「平和問題ゼミナール」
(旧)ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)
   
最終更新 2003/05/12

第69回配信
ゴー・ウェスト!


見つめ合うカップル!?−−−この二人は誰でしょう?(答えは本文前半にあります)
   「クレタ島で最初の会合があってから5年ほどになりますが、バルカン諸国の協力は、その頃からは想像もつかなかったレベルに達しています。私たちの住む地域が通り過ぎた困難な時代、苦渋の日々の記憶は、当時まだとても新鮮でありました。その頃バルカン諸国がこのように相互協力する図式が可能だと信じた人はほとんどありませんでした。
   今日では、私たちの地域で協力と改革が進められ、かつての『ヨーロッパの火薬庫』は、世界の他地域のモデルになろうとしています。世界は、もはや『バルカン化』という語を分割と対立の意味として恐れることはなくなりました。いや今や私たちは、協働のための地盤が揺るがぬよう固めるチャンスが到来しているという意味での『バルカンモデル』を共有しているのです。
   わが国の見方に従えば、バルカンとは政治的な地理概念と感性を併せたものを意味します。バルカン地域はわが国の歴史と運命に重要な位置を占めてきました。同時に、わが国国民の感じ方や考え方は紛れもなくバルカンの人々のそれとつながっています(中略)。
   中東とバルカンの間にあって、わが国はバルカンの人々が選んだ道に、特別な喜びをもって立ち会って行きたいと思います。私たちが選んだ道は人々の平和と、安定そして繁栄に続いています。私たちのいる位置はその道のまだ始まりに過ぎないとは言え、すでに力強く歩き始めているのです。私はいつか中東諸国もこの道を、遅れずに進む日が来ることを期待しています。
   通信、貿易、流通、社会的経済的交流の幹線が交差する位置にある私たちこそが安定の原動力となり、時が与える試練を耐えて行くことが出来ればと望むものです。そうすればバルカンが否定的な文脈で語られることはもはやなく、民族の調和、相互尊重、平和的共存といった賞賛を得ることが出来るでありましょう。それは逆にバルカン諸国が欧州・大西洋諸機構内で価値ある位置を占めるためのプロセスを加速させるものでありましょう。これら機構への統合に向かう中で私たちが協働と相互支援をして行けば、地域内の相互依存を育て強化することになりますから、それは私たちの共通の利益となるでしょう。
首脳会談出席のためベオグラードを訪れたエルドアン・トルコ首相。ギリシアと並ぶNATO加盟国としてバルカンでは「格上」のトルコだが、EU加盟へ課題が山積する点では他参加国と同じ
   地域の平和と安定を打ち立てることが出来、そして世界全体によき一例を示すことは出来ましたが、まだ私たちの使命が終わったわけではありません。各国と国民の利益のために平和安定を維持し、隣接地域へもこれを弘めるべきだとすれば、私たちの政治的・経済的協働をさらに前進させなければならないのです。」

   外交文書をお役所調ではなく、意図的に少し柔らかい文体に訳してみました。今回配信のテーマである南東欧協力プロセス(SEECP)首脳会談は、4月9日にセルビア=モンテネグロの首都ベオグラードで行われましたが、ここに引用したのはその際エルドアン・トルコ首相が発表した声明(報道陣への公表分)の一部です(イラク問題を扱った前回第68回配信でもこの声明に言及していますが、今回はこのテーマについては割愛します)。
   内容に驚かれた読者の方も少なくないと思います。セルビア・クロアチア・ボスニアの紛争についてはこのHPの読者の方には言わずもがな、ギリシア・マケドニア間の国名問題、セルビア、マケドニアのアルバニア人問題、ギリシア・トルコ間のキプロス・エーゲ海問題、トルコのクルド人問題・・・冷戦が凍結していたバルカンは90年代に入って再び「火薬庫」になってしまったのですから。
   しかし2000年のクロアチア、ユーゴ両政変を契機にバルカン情勢も大きく変わりました。冒頭の写真は首脳会談の前日に開かれた外相級非公式会談に出席したミトレヴァ(左の女性、マケドニア)、パパンドレウ(ギリシア)両外相です。数年前までなら「呉越同舟」と、両国外相が同席すること自体がニュースになるようなところですが、今ではこの程度のことは当然になりました。因みにギリシアは現在マケドニアの主要貿易相手国の一つです。
   首脳会談ではクロアチアのメシッチ大統領が独立後の大統領としては初めて「旧敵国」の首都を訪れました。旧ユーゴ社会主義連邦最後の国家元首(連邦幹部会議長)時代以来、12年ぶりのベオグラードです。「まるで異分子が追い出されるような雰囲気でこの町を後にしたものだったが、今ではこのセルビアも法治国家として機能し出したことを感じる。問題はいろいろあるが、その解決に向かうやり方がヨーロッパ先進国の考え方になってきている。
クロアチア独立後の大統領としては初めてベオグラードを訪れたメシッチ大統領
いい方向に向かっている。」とメシッチは言います。
   政変前トゥジュマン前大統領政権時代のクロアチアは、南東欧地域協力への参加を法的に禁止(!)しようとさえしました。クロアチアは一歩先を行く中東欧である、西へ向かうレースで南東欧のセルビアなどと同一視されては戦争をしてまで勝ち取った独立が無駄になる。しかし今ではトゥジュマンのような考え方こそトンデモナイ迂回だったことがはっきりしました。クロアチアがEU、NATO加盟へ向けて具体的に動き出すには、彼自身の死を待たなければならなかったのです。今回までクロアチアはSEECPへはオブザーバー参加でしたが、メシッチ大統領は来年には正式加盟したいという意思を明らかにしています。地理的には一番中東欧に近いクロアチアが、一歩東へ引いてセルビア=モンテネグロと一緒に西へ向かうというのは、バルカン新時代を象徴した動きのように思えます。

   複数の声が反映される自由な国で、豊かさを享受したい。人々の望みが冷戦体制を東欧で崩壊させた原動力でした。旧ユーゴ紛争はその悪しき副産物だったわけですが、独立紛争トレンドが一段落した今、バルカン諸国みなが民主化と市場経済への改革をさらに進めようとしていますし、中東欧同様、欧州連合(EU)・北大西洋条約機構(NATO)加盟はその当然の帰結とみなされています。モデルを提示しているEU・NATO西欧先進諸国は、これら組織の東方拡大に動き出しています。これがこのHPで何度か言及している「西へ向かうレース」の本質ですが、EU、NATOは今後の新規加盟への課題の一つとして、近隣諸国との問題解決、さらなる地域協力の発展を挙げています。その文脈で南東欧協力プロセスが続けられ、昨年4月から議長国となったセルビア=モンテネグロで第6回サミットが開催されたわけです。今回は参加10カ国のうち大統領を出した国が6つを数え、ルーマニアを除き全参加国が首相級以上を送りました。
元首級7、首相級2が参加した今年の会談はSEECP開設以来の大行事となった
またEUからプロディ欧州委員会委員長など、国際諸組織も代表が出席しプロセス創設以来の大行事となりました(ジンジッチ・セルビア首相暗殺に伴う非常事態下で問題なくこの会議が行われたことも参加各国から評価されました。なおセルビアの非常事態は4月22日をもって解除されました。この間のセルビア内政事情については現在筆者多忙のため、機会を改めてまとめたいと思っています)。
   エルドアン声明の描くバルカンは少し美化されすぎていないか。そう思われる読者の方もあるでしょう。私も理念・理想が走りすぎているように思います。上に列挙した各国内外の民族問題で本質的に解決したものはまだ一つもありません。また政治家の同席は当然になったとしても、一般市民のレベルで「旧敵国」への敵対感情がなくなったわけではありません。ベオグラードの庶民の間でメシッチについては「自分が最後の幹部会議長になると公言してベオグラードに入ってきて、自ら進んでユーゴ連邦を壊した男」という記憶がまだ鮮明で、クロアチア改革の旗手、イラク戦争問題では武力介入反対の論を張り旧ユーゴ諸国の先鋒だったことはほとんど注目されていません。またザグレブで「あんた方の国はバルカンだ」と言えば、たぶん半数くらいとは喧嘩になるでしょう。
   しかし西に向かういい風が吹いていることは確かです。庶民が世論を形成し選出するのが政治家である一方、高い理想を具体化しながら国意を動かしてゆくことが出来るのも政治家なのですから、バルカンサミットに沿って彼らの理念と具体案、現実の吟味を続けてみましょう。

   「おい吉田君、明日はヴォローニン大統領が来るらしいぞ」。首脳会談の前日の8日、フリージャーナリストの吉田正則さんと私が外相級非公式会談の取材を終えてプレスルームに戻ると、首脳会談でベオグラードにやって来るメンバーが発表されていました。欧州最貧国モルドヴァについては、昨夏このHPの第60回配信で吉田さん、同じく在留邦人の宮崎泰徳さんの取材旅行記を掲載しています。ゲスト国としてモルドヴァが参加することは事前に私たちも察知していましたが、どうせ政務次官とか局長クラスだろう、と正直なところタカをくくっていました。大統領が共産党政権時代の流れを汲む人物という点ではブルガリアやルーマニアも同じですが、両国がNATO次期加盟を決めEUとも07年を目標に加盟交渉中、と華麗な転身(転向?)を果たしているのに対し、欧州最貧国はモスクワ向きの大統領、と西側の評判はあまり芳しくありません。
左のワシがモルドヴァ大統領ヴォローニンじゃ。総白髪がなかなかの貫禄じゃろう?一国の大統領たる者、今日は忙しくともフットワークで勝負じゃ
全体会議ではゲスト国は末席か。ふん、ワシの任期中に正式加盟してキシニョフでもこのくらいのサミットは開いてやるわ。しかし同時通訳されても英語が分からんからヘッドホンなぞ要らん。隣の通訳にゲタは預けたぞ
一番エラいのはEUのプロディじゃからな。全体会議が終わったらすかさず近寄って挨拶はしとかにゃ。ワシもマメじゃろう?
全体会議の合間は二国間協議じゃ。ワシらは間違えてマケドニア代表団の席に陣取ってしまったようじゃ(旗が逆)が構わん。大事なのは大統領どうし、トライコフスキ(右列右から二人目)と腹を割って話すことじゃ

   「大塚さん、大統領となると話題性がありますよ。ちょっと集中的に明日は追いかけませんか?」「構わないよ、旧ユーゴ便りも吉田君のおかげでモルドヴァとは縁が出来たからね。でもヴォローニンってどんな顔してるの?」「確か金髪でロシア人っぽい顔です」。
   吉田さんの説明ではよく分からないので、翌朝会談の行われるホテルへ出発する直前に自宅のインターネットで顔をチェック。ホテルで合流した吉田さんに「金髪じゃなくて総銀髪じゃないか」などと言っていると、さっき自宅のコンピューターで見たばかりの顔がすっと私たちの前に近づきました。「おっ、ヴォローニンだ!」  今日の大きな取材目標の一つが朝イチでシャッターに収まってしまうと気持ちに余裕が出来ました。モルドヴァ代表団もまだ時間に余裕があるようです。下手な英語で声を掛けてみました。
   「大統領、私ども昨年モルドヴァを取材させて頂きました、日本のジャーナリストです。こちらにいる彼(吉田さん)がキシニョフに行きまして・・・」  一瞬反応がないので、どうせ私たちのようなザコを相手にする大統領ではないのか、と思った次の瞬間に横にいた通訳がロシア語に直しました。英語が出来ないのです。以下、すべて代表団の英語・ロシア語通訳氏を介しての会話。「そうか、あんた方は新聞かね?」「いえ、インターネットです」。そして大統領の有難いお言葉を旧ユーゴ便りの筆者は頂くことになりました。
   「あなたもキシニョフに来なさい!」
   大統領、ドゥダウ外相と通訳氏の他に2人ほど、そのうち一人はお付きのテレビ関係者か、プロ用ベータのカメラを抱えています。トルコ、ギリシアなどが全体会議に入れないほどの大代表団を送ってきたことに較べると小さな小さな国家代表団です。ホテル内での昼食会を終える頃、レストランと会議場の間にはマスコミが壁を作りました。国内の顔であるマロヴィッチ共同国家大統領、ジフコヴィッチ(セルビア)・ジュカノヴィッチ(モンテネグロ)両共和国首相、さらにメシッチ・クロアチア大統領など、セルビアでお馴染みの顔にマイクを突き出す(マスコミ用語で「ぶら下がり」)取材のためです。ところがこの壁をどのマスコミにも捕まらずにするっと抜けて来てしまったのが、当のモルドヴァ代表団。朝のうちに顔を売っておいたヘンな日本人二人組が声を掛けます。
   「現在沿ドニエストル地域(第60回配信参照)はどうなっていますか?」
   「大変困難だ。憲法改正を前提とした自治権強化を大統領案として出しているが、ティラスポリ側からはまだ返答がない。」
   大統領は頑張っておるぞ、というところでしょうか。しかし地元マスコミは誰も顔を知らないのか、テレビ取材はおろか誰も写真を撮る気配さえありません。周囲は各国代表団やマスコミが忙しく行き来を続けていますが、モルドヴァ5人組は寂しい後ろ姿を見せて大統領以下ロビーの椅子で午後の二国間協議を待っています。この後はメシッチ大統領以下クロアチア代表団と二国間協議の予定ですが、会場となる小会議室は後述のミニ・キプロスサミットが長引き、そうこうしているうちに午後の全体会議が迫ってしまいました。筆者も第60回配信発表に向けて少し勉強した国ですし、ちょっと判官びいきの情も手伝って、モルドヴァを応援してあげたくなりました。
吉田:「しかし何でモルドヴァが南東欧サミット、なんでしょうねえ?」
大塚:「宮崎さんも書いているように、共産主義政権でも西を向かなきゃならない時代だからね。でもいきなりEU、NATOに向かっても相手にしてはもらえない。まず近場で実績を作るのが必要ということになるけど、彼らにとっての近い西はここ、バルカンなんだと思うな。」
吉田:「しかしクロアチアやマケドニアと何の談義ですかねえ。モルドヴァ名産のワインでも買ってくれってことかな?」
大塚:「でもマケドニアやクロアチアにしてもワインは数少ない名産の一つだぜ。さっきの会談のアタマで聞き取れたマケドニアのトライコフスキ大統領は『初めてお目に掛かります』とか言ってたけど。」
   後日「モルドヴァ・アジ」(英語版、10日・11日付)に発表された情報によれば、マケドニアは金属・化学工業での提携、クロアチアはエネルギー関連投資への関心を示したとのことです。しかしミニ・キプロスサミットで出来なかったメシッチ・ヴォローニン会談が、全体会議のあと本当に実現したのかどうか筆者と吉田さんは未確認です。またプロディ委員長にはウクライナ・モルドヴァ国境地域の問題解決に向かってEUが示した協力に謝意を表したとのことですが、筆者の撮影した左上写真の一瞬以外でこの日プロディ・ヴォローニン会談があったかどうかも不明。ただし首脳会談後の最終宣言では、モルドヴァのSEECP正式加盟が来年のサライェヴォサミットまでに決定される見込みになりました。欧州最貧国も、バルカンに歩調を合わせて西へ向かっているのです。

   EU議長国ギリシアは、06年までの5ヵ年枠でバルカン諸国経済援助に5・5億ユーロの大型予算を充てて、トルコとともに地域のリーダーたらんとしています。
二国間協議で報道陣最大の注目はミニ・キプロスサミットとなったギリシア・トルコ会談
今回の首脳会談開催国セルビア=モンテネグロ以外で最大の外交代表団を派遣したのがトルコ、一方報道陣の数ではギリシアがトップでした。しかしそれは両国がEU議長国、NATO加盟国として「格上」だからではありません。両国関係の躓きの石であるキプロス問題に関し、ベオグラードでキプロス当事者抜きのミニサミットが行われることになったためです。
   地中海東部の小島キプロスは60年に独立しましたが、74年にトルコが軍事介入して以来、ギリシア系住民の南部、トルコ系住民の北部で島が分断された状態が続いています。北部は独立を宣言しましたが承認しているのはトルコ本国だけ、国際的には南のギリシア系住民だけがキプロスの代表とみなされ、問題解決のための交渉は何度か挫折してきました。一昨年からは南北住民代表が国連代表者の同席のもと交渉を再開、ギリシア、トルコ抜きでの直接交渉に期待が寄せられましたが、両者の主張には開きがあり、去る3月にまたしても頓挫が確定したばかりです。
   もう一度「兄貴分」のギ・ト両国レベルに話を戻すことになった今回のベオグラード・ミニキプロスサミットが注目されたのは当然の成り行きでした。会談前シミティス・ギリシア首相は「トルコの譲歩がないとトルコ自体のEU加盟にも重大な支障が生じる」とし、一方エルドアン・トルコ首相は「南北ふたつの主権がある現実を認めなければ前進できない。その点を(ギリシア同様、一つのキプロスを大前提とする)国連にももっと理解を求めたい」と、隔たりが感じられます。取材が許されている二国間協議冒頭に私もカメラを持ってトライしてみますが、案の定ギ・ト両国報道陣で押し合いへし合いです。予定を大幅に超える長時間討議が終わり、セルビア語の堪能なギリシアの新聞特派員に声を掛けてみますが、やはり「ダメ。現状維持で前進なしだよ」の一言でした。シミティス、エルドアン両首相の言を総合すると、「両国は交渉継続に向けて努力しなければならないという点で合意し、友好的に相互理解を進める方針だが、現在の国連の姿勢を巡ってはまだ了解に開きがある」(ギリシアのエカシメリニ紙ネット英語版10日付ほか)ということになります。
キプロス問題は表向きは「対話再開が重要だと双方確認した」にとどまった(シミティス・ギリシア首相)が、新しい風に期待論も

   政治的、経済的には他バルカン諸国より格上のギリシア、トルコにしてもこの調子です。先行きはやはり、あまり明るくないのでしょうか?   しかし、キプロスを巡っても数年前までは考えられなかった新しい風が吹き始めているのです。(1)まずEU議長国ギリシア側は、キプロス、トルコのEU加盟を基本的に支持しています。直接、間接の交渉が堂々巡りを続ける中、一刀両断の解決法は仇敵も含めてみんなEUで一つになってしまうことだ、という逆転の発想です。(2)これに呼応するかのように、北キプロスのトルコ系住民も、南部同様EU加盟を希望しています。北キプロスとして入りたいという点に固執するのか、どこかで妥協があるのかはまだ予断を許しませんが。(3)EU側は、既に次期加盟を内定させているキプロス(今のところ南部のみ)との加盟交渉は、キプロス問題とはリンクせずに進める方針です。
   ベオグラードでのミニ・サミット後の4月24日、南北分断が続けられていたキプロスの首都ニコシアの「開かずの門」が実に29年ぶりに開きました。初日だけでギリシア系南部からトルコ系北部に1752人、逆方向へ2926人の行き来がありました。今後とも夜間を除き「ニコシアの壁」の両側へ移動の自由が続けられる見通しです。従来キプロス問題の解決にはトルコ側が消極的なイメージがありましたが、この開放にはむしろトルコ系住民が積極的に働きかけた結果だったことが外電(独DPA/タンユグ24日、25日付など)で明らかにされています。
   もちろん私たちは、EUの内部にもバスクがあり、北アイルランドがあることを知っています。その意味でトルコがEU加盟を決めたところで本質的な問題解決になるかどうかには疑問もあります。しかし西に向かって自国を変えて行くことが解決への一歩であるという点は共通の了解事項ですから、トルコ、北キプロスもニコシアの壁開放にとどまらず、さらに積極的に動きだすのではないかという見方も出始めています。

   プロディ欧州委員会委員長は「バルカンは欧州の一部であり、われわれEUは加盟プロセスを加速させたいと思う。いやバルカンが加盟するまで欧州統合プロセスは終わらないのだ」と述べ、条件さえ満たせばバルカンからEUは決して遠くないことを諸国に示そうとしました。
緑はSEECP参加10カ国。C=クロアチア、B=ボスニアヘルツェゴヴィナ、S=セルビア=モンテネグロ、M=マケドニア。黄色は中東欧5カ国
しかし、EUに入りたい側の期待論、迎える側の外交辞令を真に受け過ぎて、バルカンと先進国との距離を見誤ってはならないと思います。
   スロヴェニア、ハンガリーなど中東欧5カ国と、SEECP参加10カ国のうちギリシア、トルコを除いた8カ国で比較してみましょう。ウィーン国際経済調査研究所(WIIW)のデータに従い、最も明快単純な国力指標である一人当たり国内総生産を見ただけで、中欧5カ国が平均4875ドル、南東欧8カ国が1747ドルですから、格差は歴然としています。同研究所のグリゴロフ研究員は、旧体制が崩壊した際、中東欧はまず民主化、そして経済改革という順序を選択して行ったのに対し、南東欧では政治・民主化が不安定な状態のまま取りあえず経済改革も、という選択だったことが大きな差につながっていると指摘します。憲法から始まる法体制、政治体制をまず安定させなければ西側先進国が進出投資する環境ではあり得ない。チェコがかつてハプスブルグ帝国の工業地帯だった、ハンガリーはEUと隣接している、ポーランドは市場が大きい、等々の言い訳は通用しないということです。
   南東欧同士の貿易の結びつきは貧弱です。一例としてブルガリアの輸出相手を見てみると、EU55・2%(うちギリシア8・9%)に対し南東欧ではトルコ8・2%、セルビア=モンテネグロ4・2%、ルーマニア2・6%、マケドニア2・2%で、その他SEECP加盟国がブルガリアの輸出全体に占める割合は1%以下に過ぎません。グリゴロフ研究員は、まず南東欧では政治の安定のための協力が第一で、経済面での地域協力はその後で良いとさえ結論しています(以上エヴロプスキ・フォールム=週刊ヴレーメ誌2月27日号、3月27日号付録による)。
SEECP次期議長国ボスニアのイヴァニッチ外相が提案した自由貿易ゾーンは目標として掲げられることになった

   しかし各国の経済力は脆弱であっても、中東欧同様、南東欧でも経済協力体制が作れればそれに越したことはないと考えるイヴァニッチ・ボスニア外相は「バルカン自由貿易ゾーン」案を今回会談で提案しました。「野心的過ぎるように聞こえるかも知れないし、政治的な困難もあるだろう。しかし投資に魅力的な環境作り、そして既存企業の市場拡大という点で大きな意味があると信じる」(週刊ニン誌4月3日号)と同外相は言います。彼のアイディアは最終採択されたベオグラード宣言にも反映(「将来のゾーン設立に向け、まず二国間自由貿易協定を進める」)しています。
   ガス・パイプライン建設などエネルギー面での協力が昨年の外相会談で言及されたことは第58回配信で報告しましたが、今回の宣言ではさらに電力の共通市場を設け、ガス・原油の分野にも拡大することが目標とされました。また通信分野については、EU自体が米日に遅れるまいとして2010年を目標に「情報社会の発展」を戦略的計画として掲げており、将来EU加盟を狙う諸国が大差を付けられずにこのトレンドをフォローするためのアクションプラン(通称「eSEEアジェンダ」)が昨秋ベオグラードで合意に達し、今回宣言でも確認されています。 先進国と中進国の格差は、旧来型工業よりもIT・通信産業で拡大するという懸念がその背景になっているわけですが、今後南東欧諸国は、(1)この分野での独占を廃止、(2)関連企業の税制優遇措置を取る、(3)IT就労者の教育面で協力、(4)先進国・地域、国連発展計画などの協力を受けながら発展に努力する、といった方向で動くことになります。
   この他にも宣言は地域協力の具体案として、組織犯罪対策、流通・輸送インフラ整備、国境管理の近代化、査証(ヴィザ)の相互緩和などを挙げています。

   前段で見たように、まだまだEUが近いところに来ているわけではないものの、具体的な協力体制は定まりつつあります。ベオグラード宣言は、EU、NATOの東方拡大を受けた今年を欧州統合プロセス発展に重要な年と位置づけ、南東欧諸国の加盟への動きも進展する機会ととらえています。
「SEECPは南東欧諸国が連帯し、共通の希望を持っていることの現れである。目標は、われわれの国全てがEU加盟国となり、欧州の将来の建設に完全な形で参加することである。」
   もう一度冒頭のエルドアン声明に戻りましょう。彼の言うように、「戦乱のバルカン」は過去のものになりつつあります。平和と繁栄に至る道の、まだこれはほんの始まりのところではあるでしょうけれども、バルカンは確かに西へ歩き始めました。ブルガリア、ルーマニアのEU正式加盟が恐らく4年後。旧ユーゴ圏やアルバニアなどはあと7〜8年、あるいは10年かかってしまうかも知れませんが、中東欧諸国の次期加盟が決定したら、次は南東欧という順番は間違いないはずです。6月末、ギリシアの副都セサロニキで行われるEUサミットが、南東欧諸国の加盟への次の重要ステップと考えられています。

(2003年5月上旬)


執筆に協力して頂いた吉田正則氏に謝意を表します。同氏が「東長崎機関」に発表される(予定の)内容と一部重複があり得ます。本文、画像とも無断転載はご遠慮下さい。

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