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エロス的構造の変貌
初めに、前回のTEXTについて、僕自身が気になった問題点について触れておく。前回のTEXTを読むと、あたかも坂本龍一が武満徹の音楽を踏襲もしくは模倣しているような誤解を与えかねない。しかし、それは僕の本意ではない。僕は、坂本龍一の「Love is the devil」を境に始まった映画音楽の作風の変化について、武満徹を引き合いに出してみることで、わかりやすく説明することを試みたに過ぎない。もっとも、この問題はなかなかデリケートなところまで敷衍が可能であり、ついには、そもそも音楽に字義通りのオリジナリティはあり得るのか、という大問題にまで発展しかねない。

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坂本龍一という音楽家は、「女性」音楽家とのコラボレーションに限って、長期の持続が可能であるようだ。一方「男性」音楽家とのコラボレーションが良好な形で持続することは稀である。それは、もうYMOの頃から言えることだ。どうも坂本龍一には、「男性」については、(音楽家に限らず)個人主義をオモテとしてつき合い、その才能のみを関心の中心とするところがあるように思われる。ヘタをすると才能至上主義の傾向(使えるか、使えないか)がありはしないだろうか。それは幼少期の頃から英才であったもの特有の冷徹さだろうか。日本では、ミュージシャン仲間の同調圧力やつきあいに促される形で、音楽活動の方向性が決められていくことはよくあるだろうと思う。しかし彼はそれが嫌いなのだ。坂本龍一は、原則的に、自分の音楽プロジェクトを実現するために必要な人材を、その都度ピックアップするという姿勢をとってきた。それはとても合理的な方法には違いないが、やはり東洋人には馴染めない。それは、相手にとても冷たい印象を与えるだろう。

Deee-Liteで大ブレイクするまでは、NYの坂本宅にころがり込み、長じてはSP-1200の中心人物として、『Heart Beat』から『Smoochy』に至る坂本音楽のGroove革命の火付け役となったテイ・トウワ。その彼も現在では、表向き教授の音楽活動圏外にあり、どちらかといえば細野晴臣の音楽と思想に心服していることは誰もが認めるところだろうと思う。細野晴臣という人は、若手音楽家が彼を先輩もしくは師匠として慕うといった情緒の関係を受け入れてくれる温和さをもっている。たぶん、根っからの個人主義者、坂本龍一は、それを許さないだろう。あまり僕の勝手な憶測を野放しにすると、芸能誌並みの言動に堕してしまうが、テイ・トウワの現在の坂本龍一への微妙なスタンスの取り方は、坂本の個人主義的、才能主義的なつき合い方の冷徹さに愛想がつきたという面も多分にあるのではないか、という気がする。無論、あくまでも憶測に過ぎない。

「男性」に対しては、冷たい個人主義の壁をこしらえて接触するような印象を与える坂本龍一だが、この人は、つくづく「女性的なるもの」がないとやっていけない・・・・・・・
え?「女好き」?・・・・・例えば、芸能誌なんかじゃ、毎度こんな風に書かれちゃう。

「業界内で坂本の度外れた女好きを知らないものはいないですよ」(業界事情通 談)
#ちなみに芸能誌・週刊誌等に登場する○○事情通やら××ウォッチャーというのは、原稿を書いてる本人の自作自演である。あたかも第三者の言を装うことで、記事内容が客観的であるかの如くみせるわけだが、実際には取材はしていない。

こんな風に芸能誌的発想で片付けちゃ何もはっきりしない。「女好き」って何?あんまり漠然としすぎてる。さっぱり具体的なイメージが湧いてこない。そう。はっきりしないが、漠然とした心証だけを読者に植え付けるのが芸能誌・週刊誌の常套手段だ。

かつて、日本のアホな男優・石田某が、芸能リポーターの執拗な追及に辟易して、『不倫は文化だ!』とのたまった。馬鹿言いなさい。「不倫」なんて内実のないままジャーナリズムに流通している記号から文化なんて生まれるわけがない。むしろ、「不倫」という記号によって画一的に捉えられ、片付けられてしまった各々の男女の性の個別性を回復させるところから文学を中心とした芸術が生まれるのであって、画一的なイメージの総体にすぎない「不倫」などといった記号性からは文化は生まれませんよ。

閑話休題。坂本龍一が、長期に渡ってコラボレーションを持続してきた「女性」音楽家の代表格といえば、やはり矢野顕子と大貫妙子の両名がまっさきに挙げられるだろう。そして、そこには当然エロス的な構造ともいうべきものが成立している。プロデューサーといっても、坂本龍一が精神的に優位に立ったり、指導的立場に身を置くのではなく、坂本の彼女達との関係の築き方は、どちらかというと母子関係もしくは姉-弟関係に近いものである。冷たく合理的な個人主義の鎧を纏った坂本龍一は、彼女達とコラボレーションをする時だけは、母子関係もしくは姉-弟関係のエロス的構造へ退行し、心的にとても安定した状態で音楽活動をすることができた。

矢野顕子や大貫妙子らは新譜がリリースされると、必ずFM放送番組「サウンドストリート」にゲスト出演したものだが、その折、彼女達と坂本龍一とのやりとりから、そこに成立しているエロス的構造がリスナーにも届いてきた。僕の印象では、矢野顕子と坂本龍一との関係の築き方は、母子関係に近いものだったと思う。矢野顕子の教授に対する態度は、子供のこまごまとした生活上の振る舞いを口うるさく躾る母親のそれであった。放送中、矢野顕子の露骨なまでの保護者然たる態度と口うるささに、教授はすっかり途方に暮れ、冗談めかしつつ『少しは僕を立ててくださいよ〜。』と懇願するという局面もあった。しかし、坂本龍一にせよ、そのようなエロス的構造はまんざらでもないのである。少なくともその頃の彼には必要であったに違いない。(少年時代の教授と美貌の母君が一緒に映った写真を見ても感じるんだけど、教授ってかなりマザコン入ってると思う。(^^;)

大貫妙子と坂本龍一の場合はどうだろうか。さっぱりした性格の姉と出来のいい弟という感じだ。例えば、こんなことがあった。大貫妙子のアルバム『クリシェ』(82年9/21)がリリースされた頃のことだ。やはりサンスト。このアルバムのプロデュースの半分は坂本龍一が担当し、もう半分はフランスの音楽家 Jean Musyがやるという趣向になっていた。放送では教授と大貫妙子の間で、およそ次のような会話がかわされた・・・・・

坂本、大貫妙子に向かって問う。
『ぼくのアレンジした曲のことはJean Musyさん、なんって言ってた?』
大貫妙子が答えるには、
『私ならこんな風にはアレンジしないだろう、だって。』
坂本、すっかりむくれて、
『ぼ、ぼくだってMusyさんのようにはやらないっすよ。(以後ぶつぶつ文句を言いつづける)』
大貫妙子さながらよくできた姉のように、教授を軽くたしなめつつ、なだめる・・・・・・

とまあ、たいがいいつもこんな調子で、およそ威厳あるプロデューサーには程遠い(^^;また、矢野顕子や大貫妙子にフレーズや和声のことなんかを誉められると、その頃の教授って、さながら母親か姉に誉められた子供のように無邪気に喜んじゃう。繰り返すが、プロデュースといっても、決して坂本龍一が彼女達に対して、精神的に優位に立つなどということはまるっきりなくて、むしろ彼は、母や姉に誉められたい一心で、作曲や編曲に打ち込むという感じだったと思う。母子関係もしくは、姉-弟関係に近いエロス的構造へ退行していくこと、それが坂本龍一の前半生における「女性」との関係の築き方の基本だったと思う。これにある顕著な変化が生じた。その兆候のひとつが、中谷美紀の存在が坂本龍一の音楽活動圏内に登場してきたことだ。

芸大の大学院を修了したばかりの坂本龍一青年は、複雑で高度な、しかしながら、箸にも棒にもかからない、単なる奇怪な観念の産物に過ぎなかった。あらゆる可能性であり、同時に何者でもなかった。そんな時、細野晴臣の紹介で、坂本の目の前に現れたのが矢野顕子だった。彼女は、その時既にピアノで身をたててきた経歴をもつ、地に足のついた生活人である。彼女の生活観には天性のものがあった。とりわけ人間が生きていく上で必要なもの、基本的なこと・・・・食べたり、泣いたり、喜んだり、愛したり・・・・への鋭い洞察力があった。それは矢野顕子の初期の作品やアルバムのピクチャーにもよく表れている。つまり、坂本龍一青年に決定的に欠落していたものを彼女は申し分なく備えていたのだ。80年代初頭、坂本龍一は、矢野顕子について、次のように評している。

『坂本龍一が撮った矢野顕子。(中略)この人の自由さにはいつも圧倒される。"ハレ"と"ケ"という柳田國男流の分類によれば、この人は"ケの祭り"をつかさどる身軽な怪物。学ぶところが多い。』(Image Collection by SAKAMOTOより)

『狂女、妖怪。僕は彼女から妖怪学の勉強をしている。家事とか、育児の合間に時間をつくって、必要なものを読んだり、レコードを聴いたり、曲をつくったり、そういう身軽な生活の仕方をまず学ぶ必要がある。』(Parsonal History in his own wordsより)
以上共に「OMIYAGE」所収

こうした発言を読むと、坂本龍一が矢野顕子と出会った当初、彼にとって、如何に彼女が驚異的な存在であり、その生き様に多くを学ぼうとしてきたのが、ひしひしと伝わってくる。引用文のうち後段の続きには『ぼく自身妖怪になりたいと思っている』と願望を語る箇所もみられる。実は、後段に引用したインタビューでは、坂本龍一は、矢野顕子という固有名詞を明示していないのだが、時期といい「妖怪」という言い回しといい、矢野顕子について語った言葉と判断して構わないだろう。坂本龍一は、矢野顕子から何を学んだのだろうか。極端な話、もし矢野顕子との出会いがなかったら、彼は才能はあっても乱調と空回りを繰り返すだけの哀れな存在に終わったかもしれない。そういう意味では、平均的な夫婦関係に比べると、そもそも非常に特殊性を孕んだケースであったといえる。

矢野顕子も離婚経験者(若気の至り?)に違いないが、坂本龍一の「尊敬」と「愛情」を勝ち得て、今度ばかりは思慮深く取り決められた賢明な結婚生活であり、かつ家庭生活であり、幾多の危機を迎えつつも、Home Sweet Homeであり続ける・・・・・彼女自身そんな自信と信頼をもち続けていたのではないかと思う。しかし、坂本龍一という男は、彼女が考える以上に複雑だったのか。僕は、坂本龍一と矢野顕子の愛が壊れたことについて、世俗的な情欲の要因はともかく、やはり資質上の問題を思わずにおれない。

坂本龍一は、矢野顕子を卒業した!?それは同時に母子関係もしくは姉-弟関係に近いエロス的構造への退行の終わりをも意味したかもしれない。その象徴的な存在として登場したのが、中谷美紀だ。(もっとも矢野顕子との破局から随分時間が経ってからだが。)坂本龍一と中谷美紀との間には、矢野顕子や大貫妙子との間に成立していたようなエロス的構造はない。そこでは坂本龍一は、孤独に屹立する偉大なる音楽家であり、中谷美紀は彼に私淑し、師事していく弟子的存在である。つまりは、父性的な庇護者へ変貌していく坂本龍一の像が立ち現れてくる。

一方、現在の矢野顕子の像はどうだろう。まるで、詩もファッションもアルバムのピクチャーも恋する乙女のそれに退行してはいまいか。そういう矢野顕子の姿は華やかな相貌とは裏腹に、痛々しさを含んでいる。堅固な生活観や家庭像の体現者たる矢野顕子が敗れたことは、何を意味するのか?単なる行きずりの情事ならば、坂本龍一は、新しい「家庭」を構えようとはしなかったはずである。単に、"あの時はゴムに穴があいてたから"、なんてこともあり得るが(^^;、そこは万事手ぬかり無しということを前提にすれば、やはり坂本龍一には矢野顕子的な家(の観念)からの脱却という意思もあったと考えるのが適当のように思える。

しかし、坂本龍一は新しい「家庭」を構えることで、唯一無二としての「家庭」を永久に失った。これが激しく喧嘩別れをして、身勝手に矢野家に対して没交渉を決め込んだら、新しい「家庭」が唯一無二の「家庭」として回帰の場所になったかもしれないが、現状の中でそれぞれの「家庭」で、できる限り父親としての役割を果たすということなのだから、妙な言い方だが、坂本龍一には相対化された「家庭」があるばかりである。ただ血族が寄り集まったり、反発したりしながら横断するという状態があるばかりである。今や坂本龍一は完全に孤独である。なぜなら少なくとも近代市民社会の常識では、唯一無二でなければ「家庭」ではないのだから。このような矛盾を彼はどのように止揚しているのであろうか。いや待てよ。「家庭」というものを一種の虚像として捉えはじめて久しい今日、我々は、坂本龍一の置かれた状況を「矛盾」と断言する確かな基盤をもち得るだろうか。そして彼の煩悩はどこに救いを求めるのだろうか。 僕はやはり『LIFE』のことを考えている。

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