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『友よ、また逢おう』 ― 90年代突入の頃 (後編)

祖国への帰属を頑強に固辞し続け、世界中を亡命者のように移動し続けるふたりのアーティストの悲劇をモチーフとした類い稀な文学として読めば、この書簡集にとってもっとも幸福な読まれ方だということは、裏を返せば読者の側から好意的に誤読するという構えが大前提であるということである。ほんとうのところはそこまで甘やかすのも問題だろう、やりすぎだろうという思いもある。まして坂本龍一か村上龍のファンでない者がフェアに本書を読めば、これはちょっとお話にならないなぁ、という代物であるかもしれぬ。読者が好意的に歩み寄ることではじめて、そこに何かの美あるいは理念を見出すことができる場合、それと引き替えに書き手は読者が好意的に歩み寄るに足る充分な根拠と誠実を示さなければならないはずである。

この書簡集を一個の文学作品としてみる限り、ふたりの作中人物の悲劇性にあたる部分は、どうしても折り合うことのできない日本社会、さらには超大国アメリカへの両者の絶え間ない呪詛である。これはほとんど挨拶代わりのように毎回表出され、まるでお互いの親和感を確認するための重要な儀式のようですらある。それらの記述は、ほとんど生理的な嫌悪感をともなっている。というよりは、むしろ嫌悪感そのものだといった方が適切かもしれぬ。しかし、ひと度ひとつひとつ検討すれば、どれも国際派自慢の慨嘆知識人がさんざんやってきた、ありふれた日本批判に酷似しているし、また掘り下げが足りないことに気づかされ、鼻しらむ思いにとらわれざるを得ない。多少なりとも見識ある者ならば、その言説自体には"つきあい"が要求される局面以外では、まともにとりあうことはないだろう。

書簡集の中で繰り返される様々な呪詛の要因は、坂本龍一の場合は、ほとんど物心がついた頃から始まる(日本)社会への違和感に端を発する日本社会批判であり、さらに当時活動拠点として実際に生活しはじめていたアメリカ社会の保守性や表向きの評価を裏切る実態(自由のなさ、根強い人種差別の残存など)への怒りに及んでいる。村上龍の場合は、近因としては『トパーズ』等の映画製作の中で、矜持の山頂への上昇とインフェリオリティーの谷底への下降を繰り返すという精神的な不安定である。もっと言ってしまえば、逆恨みとまでは言わないが、自分の製作する映画が、批評家にこきおろしにされ、興行的にも失敗し、認められないことへの反感である。本来ならば村上龍には、(日本の文壇への反発はあっても)日本社会への、坂本龍一のような資質的な違和感は稀薄のように思える。村上龍は、坂本龍一に比べれば、異物に対してもずっと懐が深く、交友範囲の広い人間なのだから。やはり映画の失敗が尾をひいたのではないか。坂本龍一と村上龍が呪詛を並べる時、両者間のズレはここらへんに現れる。

『インタビューを受けていて何が一番嫌かわかる?それは「日本人」であることを強要されることだ。少しでも自意識のある奴だったら一度は感じたことがあるだろう、日本に対する違和感。これをベースに僕は、いつも自分に「日本」を強要するものと軋轢をもってきた。いつも何も属さないように注意を払ってきた。』(坂本龍一。 四月十日(90年)より抜粋)

『さてマンハッタンに出るのに僕はときどきオリエント・イクスプレスと俗称されるの汽車を利用するんだけど、おかしなことに五時直後の汽車にはその名のいわれである日本人ビジネスマンがほとんど乗っていない。不思議に思いつつある日九時の汽車に乗ってみると、いるいる、各車両に少なくとも十人以上の日本人ビジネスマンが座っている。(以下、非難めいた言葉はないまま日本人ビジネスマンの描写が続く。)』(坂本龍一。 東京−ニューヨーク 1990年、12月より抜粋)

『・・・・・ことあらば「自由と民主主義」を歌い文句にするアメリカと相反することが。外では米ソの冷戦の終わりを祝いながら、内では保守化が進行する、百年一日のごとく変わらない権力の常套手段。』(坂本龍一。ヘルシンキ―ニューヨーク 1990年、9月より抜粋。)

この書簡集からは、坂本龍一が日本社会への違和感を記述したくだりを、いくらでも発見できるが、そのうちのほんのさわりを抜粋してみた。後の引用文は、描写の部分がすっかり抜けている。結構長文なので、面倒だしぃ〜〜(すんまそん。実際に本書を読んでちょ。)、このテキスト自身も長くなってしまうので、省いた。いずれにせよ描写自体には、最後まで非難めいた言葉はない。しかし、このような外部からの描写行為自体が違和感の現れであることは論をまたないだろう。ここでは日本人ビジネスマンの輪の中に坂本龍一は決して存在し得ない。坂本龍一と一群の間には縮めることができない距離があり、彼にとってはそれらは外部からクールに描写すべき了解しがたい振る舞いをするエイリアンなのである。坂本龍一の場合、物心ついた頃から抱いていた違和感は、ついには国家システムへの嫌悪にまでつながっているように思える。

しかしながら、はじめに引用されたふたつに代表される違和感の記述自体をみる限りにおいては、いずれもありふれたものだということも可能である。誰でも外国を訪れたさいに、現地の人から日本人の代表のように思われることは疎ましいし、誰でも異国で日本人に出会った時は少なからず気恥ずかしいものだ。しかし、多くの場合、その気恥ずかしさには、近親憎悪の心理のような構造が潜んでいる。相手の無様さ不作法さを非難しながらも、同時に否定すべき相手の中に自分自身を見出す予感にさいなまされることで、いっそう怒りが増大されるというわけである。坂本龍一の記述を読む限り、そのようなありふれた心理構造として解釈される可能性からは免れていない。彼の個性が充分に表象されているとは言い難い。

『それは、日本と世界を分けるという、日本だけで通用するやり方そのものだ。オレがNYで対談をしようと思ったのは、日本でやるとそのことがグジグジとテーマになることがわかっていたからなんだ。(中略)どんなに鋭く正しい言語でもそれが日本で発せられた瞬間に、閉じられた円環にとり込まれてしまうことに気付かない人も多いみたいだ。』(村上龍。東京―ニューヨーク 1991年、3月より抜粋。)

『オレは坂本も知っての通り、基地の街生まれだ。アメリカ依存のかたまりのような雰囲気で育って、今も苦々しくこの国を眺めている。十七、八の青年に、黙って死んで来いと送り出しておきながら、沖縄以外の固有の領土に一兵も敵が上陸しないうちに降参してしまう国には、キューバ的なものは何ひとつ生まれないだろう。』(東京―バルセロナ 1991年、7月より抜粋。)

「基地の街生まれ」というのは村上龍の資質上の原点だが、彼は、この頃からキューバ!キューバ!って騒いでだんだなぁ〜。しかし、「外国」を発見し、結局は日本に帰ってきて、地方の素朴な日本人を脅かすといういつものやり口の馬鹿らしさは、もう多くのひとが気づいてるって(^^; 村上龍が一方に欺瞞的に美化された「外国」を借定したうえで、その高所より日本社会の現状を批判すればするほど、僕には村上龍が国際派自慢の慨嘆知識人のステレオ・タイプな言説の「円環」の中に堕落していくように思える。こうなると村上龍のキューバへのシンパシーにも、ある種の不純さを感じ取らざるを得ない。彼方の極楽浄土では、彼の映画も救われるとでも考えているのだろうか。村上龍の手紙にしばしば「坂本ならすぐにわかると思うが、」といった類の表現が頻繁に散見される。無論、真意は坂本龍一に関係なく"わかるやつにはわかる"ということだ。彼方の極楽浄土へのパスポートは、"わかるやつにはわかる"といった曖昧な、不可知的な了解系を共有することで取得できるらしい。この論法は、如何にもずるい。

実は、僕は"わかるやつにはわかる"という他に言いようのない感性の狭き門があること自体は認めている。それにまつわることで僕が今すぐ思いつくのは日本人の社交ダンスだ。日本人の社交ダンスは、インストラクター自身が身体も脳も明らかに盆踊り的な美意識に支配されている。日本人なのだから当たり前だが。そして、その勤勉な生徒達はインストラクターの指導に忠実に従い、上達すればするほど、逆説的に本場の社交ダンスからどんどん遠のいていくのが常である。そもそも彼らが生まれてからこの方、親の資質を受け継ぎ、日本で生活するうちに心身の隅々にまで刻みつけてきた盆踊り的な美意識は誠に堅固であって、ダンスの型に如何に習熟しようとも宿命的にそれから免れることはできない。それは西欧の社交ダンスとは別物である。(例えばウリナリを見よ。)しかし、これをもって彼らを批難するのは酷な話である。なぜなら、本場の社交ダンスを体得したいならば、日本人の社交ダンス愛好者は、西欧人や南米人になるより他にないという結論になるからだ。

一方、社交ダンス教室に通って修練を積まなくとも、西欧人として生まれ、西欧に生活してきた者ならば、ダンスの正統的な型は知らなくとも、身体をワルツのリズムにゆだねたとたんに、本場社交ダンスの魂やらムードを体現してしまうだろう。そして一瞬にして年季の入った日本人の社交ダンス愛好者を凌駕してしまうだろう。というより、そもそもそれらは別のことだったのだ。必ずしも生粋の血縁上の西欧人でなくともよい。典型的な日本人体形の日系人でも、少なくとも乳幼児期から児童期・少年期を西欧で西欧人に混ざって暮らすといったよなバックグラウンドをもつ者ならば、特別な努力はせずとも本場のそれを現出させ得るだろう。つまり、こうしたことは極めてア・プリオリな問題なのだ。村上龍の言う"わかるやつにはわかる"というものは、ア・プリオリな部分に依拠するパーソナリティや美意識のことを指す場合が多い。村上龍は、勘がいい人だからその種のア・プリオリな抜き差しがたい差異を直覚することも多かろう。しかし、それらの発見を振りかざして、(村上龍の常套手段なのだが)平均的な日本人を煙に巻き、暗に自分を特権化するのはフェアではない。またそんなことばかりする彼はインフェリオリティの塊なのではないか。

ふたりの言説を額面通り受け取り、分析的に検証する限り、身も蓋もないが、どうしようもない独善家の戯言と一蹴するほかない。少しでも見識ある者からみれば、本書連載当時の坂本龍一や村上龍の日本社会や超大国アメリカへの未消化な呪詛などほとんど問題外であろう。そして、ほんとうは、浅田彰もつっこみたかったのである。たぶん両者の、ちょっと構えた、論の体裁をなした言説に直面する度に、彼は齟齬を感じたはずである。知識人との討議の場での浅田彰の熾烈な批判精神を思い起こせば、それは容易に想像がつくというものだ。浅田彰は、解説の中で書簡集の具体的な内容ついては、ほとんど言及していない。ただ思弁的な言葉を並べた。それは紙数制限のためだけではあるまい。そうする他なかったのだ。

『これらの手紙の力は、書き手の才能によるとしか言いようのないところがある。ただし、才能と言うのは、たえずより強烈な快楽を求め、それを与えてくれるだろう新しい可能性に次々に夢中になり、勝手にそこのことばかり書きなぐってしまう子どもっぽさのことにほかならない。』(浅田彰。 解説より抜粋。)

『どうしようもなくつきまとってくる日本と外国との落差や一九九〇年から一九九二年にかけての世界の激動への敏感な反応を、そこからくる絶望や希望を読みとることもできるだろう。しかし、この本はそんなことなど考えずに、まずはサーッと読むのがよい ― それこそシャワーでも浴びるように』(浅田彰。解説より抜粋。)

そもそも文庫本なんぞの解説は全体としては賛辞を並べるのが慣例であり、ことに仲間内の作品ともなれば極めて儀礼的にならざるを得ない。にも関わらず、ホンネのうえでの浅田彰も、いつもの流儀に従って洗練された論理で容赦なく論破したりはしなかったに違いない。不毛だからだ。その不毛さをニヒリズムと言い換えてもいいかもしれぬ。下手をすると本書は論理で攻めたら全部なくなりかねない(^^; しかし、さすが浅田センセイ、視野の狭い投書家のような無粋なマネはいたしませんがな。 それに人間は論理や理知のみで生きているのではない。むしろそれらは人間の全生活の極一部分に過ぎない。さりとて、感傷や情緒ではなく、もっと根源へ!彼はすかさず切り口を変えて、書簡集全体に横溢する両者の原始的ともいえる生のエネルギーの凄まじさ自体を取り上げた。そして、「新しい可能性に次々に夢中になり、勝手にそこのことばかり書きなぐってしまう子どもっぽさ」を「才能」と解読してみた。少々怪しいうえに美化されすぎているが、おおかたにおいて僕もこの見解に賛成である。

美化しないで、ずけずけ言ってしまえば、この書簡集にみなぎる度はずれた生のエネルギーとは、すなわち、ものを創る人間の徹底したエゴイズムであると言える。坂本龍一の場合ならば、ひとつは日本社会に違和感を感じている自我そのものへの内省を無意識のうちに回避している点などがそうだ。違和感をもっている自分そのものについては疑いの矛先を容易に向けることがなく、外部の異変ばかり強調している。村上龍もそうなのだが、基本的に無反省なのである。完全なる自己否定につながるような思念については、本能的に警戒心が働くのである。俺はもうだめだぁ〜とかすぐに思わない。一時的に思ってもたちまち新鮮な生への渇望が湧いてくる。坂本龍一には高い分析的な知性が備わっている。にも関わらず、自分について真の意味における反省を強いられることは嫌いなはずである。

村上龍の場合ならば、傍から見れば、単純に映画に関しては彼は才能がないのだ、という誠にシンプルな事実が横たわってるだけのように思えるのだが、村上龍は頑としてそれを受け入れることを拒んでいる。それどころか、ゴダールといった巨匠に伍する勢いである。批評家にさんざんこきおろされ、興行的にも大きく失敗しながら、自分の力を信じて、映画製作に東奔西走するバイタリティには、正直いって舌を巻かざるを得ない。もしかしたらネバーギブアップで頑張っているうちに、彼は本当に傑作を撮ってしまうかもしれない。あまつさえ国際的な権威ある賞を受賞する栄誉に輝くやもしれぬ。一方、僕のような小市民は、少年時代には音楽家に憧れたりもしたが、坂本龍一の存在を知っていたので、早々に諦めたものである(笑)

根底において、ニヒリズムと創造は決して両立し得ない。この書簡集の中で「新しい可能性に次々に夢中になり、勝手にそこのことばかり書きなぐってしまう子どもっぽさ」を十二分に発揮しているふたりの類い稀な芸術家のバイタリティ溢れる手紙は、そのことを雄弁に物語っている。この強健で果敢なオプチミズムの見地に到って、坂本龍一と村上龍の表向きの悲劇性は、物を創る人間の邪気のない強烈なエゴイズムの物語として、読者にとても痛快な読後感を与えてくれる。

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