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BIRTH OF THE COOL (クールの誕生)















私のマイルスとの遭遇は映画「死刑台のエレベーター」でした。
あれは1960年代末期か、、TVの深夜放送で観たのですが、手に汗を握るという形容通りの状態でブラウン管を見続けた記憶があります。
完全犯罪の成功を心の底から祈って観た二本目の映画ではなかっただろうか。一本目は「太陽がいっぱい」だったと記憶してます。
それがたった一本のロープでどんでん返しになるのですが、あの当時の仏映画は犯罪に手を染める者が主役というのが多かった気がします。

そんなことはさておき、そういうシチュエーションだからして、サントラの音楽は当然スリリングに展開します。
マイルスのトランペットも、オープンかミュートかに関わらず押し殺したような息苦しい音で迫ってきた。
その音はくっきりと記憶に刻まれてしまったわけですが、実は、そうかあれがマイルスだったのかと気付いたのは、後になってからのことでした。

ロックに夢中になっていた当時、ふとマイルスという奴の「ビッチェズ・ブリュー」が凄いと世間が騒がしくなったとき、好奇心からそれを買ったのですが、
なんとも形容し難い、へんてこなイレクトリック・ジャズに違和感を感じないでとけ込めたのは、今思うと自分の感性うんぬんではなく、
たまたまジャケットのイラストを描いた人が、大好きだったサンタナのセカンド・アルバムのと同じで、初めから親しみを覚えたという、
なんとまぁ、単純なと自分でも思う、そういったことが作用したのではないかと思います。
その二枚の作品の両極端な世界を表現したマイルスという人にその日からハマり続けてしまった訳ですが、
追体験で知るマイルスの変遷はずいぶんと私を指向性の広い人間に育ててくれた気がします。
マイルスを理解することは同時にその時代、時代の音楽シーンを理解することに繋がったからでしょうか。

何故ならマイルスこそがその時代の変遷を促した張本人のひとりであったからですが、
「ビッチェズ・ブリュー」に代表されるイレクトリック・マイルスを聴くか否か、好きになるのか否かが、当時ジャズ・ファンにとって踏み絵になっていたような気がします。
あまりに革新的なことは拒絶や否定の嵐を呼ぶことはあまたの歴史が証明済みですが、
周囲の喧噪なぞ、何処吹く風で前進し続けた裏には、彼にとって「前進」とは自己との対話、自己との闘いだったからだと解釈しています。
周りの評価や評判など、おそらく彼にとってはどうでもいいことだったに違いないと。

彼自らが「一年前の自分の演奏を聴く気がしない」と発言したと言います。
この言葉は1960年代中期から後期にかけての、ショーターやハンコックと組んでいたあの黄金のクインテット時代の言葉ですが、
日夜、まったく新しいスタイルを追求し続けた彼の気持ちが素直に出たものと受け取りました。

そんなマイルスの作品の中で、重要な作品を順次ここで取り上げていきたいと思います。
遅々としたペースで更新もそんなに頻繁ではないと思いますが、お付き合い下されば幸いです。