「平和問題ゼミナール」
(旧)ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)

最終更新 2000/07/7 15:52

第34回配信
大荒れの5月に


 

式当日は季節外れの33度、でも澄んだ青空でした
   今回は突然ですが、私事から。5月11日にイェレナ・Nとベオグラードで結婚しました。
   11日は木曜日でした。こちらでも土日に結婚式を挙げるのが通例ですが、私が正教徒ではないので教会で式を挙げることが出来ません。それに数百人を集めてホテルのレストランを借り切るような式をやる人もいますが、2年近くも同居していて今さら結婚式でもないだろう、という照れもありましたし、私たちは私たちに合ったスタイルでこの日をコーディネートしようと思いました(2人とも報道企業や人道援助団体のコーディネートが本業ですから)。まず役場への届け出(15分ほどですが、これが本当の意味での「式」に相当します)とレストランでの食事会には親戚と近い友人、夜は生バンドの入るクラブで若い友人に集まってもらって2次会、それぞれ20人前後の出席で、ささやかではあるけれど、出来るだけ来てくれた人みんなが退屈しないような式にしたい、そう思ったのです。新婦のウエディングドレス、新郎の蝶ネクタイはなし。ケーキもなし、ジプシー楽団のドンチャカ騒ぎもなく、断れる人には花束もお断り(何せ花瓶を持っていないもので・・・)。もちろん土日よりもレストランやクラブの予約はずっと楽でした。季節外れの33度という暑さの中でしたが、出席者の大半に「いい結婚式だった」と言ってもらえました。
   ユーゴ人と結婚したことで私が得る形式的なメリットは今のところあまりありません。空爆以降何かと入管官憲からニラマれている「報道」よりは「婚姻」での滞在許可が取りやすい、というくらいでしょうか。イェレナも私もお互いの今の国籍を離脱してどちらかに帰化するつもりは全然ありません。
私たちの悪友バーネが仲人として指輪の箱を持つ。正教の習慣に従い指輪は右手に(区役所にて)
   でも何より気持ちが違いますし、周囲からも「うん、頼りなく見えてたけど一応一人前になったな」という目で見られているような気がします。気の優しいユーゴの人々の社会の中でまた一段深く受け入れてもらえるようになったかな、なんて言ったら傲慢かも知れませんけど。
   私の妻になったイェレナはベオグラード生まれ、両親ともセルビア人ですが、本人は国勢調査などではユーゴ人として申告しています。彼女が小学生だった時ティトーが死に、ベオグラード大学日本語専攻の学生だった時に戦争が始まって、彼女の祖国は解体しました。彼女は共産主義者ではありませんし、スロヴェニアやクロアチアやボスニアにはもうユーゴのユの字も見たくないと思っている人がいることを知っています。そうした人々とも彼女はノーマルに話が出来ることを私は知っています。しかしやはり彼女の気持ちの中の祖国は今のユーゴ連邦(これもモンテネグロやコソヴォが今後どうなるか分かりません)でもセルビアでもなく、スロヴェニアからマケドニアまで、のユーゴスラヴィアであることは誰も否定できないと思いますし、今はヴィザが取りにくいクロアチアやスロヴェニアにもいつかは私と一緒に行きたいと思っています。私が仕事でクロアチアやスロヴェニアにヴィザなしで全く問題なく行けるのに、そんな彼女がなかなか行けないのはやはり不公平ではないか、と時々思ってしまいますが・・・。11日の結婚式2次会ではプロのバンドが私をステージに招き、カラオケで鍛えた(?)ノドを披露させてくれるハプニング。私が歌ったのはボスニアとクロアチアの歌でした。
木曜日だったが親しい人々に集まってもらえた。筆者の右の和服姿は日本から駆けつけた筆者の母(右下、白黒)32年前同じ区役所で挙げられたイェレナの両親の結婚式
   「国際結婚はいろいろ大変だぞぉ」。国際結婚イコール困難、みたいに日本人の社会では今でも見られがちなことも承知しています。まあお互いの母国語が分かるので、少なくとも言葉の問題はありませんけど。当初は、結婚した感慨を「ユーゴ人と」「コクサイ」結婚した感慨にすり替えなくてもいいだろう(もちろんそのための喜びも苦労もあるでしょうけど)と思っていたのですが、最近少し心境が変わってきました。ユーゴ人と結婚したことを自分に無視しようと言い聞かせるのは、かえってリキんでいることにならないだろうか。「ユーゴ人」と「コクサイ」結婚したからこそぶつかる問題は当然出てくるでしょう。小さな口喧嘩も、もしかしたら彼女が日本人だったら起こり得ない問題なのかも知れません。でも、イェレナという一人のユーゴ人を、日本人ではないではない女性を選んだ事実を自分の正面から受け止めながら、行き当たるであろう問題を乗り越えて行きたいと思うのです。

   なお日本から取り寄せるべき書類などについては、私の友人で旧ユーゴでの国際結婚の先輩でもある「ありきち」ことジェキッチ美穂さん(ボスニア・デルヴェンタ市在住)と彼女のホームページ「ありきちのボスニア発!」に大変お世話になり、難しいと聞いていた書類の問題もそれほど困難なしにクリアできました。この場を借りて謝意を表します。このHPも国際結婚ほか面白い話題がいろいろ出ていますからぜひアクセスしてみて下さい。

セルビアでも妻の母(姑)と夫(婿)は仲が悪いものという定評。でもこのお義母さんなら大丈夫
   ともあれ、「いつまでユーゴにいるのか」「どうしてユーゴにいられるのか」という、このホームページの第1回配信にも書いたような「よく聞かれる質問」に、自分なりの解答は出したような気がしています。これからはさらにユーゴという国、セルビア人、そして(旧)ユーゴ諸国に住んでいる人々の暮らしや考え方を、外国人として表面をなぞるだけではない見方で見て行きたいし、たとえイェレナというフィルターが掛かるにしても、見て行けるようになると思っています。仕事に生活に、これから一層頑張って行こうと思っていますし、読者の皆さんにもいろいろお世話になることがあるかも知れませんが、今後ともイェレナともどもよろしくお願いします(日本大使館には近日届出を予定していますが、ユーゴの法律上は今後も夫婦別姓を続けます)。

   式や書類の準備、後半は新婚旅行で、正直に言ってニュースのフォローどころではない状態でしたが、5月のセルビアは大荒れでした。
ベオグラード最高層ビル、ベオグラジャンカに入っていたスタジオBほか中立・野党系のメディアは5月17日すべて接収された
   第2次大戦の戦勝記念日である5月9日、ミロシェヴィッチ連邦大統領の出身地であるポジャレヴァッツ市(セルビア東部)で当局側の式典と野党側の反体制集会が同時に予定され、後者に参加するためベオグラードからポジャレヴァッツに向かった野党のバスが首都郊外で警察に止められ集会参加予定者と機動隊の間で衝突寸前、結局野党側は集会を中止しました。「内戦の前哨戦か?」と中立・野党系マスコミが書き立てましたが、これはその後に続く当局側の攻勢の序曲に過ぎませんでした。私たちが新婚旅行の準備をしていた17日、体制側は一気に反体制メディア潰しに出ました。第32回配信でも触れた現在ベオグラード市議会で多数を占めるセルビア再生運動の御用放送を続けていた事実上の市営放送局スタジオBと、同じ建物に入っている日刊紙ブリッツ、ラジオB292、ラジオインデックスが早朝警察によって占拠され、この事態急変を伝えていた唯一の放送メディアであるパンチェヴォ市(首都のすぐ北隣)のラジオ・パンチェヴォも午後までに放送機材が没収されベオグラードでは受信不可能になりました。ブリッツ紙は3日後に発行再開を許されましたが、スタジオBはコヤディノヴィッチ主幹が一方的に解任され、当局側の任命した幹部により体制色の強いニュース放送が始められました。昨年反体制系ラジオB92が空爆開始のドサクサで当局に接収された際には、インターネットなどを通して世界的な反対の声が起こり、B292と名前を替えて放送を続けられるようになったイキサツがありましたが、セルビア反体制の象徴とも言うべきこのラジオ局もあえなく放送中止となりました。活字メディアはともかく、ベオグラードの中立・野党系放送メディアは一日で「全滅」してしまったのです。
   この動きを受けて野党各党と学生の反体制運動オトポール(「抵抗」の意)は17日から連日抗議集会を開きました。これはもちろんラジオ、テレビなどで伝えられることがなかったにも関わらず数百人が集まりましたが、警官隊が介入し連日多数の逮捕者やケガ人を出すなどしたため20日頃には雲散霧消状態になってしまいました。
ベオグラードで視聴できる中立・野党系の放送メディアは全滅。まだ日刊紙、週刊誌は健在だが次のターゲットか
   3月(第32回配信執筆当時)にスタジオBに対して圧力が掛けられた際は、当局がバラバラになりかけていた野党に再団結の好機を献上した形になりました。このため私や他のウォッチャーも、体制側が再びメディアに手を出すことはしばらくないだろうと見ていたのですが、意外なタイミングで攻勢に出てきたわけです。野党は再団結したところで大きな勢力になり得ない、また一般庶民に政治疲れの色があり、96年、97年のような反体制の動きは盛り上がらないだろうと当局が読んだのではないかと思われます。この読みは正確だったと言わざるを得ません。野党はスタジオBと一連のメディア潰しを大きな反体制運動への契機とすることが出来ず、結局この秋に実施が予想される地方選、連邦議会選に向けて早期に共同戦線を張る方向に作戦を変更しました。しかし最も過激な体制批判を続けるオトポールがこれを「及び腰」として民主党、セ再生運動など主要野党(特に後者)を批判し始めたことからまず不協和音が生じ、さらに野党内部でも比例代表候補の統一リスト作成などで対立、6月上旬最有力野党のセ再生運動が選挙不参加を表明するなど、ここに来て野党側の腰砕けが露呈されてきました。
セ再生運動に圧力

   5月下旬には市交通局が認可している民間バス業者が運賃の値上げを要求してストを行い、首都の交通が4日ほど大混乱に陥りましたが、その直後共和国政府はこの混乱を収めるためと称して市交通局を接収しました。市水道局もセルビア再生運動が選挙不参加を表明した直後にスト、散水車で乗りつけた(与党シンパと思しき)局員が市議会の建物に放水するなどの騒動がありました。水道局も同様のシナリオで共和国により接収が予定されています。96年の地方選で勝ち、ベオグラード市を押さえていることでセルビア再生運動が得ている利権は大きなものだと想像されます。その中で交通局と水道局はどちらかと言えば赤字機関ですが、秋に首都の権力=利権奪回を狙うセ社会党ほか与党連合は市民の間に「再生運動当局の無能ぶり」を宣伝する狙いだと思われます。
   これに乗じた当局側は最近さらにメディア潰しの動きを強め、今度は活字メディアも対象になりそうな気配です。中立系日刊紙「グラス・ヤヴノスティ」の他週刊誌「ニン」「ヴレーメ」なども印刷していたベオグラード中心部のABCグラフィカ社に対し、司法当局は6月下旬差し押さえ(国による接収)を決定しました。同社は29%が国家セクター、残りの71%が民営資本で、1990年以来国営企業では当然のことながら印刷されない中立・野党系の各紙誌の印刷を続けていましたが、突然この資本配分に関する書類の不備を指摘され操業続行が危機に陥りました。またこれと並行してマティッチ連邦情報相は「『ニン』誌は国の管理下に置かれることが望ましい」と発言、活字メディアも当局がいつでも潰しにかかれる状態であることが改めて明らかになりました。「グラス・ヤヴノスティ」「ニン」は体制批判はあるものの、それぞれ日刊紙「ダナス」、週刊誌「ヴレーメ」に比べ野党応援色が薄く、「野党系」後2者に比べると「中立系」という形容詞がぴったりするメディアです。ニンは元は体制側の御用新聞ポリティカの週刊誌でしたが、92年頃から編集方針を変えて反体制に転じ、その後独立した経緯がありますが、現在もポリティカと同じ建物の中に編集部が置かれています。政府はこうした中立系のメディアに対しても圧力を強めているわけです。
   本稿執筆中の6月下旬には「テロリスト防止法」案が政府を通過し、30日に連邦議会の審議に掛けられる予定でしたが、与党連合内でいったん見直す決定が下され、数週間後に再提出される見通しとなりました。この「セルビア版破防法」案は28日に概要が明らかになるまでは、主に学生運動オトポール対策であろうと推測されていましたが、実際には予想を上回る「悪法」であることが分かってきました。

6月末日の連邦議会では取り下げられたものの、「テロリスト防止法」案は政府から再提出され議会通過も時間の問題。写真は連邦閣議から(写真:FoNet)
   (法案要旨、「ニン」誌6月29日号などによる)
    爆発や放火、誘拐、暴力などによって住民に不安や恐怖を引き起こす行為、憲法体制を脅かす行為をテロと定義し、これに対し5年以上の禁錮など適当な処罰を定める。
    放送、報道などによって上記1の行為を誘発した場合は3年以下の禁錮とする。特に外国からの煽動に従ってこれを行った場合は5年以上の禁錮とする。
    上記2を公けに支持し喧伝するような行為にも6ヶ月以上5年以下の禁錮を定める。

   2から見てメディア対策、さらなる言論統制が想定されていることは間違いありませんし、あらゆる野党、場合によっては非政府系団体などが当局の解釈(気分?)次第でテロ団体として禁止され、さらにそのシンパまで逮捕される可能性が出てくることになります。またセルビア共和国レベルではなく連邦レベルで討議されていることから、議会を通過した場合モンテネグロでも適用される法律になります。ミロシェヴィッチ離れを強め、連邦離脱のシナリオも消えていないモンテネグロで、依然強いプレゼンスを示すセルビア体制管理下のユーゴ軍がこの法律を根拠に現モンテネグロ政府に対して介入することも理論的にはアリになってしまいます(ジュカノヴィッチ大統領他モンテネグロ当局は既に連邦議会そのものを違法と位置づけており、当然のことながらこの法律も無視する構えです)。
   中立・野党系各マスコミは当然のことながら「とんでもない悪法」だとして庶民の危機意識を高めようとしています。ダナス紙のトロフ論説委員は「文字通りに体制がこの悪法を適用してやりたい放題のことをする可能性と、取りあえずは選挙前に住民の間に恐怖感を植え付けるだけ、という2つの可能性がある。いずれにしても現与党連合が国家という装置を悪用する最悪の例だし、こうする以外に権力の座にとどまる手段がないことがはっきりした(7月1日付土曜版論説)」と批判しています。私が見る限りミロシェヴィッチ現体制は独裁色が強いにも関わらず、「この日のここの集会には警官が介入するが他の日はOK」「このラジオの体制批判は禁止するが他のメディアには言わせておく」といった恣意的な「ガス抜き」を今までうまく続けていました。しかしここに来て「体制を賛美しない奴はどいつもこいつも逮捕する」という調子の恐怖政治の色彩を強めつつあるような気がしてなりません。

空爆終了1周年で建てられた巨大オベリスク「永遠の火」(左上)の除幕式に集まった与党連合のシンパ
   体制側は6月10日、NATOによる誤爆で多数の民間人が死傷したアレクシナツ市で空爆終了1年の官製集会を開き、12日にはベオグラード連邦政府そばで「永遠の火」と称するオベリスク状の空爆犠牲者追悼記念碑を除幕、批判などは全く無視する姿勢を続けています。除幕式で演説したミルティノヴィッチ・セルビア大統領は復興の宣伝と「国内のNATOシンパ=裏切り者」批判をもちろん忘れません。ただこの「永遠の火」はガスで灯されているのですが、ロシアからのガス輸入が滞っている現在、ガス節約のため昼は消されているという専らのウワサ(筆者未確認)で、ちょっとケチのついた「永遠」のようです。
   官製の「復興」が「空爆1年・・・」の期間中も当局側の最大の(選挙)宣伝として使われたことは第32回配信で触れたと思いますが、野党・民主党に近い経済学者グループG17のディンキッチ代表は次のように分析します。「各企業や年金から『復興への連帯』として徴収した事実上の税金は約7000万ドル、さらにその他の税やインフレを承知で印刷した紙幣などで1億8600万ドルが復興基金として使われた計算になる。外国からの投資は全く期待できないし、先に待っているものは住民の貧困とインフレで、これでは国家の緩慢な自殺に過ぎない(グラス・ヤヴノスティ6月25日付から大塚要約)」。
S・ミロシェヴィッチ笑談

   ベルギーとオランダの共同開催で開かれた今年のサッカー欧州選手権。P・ミヤトヴィッチ、S・ミハイロヴィッチらベテランが今一つ精彩を欠き苦戦したユーゴ代表の中で、一人4試合で5得点と気を吐いたのがエースストライカーのサヴォ・ミロシェヴィッチ(写真は「ヴレーメ」誌6月24日号表紙)でした。ベルギーでの1次リーグ最終戦、ユーゴはスペインに勝つか引き分ければ次の準々決勝もベルギーで戦うはずだったのですが、土壇場で逆転負けしたためオランダのロッテルダムへ転戦。冗談好きのセルビア人からはさっそく翌日こんなジョークが聞かれました。「スペインのヤツら、あれがハーグの戦犯法廷で訴追されてるS・ミロシェヴィッチだと思ったんだよ、それであんなに必死になってサヴォをオランダに送ろうとしたわけさ」。そう言えばロッテルダムはハーグのすぐそばですからねえ。
   3月時点での基本食料品不足は若干改善されてきましたが、依然として物価のアンバランスが続き、本来は肉より高いはずの海の魚がサバ1キロ70ディナールなのに鶏肉1キロが110ディナール(現在闇レートは1ドイツマルク=22ディナール)、青空市場でも輸入品のバナナの方が国産のリンゴより安い、といった現象がみられます。しかし問題はこの後でしょう。セルビアの経済が大きく崩れるのはいつも農産物の公定価格が定まる秋の穫り入れの季節だからです。季節外れの猛暑を受けて今年は早くもこの時期に小麦の穫り入れが始まる見込みですが、買い入れ価格を高くしろ、という農民の要求が通れば紙幣が増刷されますからインフレは避けられず、逆に公定価格が低く設定されれば出し惜しみで小麦粉やパン、その他の食料品の(表向きの)不足とヤミ市場流れが起こってきます。もちろん小麦だけでなくヒマワリ(食用油)、ビート(砂糖)、乳製品なども事情は全く同じです。
   というわけでセルビアでは政治、経済とも先行きは暗雲漂う状態なのですが、反体制の声が全く盛り上がらない理由の大きな一つは、上にも書いた庶民の政治疲れです。「96年、97年の連日の反体制デモには私も参加したが、結局それで地方自治を勝ち取ったと思ったらベオグラード市営放送局スタジオBはセ再生運動の私物になり下がってしまった。西側先進国が規範だと思っていたら、去年はNATOの空爆を受けた。野党は相変わらず内紛続きで無力を露呈しているし、学生運動だけは頑張っていて大したものだと思うが、暮らしの心配をせずにやっていられる彼らに心からの同調はできない。ましてこの暑さの中、路上デモに参加するのは・・・」。私の周囲の声を公約数的に総合すると、大体こんなところです。
   ある野党幹部は「現在25%が与党連合のシンパ、25%が野党のシンパ、残りの50%が浮動票」と述べています。この発言は特にアンケートの結果を受けたわけではありませんが、今のセルビアのムードをうまく表しているように筆者には思えます。注目されるのはこの「疲れている50%」が秋の選挙の季節にどう動くか、という点です。

   野党の腰砕けと早い猛暑の到来で、セルビアはこの後なしくずしの夏休み休戦に入ります。この1ヶ月の専らの話題はサッカー・欧州選手権でしたが、準々決勝でユーゴはオランダに1対6の完敗。この数日は「夏休みはどこへ行こうか」が庶民の一番の話題になっています。国がこんな危機なのに情けない、と思われる方もいらっしゃるかも知れません。でもそれもまた人間的だという見方もあるのではないでしょうか。(2000年7月上旬)


写真の一部は2000年6月に日本のテレビ取材に通訳として同行した際筆者が撮影したものです。また本文の一部にもこの取材の通訳として業務上知り得た内容が含まれています。これらの掲載に当たっては、私の通訳上のクライアントから許諾を得ています。画像・本文の無断転載はかたくお断りいたします。

前回配信の訂正と追記

   第33回配信「ケータイ商戦熾烈なり」で、ノキア社をノルウェーの会社と表記していますが、もちろんフィンランドの誤りです(恥!)ので訂正します。またモンテネグロでのプロモンテ社と郵便局の係争については、私がベオグラードで利用したソースは本文と同じ文脈で解釈していますが、モンテネグロの私の知人のジャーナリストは、「プロモンテが契約した当時の政府側にはジュカノヴィッチ首相(現大統領)も当事者として参加している。従ってジュカノヴィッチはプロモンテの側であり、郵便局を通して利権を狙うモンテネグロ与党社民党内部のグループとの党内対立なのだ」と解釈していますので参考までに挙げておきます。


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