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10/2 『LIFE』体験 siteZTYの場合 第5回 |
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物質と生命が織りなす複雑性に少しでも近づくこと、 |
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芸術家と年齢の問題 | |
YUKIO | 「大変ですよ、奥さん。なんだかんだと5回目ですよ。自分でもびっくり。」 |
ZEN | 「あんたの無駄話が多いからね(^^; あとテーブル・タグ使っての長文ってパソコンに負担をかけるから、勢いショートにならざるをえない。ところでまたdiaryネタ。Wed.19990922のdiaryを読んだけど、教授が恐慌に襲われてるみたいな印象を受ける。すごい絶望だ。」 |
YUKIO | 「教授は人並み以上にイマジネーション豊かな人だから、地球の危機にまつわる地獄絵図が非常な具象性をもって頭に浮かんできちゃうんじゃないかなぁ。客観事実の積み重ねだけでは、あのような事態には陥らないと思う。子供の泣き声とかさ。いろいろ具体的に。黒沢明の映画『夢』みたいに。」 |
ZEN | 「実際に、悪夢をみて寝汗びっしょりで目が覚めるとか。そういうのあるかもしれない。『Nxには、子供を作らなくてよい、と教えている。』などというくだりは地球の破滅に対して、大変な確信だなーとか思っちゃうんだけど・・・・・。」 |
YUKIO | 「『LIFE』という大作に挑んだ直後だけに、ある種、独特な精神状態だったのかもしれないね。台湾大地震は、死者2千人以上、死傷者にして一万人以上を出した大惨事だけど、耐震性を考慮してない欠陥住宅の疑惑だとか、人災だと指摘する識者もいる。またかよって感じだ。 あと欧米や日本にダイレクトに影響が出たのが、ハイテク製品の部品。殊に台湾にはパソコンの部品メーカーが集中しているそうだからね。実際、地震後、納期や販売価格に影響が出てるらしいよ。そういう意味では、まさにグローバル・キャピタリズムなんだけど、さりとて、なぜ台湾の大地震から『人類に未来はないと、つくづく思う。』ということになるのかはわからない。」 |
ZEN | 「地球も危機だけど、その前に教授自身が芸術家としての危機に直面してるんじゃないか。」 |
YUKIO | 「芸術家と年齢ね。そいうことは考えざるを得ないんだよね。いろいろな事例があるからさ。ボクは初め鬱に近い状態なんじゃないかと疑ったこともある。それから、これは全くの杞憂に過ぎなかったんだけど、『LIFE』の後、教授が三島由紀夫をやりゃーしないか、っちゅー懸念がボクの頭の片隅にあった。思想を実行的なものにするための犠牲死。 三島の行動や理念はさー、どう考えても実現し得ないものだったでしょう?本気で日本に革命を起こす気があったか、どうかも疑わしい。するとすべては三島の芸術家としての資質に還元されるんじゃないかという話になるからね。三島由紀夫の自決には陽明学の死生観が深く関わっていたんだけどさ。(三島由紀夫著『革命哲学としての陽明学』)今もボクの懸念は完全に払拭されたわけじゃない。できれば芸術家と年齢の問題について複数の事例をあげてTEXTを書きたい。」 |
ZEN | 「『喪の仕事のように、少しづつ「LIFE」を終わらせていくようだ。』(diary Wed.19990922より)という記述もみられるしね。ともかく人間というのは単に年齢を重ねていくというだけじゃないからね。この言葉は終曲『光』の解釈にも大きな影響を与えざるを得ない。それじゃー前回の続きをはじめよう。第二部以降を中心に振り返ってみたい。」 |
四つの地域からやって来たヴォーカリスト *訂正事項;アメリカ→スウェーデン(10/5)
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YUKIO | 「第一部と第二部の間に15分ほど休憩がある。作品に集中している間は意識に登ってこなかったんだけど、やっぱり武道館の中は少々暑かった(笑)シートは小さくてぎゅうぎゅう詰めって感じだし、ボクは気分転換にホール内から出た。で、シャーベット状のドリンクを買って飲んだ。青リンゴ味と書いてあったけど、怪しい色だった(^^;; ストローで一気に吸い込んだら、頭の芯がきゅーっと痛くなっちゃってね。」 |
ZEN | 「かき氷なんかを一気にかきこむとなるやつだね・・・・・(またズレ始めたのか?)」 |
YUKIO | 「それがはんぱじゃない痛みで卒倒するかと思ったよ。んで、いくらも飲んでなかったんだけど、もういらねぇーやと苛立ち半分でフラフラしながらゴミ箱に捨てた。そんなわけで休憩中は第一部についての高邁な思索に耽るでもなく、専ら青リンゴ・シャーベットのもたらした頭痛が一秒でも早く去ってくれることだけを願う有様だった。」 |
ZEN | 「・・・・それはいい思い出だね。青リンゴ・シャーベットのせいで『LIFE』第二部がぶち壊しになるということはなかった?」 |
YUKIO | 「幸い公演が再開する前に治った。肝心の『共生』のくだりで、ひたすら青リンゴ・シャーベットの頭痛に苦しむ男では悲しすぎる・・・・。まあいいや。教授が『音楽も、歴史的な流れを追うんじゃなくて、空間的な広がりに向かっていく。』(坂本龍一『DOCUMENT LIFE』より)と語っているように、第二部以降は西欧中心のパースペクティブから地球全体をひとつの共生系として捉える視点に切り替わる。」 |
ZEN | 「それは単に周縁の復権ということじゃない。最近のワールド・ミュージックってそうした文脈で捉えられることが多いんだが、『LIFE』は違うよね。」 |
YUKIO | 「印象から言うと、第一部の重苦しい緊張感に比べると第二部以降はいくぶん開放感があった。音響的には波やクジラの鳴き声など自然音をサンプリングしたアンビエントな曲が通底していた。とりわけスウェーデン、アフリカ、モンゴル、沖縄の四つの地域からやって来た素晴らしいヴォーカリスト達の歌声が豊かな生命感を『LIFE』全体に放散していたからね。ただ、だからといって愉快で賑やかな民族音楽の競演にはほど遠い。」 |
ZEN | 「『LIFE』の儀式的な厳粛さが弛緩して、だらしなく統一感を失うことがないようにという配慮かな。」 |
YUKIO | 「確かに作品形成上の理由もあっただろうね。さらにはやっぱり教授の『共生』に関するヴィジョンの峻厳さの反映でしょう。例えば、沖縄の三人のヴォーカリストによる『てぃんさぐ花』。アレンジ的にはアルバム『BEAUTY』に収録されているものとほぼ一緒なんだけど、『LIFE』ではリズミカルに体を揺らしたりしない。三人とも直立不動の姿勢で歌うわけ。三人とも普段楽しくリズムを刻みながら歌ってるのにやりにくいだろうなーってちょっと違和感を覚えたんだけど(笑) でも、教授的には踊っちゃいけない理由があるんだよ。それに彼女達は暗闇の中にうっすら光る照明に照らし出されて忽然と現れる感じで実在感が少し薄められてある。他の三人も同じ。もっとも『LIFE』が勤めてヴォーカリストを静的なものとして提示しようとしても、彼らの生命感は如何ともすることなく露出しちゃってたんだけどね。」 |
ZEN | 「例えば、西欧中心の歴史の限界を周縁から救いにやってきた力強い再生の徒というイメージからはほど遠い。」 |
加害者と被害者の果てしない連鎖と『共生』 | |
YUKIO | 「この美しい歌声も事と次第によっては、失われかねないのだという危うさを予感させずにはおかない。第二部の締め括り、第二場で『絶滅した種のリスト』が受像器に流れて、それを東京少年少女合唱団が天使のような無垢な歌声で読み上げるよね。音楽についても同じで、政治的に軍事的に抹殺された美しい音楽達もたくさんあると思う。」 |
ZEN | 「でも、西欧は今さら言うに及ばず、アフリカや沖縄やモンゴルの音楽だって、他の文化を滅ぼして生き残ってきたものだ。実は周縁のように思われていた文化もさらにマイナーな文化を滅ぼしてきたわけだ。すると彼らも加害者として告発されなければならなくなる。」 |
YUKIO | 「・・・・・・うーむ。加害者と被害者の構造が入れ替わりながら無限に連なっていく。この憎悪の連鎖は果てしがない。如何にこの矛盾を超えるのか。この問いは、思考実験小説『死霊』の著者、埴谷雄高のインタビューへと結びついくように思える。この一点を取り上げても教授が『Untitle01』で提出したテーゼを『LIFE』でさらに多元的に深化していることがわかる。言い方を変えれば、より大きな迷宮に迷い込んだのかもしれない。」 |
ZEN | 「埴谷雄高のインタビューの部分は、先日リリ−スされた『LIFE IN PROGRESS』で、やけにはっきりと聞こえてくるね。晩年は自ら老人性饒舌癖(北杜夫
談)と称していそうだけど(笑)、おそらくその頃のもんだね。NHKなんかでも度々特集されてた。」
*知己、大岡昇平によって『ボレロ式老人饒舌症』とあだ名されたという説もある。どうでもいいか。 |
YUKIO | 「ともかく『死霊』の方は全然筆が進まないんだけど、毎晩のように編集者や文学者が埴谷雄高の話を聞きに集まってくる。それでしゃべりまくる。結局、この永久革命者は『死霊』を未完のままに逝去した('97)。つまりは『生き物が生き物を弾劾』する世界を作り替えた『新しい存在の革命』が何なのかということを明らかにすることなく逝ってしまったわけだ。ここでもボクらは明確な答えを聞くことができない。可能性が予感されただけだ。埴谷雄高のインタビューに限らず、すべてがそういう調子なんだよ。」 |
身体表現は未知の言語みたいなものだった | |
ZEN | 「第二部に関して他に印象に残ったことは?」 |
YUKIO | 「んー。 第二場:ガイヤの歴史ところで、受像器にスペースシャトルからの地上のスキャン映像が映っていたことは知っていたんだけど、いまひとつインパクトに欠けるというか、懐かしい感じが起こらない。実際に宇宙飛行士が闇の宇宙に浮かぶ美しい地球を目の当たりにしたような感動は望むべくもないんだけど、ビデオ・アートに関してはもう少し工夫の余地があったんじゃないかと思う。 複数の受像器に複数のスキャン映像が並んでたんだけど、いっそのこと受像器全体でひとつの巨大なスキャン映像を流し続けた方がよかったんじゃないかな。もっとも後でじっくり見る機会があればいろいろ苦心しているのがわかるのかもしれない。」 |
ZEN | 「『LIFE』を構成する重要な要素のひとつである身体表現はどうだった?」 |
YUKIO | 「これはボクにとっては、未知の言語のようなものでして(笑)、感覚的にはなんとなく伝わるものがあるんだけど、身体のそれぞれの動きが指し示す芸術領域での意味というものはボクにはほとんどわからない。わからないとなると、やっぱり『LIFE』のように情報量の多い作品を鑑賞する上では、無視しがちだったね。無闇に身体を動かしてるんじゃなくてちゃんと音楽に導引されているのは理解できる。なるほど拍子に連動していたし、旋律の変化に対応していた。」 |
ZEN | 「クラッシック・バレエなどの通常のダンスとは違うわけだよね?」 |
YUKIO | 「違うみたい。バレエなんかはフォルムが明確だし、音楽の展開に密接に結びついてるから、素人でも多少は良し悪しの判定ができる。腕や足の描くしなやかな軌跡も古典的な美意識に則ってるからね。『LIFE』で身体表現をやっていた人達の経歴を見るとほとんどの人がバレエを習ってるんだよ。だから基本にはクラッシック・バレエがあるんだろう。そりゃー鍛錬していない人が好き勝手に手足を振り回すのと違って、歩くという基本的な動作や姿勢ひとつをとっても美しい。 ポストモダンな身体表現が成立していく過程でも、まずちゃんとモダンな美意識に立ったバレエのフォルムをきちっと身につけてから、それを解体していくんじゃないかな。四人のヴォーカリストが歌う時にも、それぞれの音楽性を彼らなりに捉えて身体表現化していた。異形ですよ。人間の身体がこんな表情を醸し出すものなかって、ひたすら驚いてた。でもー、『LIFE』で演じられた身体表現がどのくらいのレベルに達しているのか、全くわがんねぇっす。」 |
ZEN | 「調べれば、現代の身体表現にも深い理論があるんだろうね。」 |
YUKIO | 「うんだ。だけんども、おいらには、鍛錬された肉体の躍動感や整った姿勢、常ならぬ関節の曲げ方、指先まで行き届いた新しい美意識などから漠然としたイメージを受け取るのが精一杯でございますですよ。」 |
ZEN | 「アホアホだな(^^;; まさに馬の耳に念仏ですな・・・」 |
YUKIO | 「トホホホ・・・・面目ないです。でも身体表現担当の女性って皆さんお綺麗でした。こればっかりはモダンのままです(笑)前衛的な美人という観念は今のところないからね。これはバッチリです。」 |
ZEN | 「何がバッチリだか・・・・・・・・・」 |
YUKIO | 「冗談でも飛ばしてないとシンドイですよ(^^;」 |
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