○積乱雲



 暑い夏の午後、路地から見上げた空に、真っ白く沸き立つ入道雲があった。
 雲ひとつない青空よりも、この方がはるかに面白い。生き物のように刻々と姿を変える雲は、心躍らす自然の造形。空という舞台に立つ主役だ。

 特にカリフラワーのようなモコモコの白い凸凹をもつ入道雲は、そのデッカイ立派な姿から、雄大積雲とも呼ばれている。
 そして、さらに雲が発達する条件が揃った「大気の状態が不安定な」日には、雲はどんどん大きく高く成長してゆき、やがて積乱雲と呼ばれる、雲の親玉へと変貌する。

 そうなるまでの過程を、まずは積雲が成長してゆく仕組みから見ていこう。



 暖かい空気の塊が膨張しながら上昇してゆくと、それにつれて温度が下がってゆく。このときの温度の下がる度合いは「乾燥断熱減率」と呼ばれ、100メートルにつき約1℃づつ下がってゆく。
 やがて空気中に含まれる水蒸気の凝結が始まる(つまり雲が出来はじめる)と、温度の下がり方は少し緩やかになる。この下がる割合は「湿潤断熱減率」といい、気温や高度によって違うものの、だいたい100メートルにつき0.5℃という割合になる。

 次に重要なのが、上昇する空気の塊の周囲にある空気の温度だ。空気の塊が上昇するためには、周りの空気よりも軽い(=暖かい)必要がある。
 周囲の空気も、上空ほど温度が低いのが普通だ。その下がる度合いは時と場所により大きく異なるが、平均すれば、だいたい100メートルにつき0.6℃下がる位が標準とされている。

 このあたりの解説は、以前躍動する−積雲2で書いたけど、今回は例を挙げて空気の塊がどのように上昇してゆくか、グラフにして見てみよう。


<補足>
 この図のように、高度(気圧)と気温の関係を表したグラフは「エマグラム」と呼ばれ、気象予報だけでなく航空分野などにも広く利用されています。
 ただしこの図は分かりやすいように簡略化して書いています。実際のエマグラムには等混合比線や露点温度など、さらに様々なデータが書き込まれていたり、縦軸が気圧の対数で目盛られているなどの違いがあります。


@まず太陽の光で地面が暖められると、それに接している空気の温度も上がってゆく。
 十分に暖まった空気は泡のような透明な塊になって上昇を始める。このとき、地上を離れた瞬間の温度が30℃だったとしよう。

A上昇してゆく空気塊の温度は100メートルにつき1℃の乾燥断熱減率(図の赤い線)で下がってゆくから、例えば300メートル上空での空気塊内部の温度は地上よりも3℃下がり、30℃−3℃=27℃となる。同じ高度の周囲の気温が例えば23℃だったとすると、空気塊の温度のほうが暖かい(=軽い)ので、さらに上昇を続けてゆく。
 ちなみに空気塊が上昇してゆくスピードは、1秒間に数メートル程度であることが多い。パラグライダーやハンググライダーなどのスカイスポーツではこの上昇する空気塊(通常は「サーマル」と呼ばれている)を見つけ、旋回を続けてその内部に留まることによって空高く上昇してゆく。

B高度が1300メートルになったときを見てみよう。高度300メートルで23度だった周囲の空気は、さらに1000メートル上空では100メートルにつき0.6℃下がるので合計で6℃下がり、23℃−6℃=17℃となっている。
 一方、上昇する空気塊の温度は100メートルにつき1℃下がるから、更なる1000メートルの上昇で10℃下がり、27℃−10℃=17℃と、だいぶ冷えて周囲の空気と同じ温度になった。
 同じ温度になったということは、この空気塊は上昇する浮力を失ってしまったことになる。今までの勢いで上昇を続けようとしても周囲の空気よりも冷たくなる割合が大きいわけだから、すぐに周囲の空気より冷たく(=重く)なって沈下してしまう。つまりこれ以上の上昇を続けることはできず、上昇気流はここで消散する。サーマルに乗ったパラグライダーやハンググライダーが、どこまでも高く上昇し続けることができないのはこのためだ。

Cさて、空気塊がある程度湿っている場合は、上昇しながら冷えてゆくとやがて空気中に含まれる水蒸気が凝結して雲ができる。例えば高度1000メートルで雲ができはじめたとして、この高度を点Aとしよう。雲が出来ると、上昇する空気塊の温度の下がり方は湿潤断熱減率(図の青い線)で下がるようになる。今までの100メートルにつき1℃ではなく0.5℃の割合となり、温度の下がり方が緩やかになる。

Dするとどうなるか。上昇する空気塊の温度の下がり方が緩やかなため、いつまでたっても周囲より高い温度を保ち続けることができる。つまり上昇気流は高い高度まで続き、雲は高く成長してゆく。空気が湿っているほど、この傾向は強くなる。


 以上が、積雲が成長する際の基本的なメカニズムだ。
 ここでひとつ重要なことは、周囲の気温の変化が雲の成長の鍵を握っているということだ。今回の例では気温の変化を100メートルにつき0.6℃下がるものとしたが、実際にはその割合は一定ではなく、時・場所・高度によって大きく異なる。
 周囲の気温の下がり方が緩やか(グラフ上の緑の点線の傾き方が立っている)であれば、上昇する空気塊の温度の下がり方のほうが大きいからすぐに上昇が止まってしまう。逆に気温の下がり方が大きく(グラフ上の緑の点線の傾き方が寝ている)、それが上昇する空気塊の温度の下がり方を上回る場合は、激しい上昇気流が発生する。
 それに加え、地上付近の空気が暖かく、かつ湿っていることも、積雲が大きく発達するための重要な要素だ。上昇してゆく空気が湿っているほど多くの潜熱を持っていることになり、上昇しても温度が下がりにくくなるためだ。そして空気は、気温が高いほどたくさんの水蒸気を含むことができる。

 今までの話をまとめると、積雲が大きく発達するための気象条件は、
(1)上昇気流を発生させるための強い日射をはじめ、寒冷前線や山の斜面など、最初に空気塊を上空へと”持ち上げる”キッカケがあること。
(2)大気の状態が不安定な(=高度に対する気温の下がり方が大きい)こと。
(3)地上付近の空気が暖かく湿っている(=たくさんの潜熱を持っている)こと。
 この3つが揃うことが必要になる。


 上に挙げた条件が揃った時には、上昇気流はその規模と強さを増してゆき、地上付近の暖かく湿った空気をさらに吸い込んで、上昇気流はどんどん強くなり、雲はさらに高く大きく発達する。雄大積雲(入道雲)の誕生だ。雲の下にいる人は、不気味な暗い雲の底を見上げていることだろう。
 しかし、果ても無く雲は高く成長するわけではない。実は空には見えない天井があって、この部分より上へは、雲は発達してゆくことはできない。この見えない天井を対流圏界面(たいりゅう けんかいめん)といい、季節や場所によって違うが、だいたい8〜16キロメートルの高さにある。

 空気塊が上昇するためには、周りの空気よりも暖かい必要がある。前述したように、上昇することによって冷えるのを上回る勢いで周囲の気温が低くなっているからこそ、その雲は発達できる。
 しかしこの圏界面から上にある成層圏(せいそうけん)と呼ばれる部分は、高度が上がるほど気温が高くなっている。ふつう高度が上がるほど低くなるはずの気温が逆に高くなるということは、空気塊が上昇しようとしても必ず周囲の気温の方が高いことになり、従ってこの層の中では空気塊は上昇できない。どんなに猛烈な勢いで上昇してきてもこの層を突き抜けることはできず、天井につきあたった煙のように、ただ横に広がるしかなくなる。

 だからモクモクとした丸みを帯びた頂部をもつ雄大積雲も、圏界面に達すると頭を押さえられたように、平べったい舌状に広がってゆく。
 その形が、むかし鍛冶屋さんが鉄を鍛えるのに使った金床(かなとこ)に似ているというので、かなとこ雲とも呼ばれているが、正式には、この段階まで発達した積雲のことを、積乱雲(Cumulonimbus)と呼ぶ。今まで入道雲とか雄大積雲とか呼んでいた雲は積雲の一種に過ぎなかったが、積乱雲は国際的に定義された10種雲形のひとつ、最も著しく発達した雲の王様だ。

 ちなみに、この高度の気温はマイナス30〜40℃と非常に低いため、雲はすべて氷の粒(氷晶)になっている。氷の粒は水の粒に比べて蒸発するのが遅い(道路にできた水溜りはすぐ蒸発して無くなるが、残雪がなかなか消えないのもそのためだ)ので、拡散しながらもなかなか蒸発しない。遠目に見れば、金床状の部分の輪郭がぼやけてくるのがわかるはずだ。






○撮影データ(ページ上の写真より)
・1枚目  日時:2004年7月30日   場所:東京都荒川区
 カメラ:コンタックス T3  レンズ:カールツァイス ゾナー 35mm F2.8
 フィルム:フォルティア  その他:絞り優先 F5.6
 夏の夕方、見上げた空に雄大積雲が沸き立っていました。この状態では、まだ積乱雲とは呼びません。

・2段目  日時:2007年8月15日  場所:東京都中央区
 カメラ:ペンタックス K10D  レンズ:ペンタックス SMC DA18-55mm F3.5-5.6AL
 その他:HyP 1/180 ISO100相当 JPEG撮影
 撮影場所から約60km離れた、茨城県土浦市付近にある積乱雲の写真です。画面左側にある薄いカナトコ雲は、15分程前にあった別の積乱雲が残したもの。(このように下部にあった雲が衰弱して消滅し、氷晶でできた上部の金床部分だけが残るというのはよくあることです。)
 一方、画面中央には発達中の雲があり、あと5分もたたぬうちに頂部が対流圏界面に達し、カナトコ雲を作り出すものと思われます。


・3段目  日時:2007年8月19日  場所:東京都品川区(お台場 潮風公園)
 カメラ:ペンタックス K10D  レンズ:ペンタックス SMC DA18-55mm F3.5-5.6AL
 その他:HyP 1/250 ISO100相当 JPEG撮影
 撮影場所から約60km離れた、東京都檜原村付近にある積乱雲の写真です。モクモクと湧き上がった雲が、天井に突き当たったかのように頭を押さえられ、金床状に広がっています。
 最も高い位置にあるカナトコ部分は、周囲に雲が取り巻いていても、かなり遠くから視認できます。そして、そこに積乱雲があることを知らせてくれるのです。


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