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『LIFE』体験 siteZTYの場合
第4回

物質と生命が織りなす複雑性に少しでも近づくこと、
それをスローガンにすることなく、体験すること。
それがオペラ『LIFE』だ。


坂本龍一「共生は可能か、救済は可能か」より
ZEN 「siteSakamotoの9/22のdiaryすごいね。いきなりオゾン層の破壊の長文転載と事務的な添え書き(ド〜ン!)。『diary雑感』との関連で言えば、随分遠いね。」
YUKIO 「あれは、わざとです(笑)本人も奇矯な振る舞いをしているなっていう自覚があるはずです。穿ってみれば相当に考え抜かれた啓蒙の実践という見方もできる。みんな一生懸命に意図を読みとろうするから、結果として環境問題への関心が深くなるかもしれない(笑)もっとも、この際、教授も自分の支持している慈善団体なり、環境保護団体を明示してsiteSakamotoに加えちゃえばスッキリするんだよね。」
ZEN 「あるいは教授自身がそのような団体を立ち上げるとか。もしかしたら、既に隠密裡に立ち上げてるのかもしれない。海外のミュージシャンが慈善活動を支援することは 珍しくない。」
YUKIO 「それはやっぱり『スローガンにすることなく』だとか、『キャッチフレーズ化しない』とかポスト・モダンの知識人らしい自意識があるんだね。はっきりいってジレンマだ。」
ZEN 「教授は96年の秋にアフリカで大飢饉が起きた時、毎日何十万人もの人が死んでいくのに、われわれはどうやって救いの手を伸ばしたらいいのか、ということにフラストレーションを感じた、それが『共生』について考える直接のきっかけだ、というような主旨のことを『DOCUMENT LIFE』に記述している。」
YUKIO 「一方で、救いのないことを知るのが救いという現代的な教養のひとつの終着点みたいなものがある。その自意識が彼のダイレクトな行動を規制している。できればいずれ言及したいと思うけど、救いのないことを知るのが救いというのも大いに疑ってみる必要があるよ。この種の言説って原理的に導かれたというより、浅田さんみたいな知識人が成立する(スキゾを続ける)ためのペテンだと思う。彼らにとっては『失効』済みと見切りをつけた理念がまた生々しい力を得て、息を吹き返すことは実に都合の悪いことだからね。またそれを終着点として固定する停滞的な態度自体が単線的(リニア)だ。救いのないことを知るのが救いだなんて小賢しい言説など、教授は突き抜けてほしい。」
ヴェクサシオンの『浮遊感』が楽曲全体の基調
ZEN 「君も存外、気性が激しいね。」
YUKIO 「それではこれからはスパークYUKIOと名乗ることにしよう。」
スパーク
YUKIO
「どうよ?(^^)」
ZEN 「どうって言われても・・・・・・」
YUKIO@無知の知 「今度はこうしてみました。むふふ。」
ZEN 「うっ。・・・・ともかく前回の続きを始めよう。」
YUKIO 「やっぱり元に戻ります(^^;;」
ZEN 「お帰り・・・・」
YUKIO 「『LIFE』の音楽というのは、驚くほど多様なな要素を含みながらも、全体としてなかなか統一感があり、親しみやすいものだと思う。話が前後しちゃうんだけど、ボクの印象では、教授が『浮遊感の音楽』といったヴェクサシオンのあの不思議な『浮遊感』は全体を通して最後まで流れていたと思う。もちろんそれは、ヴェクサシオンの音楽的な要素が具体的に全体を貫いていた、という意味じゃない。客入りの時点で、聴衆を軽い瞑想状態にまで運んでいったヴェクサシオンの浮遊感は、いわば静かなる海のようなもの。そして場面の展開に従って、いろんな音楽が海面上に浮上しては、またさざ波の中に消えていく。ボクはそんな俯瞰図を描いてみた。」
ZEN 「・・・・本題に入ったわけね。序曲と第一部では、20世紀の音楽の総括も含むということで、次から次へと20世紀の代表曲をリファレンスとした旋律が奏でられる。」
YUKIO 「アカデミズムの人がどう思うか知らないけど、やっちゃうと本当に面白いね(笑)曲と曲の繋がりにも音楽的な不自然さがない。編曲の妙!世界広しといえどもちょっといなでしょ。セリーの音楽やミニマルにしても親しみやすいものをやってくれたしね。ほんとうにこの人はスゴイ!教授の頭かち割って、中身を見てみたいよ(笑)」
ZEN 「Untitled01以降の教授はそれ以前とは別人のようだけど、YMO以来の天才編曲家としての坂本龍一を彷彿とさせるね。ところで長木さんなんかは『様式ではなく個別の作品をアレンジするだけのパノラマ』なんて批判してたね。」
YUKIO 「アホだよなぁ。あれは誰の作品か判別できなきゃ意味がないんだよ。なんでそんな当たり前のことがわかんねぇかなぁ・・・・・。今さらセリーで新曲作ることになんの意味があるんだよ。それに『LIFE』は長木さんのような現代音楽オタク向けに作った作品じゃない。もっと開かれた作品だ。少しはあの作品の形成された経緯を予習しとくべきだよ。」
音楽機械サカモト
ZEN 「対談の中でも触れられてたけど、『音楽機械サカモト』のくだり。これはとても重要な点だね。」
YUKIO 「教授は歩くフレーズ集か音楽事典みたいな人だ。でもDJと違うのは、フレーズやスタイルの諸要素を自分の頭脳にサンプリングしちゃってるところ。これはサンプラーだけが頼りのDJにとってはすごく羨ましいことなんじゃないかな。引き出しがいっぱいある、しかも頭の中にあるというのは、やっぱり強いよ。自分でいろいろ自在に作り変えられるから。便利なだけじゃなくて、曲作りの根本に関わる部分で違いが生じる。」
ZEN 「近年、情報化の波は音楽の世界にも押し寄せていてる。特に打ち込み技術の発達によって、あらゆるジャンルのフレーズを演奏家を使わず容易に適用できることもあってか、どんなジャンルでもござれのスタジオ・ミュージシャンが増えている。」
YUKIO 「そういう意味で教授は、その先駆けみたいな存在でもある。今は、一応一通りできないとミュージック・クリエイターとかスタジオ・ミュージシャンは勤まらないでしょ。だから彼らの中にはかなり博学な人も多いんだね。で、今の音楽って、80年代以前に比べると格段にリッチだ。だからHappyな音楽生活を送れるはずなんだけど、実際には音楽商品として爛熟しちゃって、つまらないのが多い。Happyどころか、高度情報化社会の悪弊の最たるものみたいになっちゃってる。なんでだろ?知識の使い方ってのはつくづく難しいね。」
ZEN 「もっとも90年代の連中に限らず、今は誰にとってもオリジナリティを感じさせるものを作るのが困難な時代だよ。つうか、もともと新奇さという意味でのオリジナリティは、不毛だ。何かに似てても一向に構わない。いいものを作ろうとしてほしい。教授はいいものを作ろうとしてるよね。」
YUKIO 「教授は膨大な知をもちながら、知を壊せる人だ。知→解体→再生。教授の資質を単純化しちゃうとだいたいいつもこのプロセスを踏んでるんじゃないかな。」
ZEN 「さて、マルチメディア・パフォーマンスということなんで、音楽以外の話もしよう。」
CGの表現の可能性
YUKIO 「うん。ボクの受け止められたものなんて高が知れてるんだけどね。音楽以外で第一部で一番印象に残ったのはCGだ。」
ZEN 「原田大三郎さんだね。」
YUKIO 「第2場の科学とテクノロジーのところ。CGの表現力については、ちょっと馬鹿にしてたところもあったんだけど、原田さんは違うね。 兵器を中心とした『物』が人間の欲望や恐怖と結びついて次々に増殖していくイメージが不気味なほど見事に表現されている。」
ZEN 「マルチプライズ(笑)」
YUKIO 「工業製品を製造していく複雑な工程をどんどん抽象化していくと数理科学的には、CGによって描かれた像を一つから二つに増やす作業とあまり変わらないと思うんだよね。だからあれほど説得力があるんだと思う。テクノロジーってやつは便利なもので、人間の欲望や恐怖のおもむくままに『物』を2乗3乗・・・・・・という具合に累乗的に増殖していく。もちろん殺戮兵器もね。しまいに受像器全体がそんな風に累乗的に増殖した『物』でいっぱいになっちゃう。しかもそれらはすべて薄汚れた白い陶器のような質感で、兵器なのか日常品なのかは、形状による差異によってのみ識別可能という具合。」
ZEN 「不気味な光景だね。ボクらが普段『物』に付した価値というものが如何に幻惑的なものであるか、説教臭さを感じさせることなく表現することに成功してる。」
YUKIO 「あの違和感はボクにも前々からあった。自分の生活空間を見渡してみなよ。どれもこれも本当は楽しくないものばかり。たくさんあるのに貧しい。さらに眼前の大きな受像器に『物』が空しく粒子状に破砕されていくイメージが映し出される。無論それらは砂塵となって地球に堆積されていく。物質文明の空虚さをそっくり取り出して、鼻っ面に突きつけられるような心地だった。」
細胞分裂するオッペンハイマー
YUKIO 「それから、これはビデオ・アートだけど原爆を作った天才物理学者オッペンハイマーのやつれた顔とつぶやきに近い語り・・・・・。

.......Few people laughed. Few people cryied. Most people were silent.

ボクが原爆のことを初めて教わったのは、中学生の頃だ。教材は例によって、井伏鱒二の『黒い雨』や原爆ドーム見学。無論、何もわからなかった。指導内容としては、どれも時代遅れだし、失敗だったと思う。その後、自ら大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』を読んだ。でも、それも結局、教養として受け取ったにすぎなかった。他の人も大差ないんじゃないだろうか。『LIFE』のこの場面は、ボクにとって最もリアルな原爆だった。ボクらの世代はやっぱり映像や音楽に最も鋭敏に反応するから。」
ZEN 「ほとんどの人は沈黙していた・・・・たぶん、被爆した人達も深い沈黙の中にうずくまる以外なかったかもしれない。悲しむにはあまりに悲惨であり、第三者に伝えるにはあまりに不可解だ。沈黙の深海へ沈んでいくしかないように思う。」
YUKIO 「オッペンハイマーという人は、初めアメリカ国民の英雄として遇されてます。その後、水爆に反対し、アイゼンハウワー大統領の時代に吹き荒れた赤狩り(マッカーシズム)のえじきになって公職から追放され、社会的にも悲劇的な結末をむかえている。前にNHKのドキュメンタリー番組で少し彼の姿や生涯に触れたことがあるけど、印象としては、生きながらにして死の香り漂う幽霊のような長身痩躯の紳士だよ。日本を唯一の被爆国たらしめた彼は、誰も体験したことのない懊悩で、すっかり内部から崩壊しちゃってる。」
ZEN 「こんな想像が成り立ちはしないだろうか。皮肉にも原爆をこの世に産み落とした男は、原爆の閃光で身体を焼かれた被爆者達と唯一言葉が通じたかもしれない、と。しかし、それはこの世では決して実現しない。」
YUKIO 「原爆ひいては核爆弾の真実に迫るという意味では、原爆の魔性を体現したようなオッペンハイマーの姿と語りを芸術性の高いドキュメンタリーとして提示するのはとても有効だと思う。どうしてもこの種のテーマは日米の政治的あるいは歴史解釈上の対立に陥りがちだから。しかし、なかなか純粋な作品の感想や印象にならない(笑)まあ、そういう作品なんだね。」
ZEN 「うむ。続いて異教の教典の説話を引用して『The destroyer of worlds』と原爆の父たる自己を規定している。この言葉がミニマルな音楽に合わせてループされるね。」
YUKIO 「それに合わせて、受像器には細胞分裂みたいにやつれたオッペンハイマーの顔が増えていく映像が映し出される。あそこでは、彼の顔は核兵器を中心とした殺戮兵器を象徴しているんだと思うけど、CGの『物』の増殖みたいに、人間の野心や恐怖と結びついて次々と量産されるイメージがいささかブラック・ユーモア風に表現される。」
ZEN 「オッペンハイマーの『The destroyer of worlds』という言葉とミニマル・ミュージックの同期的な連動は、教授がニュース・ステーションに出演した時に言及していた新技術に依るものなんだろうね。」
YUKIO 「もう一点、第一部で重要だと思ったことあるんだ。ストラヴィンスキーの『春の祭典』の第2部の序曲をリファレンスしたとおぼしき箇所で、なんとなにげに『LIFE』第3部の第3場:光のフレーズが使われている!これって『Untitled01』において、第1楽章『grief』の冒頭で提示された主題が、終楽章『salvation』の主題として扱われたことに通ずるんじゃない?これは、暗から明へ、しかもどこか別の場所じゃなくて暗闇の中に再生への手がかりがあるというモチーフだよね。

しかし・・・・ボクと君の設定もいまひとつわけわかんないな(笑)」
ZEN

「なんだよ。いきなり・・・・。」

YUKIO 「一応はじめは、ボクは『LIFE』体験者で、君は未体験者で、専ら聞き役という設定にしたんだけどね。」
ZEN 「まあこちらとしても実演は観ていなくとも、webcastや『DOCUMENT LIFE』のことは知っているっつうことじゃないと、話がなめらかに進まないから・・・・・。」
YUKIO 「ボケとツッコミというわけにもいかないし。ま、書き手がヘタクソだからしょうがないね(^^;;」
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