鳥になった時

3.雲の谷間を飛ぶ



 それにしてもこの、たいして大きくない飛行機に9人も乗って、ホントに飛べるんだろうか? なんて余分なことを思っていると、最後にパイロットが乗り込んできた。いよいよ出発だ。
 空に飛び出したら、もう後戻りはできない。もう覚悟を決めるしかない。こうなったら徹底的にこの体験を楽しんでやろう。

 スターターが回り出した。この飛行機のエンジンは両翼に付いているため、窓越しにプロペラが回っているのを見ることができる。すぐにドドドッという音と伴にエンジンが掛かり、結構な振動が伝わってきた。
 パイロットは一通りのチェックを済ませると、エンジンの回転を上げた。小刻みな振動を伝わらせていたそのエンジンは次第にその排気音を滑らかな連続音へと変化させ、やがて機体はゆっくりと動き出し、誘導路を進んで行く。サイパンの、熱く照り付ける太陽により熱せられた滑走路上にいた飛行機の内部はかなり蒸し暑かったが、飛行機が進み出すと操縦席の窓から後方の搭乗口へと抜ける風が入ってきた。これによりだいぶ涼しくなった。


 灰色に舗装されている路面の所々には黒いタイヤ跡が残されていて、その向こうには何機かのジャンボ旅客機が見える。我々を乗せた小さい飛行機の大きさに比べ、空港はやたら大きく感じられた。

 そうこうしている内に滑走路上に達し、エンジンが高らかな爆音を発し始めた。飛行機はゆっくりと加速を始める。

 ぎっしり詰め込まれている機内では自由な身動きこそできないが、丁度目線の高さにある窓からは次第にその流れ行く速度を速めている外の景色を傍観できた。重いためか音の大きさの割にそれほどの加速はないが、それでも広い滑走路上で次第に速度を付けてゆく。

飛行機内部  響くエンジンの音、路面から伝わる振動、そして爽やかな風。
 機体がゆっくりと機首を上げ始めたのがわかる。
 やがて体を下向きに押さえつける軽いGを感じると伴に、飛行機は飛び立った。
 滑走路が次第に下方へ遠ざかってゆく。

 ああ、今、飛んでいる!
 上下方向の心地よいGを感じながら、飛行機はゆっくりと高度を上げてゆく。空港の周りには豊かな緑が広がっており、その緑は、はるか遠くの水平線まで果てしなく続く海に囲まれている。自分が今までいた所は「島」なんだなあと実感する。そしてその海の色はまさにコバルトブルー! 吸い込まれそうな、本当の青だ。その海と島の陸地の境目、つまり海岸線に沿ってある程度の幅の海底が白っぽく見える。珊瑚礁だ。コバルトブルーの海と、珊瑚礁の海の薄青緑色とのコントラストが印象的だ。

 一方島の緑の大地へと目をやってみる。サイパンで一番高い山は海抜473m。従って、それほど急峻な地形は見られない。そしてその地形のほとんどは熱帯性の植物で覆われている。海岸線に近いところには建物や道路などの人工物が多く見受けられ、太陽の光を受けキラキラと水面を輝かせる周囲約1.6kmのサイパン最大の淡水湖、ススペ湖も見える。


 ふと上を見上げて見ると、すでに雲がすぐそこまで来ている。この日は多少雲は多かったが、青空の広がる良い天気。地上からはモクモクとした塊に見える雲、それが目の前へと近づいてきた。

 私はこの雲を間近に眺め、さらにそのすぐ側まで近づくというのが、子供の頃からの憧れだった。空に浮かぶ白い雲を見上げて、あの雲の境界はどうなっているのだろう、内部はどんなかななどと考え出すと、興味が尽きることがなかった。実際はそんなことはないのに、きっと綿菓子のかたまりのように、”ここから雲ですよ”というはっきりとした境があるに違いない、そう子供の頃は思っていた。
 時が経ち、高原で時折目にする霧のような雲を見て、山肌を駆け上がる雲を見て、そしてパラグライダーという翼を得て不器用ながらも空を飛ぶようになったことで、雲というものの実態については分かってはいたが、いつかそのモクモクとした雲の周りを飛び回ってみたいという願望はいつも持ち続けていた。

 その夢が、現実のものとなっていた。飛行機は凛々と屹立する山のようにそびえる雲の間を縫うように飛び、ゆっくりと上昇してゆく。白く輝く雲はまるで急峻な崖を思わせ、その峰々が我々を取り囲んでいるようだ。時々、ちぎれ雲のように独立した雲の近くを飛行機はすり抜ける。その時、窓の外を半透明の白い幕が前から後ろへと流れ去ってゆくように見える。霧の中を進む自動車から外を見たような、あるいは焚火の煙の中へ自転車でつっこんだような、そんな時の景色にも似ている。
 その時私は、子供の頃夢見た「かたまりのような雲」というのはあくまで幻影でしかなく、その実体は単なる「霧」でしかないことを確信したのだった。知ってはいたことだったが…

 とはいえ、ある程度の距離を置いて見れば、やはり雲は「かたまり」だ。この際、細かいことは考えないことにしよう。


PHOTO: SKYDIVE SAIPAN INC. STEVE V/S


ページ最終更新:1998/3


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