7.「Japanese Gentlemen Stand Up Please !」
そのアルバムのジャケットには、 大衆のYMOに対するマス・イメージが当人達の意思を離れて、無限に「増殖」していく様が、
不気味な画像で表現されている。 YMOは、もはや社会現象だった。 理知的なミュージシャンである彼らは、 常に自分のおかれている情況というものに対して、客観的な分析をくわえることを忘れたことがない。
そんな彼らには、情況に対して、実にエレガントな方法でコミットするセンスがあった。 それは、これまでのどんな日本人ミュージシャンもやったことがない、全く新しいやり方だった。
●1980年6月5日:25センチ盤アルバム「マルチプライズ-×∞増殖」発表
「日本製品は世界で1番」、「日本はお金持ちだ」、 そんなムードが国民の意識のなかにも芽生え始めたのは、ちょうどこの頃だろうと思う。 日本は、高度経済成長以来、右肩あがりの経済成長をとげ、
「Made In Japan」の電化製品や自動車などの高性能な工業製品は、欧米のそれを凌いで、国際市場を席巻した。 (その後いわゆるバブル経済へと盲進していく。)
どうやら欧米諸国と肩を並べる先進国に成り上がり、敗戦以後の劣等感も解消されつつあった。 日本の企業戦士が、海外への販路を開拓すべく、欧米人と対等に交渉しなければならない場面が頻出し始めた。
このアルバムでは、スネークマンショーとの共演によって、 優越感と劣等感の入り交じった、 そんな当時の日本人の悲しくも滑稽な姿をブラックユーモアたっぷりに風刺している。
演目について
(1)Jingle"YMO" 小林克也の流暢な英語によるアメリカのTVショーばりのイントロダクション。 どさくさにまぎれて、「シェークスピア」などと口走ったりしている。
BGMも「らしくて」めちゃくちゃカッコイイ、本当に器用な人達だ。 (2)Nice Age アルバム「イエローマジック・オーケストラ」と「ソリッド・ステイト・サバイヴァー」など初期の作風のテイストを残す最後の曲となった。ヴォーカル主体に盛り上がっていく曲だけれど、伴奏の和声の重厚なこと!
シングルカットされる。(3)Snakeman Show アメリカ人とおぼしきビジネスマンと日本人が商談しているという設定。 日本人は、一見自信に満ちた物腰で応対し、金持ちであることをやたらに強調したりしている。
ところが、自分の名前や会社名を答える段になるとたちまち異常な緊張を示す。 (4)Tighten Up(Japanese Gentlemen
Stand Up Please!) 作曲は、ビリー・バティア&アーチ・ベル。編曲がYMO。 間奏部分で、前出の日本人らしき男が、うろたえ気味に「No!」を繰り返している。
しかし、向こうのペースに押し切られがちな模様。(5)Snakeman Show 最初のうち外国人ビジネスマンは、やたらと日本を誉める。くだんの日本人は、それが西洋の流儀に適っているのだと言わんばかりに、わけもなく豪快に笑っている。しかし、次第に先方は、自分の言っていることが、
全然相手に伝わっていないことに気づき、英語で日本を罵倒し始める。 相手になめられているとは知らず、日本の男は、ただただ馬鹿のように笑って、
すべてはつつがなく進んでいると信じている。 この日本人の名前は、時の内閣総理大臣と同じ名前だ。 これは、暗に日本の外交交渉での無能ぶりを風刺しているのかもしれない。
(6)Here We Go Again - Tighten Up - (7)Snakeman Show 警察権力おちょくり系のショート・コント。
(8)Citizen Of Science この曲が、「イエロー・マジック・オーケストラ」=「ソリッド・ステイト・サバイヴァー」路線からのーまだ劇的な形ではないけれどー脱皮を告げる第一歩という見方はうがち過ぎだろうか?
(9)Snakeman Show(The Magnificent Seven)林家三平のパロディー。これは、単にYMOのメンバーやスネークマンショーの人達の間のローカルな三平ブームの反映で収録されたものだと思う(^^;;;
(10)Multiplies 本当に奇妙な曲が出来たものだ。シンセサイザーライクな音は、全然使われていない。 これまでライディーンみたいな曲を作っていた人が、どんな頭の切り替えをするとこんな曲を作ることができるんだろう!
同時に、YMOに与えられたマス・イメージへの皮肉のようでもある。 YMOファンもこうして随分鍛えられてきたわけだ。 (11)Snakeman
Show 当時YMOという突然変異にすっかり動転して、 しきりにトンチンカンな批判やら絶賛をしていたニューミュージック批評家のダメさ加減を揶揄する。
(12)The End Of Asia アレンジの妙。 あの場面で最後に「The End Of Asia」をもってくるというのは、よくよく考えてみると意味深である。
前作、「パブリック・プレッシャー」同様、「マルチプライズ」もヒットチャート1位に輝いた。 6月12日のヒットチャートでは、1位が「マルチプライズ」、3位に「ソリッド・ステイト・サバイヴァー」、
13位に「パブリック・プレッシャー」、20位に「イエロー・マジック・オーケストラ」がチャートインしていた。実に販売中のアルバムのすべてが20位以内に入っていたわけだ。
まったくアルファー・レコードめちゃおいしいやん!という感じである(^^;;;
●1980年9月5日:米国盤「マルチプライズ」発表
米国盤の方は、新曲に加えて、ライディーンなどのヒット曲を収録した、ベストアルバムという趣で、 YMOに初めて触れるアメリカーンの方にお得ございます、という作りだった。
空前の「YMOブーム」の到来である。さあ、機は熟した。(実は真実の意味では”機は熟して”なかった。 YMOが活動期間中に大衆に正確に受容されたことはついになかったと思う。)
はるか宇宙のかなたで,,,,,,,,,そうした状況のなかで,,,,,,,,,,,,,,,,。
●1980年10月2日:外国特派員プレスクラブの記者会見席上、「ワールド・ツアー’80」発表
このツアーで、YMOの活動史上、もっとも多くの聴衆を動員し、またウケたライブであった。
( 第一稿 )
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