17.サーヴィス
― おお、茶柱かぁ、ハッハッハッ・・・・・ ―

解散を前提に制作された「浮気なぼくら」は、YMOとしての最後のアルバムとはならなかった。散開コンサートのツアー真っ最中に発表された、そのアルバムは、なんだか本当にオマケのような存在だ。日夜、新しい楽想を生み出しつづけていた彼らにとっては、アルバムの1枚や2枚余分に増産するなど、造作もないことだろう。そこに並んだ楽曲は、ちゃんと新しい様々な意匠をこらした秀作である。そうして、やはり自己模倣が現れていると僕は感じる。つまり、YMOよるYMO的なものだ。しかし、いつも新機軸を彼らに要求するのは、また酷な話だ。レコード・プレーヤーの針をレコード盤の溝に落とすと、そこからはファンに馴染み深いテイストの音楽が流れてくる・・・・。普通はそういうアルバムがずらーっと並ぶものなのだろう。我々はもはやYMOの新曲について構えたり、力んでみたりする必要はなかった。

そのアルバムは、YMO自身の楽曲の間に、高橋幸宏のオールナイト・ニッポンにレギュラー出演していたスーパー・エキセントリック・シアターのショート・コントを差し挟んだもので、外観上の構成は、『増殖』に近い。ただ、そこには、スネークマン・ショー的な辛辣な、いわば社会派的な風刺の精神はない。収録されたショート・コントは、軽快なお笑い以上でも以下でもない。それはその頃のSETの作風だし、解散を控えたYMOメンバーのスチャラカな気分の反映でもあろう。だいたいが、もうスネークマン・ショー的なマジメなブラック・ユーモアというものは流行らない時代に突入していたのかもしれない。ビートたけしも毒舌漫才はやらなくなってたし・・・・。作り手のYMOにも、YMOとしては、取り立てて重要なモチーフもないまま生み出された、このアルバムは、少々押し付けがましくも、ファンへその存在理由を託され、『サーヴィス』というタイトルが冠された。

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1983年12/14 アルバム『サーヴィス』発表
アルバムの帯には「YMO散開記念アルバム」と銘打ってあった。今度こそお終いよ、というわけだ。確かに『浮気なぼくら』が最後のアルバムでは、ちょっと納得いかないぞ、という感じだ。トリつとめるにはふさわしくない。ともかくYMOらしい楽曲の並んだ『サーヴィス』があった方が座りがよろしい。ところで、三宅裕司はじめSETがメジャーな存在になったのは、このアルバムのおかげだろう。正確には言えば、このアルバム自体のおかげというより、YMOに近づいたことで、業界への人脈が開けた。YMOがSETの業界への橋渡し役をしたことなど、YMOファン以外の人はほとんど知らないんだろうなぁ。別に知らなくてもいいんだけどさ(笑)オリコン最高位は、5位。

Linbo;なんだろ?・・・・YMO、しかもいつもの\EN的な。それ以外のことは、僕は感じない。

The Madmen
;発想としては、初期YMOの重厚な和声へのアンチテーゼとして2期以降に登場した曲の系譜を行くものだ。この傾向は、実は見過ごすことができない変化だった。なんというか、彼らには、ある種オートマチックに和音を重ねて、外観上の体裁を整えるという曲作りを非常に反省した時期がある。彼らの言葉で言えば、「出揃っちゃったぁ」あるいは、「締め切りまでに原稿を埋めるだけの作業」。それで、以来むしろ意識的に引き算的な発想で曲作りをするというヴァリエーションが新たに加わった。その辺の件についての対談がオンエアされた時、エアチェックしたのだけれど、今となってはその録音テープも紛失してしまったので、詳述は避けたい。ともかくこの曲には、極限までシンプルで、これでいいのさ、みたいな細野晴臣の気概がみなぎっている。最低限、才能の貧困と雄弁なシンプルさの違いがわからないとね。

Chinese Whispers
;まぎれもなく幸宏節だ。特に曲の構成なんかが、\EN以降の『アー・ユー・レシーヴィング・ミー』みたいな曲を思い出させる。いや、なんかその、どうしても似てる曲を挙げざるを得ない。やっぱりこのアルバム全体が自己模倣な作りで、独自性が希薄だから。だからダメというわけじゃなくて。

以心電信;『浮気なぼくら』では予告編として、曲の一部が公表された以心電信のフル・ヴァージョン。企画のもの。なんなりと仰せください、注文通りになんでも作ってみせましょう、というYMOの器用さの典型。

Shadows on the Ground
;ムーディーで、ご婦人なぞはいちころって感じだ。やっぱりタキシード着てハモらないとね。彼ら紳士の視線の向こうには「過激な淑女」が!(笑)アシッド・ジャズ・テイストで90年代風にMIXし直せば、さらにシックになると思う。歌は、ハリー・コニックJrで。特にドラムスの音が普通なんで、もうひとつ成り切れてないところがある。可能性を予感させるだけで終わってしまっているところが惜しい。こういうのってホント損してる。もったいない。

See-Through;アルバム中、唯一YMO名義での作品。序奏部なしで、冒頭から情熱の波浪が押し寄せるよう。ただ間奏部分がまずい。そのお手並みは見事だが、手練手管でやり過ごしてるだけ。ここが、初期の傑作群との違いだろう。例えば、東風やライディーンの間奏部分には、この曲のような旋律の流れの淀みがない。See-Throughの場合、冒頭のふたつの主旋律は、情熱の激しいうねりが次第に高まって、ついには凄まじいクライマックスに到達する起爆力を秘めていながら、その願いが成就されることなく、空しくも間奏部分で息切れしてしまった。結果、初めから終わりまで、比較的穏当なテンションのままで、平板な印象しか与えない凡庸な曲に仕上がってしまった。YMOだからこそ、僕は多くを期待する。

Perspective;坂本自身の発言によれば、AORを意識したとのこと。AORといえば、ドナルド・フェイゲンやボビー・コールドウェルが有名だ。サンストで教授が『ナイトフライト』からのナンバーをかけくれたのを思い出す。この曲を構成しているすべての音素は蝶の羽のように繊細で、硝子のように壊れやすく、あたかもステンドグラスを淡い光が透過して、様々な絵模様を形作っては消えていくよう。この感触は、教授プロデュースの大貫妙子のアルバムでも体験したような気がする。

ショート・コントについて。狭いよー暗いよー。ほそのぬぉぉ!きっ貴様今度やったらただじゃすまんぞぉ!以上(笑)高橋幸宏、マジで閉所恐怖症のような・・・・。坂本龍一、天然。細野晴臣、この人は本物のコメディアンかも。

1983年12/28 高橋幸宏のオールナイト・ニッポン最終回「YMO散開スペシャル」
4時間の特番で、構成は、ゲストの細野晴臣、坂本龍一、矢野顕子、立花ハジメ、鈴木慶一(坂本、矢野は電話。)らとレギュラーメンバーとのトークと散開コンサートの模様。散開コンサートの舞台裏の様子を高橋幸宏がレポートしたり、インタビューするなどというコーナーもあった。ところで、この番組の構成作家が、今は故人となったあの景山民夫だった。

1983年12/29 NHK FMで散開コンサートをオン・エア(12月29日の公演)
FM放送をエア・チェックする際に常に惹起する問題だけど、まず、放送局側の録音・ミキシングのやり方、次に放送電波を受信したオーディオの性能、大まかに言ってこのふたつのフィルターを通って、実にいろんな印象の音源が巷に溢れることになる。だからって、どれが一番忠実にオリジナルを再現しているか?、なんて問いを発するのは意味がない。僕らは、機械と違って、そこでイマジネーションを発揮して、音楽を聴いている。

1983年12/31 NHK総合で散開コンサートの模様を放送。(番組名「YMO SPECIAL」)
今思えば納得がいくのだ・・・・大晦日、家族あげての大掃除中、ひとりテレビの前に陣取り、画面に釘付け・・・・そりゃ親父も怒るって。

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1984年2/22 アルバム『アフター・サーヴィス』発表
発売当初は、2枚組みだった。収録曲の数も現在1枚のCDとして購入されているものよりも多い。Focus、邂逅、See-Throughも収録。結局YMOとしてのライブ・アルバムは、『パブリック・プレッシャー』と『アフター・サーヴィス』の2枚だけだった。YMOは、名プレイヤーの集まりでもある、それにしては、2枚というのはやはり少なすぎる。YMOブーム再燃と共に、幾多のライブ音源がCD化されたのは、なにもファンの懐古趣味だけじゃない。やはり歴史的にも価値ある記録だと思う。YMO以降は、このタイプのシンセ・バンドは見当たらない。オリコン最高位2位。

1984年3/15 YMO散開記念写真集『シールド』発刊
有名なステージ衣装を着たメンバーが複製された人形のようにガラスケースに収まってる写真など。博物館風のやつ。でもね、博物館に収めたつもりが・・・・

1984年4/18 映画『プロパガンダ』上映
監督:佐藤信/製作;ヨロシタ・ミュージック。プロモーション・ビデオでも、ドキュメンタリーでもない、あくまでYMOを素材とした佐藤信の映像作品。つまり文字通りの映画。従ってこれを正しく評価するには、映画としての質を問えばよい。ミュージシャンを素材とした伝奇映画(伝記じゃなくて)って、プレスリーやらビートルズはもとより海外には結構たくさんあるし、そうした映像表現は既にひとつのジャンルを形成してると言ってもいいだろう。偉大なミュージシャンのみが綾なす独特の光と影は、映像作家にとっても魅力的な対象だ。未発売曲『M16』挿入。同年4月25日にはビデオ発売されている。

さて、これでYMO散開記念関連のイベントはお終い! The END.....FIN......

(99/05/25 第一稿 脱稿) to be continued・・・・



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