野望の軌跡


1988年
 模型同好会デビューの年です。
 モデラーは、わたしの代が2人、2年生が3人、3年以上はよく分かりませんが、作っていたのは2人くらいだったと思います。 当時の展示会は旧作展示が当たり前で、毎度出撃する作品に新作が加わるといったスタイルでした。

春祭展示会(作品数1)
 右も左も分からずにとにかく1個作って出品しました。全面筆塗りの一式戦隼III型甲です。 当然1/72。このときからすでにサークル会館で休み時間や空きコマの時間にモデリングをしていました。 一応、ハセガワのII型から改造しました。資料は松本零士のまんがでしたが(笑)。

大祭展示会(作品数2)
 春祭はテーマがなかったと記憶していますが、大祭は「B」がテーマとなりました。Bの付くものならなんでもOKということになったと思います。 そのころのわたしは、Me262がお気に入りでMe262Bを2機作りました。このときに初めてエアブラシを使いました。感動でした。サークル会館で徹夜したのもこのときが最初でした。 大祭前日だというのに雨が降ってしまって、なかなか塗装に入れなかったのが記憶に残っています(結局雨の中で塗装した)。また、ロビーで塗装していたら写真部から苦情が出て大変困ったことになったりもしました。
 作ったMe262は、脚納庫の内側を削り飛ばして、コクピットのバスタブを再現するという大改造をしています。ベース付で飾ったのもこんときからかな? また、このとき、存在するバリエーションを勢揃いさせようという計画があったりしたのが今後の展開を示唆していましたね(笑)。

1989年
 春に映画「メタルブルー」を観たことによって大きく現用機に(F−16に)傾いた年でした。モデラー陣には1年生2人が加わり、上はなぜか変動なし(笑)。実働8名+アルファでした。

春祭展示会(作品数きっと3つ)
 当時の春祭は「教養学部祭」でしたので、参加するのは1,2年生が中心となっていました。3年生たちが「なんかあるのか?おうおう、春祭かぁ、もうそんな時期なのかぁ」とのたまっていたのが印象的でした。 「こりゃ、われわれがちゃんとしなければ・・・」
 うーん、このときの展示会はあんまりおぼえていないのです、実は。新人の石川君(のちに「をまつりおとこ」と呼ばれる)がオーラバトラーのガレージキットでデビューしたのがものすごくインパクトのある事件だったのはおぼえています。 このころはガレキって珍しかった。わたしの作品は、1/72の九七艦攻、ティーガーI、88mm対空砲あたりだったはずです、たぶん(笑)。
 意識してベースをつけた展示を始めたのがこのときでしたね。

大祭展示会(作品数たぶん7つ)
 テーマは「現用機」でした。このときのわたしはひたすらF−16シリーズの大量生産をしていました。AからDは言うに及ばず、YFもXLもNもって感じで13機くらいを同時進行していたと思います。 で、揃ったのはA,B,A PLUS,C,C BLOCK30,C(イスラエル仕様)の計6機。これを120cm×90cmの大ジオラマベースで展示したのでした(他に諸先輩方のハリアー、A−10、ファルクラムなどが並んだ)。
 もうひとつ、1/1000の宇宙戦艦ヤマトをウォーターラインにした作品があるのですが、これは春だったのか大祭だったのか定かではありません(^^;。でもこの年の作品です。うーむ、どうだったのだろう? 今と違って記録に残っていないというのがかなり惜しいです。当時の模同日誌をみればわかると思うのですが・・・
 それとイスラエル機。これはHUDなしで一回春祭に出していたかもしれません。「照準器がついて戦えるようになった」と言ったことをおぼえてますので。

1990年
 わたしが会長となり活動の活性化をはかった年です。また、掛け持ちしていたソフトボール部が全国大会に出場(金沢まで遠征した。わたしはベンチにも入れなかったですが)したりして結構忙しかったです。
 モデラー陣は、1年生が1人増援。しかもデビュー作が1/100ブーレイというバリバリのキャラモデラーでした。キャラもの&ガレキが普通になりつつある時代でした。 この学年、のちに2人のモデラーを生むことになります。上級生は相変わらず変動なし(笑)。何をしているんだか(^^;。実働9人+アルファ。

春祭展示会(作品数5)
 テーマは「大戦機」でした。2年生北原君の1/72 B−17を中心にヨーロッパ戦線、4年の高木さんの日本機を中心に太平洋戦線という展示ができました。 わたしは、かねてからの作品、Me262の単座型が2機完成、その他にスピットファイアとハリケーンのバトル・オブ・ブリテンシリーズを出品しました。
 その他は、お茶濁し的なたまご飛行機のF−16を総筆塗りで作っています。また、谷川さんのデスラー艦にタイアップして、ウォーターラインヤマトを再登場させた記憶があります。

大祭展示会(作品数6+スペースコロニー)
 このときのテーマは「海」と「ガンダム」という2本立てになりました。どうしても「ガンダム」をさせてくれぇという4年生の方がいらしたのであります(笑)。
 海の方では1年の吉田君が入魂の重巡「最上」を作ってきて、周囲をうならせました。また、北原君の米ソ潜水艦シリーズ(魚雷といわれた(笑))が目立ったかな? わたしは船ではなく、フロート付きの「震電改II」(松本零士のまんがに登場)をカタパルト付きで出展しました。結構ウケてましたね。
 ガンダムでは、谷川さんの赤い百式が力入ってました。また、名手「をまつり」のマークIIとネロ、ルフィーアのパーソナルマーキングがいかしてました(笑&なつかし)。 わたしはメタリック仕上げのギャプランを2日目になんとか登場させました。この時はみんな作品が上がらなくて、初日はリックディアス1機(&スペースコロニー)でしのぐという事態に陥りまして、反省しきりでありました。 そうそう、背景として全長70cmくらいのスペースコロニーを作ったのです。支えるのに苦労しましたが、すごく評判でした。
 個人作品としては1/144の飛行機シリーズでボールジョイントを使った飛行モデルを作っています。「高さのある展示」を意識したものでした。
 で、この年についに全作品新作による展示会というものが初めて成立し、以後当サークルの伝統となります。また、来場者アンケートも初めて実施しました。様々な意見を聞くことができて大変参考になりました。

1991年
 わたしの卒業年度です。どーもこの辺りからわたしの作例分野に狂いが・・・(笑)。
 モデラー陣は新人の増援はゼロという最大の危機となりましたが、わたしの上が2人残ってくれた?のと、2年生にモデラーが1人増えたので、トータル変更なしです。うーむ。

春祭展示会(作品数3)
 テーマは初のガレキ系「モーターヘッド」でした。みんなでモーターヘッドを買いに行ったのをおぼえています。 初めは「現用戦車」という初のミリタリーに挑戦!!というふれ込みだったのですが、湾岸戦争が始まってしまったために急遽変更になったのでした。 まぁ、今思えば5月の展示会だったので、実はものすごくタイムリーだったのにねぇ。今だにその時買ったメルカバがうちにあります(笑)。
 で、展示の方は、をまつりのジュノーン、エイトール、吉田のブーレイ(色を塗りかえた(笑))が会場を飾りました。わたしはナイト・オブ・ゴールドを買ったのですが、初めてのキャストキットにしては荷が重すぎて未完となりました。 替わりというにはアレですが、進級できないかも知れないという不安定さが生み出した1/15クローソーを出品しております。これが模同におけるフィギュアの始まりでございます(笑)。 同時に、マスコットフィギュアの「由貴」も出ました。むぅ、かろうじてBf110Dを出したというのがスケールモデラーの・・・。

大祭展示会(作品数9+シームルグ)
 テーマは「F1」でした。うーん、珍しくカーモデルです。この年は日本人F1ドライバーの先駆け、中嶋悟引退のシーズンであります。
 わたしはF1というか車自体まともに作ったことがなかったのですが、中嶋のラストマシン・ティレル020を作りました。写真で見る限りほとんと真っ黒だったのですが、タミヤの指定色は明るいメタリックグレー。 これにはほとほと憤慨したのですが、写真に撮ってみると真っ黒に写りまして、うーむ本物の色みたい、でもイメージが違うぞぉ、という複雑な気分にさせられました。
 もうひとつのメインは、当時はまっていたサイレントメビウスのシリーズでした。春祭の由貴につづき、レビア・那魅・キディ・ラリーと買いあさり、ベース付きでどどんと展示したのです。 香津美は先輩の岩崎さんにたのんでをまつりが作ってくれました(なんだこりゃ?)。また、フォルモでAIのディフォルメデューイも作っています。
 専門の飛行機もってことでMIG29の東ドイツ仕様、百式司偵、YF-22Aは危なっかしかったけど飛行モデルにして出品しています。
 にしても、卒業制作が「ディフォルメフィギュアシリーズ」ってのが泣けますね(笑)

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