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『友よ、また逢おう』 ― 坂本的命題を超えて


― 1-1―

確かに、坂本龍一の音楽家としての日本人ばなれぶりは、尋常ではない。あくまでも日本人を両親にもち、東京で育ちながら、あたかもア・プリオリに西欧人音楽家、殊にフランスの近代音楽の資質を獲得してしまっているようなところがある。宇多田ヒカルは、プロフィール(生育史)が公表されてみれば、日本人というよりは、いっそうアメリカ人であることが次第に納得されたが、坂本龍一の場合、若年の頃より文化的にめぐまれた環境にあったとはいえ、環境説的には彼が音楽家としてア・プリオリに西欧人的な資質を獲得しうる条件は、普通に考えれば、見当たらない。にもかかわらず(日本嫌いの外国かぶれならいっぱいいるが)、坂本龍一の場合、音楽のうえでは、まるでハーフのようである。彼の和声感にはそうとしかいいようのないものがある。そして、それが坂本龍一の音楽の欠くべからざる魅力である。彼のハーフな音楽は、日本のポップ・ミュージックのメインストリームに失望した音楽難民の多くを魅了してきたのである。むろん、僕もそのひとりであることは言うまでもない。

彼の音楽はいわゆる「西欧的」ではない。 半分ぐらい比喩的に言ってしまえば、西欧そのものである。フランスの近代音楽そのものである。それはもう不気味なほどである。彼の和声は実にエレガントに踊ることができる。決して日本人の社交ダンスではない。盆踊り的な、がに股の、あらえっさっさぁ〜などおくびにもださない。それに比べれば、― 本来、無理もないことだが ―本人はすっかり西欧音楽の体裁を装ったつもりでいながら、無自覚のうちに、あらえっさっさぁ〜のすり足が見え隠れしている日本人による西欧音楽がなんと多いことだろう!そういう鈍感さは、坂本龍一にとっては最も忌むべきところだ。さらに言えば、坂本龍一は、西洋風のほころびからわずかに露出した「日本性」そのものよりも、作曲者のその無自覚さ、鈍感さをこそ嫌悪するだろう。坂本龍一の音楽家としての矜持は和声感や旋法における西欧性とアジア性ないし「日本性」を能う限りの根底において峻別できるところにあるといってよいだろうと思う。そのさい「日本性」は、多くの場合、坂本龍一にとって排除の対象である。

もっとも音楽における「日本性」という言葉はあまりに漠然としている。できれば、もっとクリアに、厳密に定義したいところ。でも、どうしてもうまくいかない。例えば、坂本龍一の嫌いな音楽といえば、まず演歌だ。彼が演歌独特のべたべたした情念世界を許すなんてことは、とうてい想像できない。それじゃーウェットなものが全てイヤなのか、といえばそうともいえない。僕は坂本龍一がイヤがりそうな音楽がどんなものか、だいたい判別できる。ずっと坂本龍一の音楽を愛聴してきた人なら誰しもある程度は察しがつくものだ。そうとしか言えない。たぶん僕の表象能力が貧困だがらうまく説明できないのだろう。

曲作りの現場で、しばしば排除の対象となる諸々の「日本性」への音楽嗜好上の彼の嫌悪感は、坂本的命題−諸々の日本的なるものへの「違和感」にほぼ直結しているように思える。坂本龍一の無意識と音楽的な自意識は、その旋法や和声が日本語なまりに陥ってないか、常に厳しく監視している。いくつかの例外的に許される「日本性」が発揮される時はしっかり自覚的に適用される。その分別の過酷さはことによったら偏執狂の域に達しているかもしれない。 ここでひとつの疑問が脳裏をよぎる。坂本龍一が日本語なまりの一切ないフランスの近代音楽風の作品をつくりあげることができるのは、絶え間ない「日本性」の脱色作業の結果だろうか、それともそのような作業を必要としない、いわば天与のものだろうか。

僕はあくまでも常識的に考えようと思う。妙な表現だが(しかし、僕のせいではない)、坂本龍一は原則的には、どこまでいっても紛れのない日本人である。日本民族固有の遺伝子を受け継いだ一個の日本人である。従って、ほんとうは、それは天与のもの=先天的なものではありえない。瞬時であれ、やはり脱色作業を通過しているはずである。あたかも休むことなく非自己の侵入から自己を守り、非自己を排除する免疫機能のように。それにもかかわらず、聴くものをして、ほとんどア・プリオリな所与として西欧的な旋律や和声を紡いでいるのでないかと信じ込ませないかねないほどに、坂本龍一の西欧の音楽家への同化には熾烈なものがある。ちょっとやそっとじゃ彼の音楽の中の西欧が、先天的なのか、後天的なのか見分けがつかないところまで、彼の症状は進行している。無論、坂本龍一はいわゆる西洋かぶれではない。そんな生易しいもんじゃない!西洋かぶれなら、まだ傷は浅い。なぜなら、西洋かぶれになるには、まず何よりまっとうな日本人でなければならないのだから。

― 1-2 ―

繰り返し論じられてきた夏目漱石的な命題、そのエッセンスだけを簡略していえば、「実感」をともなうことなく、常に外国の先進的な文明を受容しなければならなかった日本のインテリの分裂した多重生活の齟齬ということだ。戯れに対比してみれば、坂本的命題を逆漱石的命題ということもできる。坂本龍一にとって、彼を取り囲む「日本」はひたすら遠く、理解しがたい世界だったが、西欧は「実感」だった。これはこれで、いかにも日本的なポスト・モダン状況を象徴しているといえるかもしれぬ。しかし、この想定は不完全である。漱石的命題に呻吟するインテリには、「日本」という「実感」があるが、一方、坂本龍一にはノスタルジーをもって「定住」しうる西欧の国家は実在しないからだ。彼が敬愛どころか同化の対象ともしたドビュッシーの母国・フランスにしたところで、実際に訪れてみれば、かつての栄光を重んじるほか能のない超保守的な国だった。

現実の西欧世界、ここでも坂本龍一は異邦人だった。すると坂本龍一の「違和感」を突き詰めていくと、それは単に諸々の日本的なるものに向けられたものと捉えるのは不充分であり、それはほんの表層に現れた心的現象に過ぎず、ほんとうはより深い部分での意識のねじれが原因であると予感されてくる。しかし、坂本龍一の強健なエゴは問題をひたすら外部へ向けて拡大させていった。行き場のない彼の「違和感」が、国家システムそのものへの否定へ行き着くのに長い時間はかからなかったに違いない。むしろ日本に郷愁をもって「定住」しうる者は、おそらく西欧の田舎町の習俗にも次第に馴染み、地元民ともよく折り合いながら幸福に暮らしうるだろう。坂本龍一に決定的に欠落(?)していたのはそのようなある種の社会的な能力だ。正確にいえば彼は帰属を嫌悪しているのでない。帰属の時に発生する社会的な愉悦を理解し、受け入れる能力が欠如しているのだ。

青年時代の坂本龍一はモンゴル民族などの遊牧民に親近感を抱いていた。ちなみにそれは、ドゥルーズの思想に触れる前から始まっていた。浅田彰のパフォーマンンスによって、ポスト構造主義がジャーナリスティックな知名度を獲得する以前に、遊牧民への憧憬が語られているからだ。特異な資質にみまわれた青年が、大平原を常に移動し続け、定住型の農耕社会の延長としての国家を外部からおびやかす遊牧民に親近感なり、憧れを抱くのは自然な成り行きだったかもしれない。しかし、遊牧民には農耕社会的な歴然たる閉域としての国家に相当するものはないものの、堅固な共同体とそれを取り結ぶ諸習俗は存在するはずだ。いわば遊牧民は空間を縦横に移動する共同体である。当然、血族やグループの親和感を確認するための諸習俗に共通した、あのべたべたした情念と堅苦しさがあるだろう。従って坂本龍一が憧れていたのは、実在の遊牧民というよりも、書物を通して知り、多分に観念の中で手前勝手に美化されたそれだったといえる。

それならば坂本龍一は、国家システムを超えたか。何かの先駆けか。兆候か。しかし、その問いかけは、先走り過ぎている。坂本龍一は依然として然るべき手続きをくぐっていない。そのために坂本龍一は、結局、根本的なネガティブさを回避できていない。『友よ、また逢おう』での坂本龍一の日本社会やアメリカ社会へむけた批判が、国際派自慢の慨嘆知識人のそれにつらなるものとして終わった淵源も、そこにあった。ある言説がどんなに深刻な外貌をもってあらわれても、聞き手の健全な感性に、いかがわしさ、胡散臭さを感じさせる時、しばしばそれは語り手が厳しい内省をくぐってないことの証左である。  

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主要な坂本的命題のひとつである、あの違和感。物心ついた頃には既に根づいていた諸々の日本的なるものへの違和感。おそらく彼のこの異邦人の感覚は、民族国家の概念を理解していない乳幼児期の意識まで遡れば、別の表象をもって感受され、あるいは発語されただろう。この深層心理における意識のねじれ(仮定)は、専ら外部へ投射された時は、日本社会への違和感をとおって、国家システムへの否定に到り、音楽活動で発現する時は、免疫作用的に諸々の「日本性」が執拗に排除され、音楽的な観念としての西欧への同化という創作過程を現す。

精神分析(フロイト)でも、分析心理学(ユング)でも、はたまたネイティブ・アメリカンの秘儀を介してでも方法はなんでもいいのだが、もし仮に坂本龍一が彼の深層意識をどんどん降りていき、「違和感」のもとになっている意識のねじれ(仮定)にまでたどり着き、それをほどいたら、どうなるだろう?坂本龍一の音楽は終わってしまうのだろうか?僕はそうは思わない。むしろ、表現の真実性はいっそう深まるだろう。少なくともひとつの坂本的命題がもはや謎ではなくなくるだろう。無論、外科手術じゃあるまいし、内省作業は、患部を切除するようにはいかない。無意識の意識化によって、自我の再構成が促されるのである。頭の片隅にでも、こうした自己分析の緊張感を伴ってさえいれば、たとえば坂本龍一の観察が、異国で出会った日本人ビジネスマンの一群から、エコノミック・アニマルさながらの無神経な有象無象を見出すことしかできないという浅薄で凡庸な結果には終わることはなかっただろう。

なぜ彼は、もしある種特権的な待遇に浴することがなかったら、海外勤務のサラリーマンの一群の中に埋没し、似たような生態を呈していたかもしれぬという当たり前の想像力が働かないのか。しかも実のところ両者間に大差はないのである。80年代後半以降、他の産業に遅れ馳せながら、消費資本主義の一角としての、欧米主導の(日本の)音楽産業は未曾有の発展をとげた。(たとえばYMOを取り巻いていた当時の野暮な状況と比較してみよ。)充分な才能に恵まれながら受動的にならざるを得ない問題を抱えてはいたものの、結果としては、つい数年前まで坂本龍一が音楽産業の機構にほぼ完全に取り込まれ、成り行きに任せてきたことは否定することはできない。制度内擬似アナーキズムのスパイスを適度にピリッときかせつつ、せっせと規格通りに4分前後の音楽商品を世に送り出してきたのである。その有様はグローバル・キャピタリズムの最前線で、手際良く仕事をさばいていく日本人エリート・ビジネスマンと一向に変わらないのである。違いといえば、禁煙車両でプカプカとタバコを平気でふかしたりはしないことぐらいである。

坂本的命題に、真に悲劇的なものがあるとしたら、それはどこにあるのか。それは坂本龍一が自分が日本人であることや日本社会に違和感を感ずること自体にあるのではない。むしろ、それまで彼自身はその違和感を進んで固守し、のみならず玩弄さえしてきたかもしれぬ。さらに彼はそれを基点として彼自身のパーソナリティの基幹部分を形成してきたし、表現の根拠としてきた。この構図の全体こそが真に悲劇的なのである。強いて言えば、かつて坂本龍一は「違和感」に本当の意味では悩んだことはなかった。物を創る人間特有の強健なエゴイズム=人並み外れた生へのエネルギーはずっと「違和感」を感ずる自我そのものへ向けて内省のメスが入れられることを頑強に拒みつづけてきたのである。もとより分析をくわえれば、「違和感」そのものが取り除かれるといった単純な問題ではない。また、それが人生全体からみて、坂本龍一にとって幸福であるかどうかは、誰にも判断することはできまい。しかし、本書の時点では依然として維持し続けられていた、外部にのみ肥大化した坂本的命題からは、なんら厳粛な表現の真実性が生まれないことも、また確かなように思える。

― 2・現在へ ―

『友よ、また逢おう』を読み返している間中、常に僕の念頭をはなれなかった本当の主題は既述のようなことだ。僕が勝手に「坂本的命題」と呼んでいることだった。正直いって、本書全編を飾る、当時特有のポップな記述自体は、現在の僕にとっては興味の中心とはなりえない。 ただ単に10年前のあれこれに感激してみせるといった無駄な作業はこのコンテンツではしない。僕が「坂本的命題」 呼んだものは、それを突き詰めていけば、ポストモダンな頃の坂本龍一の半分以上は、これを元型に据えて説明がつくというぐらいに重大な問題だ。

これまでずっと、坂本龍一にまつわる、いわば異邦人性や「違和感」の淵源そのものへ疑い深い洞察の目が向けられることはなかった。驚いたことに、それらが不問に付されたまま、坂本龍一の芸術や理念が解読され、そのやわで曖昧な土台のうえに言説が次々と積み重ねられていった。あの浅田彰ですらそうだ。さらに悪いことには、戦後民主主義の敗残の姿をさらす、現代の歪みきった日本社会と坂本的命題は安易に結びつきやすかった。だいたい坂本龍一自身が無反省に結び付けて語ってきたのである。

自己を、社会や歴史的な経緯といった構造内における諸関係の総和としてみることもできるのだが、西洋の現代思想は、そうした面をひたすら強調し、ついには個我を解消してしまい、デカルト以来の「不動の」近代自我や個人主義に揺さぶりをかけてきた。そうした自我観を支持する浅田彰をはじめとした知識人が、坂本龍一に資質論的に迫らなかったのは無理もなかったかもしれない。しかし、論展開の前提として、アジア人に堅牢な近代自我みたいなものがあったかどうか怪しいものだし、そもそも我々は自己と外の境界線を西欧人ほどに狭隘で厳格には引いたためしはない。

人は考えているようで、考えていないものだ。哲学や思想の研究者ですら例外ではない。パラダイムとは到底いえないよういな浅薄な風潮として、その時代の自意識からすれば「思考」する前に"然り"と言ってしまうような学の体裁や教養の相貌というものがある。たとえ内容空疎で、馬鹿馬鹿しいものでも、"然り"と言わしめる体裁さえ備えていれば、アカデミックな価値を有するものとして遇され、うまくすれば権力をにぎり、晴れて糊り口にありつける身分になるというわけだ。でも学者のうちの多くがアカデミーに承認された自分の洗練された知識を、本当は、信じていない。坂本龍一のように鋭敏な直観と生の刺激へのあくなき渇望の持ち主が、そのような現在的に"然り"な、しかし不信まじりな、学の体裁や教養の相貌を本気でありがたがり続けられるとは到底思えない。広大な知の沃野を踏破したかのようにみえる現代的な知識人でも、実際に味わっている人生の質は、九分九厘ゴーゴリの小説に出てきそうな小役人並なのだから。坂本龍一は、青年時代(〜YMOの頃)、自分のことを理知の勝ったクールな人間と規定していた節があるが、実際には常に直観的で、危険を厭わぬ経験主義者だったと思う。

坂本龍一が、90年代後半以降、健康問題や国際紛争の惨状への悲嘆を契機として、塩田剛三や野口晴哉、ダライ・ラマといったいわばアジア的な英知に共鳴するようになったことは特筆するにあたいする。坂本龍一の内奥のアジアが、坂本的命題を頭越しに飛び越して、直観的にアジア的な英知と共振したのであろうか。(うーむ。その手があったか。)僕は未だこれを確信するには到ってないが、もしそうだとしたら、外観的には、ちょっと文句のつけようのない壮観な自己形成である。これは充分に坂本的命題を補完する可能性を秘めているといえよう。イメージしてみよう、懐の深いアジア的な基盤に立ち(=集合的無意識に到達し)、先天的かと見紛うほどの洒脱な西欧音楽をやってみせる・・・・途方もない巨人の相貌がみえてきやしないだろうか。

さて、例によって、僕はこの重大な問題を最低限触れておくべきディテールすら省いて、我ながら呆れてしまうほどの粗暴な簡潔さで済ませてしまった。中途で堀り残した無数の空洞の闇が四方八方で不気味な口をひらいたまま、放っておかれている。 無様な光景である。無念じゃないといったら嘘になる。が、着想としては大過ないと自負してもいる。 あたかも惑星探査機みたいなもんで、スイング・バイ航法でおおきな楕円形の軌道に乗り、長い航程を経てもっとも惑星に接近した地点に近づくにつれ、レンズごしに地表の様子が次第にあらわになってくるような瞬間が、今回の考察では何度かあった。とはいえ、地表に手が届くようだと思った刹那、容赦のないやり方でグイーーンと再び地表から遠く引き離されるのだった。

【追記】
・・・・・いやまあホント、相変わらず生硬な文章で読みにくいとは思うけど(^^; なんとか読解してみれば、そこそこ核心に迫れると、少し自負あり。今後は、教授の中のアジアとアジア的な英知との共振とそのゆくへ、展開というようなことが重要な焦点のひとつになってくるんじゃないかなぁ。もちろん、それは、あからさまに音楽の中にアジア的なものが表出されるという意味じゃないよ。より根本的な変化ほど、表面からは容易にうかがいしれないもの。なんというか土台がしっかりしてる感じは、音楽にもにじみ出てくる予感はする。やっぱり見事な自己形成ぶりという他ない。まわりの人にもずいぶん迷惑かけただろうけど(笑)

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