事例11

士課程から他の大学に移った学生。修士修了後は民間企業への就職を希望していたのだが移った先での研究室が、いまだ一人の企業就職者もだしていないところであったことが災いした。そこの教授の頭の中では、大学院にくる学生に対しては暗にそのまま研究者としての人生を大学人として送ることが前提されており、就職活動に対しては「研究室を開ける不届きな態度」として捉え、「君はこの研究室の修士にふさわしくない」「本来ならば推薦状をかくべきではないのだ」「君はもともと余計な学生だった」といった暴言を学生にぶつけつづけた。さらに、実験の合間などの時間を研究室の自分の机で論文読みに徹していなかったことも「態度が悪い」という判断の根拠となったらしい。それなりに修士の研究の結果はでていたのだが、研究如何よりも日常の態度のほうが重要視された結果である。特に、「余計な学生」という部分は特徴的である。これは、平成三年の大学基準、いわゆる大綱化を受けて、あわよくばこれで大学院の重点化をはたし、教員の格上げと給与アップ、そして、研究費をさらに確保しようという流れの中で、重点化のために必要な一定数の大学院生をつくりあげるために行われた水増し合格と、追加募集を反映している。つまり、本来ならば員数外なんだが、ちょっと都合があって特別にいれてやった学生なんだおまえは、という流れである。これについては、同じ研究室の他の学生も「君はいらない学生だったんだ」ということをいわれており、この教授の頭の中に大きく巣食っていた概念であることがうかがわれる。もっとも、この重点化のおかげで、つまり、彼ら「いらない学生達」のおかげでこの教授も昇進を果たし、遠隔の実験所から本校の学部に戻ることができたのだから、本来ならば逆に感謝されてもいいくらいのものなのだが。この教授は気分に激しいムラがあり、その時々の応対によっては学生に対してかなりすさまじい暴言や態度をぶつけている。

 上の発言はそのほんの一部なのだが、この事例の学生はさらにその後、「君に修士をとらせるわけにはいかない」という通告まで受けてショックが重なった。自力で就職の内定も取り、論文をしあげるだけ、という年末の時期に突然の宣言だった。学部内外の他の教員や知り合いにも相談し、結局、その後の数ヶ月の期間は「先生の機嫌をそこねないようにつとめておとなしく」すごし、事務には論文を出してしまうことにした。その結果、おとなしくすごしたことが功を奏して、とりあえず無事に審査も通り、現在は就職先についている。


の研究室ではほぼ同時期に複数の問題が生じているが、その根幹にあるのは研究室という組織を運営するだけの能力が教員にはなかった、という悲劇的な原因である。大学が教育の環境ではないと信じ切っている、というあたりは、旧弊な時代錯誤な環境に身をおき続けて浦島太郎状態になったにもかかわらず、自分の無知を知らぬタイプの典型ともいえる。(就職ってほんとうにこんなにたいへんなものなんですか、と他大学の人間に問うたりもしたらしい。常識知らずというだけではなく、この研究室にはいってくる学生の将来を考えると犯罪的ですらあるといえよう) 学生の将来に対して、かすみを食って生きていけばよいというような態度で迎え、さらに、限りなく精神的に学生を追い詰めていくその姿は、どちらかというと自分の教授としての姿に自信がなく、その自信のなさを補うために自分よりも下位の存在を必要としているようにもみえるのだ。特に、外部からきた学生に対して「おまえなんかいらなかったんだ」と言ってのけるなど、どちらかというと、精神病理の領域なのかもしれない。

 最も大きな問題は、教員の人事がいいかげんである、という点だろう。年功序列に近いそのいいかげんさが、大学院の重点化という好機を得て数多くの「ご祝儀教授」を全国に誕生させているものと思われる。そろそろ、そういった教授のもとで卒業をひかえてトラブルに遭遇する例がでてきているのだ。大学は象牙の塔、崇高な研究の場であり教育は余計なおまけ、といった発想は、文部省の答申がいかようにだされたとしても、現有の教員がそのままストックとして大学に温存されている以上、教員の脳から放棄されることはない。今の時代に「就職活動」を知らない人間が大学で教授をやっている(これは、平成9年度の事例である)、ということ自体、時代錯誤なのだが、その時代錯誤が平然とまかりとおっているのもまた大学なのである。ちなみに、この学生が学部の他の教員に相談したときの答えの中には次のようなものがあったという。「気の毒だとは思うけれど、あの先生を選んだのは学生であるきみなんだし、私としては特になにもできない」と。おかしな人事は、「大学の自治」という治外法権に強固にまもられている。いや、これは同時に他の教員はこのご祝儀人事によってたどういう教員がやってきたのか実によく知っていた、ということでもあるわけだが、そういうものだと認識しているところに組織としての大学の末期症状があるのだ。

 事実、この事例など、大学改革によるご祝儀人事がなければ生じなかった悲劇であるといえる。大学改革自体、文部省の提言自体は大学の実態を的確に把握した適切なものなのだが、いかんせん、それを現場で運用して「改革」をやってくれるのは、改革の必要性を産み出すにいたった等の教員どもであり、従って、いかなる改革案も、人事と研究費という二大欲望に翻案され、タテマエとして悪用される道から逃れられない。必要なのは、いままでストックであった教員層の刷新と、人事等の運営権、自治権を大学の教員から剥奪し、専門の組織にうつすことなのかもしれない。いまのままでは、いつまでもお手盛りといいかけんだけで最高学府は流れつづけていくことになるだろう。その被害者は常に学生であり、そして、教員どもは学生については卒業するそばから「そんなやつはいなかったよしらないよおぼえてないよ」か、あるいは「ああ、あいつはへんな学生だったねえ、ああいうへんなのがくるのもまた大学なんだよねえ」程度でごまかし続けることになるわけだ。