「平和問題ゼミナール」
(旧)ユーゴ便り
Masahiko Otsuka Presents
-since 1998-
(Since 98/05/31)

最終更新 99/07/07 2:13

第22回配信<筆者日本に一時帰省中>
ヌチグスイの島にて


石垣島に梅雨明けを告げる爬龍(ハーリー)船競漕大会(6月17日、石垣漁港)
   「まあ『ヒュー、ドーン!』の音と停電、断水の中で2ヶ月頑張ったんだから、2週間ぐらい羽根伸ばしてきてもバチは当たらないでしょう」ということで、周囲の羨望は買いましたが、6月中はJと石垣島に行って一足早い夏休みを過ごして来ました。
   真栄里(まえざと)ビーチへ行く時の、気さくなタクシー運転手さんとの会話。
運転手氏「お連れの方はどちらの国から?」
私たち「ユーゴスラヴィアからです」
運転手氏「ずいぶん大変だったみたいじゃないの?ニュースでやってるよねえ」
「ええ、向こうじゃしょっちゅう停電していてねえ、この人の両親も大変みたいで」
運転手氏「向こうの言葉じゃ『有り難う』は何て言うんですか」
私たち「フヴァーラ(Hvala)です」
運転手氏「石垣じゃね、ニーファイユーってんですよ。はいフヴァーラでした」
私たち「こちらこそニーファイユーでした」
   日本で一番南の島々の美しい海で日に焼けながら、コソヴォとユーゴのことはしばらく忘れてヌチグスイ(命の洗濯、八重山方言)をするつもりだったのですが、ちょうどこの2週間は情勢が大きく動いた2週間でもありました。アハティサーリ=チェルノムイルディン案受諾を受けてユーゴ連邦軍とセルビア警察勢力が撤退開始。2ヶ月以上続いた空爆にとうとう終止符が打たれると北大西洋条約機構(NATO)軍中心の多国籍部隊(KFOR)が展開を開始、一方で独自に進駐したロシア軍は英軍とプリシュティナ空港で一時ニラミ合い状態になるなどの中でG8ケルンサミットが開かれる・・・やっぱりユーゴのニュースは気にせざるを得ませんでした。
ケルンサミットを報ずる沖縄タイムス紙
   コソヴォ・サミットとも言われた今年のG8ケルンサミットに、日本で一番高い関心を示していたのは沖縄だったと言っていいと思います。期せずして私たちは、日本で一番コソヴォに近い所に行ってしまったようでした。私たちの石垣滞在中も、ケルンサミットに先立ち名護市では来年のサミット用のメイン会場の着工式が行われましたし、県関係の公務員と思しき方々が石垣島、竹富島の視察をしているところにも居合わせました。JNN(TBS系列)のニュースでは、まずTBSのケルンからのレポートがあった後、琉球放送(RBC)ローカルニュースの時間枠で、地方テレビとしては異例のことながらケルンに赴いた稲嶺沖縄県知事の様子を局独自レポーターのレポートで伝えていました。しかしメインテーマのコソヴォに関しては、小渕ニッポンだけがまたしても「顔の見えにくい」サミットになってしまったことは読者の皆さんもご存知の通りです。G8のうち6カ国はNATO加盟国、日本を除くあとの1つがロシアですから、唯一当事国でないが故の日本の存在意義がもう少し前面に出てきても良かったのではないかとも思うのですが。
   コソヴォを沖縄で実感したのはサミットだけが理由ではありませんでした。ハリアー機が離陸に失敗して炎上、後に同形機を含むハリアー機が常駐していることが判明して問題になった米軍嘉手納基地からも、通信、兵站要員など十数名がユーゴ空爆要員としてヨーロッパ各地に出動していることが明らかになりました(6月17日「沖縄タイムス」紙)。しかし同紙によれば、極東安保のための米軍展開を前提とした日米安保の枠を越えたこのようなケースは、必ずしも前例のないことではないそうです。何かと話題のガイドライン法案国会通過を知ったのは、前回第21回配信で書いたブダペストへ出た時でしたが、今回のユーゴ空爆でハンガリーやマケドニアが果たした「米軍の手先」のような役割を、嘉手納だけでなく日本全体が担うことになり得る法律が簡単に通っていいものなのか。自分の住んでいるユーゴ(コソヴォ)のことが気になりながらも、盗聴法、日の丸君が代、と急速に国としての装いを改めていく自分の生まれた国のことも考え、頭の中で堂々めぐりが続きました。
   ともあれ、昼は気の遠くなるほど青い海で日を一杯に浴び、夜は「石垣島ビール」と八重山料理に舌づつみを打って、しっかり命の洗濯をして来ました。後半は神奈川県に戻って、インターネットを中心に集めた最新のユーゴ(コソヴォ)事情についてまとめてみたいと思います。


竹富島コンドイ浜西表島マリユドゥの滝



   まずコソヴォ現地の動きです。7月2日は州都プリシュティナで、90年に旧ユーゴからの一方的独立をうたった憲法(カチャニック憲法)の成立9周年を記念してアルバニア人が数千人の集会を開きました。この集会は政治犯釈放などを要求しながら3日以降も続き、プリシュティナ大学前のヴーク・カラジッチ像が解体され、トラクターで町の中を引きずり回されました。V・カラジッチは19世紀にセルビア語近代化改革に努め、結果的にセルビア人の民族意識高揚に貢献した人物です。このためセルビアでは歴史的偉人として扱われていますが、アルバニア人からは芳しくない評価を受けていました。
   このニュースからはKFORの展開にも関わらず多数のアルバニア人、少数のセルビア人の緊張が住民レベルでは依然高いことが伺えますが、3日には 逆の動きもありました。アルバニア人側はコソヴォ解放軍(KLA)H・サチ代表、セルビア人側はセルビア正教ラシュカ・プリズレン教区アルテミエ主教を代表とする話し合いが持たれ、 「文民、軍人とも暴力を放棄し、アルバニア人、セルビア人に関わりなくコソヴォにとどまること」という宣言を採択しました。和平が成立したからと言って、個人、住民レベルでの憎悪がそう簡単に消えるものではないことは致し方ないとしても、代表レベルでこうした話し合いが出来たことは民族和解への第一歩と評価できるのではないでしょうか。
アルバニア語通訳の日当

   ベオグラードの大衆紙「グラス・ヤヴノスティ」(3日付ネット版)によれば、KFORが展開するコソヴォ各地で雇っている地元通訳は約2400人(ほとんどがアルバニア語と英語か独仏伊語の通訳でしょう)。その日当は15ドルから危険手当て付きの最高額で25ドルとのこと。確かに物価水準が違いますし、必要な通訳の全体数が多いのは分かるんですけど、天下のNATOのやることとしてはちょっといくら何でも・・・という額だと思うんですけどねえ。
   いずれにしても現地の今後の焦点は難民帰還問題になることは間違いありませんが、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によれば現在までコソヴォへ帰還を果たしたアルバニア人は約48万。一方脱出してユーゴ国内避難民となったセルビア人は7万としていますが、ユーゴ(セルビア)当局はその帰還を強く推進していくものと見られています。
   私としては(旧)ユーゴウォッチャーである前に、ベオグラードに住む一人として「自分の住んでいるセルビア本国の電気、水事情は大丈夫なのか」が一番気になるところです。今のところベオグラードは給電、給水事情は安定しているようです。日本と違ってクーラーの普及率が低いところですから夏は何とか乗り切れると思うのですが、暖房プラントも破壊されているため冬は住宅地に住む多くの市民が電気ストーブなどを頼りにすると思われます。今までも冬は停電を経験することがしばしばでしたが、「たとえ財政的に余裕があったとしても発電、変電施設の完全復旧に6ヶ月はかかる(「ヴレーメ」誌による)」という状況下、この冬は空爆下の5月同様厳しい電気事情になりそうだという気がしています。
   電気、水に不安があるのはインフラ施設の損害によるものだけではありません。欧米各国の事実上の制裁措置によって原油が不足し、ガソリンが入手できなくなった首都ベオグラードでは自動車の数が激減したことは空爆の最中にも書きました。依然として燃料不足は深刻で、ベオグラード市営交通局は燃料の供給状況によって毎日運行時間(始バス、終バスなど)や運行バス数を決定し直しています。20万都市ノヴィサドでは市営バスが毎日50台しか運行出来ず、40分から70分待ちが普通になっているそうです。同市はまたゴミ収集車の巡回にも支障が出ているので、出すゴミの量を控えるよう市民に呼びかけています。
ノヴィサドにウィーン市が橋を?


   空爆の時はノヴィサドの橋の話を何度か書きました。ベオグラードでは結局橋への攻撃はなかったのですが、ドナウに掛かる橋が全て壊されてしまったノヴィサドはベオグラードの身代わりになったようでちょっと気の毒な気がします。そんな同市にウィーン市当局が橋を「プレゼントする」ので専門家を派遣する、というニュースが伝えられました(2日付ベオグラード大衆紙「ブリッツ」による)。オーストリアと言えば、NATO非加盟国でこそあれセルビアとは犬猿の仲と言っていい国の一つだけにちょっと不思議な話です。オーストリア国家当局はこのウワサを否定(3日付ベータ通信)していますがウィーン市の方からはまだはっきりした反応が出ていません。
   もちろん欧米の側もバルカンの真の平和のためにはコソヴォだけでなく、セルビア本国、モンテネグロを含む周辺国の安定が必要なのは承知している訳ですから、今後コソヴォだけが復興景気に潤ってセルビア本国が貧困にあえぐ、というのが望まれるべきシナリオとは思えません。しかし欧米の大勢は「ミロシェヴィッチ政権ある限りセルビアに援助なし」が本音です。今月13日ブリュッセルでG7蔵相特別会議、続いて30日にはサライェヴォで大規模なコソヴォ復興国際会議が予定されており、復興の枠組み(ここでは財政援助だけが「売り」の日本の方針も定まってくるでしょう)が見えてくると思われます。なお空爆開始以来運行が止まっていた民間航空交通は、先日アエロフロートのベオグラード=モスクワ便が再開されました。欧州連合(EU)は原油の他に航空交通も制裁対象としていました(アメリカ他多くの国が同調)が、EU議長国フィンランドがこれらの措置の解除を提案し、現在アメリカが反対し続けています。
   戦犯訴追も受けたミロシェヴィッチ現政権が倒れることはあるのか。欧米日のマスコミでは西側の期待論も含めていろいろなことが言われています。日本という離れた国でニュースを読んでいても今一つニュアンスが分からず隔靴掻痒の感がしてしまうのですが、今後のセルビアの復興と民主化を考えると、セルビアの内政事情にはどうしても目が離せません。戦争状態は解除を宣言されたものの、まだ集会禁止令は停止されていません。そうした中ながら先月29日には中部のチャチャクで民主党を中心とする野党連合「改革のための連合」が大集会を開き、2日にはノヴィサドで、さらに5日には南部の町レスコヴァッツでも反ミロシェヴィッチ色の強い集会が開かれました。チャチャク、ノヴィサドはいずれも元々野党の強い土地でしたが、レスコヴァッツは現政権の大票田と言われる地域だけに、このニュースからセルビア全体で野党側の突き上げが今までになく強くなっていることを想像するのは難しくありません。上記「改革のための連合」は9月までに大集会を組織、勢いに乗りながら年内の選挙実施によって現政権の打倒を目指したい、としています。5日には空爆開始以来国外で活動していた民主党のジンジッチ党首が、逮捕(5年から20年の禁固)されるおそれがあるにも関わらず帰国を果たしました。民主党や「改革のための連合」単独では大きな力としては期待できませんが、今後中道右派のセルビア民主党(コシュトゥニッツァ党首)や、日和見の王者ドラシュコヴィッチ党首率いるセルビア再生運動(翼賛体制に入っていたが空爆中に離脱)などが大同団結した場合には面白い展開になる可能性を秘めています。
   しかし全欧安保協力機構(OSCE)がコソヴォでの難民帰還には2年かかる、と発表しています。ユーゴ・セルビア当局は領土としてのコソヴォを放棄したつもりは全くありませんから、この発表(「アルバニア人難民には選挙権があるのだから、その人たちが帰ってくるまで選挙は出来ない」という論理)などを盾にコソヴォのみならずユーゴ全土での選挙の実施を遅らせつつ現在盛り上がっている反体制の声をかわそうという戦略に出るでしょう。ブラトヴィッチ連邦首相は空中分解しかけている大政翼賛体制の復活をセ再生運動などに呼びかけながら「来年選挙」の方針を明らかにしており(4日付毎日新聞)、野党やキャスティングボードを事実上握るドラシュコヴィッチの動きとともに選挙実施のタイミングも重要なファクターになりそうです。
   また空爆以後いよいよセルビア離れを進めるジュカノヴィッチ大統領のモンテネグロの動向も気になるところです。共和国政府はベオグラードに対し、ユーゴ連邦内でコソヴォのステータスが変わらざるを得ない以上、モンテネグロのステータスも見直すべきだ、と要求(re-definition)、独自通貨の導入も検討されています。反ミロシェヴィッチの動きを歓迎する米政府はモンテネグロのみを対象に3500万ドル相当の経済援助を約束しました。またNATOのクラーク欧州方面最高司令官は「モンテネグロに対して(ミロシェヴィッチの息のかかった)ユーゴ軍が展開を強化するなど圧力を強めており要注意だ」と発言。こうした欧米の「モンテネグロびいき」は今後も続きそうです。しかし「ミロシェヴィッチ=セルビア=悪」、「反ミロシェヴィッチ=モンテネグロ=善」という単純な割り切り方をしてしまうのは危険です。前回の大統領選で敗れた前職ブラトヴィッチ大統領は連邦首相になり、ベオグラードに「変則亡命モンテネグロ政権」ができてしまっていることはご存知の方が多いと思いますが、この97年の選挙も決選投票の末ジュカノヴィッチが辛勝を収めるという結果でした。モンテネグロでは依然「親セルビア派」と「モンテネグロの独自色を強めたい派」の力関係は半々に近く、次回同じような構図で選挙が行われた場合、ジュカノヴィッチ派が楽に戦えるとは思えません。また後者の中でもユーゴ離脱、モンテネグロ独立を推す強硬派からセルビアに吸い上げられていた利権を自分のものにしたいだけ、という穏健派までいろいろな声があるはずです。モンテネグロのユーゴ離脱は火種としてはあるとしても、すぐに起こるという性格のものではなさそうです。

   コソヴォ和平の成立とともに新たな不安定要因が生まれつつあることは認めざるを得ませんが、ともあれコソヴォに平和が見えてきたこと、ユーゴでの(住民レベルで見ればやはり理不尽と言わざるを得ない)空爆が止まったことを喜ぼうと思います。寒がりの私にこの冬は大変かもしれません。でもまずは日本の夏でしっかり元気を付けておくつもりです。今日は、うなぎ!(99年7月上旬)


プロフィール> <最新レター> <バックナンバー> <(旧)ユーゴ大地図
落書き帳(掲示板)> <関連リンク集> <平和問題ゼミナール> <管理者のページ


当サイトは、リンクフリーです(事後でもいいので連絡ください! →管理者メール )。
必ずカバーページ(http://www.pluto.dti.ne.jp/~katu-jun/yugo/)にリンクをはってください。

CopyRight(C)1999,Masahiko Otsuka. All rights reserved.
Supported by Katsuyoshi Kawano & Kimura Peace Seminar
更新記録 大塚真彦プロフィール 最新のレター レターバックナンバー 旧ユーゴ大地図 落書き帳 関連リンク集 平和問題ゼミナール 管理者のページへ