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『タナトス的、「がん告知」的、Diary (2)


<過剰>について

もちろん坂本龍一は、欧米に多い一群のエコロジスト系社会派ミュージシャンに分類されるべきじゃない。なぜなら坂本龍一はより<過剰>である。それは才能と言い換えてもよいかもしれぬ。彼が地球環境について関心をもつようになった動機をNYに拠点を構えることに求める世間の憶測を坂本は否定している。しかし僕に関する限り、坂本龍一が日本のポップスターだった頃、彼が環境問題の話題をメディアを通して語ったのを聞いた試しはない。にもかかわらず、たとえアメリカにおける環境問題への意識の高さがきっかけであったとしても、彼には否定の根拠があるのである。つまりその根拠というのが、坂本龍一のある<過剰>さである。欧米のミュージシャンの環境保護支援は、もはや<日常化>している。そうした社会奉仕の精神は、ミュージック・シーンにおいてビックネームとなったミュージシャンにとっては、欧米社会から直接あるいは暗に要求されている行為といえる。そこには<日常化>した危機感しかないかもしれない、下手をすれば儀礼であろう。

欧米の環境問題に対する一般市民の関心は高い。日本と比べれば愕然とするほどだ。日本にだって環境問題解決のアイディアならいくらでもあるだろう。しかし、いざ実行の段になると、目的を成就するまでには盛り上がらない。それは政府・自治体もしくは私企業による何らかの圧力、あるいは地元政党間の主導権争いが水を差すといった外的要因によるというよりは、そもそも一般市民のレベルでシラけている。環境問題は、平均的な日本人の耳には、ひどく抽象的なタテマエ論的な社会正義のように響いている。そして、参加を強要されると一種異様な無気力の中にとじこもるのである。元来は、日本人は、四季の変化が豊かな風土も幸いして、世界でも稀に見るほど自然に対して繊細な感受性をもちあわせた万葉の歌人であった。いつ頃からかそれは遠い過去の姿となってしまった。今はその面影もない。

森の国のドイツ国民がゴミ処理問題(デュアル・システムなど)に取り組むとき、ほとんどアイディアを考案し、技術的なハードルさえ越えればよかった。新しいゴミ処理の制度が施行されることによって、いかに国民と企業が時間的に、経済的に負担を負うことになろうとも、国民の大半は当然の義務を果たすように進んでそれに従ったからだ。彼らはそうした負担によって、守った森や湖が彼らにいかに得がたい恩恵を与えてくれるのか、日常の生活体験として知っていた。今や欧米諸国における環境問題に対する関心は、広く一般市民に浸透しているので、欧米のミュージシャンが環境保護団体等を経済的に支援したり、あるいは啓蒙役を担ったりするのは、少しも珍しいことではない。

坂本龍一は、欧米におけるトレンド化した、もしくは著名人の社会的な義務としての環境保護とは、どうしても一線を画したかった。実際、『LIFE』構想の頃の彼の一連の発言は世人の耳目を驚かしめるに充分なものだった。それは他者との差異から言って、とても極端で早急なものにみえた。彼の世界認識は、共生系としての地球を中心に据えた知の集積によって劇的に再構成されてしまっていた。今や彼は地球環境の崩壊を予知し、地球の各所で刻々と進行する環境破壊を、ほとんど自分の身体の痛痒のように知覚している。いわば地球意識ともいうべき広大な深層意識に接続しているかのようだ。坂本龍一の<過剰>はどこから来るのか。もはや彼の知覚と言説は、先見性と誇大妄想の区別がまるでつかないところまできている。

『LIFE』は日本を向いていた。今から思えば、それは地球を覆うような知覚の拡大と異様な無気力との絶望的な対面であった。坂本龍一の<過剰>は、手に余るほど巨大な課題を欲した。坂本龍一という目まぐるしい生成は、内部における差異化を厭わず、いつも果敢に固定しがちな自己同一性をぶち壊しつつ拡大してみせた。それが、見た目のヴィヴィットさで臆病な居座りやマンネリを隠蔽する他ないかつての80年代の旗手達との大きな違いであった。しかしながら、今度ばかりは、彼の人格は、もはや彼の巨大な課題をもちこたえていない。ぎしぎしと悲鳴をあげている。抑えがたいアンバランスが生じている。強烈なエゴと芽生えかけた無私の合一がうまくいっていない。倨傲な確信と発狂への疑念が交互にやってくる。坂本龍一は彼の課題の寸法に見合う、いっそう大きな器のモデルを発見する必要があった。

敗北の風景
先日、テレビのニュース番組を観ていたら、4月14日に来日したダライ・ラマ14世が日本の若者と謁見する模様が映し出された。一瞬カメラが、嬉しそうに立ち回る坂本龍一の姿を追う。(そこには、鶴田真由の姿もあった。)彼はダライ・ラマに合わせて来日したのだろうか。彼は、信者が謁見する時のしきたりに習ってか、ダライ・ラマに挨拶する時、ひざをつき、合掌していた。坂本龍一は、ダライ・ラマの放つ人格の感化性にすっかり参っている。僕は画面にくぎ付けになりながら、こりゃあ、ぞっこんだなと思う。会見の場の最前列には、日本の若者に混ざって西洋人らしい若者もいた。その求道の熱い眼差し・・・海外からダライ・ラマを追って、日本まで来たのだろうか。

テレビの取材に応じた坂本龍一は、ダライ・ラマ14世について「現実主義」といったふうのことをしゃべっていた。坂本龍一の顔がズームインされた時、笑うと口の両側を走る、顔半分の長さほどもある数本の深いしわがやけに目立っていたのが印象的だった。坂本龍一がダライ・ラマ14世に対して、どのようなかたちで心酔しているのか、よくわからないが、その時、僕はたぶんお経を唱えるなど、お勤めぐらいは毎日やっているだろうな、と想像した。『LIFE』の放映に先立って、テレ朝で放送された『現代を駆ける人!! 坂本龍一の全てを一挙公開』における、プライベート・スタジオでの鶴田真由との対談の時も、坂本龍一は、お香を炊くと共に、その手には数珠が握られていた。

ダライ・ラマ14世は、欧米のインテリに大変な人気がある。宗教学者であり、自らもチベットでむこうの僧侶に師事して体術の修行を積んだ中沢新一(僕のチベット仏教の諸事情に対するファースト・インプレッションは彼にその多くを負っている。もっとも彼はどちらかというと超俗的な苦行者により惹かれているようだが。)が何度も書いているが、殊に欧米での人気は相当なものらしい。(リチャード・ギア、イザベル・アジャニーといった有名俳優の信者もたくさんいる。)少なくともあしざまに悪く言う人はいないそうだ。つい先日もNHKで放映されている米コメディー・ドラマ『アーリー・マイ・ラブU』を観ていたら、女友達同士の会話の中で「彼ったらダライ・ラマおたくなのよ。」というセリフがあった。このドラマは法律事務所に勤務する婚期を迎えた若い男女の弁護士達をめぐるドラマだが、おそらくアメリカのインテリの間では、極自然にダライ・ラマの話題が登場するのだろう。

いや、しかし欧米で人気があるというよりも、経済発展を優先させた<先進国>ほど歓迎されると言ってよいのではないだろうか。今や<先進国>と言われる各国で時ならぬ来迎図的熱狂が繰り広げられている。むしろ生活の中に土着信仰が生き続けていて、<近代化>の波をもろに受けていないところでは、そんなに大騒ぎはないのではないか。今さまざまな識者によって日本は第二の敗戦を迎えているのだと言われている。僕もそう思う。いろんな局面でそれを物語る光景が現出している。4月26日から2晩続けて放送された『ETV2000 ダライ・ラマ日本への問い』(NHK教育)では、ダライ・ラマ14世のインタビューが特集された。(ちなみに4月24日から4月25日においては、細野晴臣が音楽遍歴について語る特集『いつも新しい音を探している』があったが、ご覧になった方も多いだろう。)その第一回の放送で、僕にひときわ強い印象を残した光景がある。

それは某大学でのダライ・ラマ14世と公演参加者の若者達との質疑応答の一コマ。いじめを受け心の萎縮した少女の訴えに対して、彼はひとしきりアドバイスした後、やおら少女を壇上に呼び寄せ、「Don't worry・・・」と繰り返しささやきながら抱きしめた。ダライ・ラマは、言葉やロジックではなく、魂でその少女を包みこんだ。少女の瞳からは涙があふれた。僕はその時、それ自体にも感銘を受けたが、いっそう強く感じたのは、ああ日本は負けたんだな、バッサリと斬られたな、という思いだった。冷静に考えればダライ・ラマの行為は特別なことでも、難しいことでもない。むしろ至極当たり前の人間性の発露だったと思う。ところが彼女を取り囲むたくさんの日本社会は、その当たり前ができぬために、ずっとその少女は孤独で、生きる価値を見出すことができずにいたのだ。そこへ遠くインドからはるばるやってきた恐ろしく多忙なチベット人亡命者が、少女が最も求めていたものをこともなげに与えた。あの瞬間、頭のオカシイ、しかし自惚れだけは強い日本という<先進国>の国民は、見事にバッサリとやられたのだ。

無論、あまり粗雑に早急に判断をくだしては、誤りをおかすに違いない。<先進国>にはそれ特有の複雑な問題がある。にも関わらず僕個人の価値観から言えば、わざわざ遠くインドから<まともな人間>にご足労に願わなくとも、少し人間らしい情愛を働かせれば、少女の絶望を癒すことができたはずなのに、それができなかった。この一点をもって、この国の敗北を証明するには充分である。バッサリと斬られた側には、無論、僕自身もいたのである。では、坂本龍一は?少なくとも僕の見解によれば、疑問の余地なくバッサリと斬られた側の人間である。かつての坂本龍一は、然るべき内省をくぐらぬまま、日本社会を指弾する側に位置できるものだと勝手に信じ込んでいた。しかし、未曾有ともいうべき混迷の時代に、そんなものにマトモに耳を傾ける日本人などいるだろうか。坂本龍一の転回が責任の一旦を莞爾として受け入れたうえでのことであったと信じている。さもなくば根本的には何も始まらないだろう。

それよりなにより戦後民主主義が単にネガティブな相対主義へ滑り落ちていく過程を想起する時、 浅田彰、村上龍、田中康夫といった人達の演じた役割は、僕にはいっそう罪悪であるように思える。もっとも彼らに余程大胆な転換がない限り、その言説がいよいよ痩せ細る一方なのは必至であるし、そもそも大悪人の柄じゃない。例えば浅田彰がバブル時代にはスキゾ・キッズを奨励しまた謳歌しながら、90年代以降虚無主義の歪みがあらわになるやいなや、一転して、論壇における保守派、ナショナリズムの台頭への牽制もあって、やれ「愚鈍なモダンの実践」、やれ「日本は共和制にすら達していない」などとまるっきり実感のない紋切り型の西洋近代化のプロセスを提起しする他ない時、なんとまあいい気なもんだ、気楽な稼業だなぁ〜と痛感せずにおれない。しかし、ここで文学者の戦争責任論めいたことをやっても無意味だ。もはや一部の指導者やインテリに責を負わせて済ませられる時代ではない(=大衆社会・高度消費社会)。なにより重要なのは一般のほとんどの日本人がバッサリやられたという点である。

超越論と世俗法の並置
坂本龍一が心酔中ということもあって、僕はいっそう注意深く『ETV2000』に出演したダライ・ラマ14世のインタビューを傾聴した。で、僕なりに三つの観点からダライ・ラマ14世について感服せずにはおれなかった。また同時にこれら三つの観点は、僕なりに人物の真贋を確かめるうえでの、判断基準ともなっている。即ち・・・・

@あらゆる生命を尊重する非暴力主義の実践者である。
A超越論・原理論と世俗の法律や道徳を二項対立化せず、どちらも尊重している。
B思想・信条そして民族・人種の異なる人とも進んで対話を重ねている。
(註)ちなみ超越論間の、あるいは世俗法間の優劣の問題は不問にふす。さらにここで僕が超越論という場合、漠然と、宗教的世界観や哲学、イデオロギーを指し、世俗法とは、漠然と、超越論との対比から下位に位置づけられるような、共同体の秩序維持のための諸々の法律、ルール、習慣を指す。

なぜ、彼は、このような視点を持ち得るのか?答えは単純明快である。単純明快すぎて、たびたび多くの学者や宗教家が忘れるほどである。つまり、地球生命・人間のための宗教・思想であって、地球生命・人間は宗教・思想の手段ではない。殊にAに関しては僕なりに熟考したことがあるのだが、ここでは詳論を避けるとして、ともかく僕の見解では、どちらか一方に偏向すると必ずおかしなことになる。逆にこの点を踏まえれば、致命的な誤りは犯さないで済むように思う。こうした態度は、往々にして、ある病―極端への欲求や矛盾への嫌悪―にとりつかれた者からは、臆病で不誠実な妥協や修正主義と解釈される。それは、なんという浅知恵だろう!

ここでいう超越論と世俗法の<並置>とは、単純に現実主義の観点から、超越論が世俗におもねるといったネガティブなものでは決してない。人間存在の多元性と世界の地域性からいって、どうしても、さらに永久に、この<多次元的な構え>の同時並行が必要なのだ。こうした考えを明確に示しているのは、僕の拙い知見に関する限り大乗仏教だけである。 当然、思考上は超越論と世俗法の間に<矛盾>が生じる。しかし、人間はこの<矛盾>を<生きる>ことは容易にできる。というより現実社会ともアクティブに交渉する健康な人間が、超越論から世俗法へ、世俗法から超越論へフィードバックするといったサイクル運動を絶え間なく必要とする存在であるというのが僕の持論である。また超越論と世俗法を何らかの弁証法によって止揚する必要もない。繰り返すが、二者の関係は生成的には二項対立ではない。

ところが、いろんな理由でこの<矛盾>に耐えられない者が出てくる。そして、お決まりの二項対立化の呪縛にとらわれる。超越論・原理主義に魅了されて、世俗法を睥睨すれば、夢想家あるいはテロリストへスライドしていくだろう。世俗法だけに生きれば、早い話が経済利益最優先の日本のような国ができる。で、日本にありがちなのが、世俗性にうんざりするあまり、超越論へ極端になびくというパターンだろう。中沢新一自身の真意がどこにあったのかはともかく、科学を中心とした合理主義や効率主義による精神性の圧迫に不満を抱いていた、多くの日本の青年にとって、彼の初期の超越論的な美しい記述は、はなはだ危険な誘惑であったことは否めない。さりとて、あの惨劇以後の現状況を科学を中心とした合理主義の勝利に結びつけるのはあまりに拙速である。それは結局、ニヒリズムを助長するか、揺り戻し的に極端な超越論偏重を復活させるだけだ。

前記の3つの観点からいって、さらに将来的にも、これらの条件を実質的に維持する限りにおいて、僕は、このダライ・ラマ14世という人物は、思想家としても平和運動家としても、かなりの傑物と判断する他ないように思った。宗教が堕落するのは教会や寺院からと決まっている、とは歴史の教訓であるが、チベット仏教最高の指導者たる彼にも、その契機はあったと思う。しかし、ダライ・ラマ14世の置かれた境遇のあまりの過酷さは、彼が宗教的権威に安住したり、王侯貴族のように振舞うことをいささかなりとも許さなかったに違いない。誠に艱難辛苦、人を珠にす、というべきか(古!)これは100%僕の勝手な推測なのだが、行動家としての彼は伝統的なチベット仏教を超克してしまっているのではないか。うるさがたの伝統的なチベット仏教の論師やら教学師みたいな人につっこまれてたりして・・・・つまりは彼が生命・人間を優先しているから。苦しみ悲しんでいるチベット人のために、とにかくあらゆる希望に向かって世界中を駆けめぐらなければならないから。

やっぱり自分さえよければいい若者達
<先進国>日本における来迎図的熱狂の中で、日本における一般的なダライ・ラマ14世受容について、僕は一部の人の態度に対してどうしても首肯できないところがある。そして僕はその部分を僕個人の好悪に基づいて批判しているつもりはさらさらない。僕は彼らを<ラマー>と呼ぶことにする。もちろん発音は尻上りで・・・・。<ラマー>とはどんな人か?それは、ダライ・ラマ14世の恩寵にあずかるばかりで、少々の雑用には奉仕するものの、決して彼と困難を共にはしない専ら他力本願専門の崇拝者を指す。<ラマー>は、ダライ・ラマ14世をありがたがるばかりで、彼の徳性を少しでも身に戴して、地域社会や会社など他者に益しようという努力はしない。そして、そうした自己中心的な心酔について非難すると、<ラマー>は自分を無力な人間と規定してみせて、自己卑下に向かって後退する。その際、<ラマー>自身はそれを謙譲の美徳と思っているが、この自己卑下は、ひそかに心の隠れ路を通りぬけて天皇制的な<責任回避>へ通じている。

これはどこかで見た心象風景である。(もとより、それはすべての現代日本人が陥りがちなのだが。)実際に、あるいは心に高いバリケードをこしらえ、前代未聞の無差別殺人に走った幹部達を本気で裁くつもりもなければ、被害者への償いの気持ちも形ばかり、依然として、ひたすら自分だけ別の価値観の中に現実逃避できればいいと思っている、あの一群の出家及び在家信者達。断っておくけれど、僕には、いわゆる宗教アレルギーなる思考停止など皆無である。釈迦から正しく(←これが難問だ。)継承された仏教思想など、その一端に触れた限りにおいても、フランスの現代思想なんぞ到底太刀打ちできないほど深いのではないか、と思うほどだ。まして正義感面のワイドショーの突撃レポーターなどに到っては、バリケードの向こうのエゴイスト達を嫌悪するのと同じぐらいに僕は嫌悪しているほどである。

<ラマー>の崇拝のあり方は、バリケードの向こうのエゴイスト達のそれに近いところにある。僕の猜疑心は、ちょっとしたきっかけさえあれば、忽ちバリケード組へ移行し得ると考えざるを得ない。結局、超越論と世俗法の問題に立返ることになるのだが、世俗的なものとのアクティブな交渉のない信仰(その前段階としての心酔も含む)の行方は、いずれ世俗性を睥睨し、自惚れた超越論に耽る道筋しかないように思う。そしてその延長線上で、テロルのない発想におけるテロリストに失墜するだろう。慈悲深いダライ・ラマ14世は、満面の笑みで集まってくる<ラマー>を優しく受け入れるだろう、しかし、同時に平和運動の険難な道のりの中で磨かれた彼の人心への炯眼は、同時に<ラマー>がここぞという時には、当てにならないことも見抜いているように思う。これまで展開したラジカルな見方を排せば、<ラマー>における心酔の諸相は、ストレス社会のリラクゼーション法のひとつに落ち着くように思える。

「ええと・・・・もちろん僕は批判のための批判に耽っているわけじゃない。で、世の中は止まっているわけじゃなく、動いている。あんまり楽しくない方向へ。しかも強力な勢いで。そんな中にあって、"なんとなく"な瞑想家って、いつも闘争の時に超俗を装って逃亡するんだよね。それは<ラマー>の敬愛するダライ・ラマ14世の真逆を行くことだと思う。おまえはどうなのかって?当siteの方針からずれるのだが、成り行きだからしぶしぶ答えておくと、微力ながらNGO活動やってます。だから経験に基づくイラ立ち・・・・。 」

現代人の口にする「宗教」という言葉はあまりに様々な先入観にまみれている。先入観のうえにさらに新たな先入観を糊塗してきた感すらしてくるではないか。そもそも僕自身がそうなのだが、我々は「宗教」という言葉を耳にした刹那、忽ち頭の中にたくさんのマイナス・イメージを思い浮かべ、拒絶反応を示してしまう。確かにそれも無理はない。戦時中の日本における国家神道、現代では凶悪なカルト教団、霊感商法等々、そして世界史を総覧すれば、絶え間ない宗教紛争の血塗られた歴史・・・・「宗教」という言葉をそんな禍禍しい記憶の数々が取り巻いているのだから。また、その歴史の戒めを忘却してはなるまい。しかし、同時に高度な哲理や死生観に貫かれた<世界宗教>が世界中の民衆の実生活を精神面から潤し、また豊かな文化の礎となってきた事実を ― 殊に音楽を愛する者なら ― 否定することはできないだろう。 この矛盾をどう越えたらいいのだろう。

ひとつの可能性、ひとつの始まりとして、困難ではあるが、とりあえずは<原点>へ返って捉え直してみたらどうか。例えばキリストやゴーダマ・ブッダらは、二千年前(ブッダはさらに数百年前)、どんな思いで教えを説いたのか。千年・二千年と民衆の心を捉えてきた秘密はどこにあるのか。彼らには煩瑣な教義解釈に耽る暇などさらさらなくて、なによりもまず初めに苦しんでいる人々をただ黙って見ていられなかったのではないか。彼らはおそらく現代人の言う意味での「宗教」、のみならず乱暴な言い方をすれば、中世から近現代の宗教家や教会、寺院、学者の言う「宗教」の諸言説にすら違和感を覚えるのではないか。しかし、予め断言しておくが ―少々高圧的な言い方になるのを許して頂きたい ― よく古代の修行生活形態、秘儀の復活など外面的に原始キリスト教やら原始仏教を<真似>ればOKみたいな発想があるが、それは絶対に誤りである。そればかりか、そうした一見もっともらしい復古的態度がどれだけ人々をたぶらかし、どれほどの災厄をもたらしてきたことか!

ただ2000年を迎え、21世紀の始まりを来年に控えるにあたり、一旦あらゆる党派性、共同体を離れた各々の<個人>が、脱週刊誌的発想はいうまでもなく(笑)、一個の人間として脱現代的に千年、二千年前の精神文化の始祖達に思いを馳せ、いくらかでも糊塗された偏見を洗い流し、ほんとうはどんな人物であったかをイマジネーションしてみるのも無駄ではあるまいと思う。ソクラテス=プラトンにせよ、孔子にせよ、ゴーダマ・ブッダにせよ、キリストにせよ、現代人の先入観におさまりきるほど愚鈍ではないに違いない。

■補足・・・・まず具体的な方法は各人がみつけるべきである、というのが原則だと思う。でも、途方に暮れちゃうのも事実だ。そこで、割と誰でも抵抗感のないところでというと、どうしても現代の文化人ということになってしまうが、今じゃすっかり評判の悪い実存哲学の泰斗カール・ヤスパーズなんかどうだろ?古代の哲学・宗教者に関して、彼ほど広範に敬意をもって渉猟してる人って、他に思いつかない。『大哲学者たち』はじめ『仏陀と竜樹』などなど。

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