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坂本龍一と真正面から向き合うために(1)
教授というニックネーム。サウンドストリートで、サンディ&サンセットだったか、シーナ&ロケッツだったか失念してしまったが、いずれにせよ、およそアカデミーとは無縁なミュージシャンを前に坂本龍一が、倍音だけで音楽を奏でる民族音楽(たぶんホーミーだったと思う)の講釈をとうとうと述べたことがあった。サンディもしくは、シーナが、「めったに聞けない話だよね。」としきりに感心する。この場面での坂本龍一の像は、本人にはその気はなくとも、まさしく伝統的な知の伝達者、すなわち「教授」であった。その時の女性ボーカリストの感嘆は、音楽アカデミーの知の体系に接する機会の少ないミュージシャンと我々大衆に共通のものである。
しかし、それこそは、大衆の坂本龍一に対する最初の誤解の始まりであった。「教授」を伝統的な知の伝達者にして守護者と解釈するならば、およそ坂本龍一ほど「教授」からほど遠い存在もない。坂本龍一がアカデミー、あるいは学校的なるものと全的に折り合いがついたためしは、今日に至るまでほとんどない。実像としての坂本龍一は、音楽家としての登場のはじめから、むしろ知の解体者だったのだ。「千のナイフ」と「ジ・エンド・オブ・アジア」は、ほとんど宿命的な、彼の知の解体の始まりの記念碑である。その20年後には、「LIFE」の終曲においてバッハのコラールを組み込むという蛮行をやってのけた!これらの「下品」なまねは、ブーレーズや浅田彰は決して甘受しないのだ。
困ったことだ。マスコミ、時として音楽専門誌ですら坂本龍一を単なる「教授」として遇する。誰が悪いのだろう。若き日の坂本龍一には青年らしい虚栄心から衒学的なところがあったのだろうか。一方、耳慣れない小難しい薀蓄を聞かされて、即座にそこに漫然とエリート音楽家のイメージを作り上げる我々大衆側の通俗的な思考回路にも厳しい批判を強いるべきかもしれぬ。その上、日本の芸術における高学歴の頂点ともいえる芸大大学院卒という彼の履歴は、日本人特有の学歴社会的な発想の中では、ありふれた天才伝説成立の整合性を得てしまった。正気に戻ってみれば、実に馬鹿気ている。無論、僕はヒステリックなアカデミー批判を擁護しようとしているのではない。いい加減、たわいもない錯誤はもう止そうと思うだけだ。
発言。僕は、武満徹が逝った年、すっかり悲しみにうちのめされ、鬱屈しているような大江健三郎が、NHKの取材に応じて、在りし日の畏友の人柄を語っていた様子をテレビで観たことを今でも印象深く覚えている。「彼は一言も無駄なことは言いませんでした。」僕はひどく感銘を受けた。しかし、武満徹の頭脳の中は、爆発せんばかりに「無駄な言葉」でいっぱいであったろう。彼は、発語するまでにそれらの「無駄な言葉」の宇宙から言葉を厳格に選び出し、あるいは収斂させたのだろうと思う。
一方、坂本龍一は「無駄な言葉」をたくさん発する。思念のゆらぐオートマチズムに自らすすんで身をまかせる。そして、さながら彼自身が、精神活動の活発な自分の脳髄の観察者のごとく、その尋常ならざる飛躍の有様を眺めている。言いかえれば、深層意識の奔流に対して、自意識側からあまり規制を加えない。これは、自覚的であり、ほとんど独自の方法論に到達している。優れた芸術家やスポーツマンが皆各々才能発揮の方法論をもっているように。分裂気質という病理現象の側からのみ説明するのは不充分であろう。また、単に生きてる人間の言行は、往々にして矛盾しているものだといったレベルの問題ではない。(もう少し正確に言えば、そういうレベルの当たり前な矛盾を追ってもしょうがない。そんなことは皆一緒なのだから。)坂本龍一の会得した方法の第一段階は、むやみに自意識による規制を働かさず、敢えて「無駄な言葉」の奔流を解放することだ。そうして格別に大きく広がった情理の振幅をつくりだしてみせる。
思い出してほしい、これは坂本龍一の通常の曲作りの過程における着手の段階と一緒ではないか。あらかじめしっかりした骨格をもった旋律がない場合、坂本龍一がまず最初にすることは、ピアノなどの楽器に向かって、手が記憶していたり、新しく構成された和音を思いつくままに鳴らし続けることだ。経験上ある程度の目星はつくにせよ、極端に言ってしまえば、坂本龍一自身これからどんな響きが生まれるてくるのかわからない。しかし、それは滅茶苦茶や無軌道とは違う。少年の頃から蓄積され、ある程度は習慣化されている坂本龍一独特の調性感などの音楽の法則に則っているはずだから。坂本龍一の「耳」は、「手」によって生まれては消えていく無数の響きを注意深く聴き、その中から選りすぐりの響きを取り上げる。後は、その響き=音楽の種子が内包している音楽を三次元に展開し、延長するという職人的な作業が待っているだけだ。
面白いのは、その時、「耳」が「手」を観察し、「耳」から「手」にフィードバックしていくといった具合に主客に分化し、相互に交代しながら相手を対象化するという構図が、坂本龍一という一個の音楽家の中におさまっていることだ。このように、ひとつの自己の中に、あからさまな形で複数の自己の働いている光景を目の当たりにするという奇妙な体験を常態とする、音楽機械サカモトが、いつまでも人間を精巧に作られた機械のように錯覚したのは、今から思えば当然の成り行きだったのかもしれない。アルバム『BTTB』では、YAMAHAのエンジニア達が、坂本龍一のこうした曲作りの現場に立ち会い、バックアップすることになったわけだ。YAMAHAのエンジニア達にとっては、さぞかしエキサイティングな体験だったに違いない。
格別に広く拡大された情理の振幅を特徴とする坂本龍一の発言は、曲作りと比較してみれば、「手」に相当する。無論、それを観察吟味し、結晶していく「耳」の働きがあるのが道理であって、音楽活動を中心とした坂本龍一の「行動」自体には、表向き複雑に錯綜してみえはするものの、根本的には、有機的な連続性が厳然と存在している。ただ、発言の段階で、インタビュアーや対談者そして我々読者が、彼の言説の矛盾や飛躍や不統一といった非論理性に直面し、面食らうというのは、昔から繰り返されてきたことである。この坂本龍一の才能発揮の方法論のダイナミズムに太刀打ち出来きたのは、今のところ吉本隆明や中上健次といった一部の認識と表象の猛者ぐらいであろう。
後藤繁雄氏編著による『skmt 坂本龍一』(リトル・モア)は、かつてない長期インタビューに成功した点で快挙であった。しかし、やはり坂本龍一の発言の振幅の大きさの前に敗れていることに変わりはない。後藤氏が敗れたこと自体は責められるべきではないが、ただ序文に相当する部分で、見えすいた自己正当化をしてしまったことは、大きな過ちであった。これは文筆家としてのモラルの問題であって、後藤氏は正々堂々と敗北宣言をしてから始めるべきであった。ところが評伝や伝記を不当に引き下げ、自著を、帯の言葉を借りれば「<反>自伝の試み」という概念で粉飾している。しかし、実際に読んでみればわかるように、これは極ありふれたインタビューと散文の寄せ集めにすぎない。そこには、なんら新しい概念は現出していない。
通俗的な意味においても、本質的にも、人の言行に素朴な整合性なり、一貫したストーリーがないのは、当たり前である。評伝の作者にせよ、書籍の中で、対象の人物を完全再現できるなどと空想している書き手などは、少なくともプロの中にはおるまい。ただただ我々読者は、書き手が、人物評伝の原理的な不可能性と拮抗し、苦闘しながら必死に表象し、活写にしのぎを削る緊張感と知的労苦に惹きつけられるのである。その中から人文科学は、豊かな表象や概念を発見・創出し蓄積してきたのである。(彼は、そんな基本的なこともわきまえていないのだろうか・・・・・)
ミシェル・フーコー並にとまでは言わないが、もともと本気で学問的に妥当な系譜学的批判をやる誠実さも力量もないにも関わらず、ただ自己の知的怠慢を覆い隠すために評伝やら伝記を引き下げ、インタビューと散文の寄せ集めに終わった自著を、あたかも開放系をもつシステムであるかのように偽装すべきではなかったのだ。僕にとっては才能は重要な関心事ではない。しかし、作品のコンセプトを表明する重要な個所で、この種の不真面目をやられることは大嫌いである。プロならしっかり表象の言葉を探すか、玉砕の凄絶を露出すべきであった。とりあえず、ドゥルーズによる『ニーチェ』でも読んで反省しなさい、と言いたい。
と、まあ、坂本龍一の繰り出す発言の振幅の半径の大きさに翻弄される人はあとを経たない。もっとも『LIFE』以降、(僕に言わせれば)脱ポストモダン的な所為として、明確に理念性を打ち出してきた現今、坂本龍一の発言は、大きな振幅の中にも珍しく首尾一貫した部分を含むようになっている。あるいは、理念とは一貫しているものだということであろうか。リトル・モア誌に掲載された後藤繁雄氏のエッセイの伝えるところによれば、坂本龍一はモンゴル紀行のさいにも『LIFE』のフルスコアを袋に入れて、大事に持ち歩いていたそうである。そのように繰り返し、作品をスコアで推敲するのも異変といえば異変であろう。
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