8.ステージには、いまだかつて誰もみたことのない光景がひろがっていた!
〜 第2回ワールドツアー 〜
●1980年10月3日 「ワールドツアー’80」に出発
2度目となった今回のワールドツアーは、アレンジの妙は今さらいうまでもなく、膨大な機材、 舞台セットと舞台衣装など、トータルな形でYMOワールドを提供するもので、
すべてにおいて、第一回ワールド・ツアーに比して格段に完成度の高いステージとなった。
衣装は、「ymo」のロゴマークの入った揃いの白いシャツ(or迷彩色系のシャツ)に、 コントラストがはえる黒のパンツ。腕に赤い腕章。背景には、
演奏と共に色の変化する格子模様の電光パネル。 床やラックを這いずり回るイミテェーションとしての役割を含めた配線群。 この舞台の場合、彼らの操作する膨大な機材そのものが、
舞台演出のオブジェとしての効果を与えている。聴衆をびびらすには充分だった。
「YMOを初めて見る人の反応はどこでも共通している。いつも、お客さんを緊張させ、 その緊張をあおるような演奏になってしまうんだ。」細野晴臣
舞台前衛。向かって左に、坂本龍一を取り囲む6のキーボード群。演奏中、 このキーボード群の間をひらりひらりと舞うという具合だ。中央のドラムスには、
通常のドラム・セットに加え、12あまりのシンセ・ドラムが追加されている。 向かって、右に細野晴臣の機材。坂本、高橋両名に比べるとちょっと地味だが、
むしろ彼らの機材の量が普通でない。 ベーシストである細野晴臣の背後にはベース・ギターだってちゃんと立てかけてある。
舞台後衛。向かって左にギターリストの大村憲二。向かって右に矢野顕子。 そして中央に、ほとんど洋服ダンスと見まごうような(^^;; 巨大な二台のMC-8のラックを左右に配した松武秀樹。この特定の楽器をもたず、
コンピュータやシンセサイザーを管理するためだけにメンバーがひとり必要であるというあたりも、 当時としては、世界中の人々の耳目をおおいにを驚かしめ、衆目を集めるところとなった。(プラウザのJAVAスクリプトがONになっていれば、新しいウィンドーが立ち上がって、そこにサウンド・システムの略図が表示されるので、ご覧になっていただきたい。)
『 ツアー・スケジュール』
10/11:ニュー・シアター@オックスフォード
10/12:オデオン@バーミンガム
10/13:アポロ@マンチェスター
10/16:ハマースミス・オデオン@ロンドン(観客の3割がミュージシャン!どうしてもYMOは、玄人好み)
10/18:ゴウモン@サザンプトン
10/20:マルケトハウス@ハンブルグ
10/21:デ・ランタレン@ロッテルダム
10/24:ゴタ・レオム@ストックホルム
10/27:ル・パラス@パリ
10/29:テアトレ・エスメラルダ@ミラノ
10/30:テアトレ・オリンピオ@ローマ
11/ 7:チャップリン・メモリアル・スタジオ@ロスアンジェルス(宇宙中継)
11/ 8:ハリウッド・パラディアム@ロスアンジェルス
11/10:カブキ・シアター@サンフランシスコ
11/14:パラディアム@ニューヨーク
=From Tokyo to Tokyo=
11/24〜27:武道館@東京
*「宇宙中継」と呼ばれた全世界への衛星中継の試みは、ビートルズに続いてYMOが2番目であった。
【演奏曲目】
1.ライオット・イン・ラコス/2.ジ・エンド・オブ・エイジア/3.ビハインド・ザ・マスク/4.ライディーン/5.マップス /6.ナイス・エイジ/7.コア・オブ・エデン/8.シチズンズ・オブ・サイエンス/9.中国女/10.ソリッド・ステイト・サヴァイバー/
11.ラジオ・ジャンク/12.在広東少年/13.千のナイフ/14.ファイアクラッカー/15.コズミック・サーフィン/16.東風/ 17.2声のインヴェンション(以上曲順は、ハマースミス・オデオンの場合。)
僕が初めてYMOの楽曲で、LIVE用にアレンジされたものを聴いたのは、 「ワールドツアー’80」の音源だった。 無論のこと武道館Liveなどに行かせてもらえるような年齢ではなかったので、テレビやFMの放送を生テープへ録音したものを大事に大事に聴いたのである。
そりゃーもう何度も聴いた。テープが伸びそうになると、新しいテープへダビングしていくという具合だった。
テレビでは、宇宙中継と武道館でのLiveを観た。武道館の方を放映した際は、 CM時間には必ず「富士カセット」のCMが流れたていたのを懐かしく思い出す。
例の「磁性紀」がバックに流れるCMだ。FM(NHK-FM)では、 最初は専ら武道館でのLiveが流された。 有名なハマースミス・オデオン公演をエアチェックしたのは、少し後だったと思う。
まあ、最近のティーンエイジャーがどうなのか知らないけれど、当時、音源を得たり、 YMOの動向を知るための最大の情報源は、FM放送だった。 こうした事情は、僕に限らないだろうと思う。とにかく暇さえあれば、FM放送を聴いていた。ラジカセ(なつかしい響きだー)は必需品。で、小型でも、なぜか妙に重かった。
フォーマットは、断然使い勝手がよいので、カセット・テープが中心。
番組表は「FMfan」。これは、早く購入しないと、ビックコミック・スピリッツのようにすぐに売れ切れてしまうのだ。 また、すぐに売れ切れてしまうので、有り難いのもののような気がしたりした。
逆にヤング・ジャンプのようにいつまでも売れ残っているのが、「レコパル」だった(^^;; 今はどうなんだろう? ところで、「サウンドール」は商店街の小さな本屋さんには大概売ってなかったので、
取り寄せるか、ちょっと遠出をして大きな本屋さんで探すことになる。
アレンジについて。今回のツアーが、ステージとしてトータルな形で高度にショーアップすることに成功しているとは言え、 勿論それだけではない。肝心の演奏は、一層すごかった。
初めて聴いた時は全く衝撃的だった。第1回目のワールドツアーの項でも書いたが、 ここでも聴衆を前にしたLive空間のための演奏というコンセプトが徹底されている。
実に彼らは、頭がやわらかいのだ。 Live空間にそぐわないフレーズや和音は、いかに音楽的に優れていても、
なんの未練もなく切り捨てられている。ここまで、果断なアレンジを、 今に到るまで僕は他に聴いたことはない。しかも、1回目のワールドツアーの演奏に比べると格段に成熟している。
そして、ここで試されたアレンジには、 常識を覆すような発想の転換が全体に横溢している。
最近、Remixということが隆盛を極めているがそんな生易しいもんじゃない。 概括的に言って、旋律主義的な音楽であるYMOの楽曲を本格的にアレンジするというのは並大抵のことではないのだ。
通常ミュージシャンがやるように、単に音色設定を変え、テンポを早めにし、 あとはお決まりのギターやドラムのアドリブの追加といった程度では、 あのようなほんと奇跡のような鮮烈さは得られなかっただろう。
ライディーンやファイアクラッカーなど、僕らがすっかり馴染んできたあの楽曲が、 新曲のような新鮮さで迫ってきたのだ!
そうして、よく知っていると思っていた曲の新たな魅力を再発見させられた。 そこには、あらゆるミュージシャンとそれを志すものが、
範とすべき高度な編曲の技術と発想があふれていると思う。 そうそう、絶対に忘れてはいけないことがあった。 ”4人目のメンバー”松武秀樹の創意に満ちたコンピュータプログラミングと演奏時のドライブ。
彼がいなかったら現実問題として、彼らのアレンジの妙を実現することはできなかったにちがいない。 当時は、Windows95もなかったし(^^;;どうしても専属のエンジニアが必要だったでしょう。
( 第一稿 )
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