「平和問題ゼミナール」
(旧)ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)

最終更新 99/09/16 20:58

第25回配信
年金の代わりに光熱費


 

ベオグラード・夏の終わり(共和国広場)
   この夏東京で買った、ユーゴ情勢とは直接関係ない日本の小説の中に、ベオグラードのこの冬の状態を予言するような一節を見つけて苦笑してしまいました。
   「街路はゴミで汚れているものの、生ゴミはじめ増えつづけるゴミで勢いがある汚れ方ではない。生産活動が停止しているのです。市民はまだ絶滅してはいないが、これまでに生産されていたものを食いつぶしているだけであって、再生産はない。電力は止まり、水道も止まり、交通機関はストップしている。この都市の人目につかぬところで死を待っている誰もが、生きてゆく技術を持たない赤んぼうに戻って、身をすくめているようだ。」
   どの本からの引用かはこのページの終わりの方に書きますが、前回配信「セルビア、秋の陣へ」でも書いたように空爆からの復興にはほど遠く、高い失業と低い生産、インフレへの懸念の中でセルビアは秋へ、冬へ向かっています。この冬は電気と水の供給を受けられるのか。いや上の引用が描くような冬になってしまうのではないか。それが今のベオグラード(現在は電気・水とも何とか安定しています)市民最大の不安です。そんなわけで前回に続きセルビア本国の現状をレポートしますが、今回は危機的な経済状況に敏感にならざるを得ない社会的弱者、つまり難民、公務員、年金生活者などに焦点を絞ってみましょう。

   あれだけ騒がれたコソヴォ・アルバニア人難民のことを「(旧)ユーゴ便り」ではあまり触れずに、セルビア人難民のことだけを取り上げるのはアンフェアなのは分かっていますが、現在コソヴォには簡単に足を延ばせる状況ではありませんし、近々コソヴォの情勢についてはこのサイトでもまとめるつもりですので今回は大目に見てください。
旧ユーゴ大地図にリンク
   6月の空爆終了、多国籍軍KFOR展開以来アルバニア人難民は80万人がコソヴォに帰還を済ませ(現在の推定人口140万)ましたが、逆にコソヴォからセルビア人9万7千、ジプシーなどその他の非アルバニア系住民7万3千が難民になったまま(B・クシュネール国連コソヴォ行政官 発表。セルビア人当局は24万が難民化しているとする)です。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の8月の月間報告によれば、「状況は7月よりは安定しているが依然として非アルバニア系住民の追い出しなどが続き、セルビア人の居住地域が島状の飛び地になって不安定な状態が続いている」ようです。9日にも市がアルバニア人、セルビア人の居住地区に事実上分断されたコソヴスカ=ミロトヴィッツァで両住民の衝突が発生、KFOR兵士5、アルバニア人住民8人が死亡しセルビア人住民30、KFOR兵士15人がケガをする事態があったばかりです。空爆終了から3ヶ月になる今もコソヴォのセルビア人には「帰りたくても帰れない」状態なのです。
   UNHCRはユーゴ全体を3つの地域に分けて活動していますが、中でもクラリェヴォを中心とするセルビア中南部・南部地域はセルビア人難民が最も多く流入しています。8月の同事務所報告によれば以前からのクロアチア・ボスニア難民4万8千に加えコソヴォ紛争でこのエリアに流入した難民は約10万。ボスニア紛争当時の難民は親戚や篤志家などの一般住居に入るのが大半でしたが、現在のコソヴォ難民(クロアチア・ボスニアから難民としてコソヴォに入っていたセルビア人が再び難民化したケースも少なくないと思われます)の場合は学校、ホテル、企業など集合施設にまとまって居住している率が比較的高く、セルビアの難民受け入れが飽和状態に近いことが想像できます。ベオグラード当局はコソヴォがアルバニア人に占拠され「アルバニア化」が既成事実となることを恐れ、早急にコソヴォへの帰還を実現したい、として対処には消極的です。
   8月末までクラリェヴォ市近郊の学校に滞在していた セルビア人難民は、新学年が始まるため市当局から企業など別の場所に移るよう指示を受けました。しかし今まで家族、親族などが一団で固まっていたのが複数の場所にバラバラにならなければならない、新しい受け入れ予定地の電気・水の状況が悪い、共同トイレの数が少ない、などを不服とした難民約250人のグループ(コソヴォ北西部クリナ出身)が抗議のため「ベオグラードに向かう」と決め、8日にトラクターなどで移動を始めたところ警察から実力で阻止されました。方向を転じた一団は11日にクラリェヴォより東のウジツェ、ポジェガ両市の2箇所に受け入れを認められることで何とか落ち着きました。
コソヴォの「アルバニア化」を恐れる政府当局は早くセルビア人難民を返したいのが本音。ブラトヴィッチ連邦首相(右端)ほか、連邦閣議から(写真:FoNet)
   一方クラリェヴォ近くの村の別の小学校では難民が上の例と同様に移動命令を不服として座り込み、新学期が始められず地元住民が「学校を明け渡せ、難民出て行け」と市内で抗議集会を開くなど、同じセルビア人どうしで緊張が高まっているとのことです(13日付日刊紙「ダナス」による)。
   「この時期難民の大きな気がかりの一つは子どもたちの学校の問題だ」、とベオグラード近郊の難民施設で活動する心理学者は言います。しかし早く難民をコソヴォに返したい当局はまだ難民児童・生徒のセルビア本国転入を認めない方針で、数万の小さな難民にはまだ新学期が始まって2週間になる今も学校に行けない日々が続いています。ある難民は「私たちの中には児童・生徒はもちろん教員もいるのだから、場所さえあれば難民だけで学校も組織できる」とさえ言っています。セルビア人難民の「帰れないコソヴォの状況」と「返したいベオグラード当局」の板ばさみはまだしばらく続きそうです。

   インフレ年率116兆パーセントを記録した93年を思い出させるような経済危機が差し迫っているユーゴの平均月収はベオグラードで1460ディナール(7月、現在の闇レートに換算して8000円)、セルビア全体では100マルク(約7000円)を割るのではないかと見込まれています。失業率は名目30パーセント弱、実質は50パーセントに近いと見られます。国営企業では月収500ディナール(約2700円)、しかも数ヶ月延滞という人も私の周囲でザラにいます。国がこのような状態の中で一番しわ寄せが来るのはやはり国営企業従業員や公務員だと言って間違いないでしょう。さて難民には移動を願って、セルビア各地の学校はすんなり新学期が始まったか、というとそうは行きませんでした。8月31日の決定により教員の一部がスト突入、9月1日に新学期を迎えられなかった学校も多く出ました。
国営の家具店にて

夏の日本からハンガリー経由で戻って来る時に、ブダペスト郊外の家具ショップ、スウェーデン資本の有名家具企業IKEAの直営店に寄る機会がありました。品揃えと言い人の賑わいと言い大変なものでした。店員の殆どが英語を話しますし、大きな物でも予約した翌日には大抵が入手できます。
  そこへ行くと我がユーゴの国営家具店はいくら何でも情けない。まあ家具屋はスーパーマーケットではありませんからワンサカ客がいなくてもいいとは思いますが、それにしてもあまりの閑古鳥ぶりに唖然(写真上)。事務机などに混じって、電気に不安の冬を前に薪・石炭用ストーブを売っていました(下)。店員さんも「この冬はこれが一番確実だからなア」、とちょっと自虐気味。
   ユーゴには多くの学校教職員組合がありますが、今回のストの中心になったのはセルビア教職員組合連合(総数約1万)で、地域により差がありますが5月分を最低400ディナールに値上げ、プラス追加諸手当などを要求しストを実行。共和国トドロヴィッチ文相も急遽各地で関係者と交渉し、段階的に要求実現を約束することで8日までには何とか事態は収拾しましたが、組合側は「今回は呼びかけのタイミングが遅かったので予定よりも小規模になった失敗を認める。しかし政府側の約束違反がはっきりした時点で再びストを呼びかける」としています。
   ヴァリエヴォ市普通科高校では新学年から新しい校長が任命されましたが、この人事を不満とする教員と生徒が同調してストはさらに紛糾しました。一時はPTAや同校OBも参加して学校前で「教員賃上げ」と「前の校長を戻せ」の大集会になったようです。
   前回配信で戦時体制による物価凍結が解除の方向に向かっていること、これにより再び出し惜しみが始まりつつあることを書きました。農業国なのに肉や牛乳が店から姿を消してしまうのです。肉は30パーセントの業者側値上げ要求が通らず、15パーセントアップが認可された翌日は何とか出回りましたが本稿執筆時点では国営スーパーマーケットからはまた消えてしまったまま(自由価格の民営店にはありますがもちろん割高です)。食料品、洗剤など衛生関連製品は25〜40パーセント値上げ。一時は安定していたガソリンが再び不足してきて、野菜など生鮮食料品も(今が一番安い時期のはずですが)若干値上げされています。「ガソリンがなかったら農家から市場までどうやって運んで来るのよ」、というわけ。8月のインフレは前月比3・8パーセントと発表されましたが、9月は20パーセント近くになるのではないかと予想されています。このようなインフレ圧力の中で教員の(それも数ヶ月遅れの)700ディナールだった給料が800ディナールになってもどのくらいの意味があるかは疑問だと言わざるを得ません。教員ストは氷山の一角に過ぎず、21日には独立組合連合(政治的に民主党に近いと言われる)がゼネストを予定しており、各地で混乱が発生する可能性もあります。

ピクルスやジャムなど冬の貯蔵食を作るため大量の野菜・果物が買われる時期だが、おばあちゃんの懐具合は・・・
   年金の延滞は今に始まった話ではありませんが、ユーゴのお年寄りが受け取った最後のものは今年4月分です。5〜7月の年金総額は35億ドルで、これは現在のユーゴのマネーサプライの3分の1にも相当する額です。今この額をカバーするために紙幣を増刷すれば超インフレを招くだけですが、一方でもし現政権が野党の要求通り年内選挙実施に踏み切った際、ミロシェヴィッチ=社会党の大票田である高齢年金生活者に対し「借り」を作っておくのは大変なマイナスになることは間違いありません。そこでセルビア共和国政府は奇策を考え付きました。名付けて「バーター年金」。
   5月から7月分の年金の代わりに政府は証書を発行する。この証書で、電気代の払い込みまたは国営企業の販売する石炭か薪の購入が許される、というものです。簡単に言うと「お祖父さんとお祖母さんに現金は入らないものの息子夫婦の電気・燃料代を肩代わりできる」ということですね。
   この政策が発表された当初、証書は無記名で発行されるという予測があったため、事実上兌換紙幣として機能し、証書のヤミ市場が出来たりしてまたインフレは抑えられないのではないかと囁かれました。しかし9月中旬から発行される証書には受取人と払い込める電気メーターの番号が明記されるため、大きな混乱は避けられそうです。しかし一人で二つの家(電気メーター)を持っているところはどうなるのか、など詳細がはっきりしない点もあります。セルビア電気公社にしても元々大変な赤字企業だった上、空爆で破壊された発電・変電施設の復旧には大きな投資が必要なはずです。結局は国のどこかにしわ寄せがくるわけで、現社会党政権が選挙前によくやる年金生活者への急場しのぎのコビ売りに過ぎない、という声がほとんどです。また紙幣・有価証券の発行権限を定めたユーゴ連邦憲法や中央銀行法に違反するのではないか、という学者の指摘も出ています。いや結局、証書を持ってお年寄りが国営企業に燃料を買いに行っても十分な石炭や薪はなく、困るのは当の年金受給者だという予想が現実的だと思いますが。アヴラモヴィッチ前ユーゴ中銀総裁は「現状からみてこのバーターシステムは教員、軍人、医療関係者など国営セクターに広く拡大するのではないか」と言います。国が無策で招いた貧しさを国民、特に社会的に弱者である国営セクター従業員や年金生活者が負担しなければならない。今のセルビアはこんな先行き不透明な状態で推移しています。

痛くないと評判のリリヤナ先生だが、やっぱり歯医者は大嫌い!
   電気と水の話に戻りますが、寒がりの私の家の暖房は全て電気です。薪か石炭のストーブにして煙突を付けることも最悪の場合は可能ですが、またそれで大工事になるし、白い壁は汚れるしで大変なのが分かっていますから今のところ切り替える予定は立てていません。
   体制系の新聞を見てみると「空爆で攻撃されたベオグラード郊外の発電所の修復完了」「今冬の電力供給は去年並み」(3日付「ヴェチェルニエ・ノーヴォスティ」紙)といった見出しです。しかしより信頼できる中立・野党系のメディアでは「初雪と共に空爆時同様、ベオグラード市民の国外脱出劇が続出か」(週刊紙「ヴレーメ」11日号)といった具合で、このページの最初に引用した大江健三郎の「宙返り」の(中で「世界の終わり」を新興宗教の教祖が描く)ような風景が予言されています。
   子どもの頃から大病の経験がない私ですが、8月末は胃が痛くなって内科に行ったところ食道炎(食道裂孔ヘルニアによる逆流性食道炎、とか)が見つかり、酒・タバコを控えめにして節制の毎日です(お蔭様でだいぶ良くなりました)。しかしこの民営クリニックでも胃カメラを飲んで検査が終わった途端に停電(すぐに戻りましたが)。先日は歯医者に行ったのですが「今日は水の出が悪いのでうがいにも差し支えますから続きは次回ということで。」
   安定しているとは言えこんな調子の電気・水事情ですから、暖房の問題を無視したとしても冬はどうなることやら、です。「どうなることやら」と不安に思いながら、みな何をすればいいのか分からないでいる、そんな風に言えるかも知れません。赤ん坊のように身をすくめて寒さに耐える前に、何かが起こらなければならないとは思うのですが。歯医者で虫歯削っている時に停電になったら私は・・・泣きますよ。(99年9月中旬)


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