2/24
逸脱編
基調報告。柄谷伝説再び!?ニューアカ全盛期には、本人は固辞しながらも日本のデリダ(世界のサカモトみたいだ)とも呼ばれた柄谷行人がポスト構造主義はもとよりカルスタやらポスコロといった、これまで知の最前線と目されていたトレンドのサークルから本格的に撤退の模様。柄谷行人自身は、マルクスやカントをやるそうである。柄谷行人は独自の立場を貫きつつも、常に国際的な知の動向にも敏感に目を向けてきた。いわば柄谷行人という人は、我々大衆にとっては、火の見櫓みたいな存在でもある。そんな彼がポスト構造主義以降の知と袂をわかち、マルクスやカントをやるというのは、やはりひとつの看過できない兆候であると言わざるをえないだろう。(自死した江藤淳追悼の文芸雑誌(文学界9月号)では、拠点をアメリカに移すと書いている。)
またひとつ文化の大きな嵐が日本を横断し、そして去ったのだ。たぶん、今後はドゥルーズやデリダといった哲学者の像も、知の歴史のパースペクティブの後方へと徐々に退いていくことだろう。あとは専門性の高い学問的研究の対象に留まったり、時折、古典的なタームとして援用されるというところに落ち着きそうだ。つまり、やっとこさ本格的な解読がはじまるということでもあり、分相応な役回りがあてがわれるということでもあろう。構造主義からの最も顕著な変化を単純に総括してしまえば、人間精神のロマン主義的な曖昧さがなるべく排除され、人文科学の方法論が、より自然科学に近づいたといったところだろう。しかし、今日、記号論的な言語論の行き詰まりに代表されるように、これにも限界がみえてきた。ところで、これからは「複雑系」らしいよ(笑)
基調報告終わり。
*******************************************************************
今年は、たくさん本を読むぞと意気込んではみたものの、いざ選択するとなると、なんという情報量の多さだろう!今更ながら唖然とさせてくれる。(そこいくと教授は、「20世紀の総括」をうまくやり遂げたよ。)加えて経済やIT関連のメールマガジンやらメーリングリストの受信は、一日100通をゆうに越えている。(←これでもかなり絞った。)
こんな世の中では、浅田彰センセイの「チャート式」でも歯が立たないのではないだろうか。(あの人は相変わらずチャート式。その点では一貫してる(笑))
もっとも情勢論的に社会問題に切り込んでいけば済む局面もある。そんな時は、最近はイミダスやら現代用語の基礎知識その他、キーワード解説書の類がさかんに出版されてるから、(これも高度情報化社会の生み出したものだ。)そいつらをつまみ食いし、それこそ浅田センセイのチャート式にならって知ったかぶりをすればいい。実際、昔僕にはYahooの自然科学系の掲示板で、理系の大学生を相手に量子力学に関する論戦をイミダスひとつを頼りにやり、善戦した覚えがある。その時援用した専門用語について、僕が本当に理解していたかといえば、答えはもちろんNOである。しかし、それでもディベート自体には勝てる。多くの掲示板上の議論なんて、そんなもの。(ちなみに今はそんな悪さはしてませんよ(^^))
しかし、情報の爆発的な氾濫に対して、情勢論的にさばいてその場しのぎに終始するのはやっぱり空しい。こんな時こそ己の依って立つ足場を作らなきゃね。
僕の場合なら、そのひとつが大学生の頃、図書館でさかんに読み耽ったニーチェだった。というわけで、新年早々結構な量の書物を買いこんだにも関わらず、結局、最初は、今も書架の片隅に置かれているニーチェのいくつかの著作を熟読玩味することに決めたのだった。ニーチェについては、後世の哲学者や学者によるいろいろやかましい議論があるが、ニーチェの哲学の魂は実に「シンプル」だ。例えば、彼自身による次の言葉に尽きている。
『わたしは、健康への意志、生への意志から、わたしの哲学を作り出した・・・・・』
(「この人を見よ」 手塚富雄訳 岩波文庫)
それはともかく。傍らに真新しいカバーの書物が小高く積みあげられているを横目で見て、ニンマリとしながらも、坂本龍一の言説面について、少しは本格的に検討してみたいという欲求もある。実は、そのことについては『坂本龍一と真正面から向き合うために(3)』として草稿を練っていた。ところが、最近はたびたびそうなのだが、ごちゃごちゃと書いているうちに、坂本龍一を離れてどんどんゲンリ的になり、どうにもおさまりがつかなくなってしまう。そのようなことになるのは、深遠なこと思考しているからではなくて、端的に書くのが下手クソだからだ。当初の予測が外れて、話の展開が暗礁に乗り上げるのは、毎度のこととはいえ、ひどく憂鬱な気分になる。無念・・・・(T_T)
最初に断っておこう。『Untitle01』より以前、坂本龍一が語ってきた「言葉」が彼の作品に直接的に反映したり、直接的に並行関係を生じたりした試しはなかった。僕はそう思う。僕に限らず坂本龍一の音楽の支持者の多くがそのように感じてきたのではないか。それが証拠にアルバム『未来派野郎』('86)に収録されていた『Ballet
Mecanique』は、13年後には中谷美紀のアルバム『私生活』('99)の中で『クロニック・ラヴ』という新しいタイトルを付されて、その美しいメロディだけが残った。未来派だとか、そいうことはどうでもよかったのだ。いっそのことクラッシックみたいに作品番号だけにしたらどうだろう?坂本龍一ともあろう音楽家が、曲名をつけなければならないというニューミュージックの慣例にいつまでも従う必要があろうか?
曲名・・・・一種の呪縛だな。それと一曲4分前後というLPレコード時代のなごりを曳きずっているという事実。4分前後という時間の枠組みが前提とされれば、曲全体の構成もほぼ決まりきったものとなろう。
もちろん、4分前後という時間的な制限は、「形式」として機能してきた面があるに違いない。「形式」なくしてあらゆる芸術表現は不可能なのだから。(サントラは映像からの制限で曲の長さが決まるが。)それでも割と無反省にソロ・アルバムでの坂本龍一が、これらの慣例を踏襲してきたのだとしたら、なんということだろう!如何に実験的な試みであろうと、あたかも孫悟空がお釈迦様の掌で奮闘しているように、外形的にみて、常にニューミュージックの慣例の中でなされてきたという経緯を顧慮しても、かつての坂本龍一の作品が本格的な芸術運動には到らず、結局のところ従来の音楽商品の系譜に留まったとは言えないだろうか。この考えは、ちょっとラジカルすぎ?
・・・・・・・・・最近は、だいたいこのあたりから話がデカくなる(^^; でも、クラッシック聴いた後にニューミュージック聴くと、いつも感じる、時間的な制限からくりだされる均一性、そしてなんでいちいちタイトルつけるんだろ?「運命」や「ジュピター」みたいなもんかな。商品として流通しやすい。現代人の頭脳が一曲4分前後ということにならされている。歌番組が成立しない・・・等々。いろいろ理由は挙げられるだろう。しかし、やはり音楽的にはかなりヘンテコリンな時代だと思う。
が、「 レーザーディスクの時代なんだから、もう時間的な制限は考慮しなくていいんだよ!」などと言ったところで、凡百のミュージシャンの多くは、その「自由」をもてあましてしまうだろう。
しかし、坂本龍一がたじろぐことは許されまい。
【付記】
ほんとうは、久々に読み返して、感動を新たにした村上龍と坂本龍一の書簡集『友よ、また逢おう』のことを中心に書くつもりだったのに・・・・・ヽ(´ー`)ノフッ
またやっちゃった。
|