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坂本龍一と真正面から向き合うために(2)
映画へのノスタルジー。去年の年末頃、意識的にそうしたわけではなかったのに、なぜか僕よりずっと前の世代の知識人、文化人による映画に関する批評や対談を読む機会が重なった。そして、ある発見をして、僕は愕然とした・・・・・
(゚ロ゚)☆ガ〜ン! こ、このおやじ達って一体・・・・
<↑さくらももこの漫画のように白目になるの図>
お知らせ;最近、遅ればせながら顔文字登録しました。いやがらせのようにやたら使いまくり・・・・・。顔文字を融合した新感覚な文体を鋭意模索中(嘘)
僕らの世代と彼らとの映画への思い入れの強さは、決定的違うのだ!例えば、浅田彰がパゾリーニについて語るにしても、最初のうちこそ、ああ〜相変わらず何でも知ってるんだなぁ、とその博識ぶりに感心するだけだったが、そのうち行間から迫ってくるその尋常ならざる情熱に驚かされた。彼らにとって映画は、単なる娯楽ではないのだ。まぎれもなく重大なる教養のひとつなのだ。いや、まだ言い足りない。なんというか・・・・・映像美術について高度に抽象的な話をしていても、その根底においてダイレクトに肉体に直結するような快楽に支えられている。
もとより世代を正確に区分することはできやしないが、坂本龍一にせよ、旧世代の文化人は人間形成の一端を映画に負っていると言っても過言ではないようだ。しかも、この傾向は、何も文化人に限らない。ある世代に共通の体験のようである。僕などは書かれた物から類推する他ないが、日本にはそういう映画文化の最盛期というものがあったらしい。映画は、芸術表現の中心であり、皆がこぞって映画館に足を運ぶ、そんな時代があったらしいのだ。ついでに、もしかしたら、それは先進国全体で起こっていた芸術運動だったのかもしれない。
村上龍の対談集『存在の耐えがたいサルサ』(まったくふざけた題名だ(^^;)からのエピソード。蓮實重彦というエライ大学教授がいる。有名人なのでご存知の方も多いはず。この御仁は文芸批評、そして映画の表象文化論的な分析や批評の第一人者である。この人が97年に東大の総長に選出された。ところが、総長というのは、一種の名誉職のようなもので、制約が多く教育や研究もままならず、傍から見るほど喜ばしい立場ではないらしい。それで彼はすっかり落ちこんでしまい。のみならずフランス人美人妻(見たことないけど)もショックで寝込んでしまう。彼は、なんとか立ち直らなければならないと考えたすえ、いい映画をみようという結論に達し、ムルナウの『サンライズ』なる作品(・_・?)を夫婦で鑑賞したところ、すっかり健康を回復したという。
蓮實重彦は今や還暦を過ぎたそろそろ老大家の部類だし、映画に関しては、日本では並ぶもののない研究者(半分はそれが生業)なので、彼のエピソードを安易に一般化することはできないが、それをわきまえたうえで、言わせてもらえば、映画というのは、ある旧世代の文化人にとって特別なノスタルジーをもよおさせる存在、ある時はサンクチュアリであり、のみならず妙薬のような役割すら果たすものらしい。これは根底的には理屈の問題ではないので、例えば、YMOフリークやYMOチルドレンにもそっくりあてはまる。僕なんかも、たまにYMOを聴くと血行がよくなっちゃたりする。YMOチルドレンにとって、YMOの名曲は、単なるfavorite
songではない。
一方、僕が物心ついた頃には、クロサワですら映画会社の資金難のため容易に脚本を映画化できないという仕儀になっており、既に日本の映画興行は衰微の一途をたどっていたようだ。日本では映画館があいつで閉鎖され、その数は、鋭角的な下降線を描いていた。おそらく、新たな名画も生まれていただろう。しかし、大衆の社会認識の枠内には、そのことは伝わってこなかった。坂本龍一だって、浅田彰だって、村上龍だって、本気で賞賛するのは、小津安二郎やゴダールといった昔の映画監督ばっかりじゃないか。坂本龍一のやっているような芸術としての映画の映画音楽作家という仕事は、今や、あるいは今のところ、意外に古風な仕事であったのだ。およそガングロやらカリスマ美容師やらポケモンといったupdateなものとは縁遠いマイナーな存在だったのだ。現在の坂本龍一が今日性というものに対して、どの程度、関心をもっているのか、僕にはもうわからない。
*映画館の数に関しては、昨今増加傾向にあるらしい。外資系の会社が、シネマコンプレックスという新しい映画館のシステムをひっさげて日本の進出してきたことが功を奏しているのだ。
事業。坂本龍一の思想をマルチメディア・パフォーマンスとして結晶化した「LIFE」。さまざまなジャンルの一流の表現者が集った。坂本龍一としても構想の段階から熟慮に熟慮を重ねての人選だったろう。さらに各種エンジニアなど裏方で支えてきたスタッフを加えると、「LIFE」の現実化には膨大な数の人間が関わっている。また、この作品にはたくさんの20世紀の名曲が援用されたり、著名人のテクストやコメントも引用されており、著作権等のややこしい手続きなど、並大抵の手間ではなかったに違いない。これは、芸術作品という以外に、もはやひとつの巨大な事業であったといってよいだろう。事業には、事業の実践的な固有の論理があるのであって、いくら芸術家として優れていたとしても、これに熟練していなければ、「LIFE」のような巨大な事業は実現し得なかっただろうと思う。
リヒャルト・ワーグナーという男は、恐ろしくスケールの大きなエゴイストで、既存の歌劇場に満足ぜず、ついにはライフワーク『ニーベルングの指輪』上演専用の劇場建設を思い立つと、さっそく経済的な庇護者であるバイエルン王国の若き王侯・ルートヴィヒ2世をたらしこみ、まんまと多額の援助を獲得して、辺境の地・バイロイトに祝祭劇場を立ち上げた。ルートヴィヒ2世という青年王侯は、政治家としては全く無能で、ひたすら「美」に魅せられた伝説的な人物である。ノイシュヴァンシュタイン城(ディズニーランドのシンデレラ城のモデルとなった。)など各地に戦略的には完全に無効な、もっら中世的な「美」だけを追求して設計された城を建設をして、国家財政を疲弊させ、ついには政争劇に巻き込まれて、若くしてシュタルンベルク湖畔に入水自殺(真相は謎)している。
ワーグナーは、当初、巨額を投じて建設された祝祭劇場を、『指輪』上演後燃やしてしまうつもりだったという。初演(1876年)は大赤字だった。僕のような小市民などは、なんて野郎だと思うが(笑)、音楽上の偉大な事業というと、まっさきに挙げられるべきは、バイロイト祝祭劇場であるという結論に、異を唱える人は少ないであろう。バイエルンやプロイセンなど、その頃の王国は、20世紀には失われてしまったが、バイロイト祝祭劇場では、その後も今日に到るまで、毎年ワーグナーの演目が連綿と上演され続けられ、ルートヴィヒ2世が、湖畔や丘の上に築いた美しい城は、今では海外からのたくさんの美の巡礼者を誘いつづけ、重要な観光収入源となっている。こうした巨人のやることの大きさには、我々小市民はかなわないやね。
純粋理想は芸術の中にしか存在し得ない。ワーグナーは芸術的な理念と表現において、全くといっていいほど、妥協しなかった。彼は、自分の芸術の価値を確信していたので、庇護者の国家財政が疲弊するぐらいでは少しもひるまなかった。彼は、当然の如くルートヴィヒ2世をはじめ商人等のパトロンに必要な分だけ金銭的な援助を次々と要求した。ワーグナーは、ドレスデン革命(1849年。ザクセン王国)と呼ばれる市民革命が勃発するや、宮廷指揮者の地位を投げ捨て、市民の側にたって革命に参加した(多分に美学的要素に魅せられてではあったが。)りしたが、自己の芸術的理想を具現化する時、表面上、彼は多分に独裁的にみえる。
それに比べれば、いくらわがままといっても、20紀の市民社会に生きる現代人坂本龍一はずっと民主的、つまり妥協的である。「共生」は、『LIFE』の理念の中核であり、坂本自身が『宇宙基地モデル』と表現しているように、それは今にも底をつきそうな微小な地球資源を緻密にやりくりするという意味がこめられている。しかし、『LIFE』という総合舞台芸術自体は、パトロンとしての大新聞社の多額の経済的なバックアップのもとになされた、美的放蕩に他ならない。芸術には多額の資金(パトロン)が必要な時があり、作品世界では、彼自身は独裁的であり、ある意味では神のように振舞う。
僕には、はっきりしているのだが、YMO時代の坂本青年には、『LIFE』を現実化することはまず不可能であったと思う。音楽表現や理念といった位相で熟成されていない、あるいは人脈不足といった理由もあげられるが、何より決定的なのは、『LIFE』の共同作業的側面をマネージメントするだけの才覚と度量は、YMO時代の坂本青年にはなかったと思う。逆に、例えば、現在の坂本龍一ならアルバム『BGM』で細野晴臣との間で演じられたたわいもない確執は起こりえないだろう。坂本龍一は、いつの間にか事業家としてもびっくりするほど成長していたのだ。『LIFE』という巨大プロジェクトの実現は、それを端的に示してみせた。
僕は、はじめに事業には、事業の実践的な固有の論理があると書いた。一方には、芸術の理想がある。芸術家にとって、どちらが大切かと言えば、いうまでもなく芸術の理想である。しかし、このふたつの価値観のどちらも充分に満足させることは難しい。むしろ、相対立する場合がずっと多いに違いない。どこで双方の妥協点をはかるか、あるいはこの二律背反を如何に止揚するかが、いつも彼らに訪れる頭痛のたねだ。これは以前も書いたことだが、スーパーバイザーの浅田彰、イントロダクションのテクストを書いた村上龍、ビデオ・アート担当の高谷史郎、CGを担当の原田大三郎、衣装担当の山本耀司、インターネットSEの村井純といった『LIFE』の中心的な表現者や技術者達のインタビューを読んでみて、僕がしきりに感じたのは、『LIFE』の根本理念『共生』に関する相互の見解の差異と大きな温度差の存在である。
それは、あたりまえといえば、あたりまえかもしれない。あるいは、それ自体『共生』の理念の実践であるという見識も成り立つかもしれない。しかし、『LIFE』を理念のレベルで徹底的に議論したうえで相違するのと、その点にはあまりつっこんだ議論がなかったために漫然と相違するのとでは、やはり根本的に別なのではないだろうか。(唯一刎頚の友・村上龍のみは、つかみ合いの喧嘩になるほどホンネをぶつけあっても後に禍根を残すことはないだろうが。)ここにおいて辣腕事業家としての坂本龍一には、複数の顔が存在していたように思う。まずsiteSakamotoのdiaryで、人類の滅亡、地球環境の壊滅を予見して、恐慌に陥る顔や『LIFE』をレクイエムとほのめかす顔。それらは坂本龍一の本意に最も近いだろう。それに対して表現者間の合意を得るため、あるいは一般ジャーナリズムの言説の許容範囲に配慮して、理念的に微妙に妥協していく柔和な顔。
腹芸もできる、ひとまわりも、ふたまわりも大きく、しなやかになった坂本龍一。
『いやぁ〜彼は、なかなか才能のある若者でして、僕も昔からファンでしたよ。アハハハハ・・・・』
ぐらいのことはしょっちゅう言ってるかも。ハリウッドの野心的で狡知なプロデューサーほどじゃないにしても。
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