大統領はセルビア人ばかりでしたので、コシュトゥニツァ現連邦大統領も「そろそろモンテネグロ人でいいではないか」と発言。DPSのナンバー3、マロヴィッチ議員が初代大統領の有力候補とされています。防衛相はセルビア側でジフコヴィッチ・現連邦内相が「名乗り」。外交でそれなりの実績を挙げるスヴィラノヴィッチ現連邦外相(セルビア)が初代副外相に就くと見られています。
連邦運輸省ほか多くの機関が共和国管轄に移行など統廃合の対象に。職員のリストラも進んでいる(写真は連邦政府第一庁舎)
   この憲法草案で明記されなかったところで現在最大の問題になっているのは中銀です。昨年からモンテネグロはユーロを通貨として使用、セルビアはユーゴディナールですから「一国二制度」が並存しており、このシステムは新国家でも継続されます。事実上セルビアだけの中銀となったユーゴ中銀はセルビア中銀に看板を替えればいいのですが、モンテネグロとしては国際通貨基金(IMF)など国際経済・金融諸機関との窓口を形式上も実務上もセルビアだけに握らせたくない思惑があります。中央がない国家共同体の中央窓口をどこにするか、カネが直接絡んでいる話だけにまだしばらく議論が続きそうです。
   いずれにしてもベオグラード協定で定められた5省庁しか置かないことになり、内務、運輸、法務の現行3省のほか情報庁、連邦税関、さらにはユーゴ古文書館やユーゴ史博物館に至るまで、連邦管轄下の機関がほぼ全て統廃合・移行の対象となりました。中には上記の中銀のように看板を替えて共和国レベルへ移行・統合される機関もありますが、廃止やむなし、という役所も出てくるはずです。これら連邦諸機関の職員は合計約10500(ユーゴ軍を除く)。余剰人員は約3000と見積もられ、昨年12月11日までに自主退職の呼びかけに応じた連邦公務員には月給24ヶ月分の退職金が準備される、という触れ込みで第一期リストラが始まりました。この時期までに応じた職員は約2000だったと発表されています。
   ヤット(JAT)の略称で知られてきたユーゴ航空は「当分の間はこの名のままで」と発表。セルビア航空SAT(?)は名乗らないようです。かのD・ストイコヴィッチ(元名古屋グランパスエイト)が連盟会長を務めるサッカー界は、ユーゴ代表スポンサーのイタリア企業から慣例に反してユーゴの紋章を抜いたユニフォームを調達しています。サッカーに限らずユーゴ代表のナショナルカラーは青。応援では「プラーヴィ(青)、プラーヴィ」という声がよく掛かりますが、この色ももしかしたら変わってしまうかも知れませんね。
   いずれにしても憲法では国旗、紋章、国歌については定めることが出来ず、これは新国家議会の討議事項となりました。旗なしでの新国家「旗揚げ」、ちょっとカッコ悪いのですがまあ仕方がありません。全ては少しずつ、流れ移り変わって行きます。

(2003年1月中旬)


画像の一部は2000年6月、2001年6月、2002年9月に日本のテレビ局の取材に通訳として同行した際筆者が撮影したものです。これらの本ページへの掲載に関してはクライアントの承諾を得ています。本文、画像とも無断転載はご遠慮下さい。

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