14.YMOが、「アイドル」のような真似を!?

なぜ、3人のオッサンが・・・・・あ、いや一流のアーティストがアイドルのような真似をしたのか?いろいろ言われてきた。僕が覚えているのをひとつ紹介する。情報源は例によってサンスト。それは、当時、YMOを東京的な現象であるとして、深い理解を示していた立花ハジメが冗談まじりにYMOをけしかけたというものだ。内容は大方次のようなもの・・・・・すなわち、YMOは「BGM」「テクノデリック」によって浮動票的なファンを失った。一体、YMOはかつてのようにコアなファン層のみならず日本の大衆にウケるのかい?ホントに一位になれるのかい?だいたい、そんな感じ。(ちょっといい加減・・・・)

さらには・・・・・・(つーか、こっちが本当の理由(^^;)
(1)解散する前に売れる曲を作ってくれ〜とレコード会社サイドから要請されていた。「BGM」のオリコン最高位2位。「テクノデリック」のオリコン最高位は4位。
(2)でも、さしあたってYMOとしてマジメに取り組むべき音楽的な課題がない。
(3)ついでにそれまでYMOを批判し続けていたにも関わらず「BGM」や「テクノデリック」では『手のひらを返したように(高橋)』YMOを絶賛しだした頑迷な評論家連中へのいい面当てにもなろう。

そんなこんなの背景もあいまって、そんならひとつ売れる曲をつくってやろうじゃないかと、立花ハジメの投げかけた疑義を晴らすべく彼らは欣然と立ち上がった。(←大げさ)そして、YMOは宣言通り、レコード・セールスやらテレビ、ラジオのランキング番組で再び上位に返り咲いたのだ。もちろん立花ハジメに挑発されたというくだりは、別にシリアスなものじゃなく、旧知の仲らしい冗談だ。それでも立花の挑発的な問いかけが、YMO特有のあまのじゃくな性格を多少なりとも刺激したと考えられなくもない。

想像してみてほしい。80年初頭の未だ純朴な日本。2度のワールド・ツアーで成功をおさめ、インタビューでは小難しい発言をたれ、最近では「BGM」や「テクノデリック」などよくわからないけどアリガタそうな音楽をやる「アーティスト」が、次の瞬間には出し抜けに「きーみーにぃーむーね、キュン!」。しかも、三十路手前のオッサン。どうよ?(笑)このパターンは、まだ日本人は見たことなかったからね。脱構築?これはとりあえず深く考えないで乗るしかない。しかつめらしい顔はスマートじゃない。こういう時一番ダメなのはセンモン家連中だ。消化不良で立ち往生しちまう。一方、大衆はノリがよろしい。90年代後半の現在ならば、「お笑い」のヴァリエーションに組み込まれて認識されるかもしれない。「ゲーシャガールズ」みたいに。でも、それもちょっと違う。

あの自虐的な(笑)「君に胸キュン!」のプロモーション・ビデオ(デレクターは、なんと立花ハジメ!)に象徴されるように、YMOは極端に低級な売り出し方をすすんでやってのけた。ともかく「BGM」や「テクノデリック」でのYMOとは正反対のことをやった。大衆の方では、あのYMOがまた面白いこと始めたらしいと忽ち好奇の目を向けた。それは、決して大衆がYMOの術中にはまったということを意味しない。その辺の微妙なニュアンスを履き違えてはだめだ。

いくらなんでも彼らは、大衆を意図的に術中にはめようと目論むほど傲慢ではないし、大衆もそんな馬鹿じゃない。だからこそ敢えて不自然なぐらいに低級になってみせたのだ。これはヤラセですよ、といわんばかりに。(リアルタイムで見ても違和感のカタマリだった。)大衆の方でも無意識のうちにYMOの意を汲んでたのか、遊び半分で跳びついたというのが、正確である。業界マニュアル通りだから売れた、というのは違う。音楽業界への皮肉をこめての業界マニュアル的ではあったかもしれないが、YMOがアイドルのような真似をした時点で、マニュアルから最も遠い。業界マニュアル通りならば、YMOのような大御所の「アーティスト」が「アイドル」のような真似は決してしてはならないことになっている。一連の行動は、やはり如何にもYMOらしい。

●1982 9/17 YMOのニュー・アルバムのコンセプトに関するミーティングが行われる。
20日にはアルバム「浮気なぼくら」のレコーディングが開始された。この時点のアルバムタイトルは「キュート」だったそうだ。

●1982 10/21 テストパターンのアルバム「アプレ・ミディ」、インテリアのアルバム「インテリア」が\ENレーベルから発表される。ともに細野晴臣プロデュース。

●同日 「YMOベスト・セレクション」(カセットのみ)、「坂本龍一ベスト・セレクション」(カセットのみ)、「YMOファミリー・ベスト・セレクション」(カセットのみ)など怪しいアルバムをそれぞれ発売。
アルファレコード得意の必殺ベストアルバム攻勢か。カセットテープのみのリリース。当時流通媒体としてカセット・テープはまだ有効だったのだろう。なんだか演歌みたいだ。まさかトラックの運ちゃんがターゲット・・・・そんなわけないって。

●1982 10/22 事情を知ってか知らずか、「浮気なぼくら」のレコーディングになぜかビル・ネルソンが合流。

●1982 10/04 インテリアとHバンドがイベント「モダン・コレクション VOL.2」に出演。
渋谷パルコにて。細野晴臣はインテリアに、坂本龍一はHバンドにそれぞれ参加。

●1982年10/21 細野晴臣 \EN初のシングル「三国志メイン・テーマ」発表。

●同日 メロン アルバム「ドゥ・ユー・ライク・ジャパン」発表。
スネークマン・ショーでもお馴染みのメロン。細野・高橋プロデュースによるアルバム。

●同日 坂本龍一・渡辺香津美 アルバム「トーキョー・ジョー」(日本コロンビア)発表。

YMOのグリークシアターでの伝説的なライブや1回目のワールド・ツアーでゲストメンバーを勤めたギタリスト渡辺香津美だが、その後はYMOとの音楽的な接点を失っていく。それでもこのアルバムでは、細野晴臣、高橋幸宏、矢野顕子が演奏者として参加している。

●1982年12/05  ビデオ「イエロー・マジック・オーケストラ」発売って、えらい遅いな・・・

当時のビデオの普及率を考慮すれば、無理もないかも。ちなみにわが家にはビデオはまだなかった(泣)内容は、グリークシアターの模様と初期の傑作になんだか恥ずかしいビデオクリップがついているけど、YMOは全然悪くないんだよぉー。

●1982年12/08 ジャパンの武道館公演に矢野顕子、坂本、高橋がゲスト出演。
キャー!バンブー・ミュージックやライフ・イン・トキオなどを大合唱。後に全曲オン・エアされた。

●1982年12/16シーナ アルバム「いつだってビューティフル」発表。
作曲・編曲;細野・高橋。 

●同日カセット・アルバム「音版ビックリハウス〜ウルトラサイケ・ビックリパーティー」
作曲・編曲;細野・高橋。つまり共に\ENレーベル。ビックリハウスもなぁ〜(^^;; 未熟なカウンター・カルチャーだ。例えば、第1期や第2期に相当するYMOこそ真の意味である種のカウンター・カルチャーだと思う。

●1982年12/21 細野晴臣のベストアルバム「アーリー細野晴臣」(キング)発売。

●1982年12/29 アルバム「浮気なぼくら」完成するも、アルファの発売元がビクターからワーナー・パイオニアの傘下への移行が決定したことにともない発売を延期。なんでだろ?レコード会社間のビジネスレベルにおける取り決めに関する情報って、極度に少ない。

ミュージシャンがスタジオで如何に素晴らしい音楽を作ろうとも、それだけでは我々の元には届かない。一般に我々はミュージシャンとダイレクトに繋がることができない。そこには常にレコード会社が介在する。そのことは、普段は、なかなか意識にのぼってこない。メジャー・レコード会社は大企業である。巨万の富みと流通態勢、子飼いの音楽雑誌と御用ライター、各界の有力者への太いパイプ。企業の目的は利益追求だ。良質の音楽を提供することは、大企業であるメジャーレコード会社にとっては、しばしば二の次だろう。

●1983年01/01 国際コミュニケーション年のテーマ・ソング「以心電信」がNHKで流れる。
祝典序曲風のフレーズも挿入されたりして、この種のテーマ・ソングものはおてのもんって感じっすね。注文通りになんでもできる。アルバム「浮気なぼくら」には、予告編として曲の一部が収録されただけだった。

●同日 高橋幸宏 シングル「アー・ユー・レシーヴィング・ミー」(\EN)発表。 

●同日フジテレビ「オレたちひょうきん族」にYMOメンバーや立花ハジメ、鈴木慶一らが出演。漫才ブームを受けて当時高視聴率を誇った番組。YMOも侍姿でチャンバラのコントに登場。立ち回りで、どさくさにまぎれて、ビートたけしが台本とは無関係に戦メリ撮影中での教授のH話を暴露し始めると、すかさず高橋幸宏がたけしに太刀を入れて、妨害(^^;; 真相は如何に?

教授はボーっとしてたけど、ああいう時の高橋幸宏の電光石火の判断ってスゴイ、彼の行動には独特の鋭さがあって、結構しきるのがウマイし、短気。で、あればこそ坂本と細野の間にたつ役も果たせたのか。

●同日 細野晴臣作曲によるイモ欽トリオのシングル「ティーンエイジ・イーグルス」発売。
歌詞はともかく「ハイスクール・ララバイ」に比べると、割に直球かな。

●1983年02/05 ビデオ「コンピュータ・ゲーム」発売。(ハラー公演の模様を中心に収録)

●1983年03/25 YMO シングル「君に、胸キュン」発表。          
オリコオン最高位2位。また、カネボウ化粧品春のキャンペーン・ソングとして、繰り返しテレビで流れた。作詞は、「元はっぴいえんど」で当時一番の売れっ子作詞家、松本隆。その後、秋元康が登場するまでは、彼の天下だった。ノリは軽薄だが、手は抜いてなくて、伴奏はYMOらしい重厚な和音が聴ける。でも、これがYMOの代表作だったらYMOファンはやってないと思う(笑)

●1983年04/05 坂本龍一 デヴィット・シルヴィアン シングル「禁じられた色彩」発表。
個人的に「Merry Christmas Mr.Lawrence」より、こっちの方がずっと好き。ともかくデヴィットのヴォーカルがインスピレーションに満ちている。なぜ、あんな風に歌えるのか!後にリテイクしたが(「体内回帰」などに収録)、これがさらにいい。歌い込んでるなという感じ。

●1983年04/12 高橋幸宏のオールナイト・ニッポン放送開始。          
深夜放送というのは、一種独特の世界で、ふとんの中で聴いていると、メイン・パーソナリティとの距離がなくなって、相対しているような気持ちになる。サンスト同様、直に聴いた世代にとっては思い出がつきない。始まってからしばらくすると、アルバム「サーヴィス」で共演することになったSETもレギュラー・メンバーとして加わった。

で、SETなんかとコントをするときに一番、芸達者だと感服させられたのは、細野晴臣だ。メンバー揃って対談なんかをする時は、割と自分を抑え気味だが、役柄をやっても、投稿された葉書きのギャグを読んでも、ツボをおさえていてめちゃくちゃうまい。某音楽雑誌では、ワースト・DJ第1位の坂本龍一に続いて、第2位に輝いた(^^;; まあ、当時の日本人なんて 田舎もんだからね。ちなみに1位は、谷村新司だとさ。LOL。

●1983年04/21 ビデオ「YMOウィンター・ライブ'81」発売。          
この種のアイテムは、大概のYMO KIDSにとっては、高嶺の花だったと思う。後年、僕も積年の憂さを晴らすべく、一時期YMOの各種アイテムに散財したクチだ。

●1983年04/23 立花ハジメ アルバム「Hm」(\EN)発表。
高橋幸宏プロデュース。

●1983年04/25 細野晴臣、作曲・編曲によるスターボのアルバム「STARBOW 1」発売。
スターボは、あの人は今、という感じなんで(^^;;取り上げることもないのだが、この頃の細野晴臣の奮闘ぶりを伝えたいのだ。たぶん、3人の中では一番忙しかったのではないかと思う。殊に82〜83年のデータベースをご覧になっていただきたい。唖然とする。サンストでこんな会話がかわされたほどだ。細野いわく「多作になろうと思ってね。」すかさず立花ハジメがつっこむ。「駄作にならないようにね(笑)」 細野は、27日には松田聖子のシングル「天国のキッス」を出している。

●1983年05/01 坂本龍一 サントラ「戦場のメリークリスマス」発表。          
映画音楽の作曲家、坂本龍一の誕生。きっ貴様!それでも軍人か!役者としての坂本龍一はどうだろう?僕は向いてないと思う。また「世界のサカモト」とは、不本意ながら「スィート・リベンジ」や「スムーチー」の坂本ではない。専ら映画音楽作曲家としての坂本だ。しかし、教授にとって、映画音楽はあくまで余技だ。そういう意味では、僕は教授のファンとして、彼の国際的な名声を手放しでは喜ぶことができない。しかし、知名度や権威を維持しておかなければ、好きなことができないのも現実だ。実は彼のサントラの中には、キャリアを積むためと割り切って制作されたものも含まれていると思う。

uwakina bokura
●1983年05/24 YMO アルバム「浮気なぼくら」発表。         
オリコン・チャートは、宣言通りの第1位!収録曲の出来は?一部の佳作(傑作じゃない)を除いて、つまらない。それは、軽薄だからではない。単純に音楽として、退屈なのだ。耳は正直なもので、YMOのアルバムの中で一番聴かなかったのは「浮気なぼくら」だ。INSTRUMENTAL版の方も買ったが、同じことだ。なぜこんな事になったのだろう。例えば、イモ欽トリオ等に提供していたようなテクノ歌謡を並べればいいではないか。コンピューターおばあちゃんでもいい。やはりYMOのアルバムであるとして、メンバーに要らぬ力みが入ったのだろうか。

しかし、曲の出来などどうでもいいのかもしれない。ここでは、オリコン・チャート1位がすべてなのだ。レコード会社も大いに満足したことだろう。大金が懐に転がり込んでくる。そしてレコード会社の末端の社員にいたるまで、その生活を潤す。お金は、バンド少年の夢想よりずっと確かで役に立つのだ。今も昔もそれが、アイドル稼業ってもんだ。いや、音楽業界全体も大方そんなもんかもしれん。YMOは、退屈な曲でも1位になれるということも証明した。

(3/27 '99 第1稿 脱稿)


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