『病気と医者にどうつき合うか』

 以下は、私の年賀状で、体調が思わしくないと書いたことで、ある知人からメールを頂いたものです。このメールは、大変内容の濃い、啓発的な文であると思い、個人的な部分を削除して、私の返事も掲載いたします。



「 明けましておめでとうございます。
すっかりご無沙汰をしておりますため、賀状をいただき初めてホームページを開設されていること、97年は研究休暇であったことを知りました。
早速ホームページへ行ってみましたが、大変面白く、ついあれもこれもと読ませていただきました。特に最新作(?)の学部長落選記は、故星新一のショートショートに見劣りしない読み物になっており、興味深く読ませていただきました。(以下、中略)
プロフィールの中で、体調が心配とありますが、如何ですか。様子は全く分かりませんので、勝手に私自身のことを書かせていただきますと、5年前の93年春に大腸癌の手術を受けました。毎年1回会社で人間ドックを受診してきており、毎回全く異常なしのA評価をもらっていました。ところが92年の暮れに受診したら、便の潜血反応プラスと診断され、あれよあれよという間に、次々といろいろな検査を受けさせられ、気が付いた時にはベッドの中という有り様でした。幸いこの時は良性の極く初期の大腸癌ということで、内視鏡で摘出でき約3週間ほどで退院しました。この時、毎年検査を受けていたのに、この1年で出来たものかと聞いたところ、こんな大きなものが1年や2年で出来るはずがないでしょう、と一笑に付され、検査を過信してはいけないとしみじみ思ったものです。
そのあと、半年毎に注腸検査を受けずっと異常なしと言われ、もうそろそろ検査間隔を延ばそうかと言っていた94年の秋に再発の診断を受け、この時の気持ちは今思い出してもぞっとします。説明によると、ポリープの大きさと形状のせいで、完全にはとりきれていなかったためということでしたが、即入院して今度は開腹、大腸と盲腸、小腸を合計15センチくらい切って大腸と小腸を繋いだそうです。
幸い術後の経過はよく約1ヶ月で退院しました。その後もずっと検査を続けていましたが異常はなく、また2年が過ぎ検査の間隔も1年に一回でいいと言われていました。
ところが去年の10月の会社での人間ドックでまたまた便の潜血反応が出たと言われ、先の2回にも増して、この時ほど「なんて人間は不公平に作られているんだ」と思ったことはありません。仲間の連中にはわたくしよりもずっと不健康な生活をしており、煙草を30年以上も吸っていて未だに病気らしい病気をしたことがないと言っている人もいると言うのに、どうして私ばかりがこうして何度も引っかかるんだ、と。
そしてすぐに2度の手術を受けた病院へ行って事情を話し、いろいろな検査をしてもらうことにしました。お尻から腸にバリウムを入れてX線検査をしたところ、ポリープらしいものが2つ3つあると診断され、これを調べるためにお尻からカメラを入れて調べ、さらにもっと上の方から出血ということも考えられるからと、口から胃カメラでの検査もやられました。その他にも超音波による検査やらなにやら合計6、7種の検査を受ける羽目になりましたが、本当に幸いなことに最終的に異常なしの判定を受けました。
 しかし、この1ヶ月半ほどの検査の期間中、まさに生きた心地がせず、胃がきりきりと痛み、このままでは胃の方がもたないと心配したほどでした。
 この5年間に、読んだり、聞いたりまた入院中に経験したりしたことのために、段々と頭の中はこの病気に関する知識でいっぱいになってきます。どうもこれがよくないようで、知識の増えるのに比例して、というより2乗に比例する感じで恐怖感が増してきます。
 私は、今では経験的にこの種の情報を意識して取り入れないように心がけています。つまり、ある時から、癌に関する書物を読んだり、癌をテーマにしたドラマなどを見ることを意識的に避けることにしました。素人の知識は、恐怖心を増長するだけで利がないと思うからです。もっとも、これはもし癌と診断された場合にはすべて医者任せにして指示どおりに手術を受けるという意味ではありません。手術、抗癌治療、薬などこの分野は未だよく分からないことが多くある訳ですから、たまたま当たった医師の奨める治療法が最善とは全く言えないからです。でも、じゃあどうすればいいのかということになると勿論素人の我々には分かりません。ただ言えることは、納得がいくまで医師と徹底的に話し合うということではないかと思います。
 たまたま先生の文の中に、健康に関する表現がありましたので、私の経験を書きました。検査の結果がよかったこともあり、最近では、「私よりももっと運の悪い人もいる」とか「1年前に85才で腰の手術を受けるため入院し、事前の検査で腎臓が悪いと診断されて、1ヶ月の間に2度の大きな手術を乗り越えた母親のこと」を考えるようにしています。
 先生のご様子は分かりませんが、無理をせず健康に留意されてのご活躍を期待しております。また近いうちにでもお会いしていろいろとお話しを伺いたく思います。」

(以下、私の返事)
「 新年早々、大変心を打つ(などと書くと恥ずかしいですが)お便りを頂きました。メールを初めて良かったと思うのは、こういうメールを頂いたときです。
 私の体調など、**さんに比べれば、大したことはありません。もともと、虚弱体質なので、疲れやすく、すぐ風邪や頭痛になる程度です。むしろ、大病はまったくないので、1月に1,2度寝込むので、体が休まるのかとも考えています。
 ただし、父母ともに何度も大きな病気で入院を繰り返しましたので(母は今も入院中)、そのたびに、患者の世話や医者との対応はずいぶん経験しました。ただ言えることは、納得がいくまで医師と徹底的に話し合うということではないかと思います。
 10年ほど前、父が何回か、脳梗塞で倒れるうちに、私も医者との会話を大事にするようになり、メモをとり、記録を重ねてきました。そうすると、医者も丁寧に対応してくれるようです。それでも、「セカンド・オピニオン」を実行するのは、医者としてあまりいい気持ちはしないようで、気を使います。
 「癌と戦うな」の近藤先生のご主張には、内容は分からない点が多いとしても、その心構え、多くの医者への批判については共鳴するところもあります。素人にきちんと説明し、自分(あるいは現在の医学水準)の限界などもフランクに話してくれる方は今でも決して多くないのでしょう。
 母の入院などのとき、妹に頼むことも多いのですが、医者に対し、僕が「法学部教授」の名刺を渡して話をお願いするときと、一般主婦である妹が話をお願いする時とでは、対応が違う、といつも妹が怒っています。その他、医者にはまだ古い体質が残っていることも多いようです。
 他方で、懇切丁寧なご説明を受け、本当によいお医者さんにかかってよかった、と思うことも多いので、これはどの世界でも同じかな、とも思います。法律の先生でも、あるいは会社や官庁の方でも、人様々です。それでも、世間の批判にどれだけ晒されているか、という点で、医者の世界には問題が(相対的にですが)多いように感じます。(この点では、大学の先生も同じですね。私の目から見て、会社や官庁の方に尊敬に値すると思われる方が多いのはそのせいでしょうか)
 私個人は、長く台湾出身のお医者さんにかかっていますが、彼は現在の医学には懐疑的で、鍼が一番、という考えです。しかし、西洋医学・東洋医学それぞれに限界があることも当然で、結局はお書きになられているように、運なのでしょうね。
 その意味で、年賀状に書いたように、いつ駄目になるかもしれない、という漠然とした恐怖感でほそぼそと生きているところです。私の父は、40過ぎから「俺は、初老性鬱病だ」と言い続けて来ましたが、それに近いようです。もっとも、父はそのあと、2,3年おきに、多くの病気にかかり、75まで生きましたから、面倒を見た僕としてはやるだけやった、という感じですが、それでも、最後に急性白血病で手の打ちようがないと言われたとき、そして2週間ほどして亡くなったときは、やはり泣きました。
 父はその前の喉頭癌のときに、再発防止のためコバルト照射をしましょう、という医者からの提案に僕が安易に乗ったのではないか、その影響で急性白血病になったのではないか、という悔悟の念があったからでもあります。
 今は母のことで、いろいろ大変ですが、あとで後悔しないようにできるだけのことはしよう、と思いつつ、仕事にかまけて、妹に頼んだきりになったりし、結局悔い多き人生、ということになりそうです。

 最後はぐちになりました。おたがい、少し余裕のあるときに、ゆっくりお会いしたいものです。」

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