野望の軌跡


1992年
 OBとなって最初の年。千葉から1000キロも離れてしまって大変でした。
 わたしの代が卒業したときに、残っていた上の方々もあらかた片づいてしまい、戦力的に大幅ダウンとなりました。 1年生に1人、カーモデラーが入りました。2年は2人しかいなかったのですが、2人ともにゲーマーながら模型も作るというマルチクラスにクラスチェンジしています。 現役生のモデラーは5人、プラス2人です。

春祭展示会(作品数0)
 この時のテーマは「赤」でした。会場には「シャア専用」がたくさん並んだらしいです。「らしい」というのはどういうことか? 実は、この年の春祭にわたしは出られなかったのです。97年現在で唯一「欠席」した祭であります。
 テーマは以前に聞いていたのでわたしはソ連の戦闘機YAK3を作っていました。勤めはじめということもあり、年休が取れなかったので作品だけ参加予定としていました。 で、完成したので郵パックで送ったところ、後日「春祭は先週終わりました」・・・。(T T)

大祭展示会(作品数3)
 テーマは「アメリカ」です。メインとして第7艦隊の合作が企画されました。多少のバラツキはあったものの、なんとか揃ったのは大したものです。 ただ、アメリカ的なものがこれだけだったので、後半はわたしのF−16シリーズを増援として追加展示しています。
 個人作品では、ティレル020を作って以来カーモデルに目覚めまして、ジョーダン191を作っています。一応エンジン周りのディテールアップにも挑戦してみました。 飛行機では、春祭に乗り遅れたYAK3とMIG29のアクロ仕様機の飛行モデルを出品しています。

1993年
 わたし的にはカーモデルにはまった年になるでしょうか。また、このころから写真技術の試行錯誤が始まり、徐々に記録される作品が増えていきます。 また、夏にパソコンを購入し、写真からフォトCDに落とすというルーチンができあがりました。
 この年は新人の当たり年でした。1年生モデラーが3人も加わったのです。しかも一人はフルスクラッチモデラーという力強さ。模同の流れが大きく変わり始めた年となりました。 現役生のモデラーは7人プラスアルファ。

春祭展示会(作品数4)
 特にテーマはなかったと思います。ただ、企画ものとして「マクラーレン」というのがありました。 多少スケールに不揃いがありましたが、オレンジのM7Aを最古として、5台のマクラーレンが並びました。 また新人では、こいつのおかげで一浪したという松本君のフルスクラッチフル可動フル変形ゼータによるデビューが印象的でした。うーん、すごいヤツ。
 個人作品は、マクラーレンにプロターのMP4/2Cで参戦し、ほかに「のりぴーシビック」「ポリススピナー レビアカスタム」と車系が並びます。 また、ディフォルメ那魅をベースに改造した「那魅プラス(ロングでコート姿)」を出品してます。 のりぴーシビックは内装をかなり改造して臨んだのですが、なかなかわかってもらえずに悔しい思いをしました。

大祭展示会(作品数6)
 テーマは「モータースポーツ」ということで、GTカーなどが中心の展示会となりました。 わたしは広島の誇り?マツダスピードの787B(ル・マン24耐の優勝車)を作っていきました。ちょっと完成度がまだまだで不慣れな部分がありましたね。 でも、クリアで研ぎ出しをしたのはこれが初めてなのでした。
 個人作品は、春祭の屈辱を晴らすべく投入した1/48F−16×4機が見事に炸裂し、OBの大人げなさを披露してしまいました(笑)。 また、この年から継続的に1/8フィギュアを投入し始め、その第1弾としてボークスのアイシャを作っています。今までは1/15とかマスコットフィギュア程度のものしか作ってなかったので、足だけで今までの背丈くらいあるでかさにビックリした記憶があります。

1994年
 94年はわたしが島流しにあった年です(笑)。町には模型屋がなく、キットやマテリアル類の補給に大変な困難を伴いました。 島を出るのは年に3回くらいしかないので(うち2回は春祭と大祭)帰ってからの模型屋巡りが大変重要でした。
 模型同好会は大きな変化がありました。会長松川君の鶴の一声による「全員モデリング」が春祭において展開されたのです。 これによってさらにモデラー(&モゲラー)が発掘されたのでした。最終的に、モデラーは11人、モゲラーは6人。史上最大勢力となりました。

春祭展示会(作品数2)
 テーマは「現用機」にして「全員モデリング」という革命があった春祭です。わたしは引っ越したばかりで落ち着かないという状況でしたのでF−16を1機だけ作って参戦しました。 フジミから出ていた虎ジマのF−16からデカールだけもらってハセガワのキットに貼っています。展示方法が飛行モデルということになりまして、塗装中にそのように改装しました。
 展示の方はテーマ作品に参加した人数がわたしを入れて12人となりまして、「みんなでやった」感がかなり高いものになりましたね。

大祭展示会(作品数4)
 テーマは「ロボット」です。というかガンダムを除くアニメロボット系といったニュアンスでした。
 展示会では1,2年生のパワーが炸裂!1年の橋本君が人の頭ほどのマイトガインヘッド(ようは頭)を作ってきたり、2年では松本君を中心にフルスクラッチのリュー騎士を4体揃えるという無謀とも思えるプランを完成させたりしました。 しかし、そんな彼らのパワーを凌駕してしまったのがまたもやOBの外道、わたしのウンダースカッツだったのでした。うーむ、大人げないの2年連続です。
 もともと、何かでかいものを作りたいと思っていました。 キャストキットにも馴れてきたし、そろそろ巨大な、巨大な・・・と探していたところ、候補となったのがボークスの1/100ウンダースカッツでした。古いキットなので、店になければ諦めようと思って吉祥寺のBe−Jに行ったら、あっさり発見。 即購入(当たり前か)。で、その足でボークスのショールームへ行き、完成品とご対面してきたのです。その完成品、どうも作りがイマイチ。高い買い物だったので、コレよりうまく作ろうと心に誓って帰ったのが93年の年末でした。 春には島流しにあうというアクシデントもありましたが、約半年をかけて作ったウンダースカッツは搬送中にバラバラになりつつも見事にライバル達を圧倒した(してしまった)のでした。
 ほかの個人作品は、ドラグナーコンペに参加するはずだったD−3(コンペが流れた)とD−3を素組みでカラーリングを変えたスーパーデューイ、それとお子様アタックで途中リタイヤしてしまった大祭フィギュアのクローソーでした。

1995年
 この年はわたしのベストシーズンになります。島暮らしによって悟りを開いたのか(笑)非常に充実したモデリングができました。
 模同には2人、女性会員が入会しました(はじめは3人だったらしい)。1年生で入会したというのは史上初です。しかもなんか模型も作るみたいだし!ちょっとビックリしました。 他にも2人モデラーが増員しまして、トータルでモデラー13人、モゲラーは7人。なんと史上最大の前年を上回ってますな(笑)。

春祭展示会(作品数1)
 テーマはみんなが作ったことないモノってことで「バイク」になりました。 さすがに作ったことないので、作例の方はイマイチだったように思いますが(ごめん)前年初モデリングを経験したモゲラー陣も再度模型に取り組んだりして、成果のある展示会でした。 注目の女性陣はファンドでなんか作ってくるし、久々の新スケールモデラーが飛行機作ってきたりと1年生が初めからアクティブでしたね。
 わたしの方は、テーマを聞くのが遅かったので、個人作品のF−16Dだけとなりました。イスラエル用に改造された機体を再現しています。 展示ベースを航空祭風に仕上げたのがウケたのか、カッコいい砂漠迷彩がウケたのか、これまたOBの外道を演じてしまいました。うーむ、なかなかむずかしいねぇ。

大祭展示会(作品数4)
 テーマは、モデラー陣の得意技で「アゲインストガンダム」となりました。まぁ、敵メカ特集といったところですね。 作品は結構個性的なものが並んだと思います。みんなストレートに作りませんな。ジャイアントロボ風のドライセンや足つきのパーフェクトザクレロ、徹底改修のパラスアテネ、ガズL、試作機ガルバルディ・アルファなどなど。 おそるべしガンプラモデラーです。わたしはメタリックのギャプランを出品しています。
 その他の個人作品では、オープニングをイメージした松本君のウィングガンダムがすっごくカッコよかったです。堂々のアンケート1位を飾りました。また、フルスクラッチの造形ものも多く出たのが目立ってましたね。 そうそう、モゲラー陣の奮闘も忘れてはいけません。んー、部屋は狭かったですが内容は濃かったように思います。
 わたしのその他は、小さいながらもウィングに肉薄したチンクエチェント、昨年リタイヤの雪辱戦となった再びのクローソー、顔が似てなかったので削りまくったカイに乗るナウシカでした。 冒頭の「ベストシーズン」の言に違わず、4作品すべてベスト10入りを果たしています。はっはっは、思い知ったか(もうヤケです)。

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