9/6
webcastに関するメモ
webcast。なるほど。こういうことだったのか。サイバー・スペースも日々様々な新語(?)を生み出してるわけね。
【従来との相違点】
以下、『the network technology of L I F E』より引用。
- (1)
-
『"LIFE"のwebcastではデータ量が多い映像の配信量を減らし、音声(音楽)のデータに帯域を多く割り当てることで、音のクオリティの向上を図ります。』
- (2)
-
『(専用)アプリケーションから再生される映像と、インターネットから流れてくる音声を同期させる(略)また実際に会場に行ったユーザが後からこのwebcastを鑑賞し、"LIFE"のテーマを改めて考えていただけるよう、本編を補足・説明することにも挑戦します。』
- (3)
- 『webcastを鑑賞していただいているユーザからのフィードバックを即時に、Hyper Broad Gatheringサーバに送ることができるようなシステムも組み込まれます。』
映像・音声の配信の問題は、一般ユーザー側の論理から解けば、至極単純である。細かな専門知識など必要ない。すなわち、インターネットによる映像・音声の配信が、僕らが普段、地上波及び衛星波のテレビのチャンネルを変えたり、レンタルしたビデオを再生したりするのと同じぐらいの利便さと品質を獲得して、日常化することに収斂される。ネットワーク技術者としては、その実現のために実験データを収集し、システムの開発に尽力していけばいいので、地球を遅延装置にみたたてて地球の大きさを感じるとかは、おまけみたいなものだ。
坂本龍一はじめ仕掛け人は、インターネットの普及がインフラの革新など実利的な面に加えて、人類の意識変革を促すのではないか、などと度々発言するわけだけど、僕の一般ユーザーとしての感性はそれを俄には賛同しかねる。たとえインターネットによる映像・音声の配信が、テレビ映像や通常のオーディオの利便と品質に達して、日常的に地球の各所から配信及び受信が行われるようになっても、人間はその事態そのものについては、すぐに慣れてしまうと思う。「湾岸戦争」のリアルタイムでの衛星放送のように、返ってリアリティを奪ってしまうなんてパラドキシカルな事態を招来しないとも限らない。
そうした次元で、インターネットに可能性があるとすれば、網の目上に拡散しているため全体を把握し難いことや情報伝達速度のスピーディーさを活かして、体制やマスコミを出し抜いて、一般ユーザーがより早く正確な情報を知ることだろうか。「阪神淡路大地震」の被害の規模を自国の首相よりも、ネットワークによって海外の民間人が早く正確に把握していたように。もっとも、これも例外的な事例である。
(1)について。この成否の判断基準は、『LIFE』の音楽性、芸術性を妥当なレベルで伝達しえたか、どうかということになる。となると到底成功とは言えないだろう。これは、システム開発者だけの責任ではない。インターネットの難しいところは、全体の回線(太さも含め)の普及状況や受信側のPCの性能から受信環境の一般的な水準を割り出して、その枠内でより良質なエンターテイメントを提供しなければならないからだ。
一般ユーザーにとっては、電話代の心配やデータの転送がとぎれないかどうかが最も切実である。実際、地球を遅延装置にみたてるどころの話ではなく、ネットワークのエラーからそれこそディレイがしばしば生じて、それらが意図的なものなのか、エラーによるものなのか、僕は判別できない始末だった。まず、インフラの整備と使用コストのダウン(しかもかなり劇的な)が実現しない限り、日本では、地上波及び衛星波のテレビ映像や通常のオーディオによる視聴者独占状況はまず安泰だろうと思う。
(2)について。そんな貧弱な(特に日本)インターネットの現状の中で、めげずにこのような楽しい専用アプリケーションを開発したのは、なかなかアッパレだったと思う。それはなんだか少ない給料から家計をやりくりするのに似ている(笑)映像の方は、「あっ、なんか動いてる・・・ややや教授だったか。」ぐらいの画質だったけれど、オペラの進行と同期して、TEXTや単語が現れる演出は面白かった。9/5のwebcastの「1.2
sceience and technology」で、数式や化学式が画面上部から落下して、次第に堆積していき、残骸の山を築くイメージは秀逸だった。
これらの発想は、映像・音声の配信によって、一般ユーザーに会場の臨場感を忠実に伝達することをハナから諦めてくるところから出てきたのだろうと思う。それはとても賢い主婦のような選択だ。事前に仕掛けを組み込んだ専用アプリケーションをダウンロードさせて、リアルタイム時でのストリーミング・データを節約したところも、とてもよく考えられている。確かに『会場のライブとはまた違うインターネット独自の"LIFE"をお楽しみいただくことができます。』(前出サイトからの引用)なのだ。でも、よく考えると、本当はお金がないからなのに「今日は特別に回るお寿司を食べましょうね。楽しいわねぇ。」と親に回転寿司に連れていかれる子供みたいな気がしないでもない・・・・。
少し難点をいえば、まず基本的にフルスクリーン・ムービーによって、ディスプレイ全体を占有されてしまうと少なからぬ圧迫感に襲われる。ユーザー側で自在にサイズを変更できるようにしてもらいたいものだ。せめて最小化できれば。さらに他のアプリケーションをアクティブにする度にサーバへの接続が絶たれてしまうことで、自分のPCでありながら好き勝手にできないというフラストレーションを感じた。
さて、今頃、ネットワーク開発者達は、実践でしか得られないデータの収集と分析に明け暮れていることだろう。未だ実験的な段階にあるインターネット・ライブにとって、これまでもそれが一番重要だったのかも。ネットワーク開発者にとっては、坂本龍一は得がたいデータを提供してくれる貴重な存在なのだろうと思う。アポロ計画の11号に到るまでの宇宙飛行士のように。
|