9.第2期。内向しゆくYMO
〜再び心理的なバランスを快復するために〜

人当たりがよく、サービス精神旺盛なために多くの友人に好かれ、 本人もそんな自分に満足していた外交家が、ある日から突然、人との接触を最小限に留め、 文学書や哲学書なんぞを読みふけり内省的になることは、 青年の性格形成の途上にしばしば起こることである。内省的な青年は以前の自分を、 うまく世渡りをするたに自分を偽っていたと己れを恥じる。しかし、外向的な彼も、 内向的な彼もひとりの人間の性格形成の中では、矛盾なく同居している。 そのような精神のダイナミックな力動は、 バンド全体の成長過程においてもありうるのではないだろうか。

全世界(といっても日本及び欧米諸国だけだけど。) に鮮烈な印象を残した怒涛の第2回ワールドツアーも大成功に終わり、 押しも押されぬ人気バンドとなったYMO,,,,,,,,,,ファンを含めた誰もが、 このままファイアクラッカーやライディーンのような路線を突っ走るものと当然思っていた。 しかし、喝采の渦中にある当の彼らの頭に中には、 既に思いも寄らない構想が形成されていた。 この時、世間の狂騒と彼らの思いとの間には、もはや修復不可能の決定的なギャップが生じていた。

12月27日本武道館での公演を終えると、彼らは、さして成功の余韻に浸ることもなく、 翌'81年1月15日粛々とニューアルバムのレコーディングを始めた。 ワールドツアー終了に到る頃には、頂点に達していた鬱屈せる衝動をぶちまけるように新しい音楽を創造していった。 「BGM」だ。 いわゆる第2期と呼ばれる大転換の到来を告げるアルバムだ。


●1981年3/21アルバム「BGM」発表
当時の彼らの表層の意識としては、「もう大衆むけのサーヴィスはたくさんだ。」とか 「これまでのことは本当の自分ではないのではないか」ということだったに違いない。 また、「BGM」発表後、音楽雑誌でもその種の発言をしていた。 しかし、それらの口舌は、あまりに紋切り型で、お座なりの説明に聞こえる。実態に即した説明とは受け取りがたい。 それでも、元来が正真正銘の音楽家であるYMOのことであるから、 世界で「ウケタ」という素朴な気負いと同時に、マスメディアから固定した勝手なイメージを押し付けられ、 それに沿った形での音楽活動をすることにかなりのストレスを感じていたことは事実であろう。再び、ミュージシャン側が主導権をとらなければならない。

街に一歩足を踏み入れれば、無数の好奇の視線が彼らの一挙手一投足に向けた、 彼らは「有名人」という不可思議な存在になっている自分を見出す。 現在では、僕個人としては、そうした呪縛のなかで一種の心理的なバランスを快復するため、 彼らの内向性が否応のなく浮上してきたのではないか、と推測している。 内向するYMO。「BGM」や「Technodelic」を聴くとき、僕の頭にはそんなキーワードが浮かんでくる。

内向的な態度は、再び快活さを取り戻すために精神衛生上においても必要だったのだ。 非常に健康な強靭な精神の持ち主が、常に無意識のうちに適切な自己治癒方法を見つけ出すように。 確かに作風の大転換ではあったが、また同時に精神の運動としては、 極自然な変化であったとも言える。

しかしながら、今でこそ無邪気に楽しめるものの、白状すれば、最初に「BGM」にプレイヤーの針を落とした時は、 正直かなりとまどったし、YMOの意図するところが容易につかめなかった。 僕にしてからが、ソリッド・ステイト・サバイバーの続編を期待していたからだ。 みんなそうだったに違いない。また、作り手のYMOもファンの戸惑いを予測し、 なかば過激な実験の結果でも待つようにちょっといじわるく様子をうかがっていたかもしれない。

「BGM」以降のYMOが一見破天荒とも受け取れる行動(バラエティ番組に出没したり)をしたのは、 固定化を強要することをやめないマス・イメージを破壊し続けるためのものだったかもしれない。 こうして、肩すかしをくらった当時のYMOファン達は、彼らを偶像化する機縁を失った。 僕らは、YMOによって、 最初の個人主義の洗礼を受けたといっても過言ではない。

YMOと一体化するのではなく、受け手の僕らも確たる自己をもって、批評するよう訓練せざるをおえなかった。 YMOは決して「教祖」などになりはしなかった。 あのエゴの塊のようなファンの渇望から生み出される偶像の材料なんぞになるのは、 まっぴら御免なのである。そういういきさつがあってか、どうか知らないが、一般にYMOファンは、 個人主義的で我が強い(^^;;←経験者は語る。

ミュージシャンとの過度な一体化を求める時すでに、 その人は音楽自体に関心などもってやしない。 自己の脆弱な自我の埋め合わせをしたいだけだ。 殊に、未だ自我の確立ができていない思春期には、 それに代わる完璧な偶像を自己の外部にもとめがちである。そうして、どんなに無能なミュージシャンであっても、 舞台でスポットライトを浴びれば、その間は聴衆に対して神のごときカリスマ性を発揮することができるもんだ。

ミュージシャンの中には、随分鈍感な連中がいて、舞台上での万能感が忘れられず、 いつまでもそれにしがみついている輩が多い。 そして、ファンは、舞台上の不可解な他者の存在を決して認めようとはしない。 だためいめい自分の勝手なイメージをそこに錯視しようと懸命なだけだ。 当時の僕もYMOに偶像を求めたかもしれないが、彼らはそれを許さなかった。ファンという、 他者に己の偶像の投影をみることしか渇望しないエゴスティックな存在に対して、 このアルバムは勇敢な痛撃を与えた。そして、今では僕はそのことについて、彼らに感謝している。

後のメンバーの発言に影響もあって、「BGM」は、細野晴臣主導で、 「Technodelic」は、坂本龍一主導で作られたものというのが定説になっている。
もっとも、当時は、誰もそういう事情を知らずに聴いていた。 ただ、細野と坂本の音楽的な志向性(好みといった方がいいけど。)の違いが顕在化しつつあった、 ということはあったみたいだ。そりゃーしゃあないことだ(^^;; あれだけ個性の強い音楽家がいつも一緒のことをやっている方が不自然というもの。

【曲目について】
BALEET。いかにも高橋幸宏って感じ。耽美主義。こういう具合なんで、当時よく幸宏は、 デカダンだって言われたりしていた。本人は否定。/ MUSIC PLANS。リバーヴを抑えた乾いた音がカッコイイ。 僕の中では、この曲とCAMOUFLAGEの2曲がベターだ。(1000 KNIFVESは、オリジナルではないので。)今でも聴く。/ RAP PHENOMENA。神秘主義的な世界観に曳かれているところのある細野晴臣ワールド。 ところで、この曲にも随所にオカルトを想起させる音なり旋律が出てくるが、 「BGM」に限らず、 「Technodelic」も内向的であると同時にオカルト的な要素が加味されているところが面白い。/ HAPPY END。同じ旋律の繰り返しで構成されている、今ならば、アンビエントに分類されるところだ。 ウィンターライブでは、シングルヴァージョン(フロント・ラインのB面に収録)の方が演奏された。/ 1000 KNIFVES。デビューアルバム「千のナイフ」をリメイク。 就中、異色な存在だが、その存在感は大いに他を圧倒している。 むしろ「千のナイフ」といえば、 こちらの方が有名かもしれない。それほど、インパクトもあり、完成度も高い。 いい具合に歪んでいる。反り返るように屹立する低音は、権力の象徴みたいだし、 Bメロは、パイプの亀裂から吹き出るガスのような音だし、 キーボードプレイは、不協和音気味に暴れまくる。デビューアルバム時の「千のナイフ」のコンセプトって、 讃美歌なんだが。うーむ、この反抗の意志に満ちたMIX、ちょっとうがった考えが、 つい頭をよぎるというもの(^^;;/ CUE。細野、高橋両名によって切り開かれた、新境地。この曲に余程自信があったらしく、 高橋幸宏は、「ニウロマチック,,,,」の海外レコーディングの際に持参して、 ミュージシャンに会うとほとんど必ず聴かせたという。 「BGM」の全体のトーンを決めさせたのは、この曲の完成ではないかと、根拠なく考えている。/ U.T.。情けないことに未だになんの略だかわからない(^^;;(あんまり関心がなかったりもする,,,,) やっぱりこれも実験的な音楽だ。'81にこれだもんな、すごいよ。わかってもらえっこないよな。 でも、やっと最近、Ken Ishiiなどの影響で、抵抗なく受容できるハイティーンがちらほら出現しはじめているらしい。/ CAMOUFLAGE。おしゃれとしてのデカダンといったところ。ほんとうにおしゃれだ。 当時の日本国内のトレンドにのみ、どっぷりつかっていたら、この水準に達することはできなかっただろう。/ MASS。実際に聞こえるよりも、ずーっとスケールの大きい荘厳な曲だ。 録音がよくないので、その辺が今ひとつうまく伝わらないのが、つくづく残念だ。 ヴァンゲリスあたりに最新の技術を使って、リマスターさせてみたい。/ LOOM。上昇音の果てにたどり着いた所は、より明るく視界の広い世界だ。

ところで「BGM」には、ポスターがついて来た。これが、 いやがらせ以外のなにものでもない醜悪なものだった(^^;; 一度は自分の部屋の壁に貼ってはみたものの、どうしても気味悪くただちに剥がした。 そのうち無くしてしまったが、少しも惜しいという気も起こらない代物だった。 あのポスターを今だに保存し続けているとしたら、 かなりの忍耐強さの持ち主だ(笑)息を弾ませてニューアルバムに針を落とせば、 前2作とは似ても似つかない晦渋な音楽が流れてくるは、 ポスターは気色悪いはYMOkids達にとっては散々だった(^^;; 肩すかし,肩すかしー。 データベース系のYMO本には、その画像が、大概載っていると思う。

( 第一稿 )

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