「坂本龍一の知の再編成」についての覚え書き
*あらかじめ、ネット上で閲覧可能な坂本龍一の発言内容を一通り読んでいることを前提とする。
◎ 坂本龍一の理念(あるいは悪夢)の独創性やその粗暴な力強さの中心は、地球規模で進行する環境破壊を、単に人類の抱える多岐にわたる諸問題のひとつとして並列してみせるのではなく、それをすべてに最優先されるべき危急の課題ととらえ、切実にイメージし、恐怖した点にある。
さらには、客観事実の積み重ねから地球上の生命の滅亡を警告するというやり方で、盲目的な欲望肥大の現代文明のあり方への反省や危機意識を促すところだ。
(環境問題について言及される際にありがちな修身道徳めいた説教調を回避している。)
実際、世の中では、様々な社会問題が、連日ジャーナリズムをにぎわしている。教育問題や政治・外交、国際紛争、犯罪の傾向等、身近な問題から果ては文明の行く末まで、専門家から一般大衆に到る人々によって、飽くことなく解決策や展望が議論され、提言されている。しかしながら、坂本龍一の警告するように、もし地球の壊滅的な環境破壊によって、人類を含む地球と地球上の生命の存在そのものを脅かす事態に立ち至ったとしたらどうであろうか。
ヴァラエティーに富んだゲームのステージそのものが無くなったとしたら?
殊に日本では、マスコミ報道で環境問題へ割かれる時間は極少ない。まず、そもそも日本のマスコミ人には『地球』という発想がない。問われれば、彼らとて、教養としての紋切り型のグローバリズム的言説を弄するだろうが、ホンネの部分では切実に身近に感じることがない。坂本龍一は、共生系としての地球を発想の根本に置かない議論は、いくら緻密にして精緻であろうとも根本的な解決にはならないと言うに違いない。
ここでも、痛切に思う。
日本のジャーナリズムに軸足をおいて知った世界(ある特殊な共同幻想)など信用するな、と。 (なんで街頭インタビューの声って、申し合わせたように情報バラエティー番組のコメンテーターと同じなわけ?あんなの最も貧弱な言説空間じゃんか。)
厳密を期して「彼独自の」と断った上で言う。坂本龍一は、地球の壊滅的な環境破壊を切実なリアリティとして、日本に持ち込んだ数少ない現代的な芸術家のひとりであると。(ちなみに誇大妄想家のオカルト的な世界観としての地球は論外。)かつては、やはり高度資本主義社会の申し子ともいえた坂本龍一は、(広義における)ポスト・モダンを脱している。で、そんな坂本龍一は日本では孤立している。彼にしてみれば、彼自身"遅きに失した”の後悔の念を抱いてるだろうに。
・・・・・やっぱり、というか、「坂本龍一はスゲーよ。」
◎それならば、坂本龍一は、各個の諸問題についてはどのように考えるのか。
『技術は科学の知識に基づいて作られる。とすれば、このような破壊の技術を生み出した、我々の科学の知識がまだ幼稚なのだ。まず40億年におよぶ生命の進化を知らなければならない。そして、それを育んだこの惑星のことを知り、さらにこの惑星が属する宇宙を知らなければならない。そして物質の流転と生命の共生に耳をかたむけ、技術の運用の仕方を学びなおさねばならない。』(「共生は可能か、救済は可能か」より。
)
ここに坂本龍一の思想のエッセンスが集約的に示されている。改めて読んでみると、平易な表現を使いながらも、実によく考えられ、慎重に配慮された文章だと気づかされる。
(もっとも、この実現には、技術運用の主体である人類の意識変革が伴うのは自明なのに、注意深くそれに言及することを避けているが。) これを要約して、一言で「共生系としての地球」と言わせてもらえば、現在の坂本龍一は、そこを基点としてすべてを考えている。坂本龍一の今後の発言を解釈する上で、これだけは絶対に忘れてはならないだろう。そして、そのような地球の囁きに耳を傾けてきたお手本となる文明・文化を、彼は探し続けている。
そのような文明や文化がなかったわけではない。しかし、西欧文明中心の歴史の中で、大抵それらはマイノリティーとして隅に追いやられてきた。近視眼的な効率主義と還元主義が猛威をふるう近・現代において、それらは、長年不当に侮蔑され、軽視されてきた。(時には未開社会などと言われた。)20世紀末になって、無数の惨劇の経験から文明のあり方を問い直す動きがちらほら現れてくると、俄にそれら(インディアン=ネイティブ・アメリカン、仏教、ヨーガ、東洋医学等)が脚光を浴びるようになった。
現在の坂本龍一は、共生系としての地球像を明らかにし、実践的であるものならば、バイオテクノロジーのような最先端の自然科学や現代思想はもとより、少数民族の文化であれ、仏教であれ、合気道であれ、東洋医学的な世界観・人間観であれ構わないのだ。これは視点の大転換である。そこでは、坂本龍一の頭脳と心の中で、共生系としての地球を基点として、劇的な知の再編成が起こったと推察される。
彼の中で新たに選択され、並びかえられた知は、現代人の社会通念と随分と隔たりがある。
◎坂本龍一は、地球規模の環境破壊から直接的に地球上の生命に与える被害の恐ろしさを伝えるばかりではなく、そこに現代文明の病根の端的な顕現を見ていると思う。
◎一方では、坂本龍一の尋常ならざる危機感−予測する最悪のシナリオが、客観事実(国連関係団体の報告など)の積み重ねから帰結される、という形をとっており、彼の考えが現実の情況に密接に対応していることを認めながら、他方においては、僕は、坂本龍一の資質の問題として捉えることをどうしてもやめることができない。
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