パラグライダー初飛行の思い出

2.挑戦



 次の朝、あいにく天気は雨だった。

 N君と朝飯を自炊していると、インストラクター兼校長の角田先生が現れた。真っ黒に日焼けた顔をした、一見恐そうな人(しかし実際はそんなことはなく、とてもいい人)だ。糊を効かせ、しっかりアイロン掛けしたらしくポロシャツのエリがピンと立っている。顔は黒いが、その代わり服装はカラフル。颯爽とした出で立ちだ。

 「ようこそ。角田です。」
 「あ、鈴木です。よ、よろしくお願いします。」

 てな会話をしたかどうかは覚えてないが、とりあえず雨ということで、事務所内でパラグライダーについての簡単な講義と機材の説明をすることになった。

事務所内部  このスクールの事務所は元々馬鈴薯(ジャガイモ)の倉庫だったこともあり、学校の教室1〜2つ分の広さがある。それに農作物の倉庫があるくらいだから周りは山と畑。時折前の道路を通る車の音がする他は、屋根の薄い瓦を叩く雨の音が響いているくらいである。一通りの話の後、先生がそのパラグライダーの機体が入った袋を持ってきた。


 「本当にこんなもんで空を飛べるのかなあ?」
これが、初めてパラグイダーの機体を見たときの私の感想だった。

 ちょっと大き目のリュックサック状の入れ物の中に、なにやら畳んである布とヒモが見える。持ってみるとそこそこの重さで、具体的な数字で言えば5kg程度だという。
 しかし、中の布は広げると巾が10m以上にならんとする巨大さで、その至る所に細いヒモが取り付けられている。これが空中では傘の部分になる。一方、自分の体に接続する部分からはヒモが枝分かれしながらその巨大な布に向かって伸びており、ヒモの長さは5メートル以上はある感じだ。そのヒモが何十本もあるわけで、何だかすぐに絡まってしまいそうだ。

 聞けば、巨大な布の部分は尻尾を塞いだ鯉のぼりみたいな袋状になっていて、走って空気を孕ませてやると、断面が流線形をした奇麗な「翼」の形になるという。そして布といっても私のパンツみたいな素材と違って、かなり強力に編まれた特別な素材で出来ているらしい。さらに、絡みそうなほど沢山束になっているヒモも特殊な繊維を使っていて、一本一本が数十kgの強度を持っているらしい。凧糸とはちょっと違うようだ。


 そもそもパラグライダーというのは、10年以上前にフランスで生まれ、日本に伝わってきたスカイスポーツ。スカイダイビングで使われるパラシュートを元にして、独自の進化を遂げてきたスポーツだそうだ。

 このパラグライダーで飛んでいる時の姿をビデオで見せてもらう。遠くから見るとまさにパラシュートみたいなものがふわふわと空中に漂っているようにしか見えない。しかしそれは遠くから見ているからそう見えるだけであって、実際は時速30〜40km/h程の速度で飛行しているのだそうだ。
 傘の部分もパラシュートとは違って、飛行機やグライダーが持つ翼と同じように揚力を発生させる役目をしている。だからいわゆるパラシュートとは違って自由に操縦することができるのだ。そうか、パラグライダーというのはパラシュートではなく、「グライダー」とか「飛行機」と同じなんだあ。

 と、いうことはヘリコプターみたいにバックしたりすることは当然できないし、気球や飛行船みたいに空中に浮かんだまま停止することもできない。飛行機やグライダーにそれができないのと同じだ。
 そこで次の疑問が湧く。飛行機が滑走路から飛び立つのと同じように、上昇することができるのかということだ。これはエンジンでも付けない限り無理そうに思えたが、実際は違った。なんと、下から上へ吹き上げる自然の風を利用して上昇もできるのだった。


 これからはちょっと難しい話になってなってしまうが、ついでということで長々と書いちゃおう。
 この、上昇できる風というのはどういう風かというと、例えば山の斜面に沿って吹き上がってくる風だ。普通、風というのは地面と平行に吹くものと思いがちだが、山などの障害物に当たると斜め上へと方向を変える。この上昇風帯にいれば、高度を維持したり上昇することができるという寸法だ。ただしこういう風は、近くにある程度の斜度を持つ山があり、その斜面に対してほぼ正面から風が吹いてないと利用できない。

 そしてもうひとつが、サーマルと呼ばれる上昇風。太陽によって暖められた地面周辺の空気が熱気球のようにひとつの見えない塊となって登ってゆく。夏に良く見られる綿菓子みたいな雲は、この上昇風が上空の冷たい空気に冷やされて雲となったものだ。この、登っていく空気の塊の中に留まることができれば、一緒に上昇できるというわけだ。
 ただ、先ほど書いたようにパラグライダーは空中で停止することができないので、大きく輪を書くように同じ所で旋回を続けてその暖かい空気の塊の中に居続ける必要がある。うまい具合に旋回をしてサーマルの中に入ってさえいればどんどん上昇してゆく。これが傍から見れば、螺旋階段を登るように輪を書いて上昇してゆくように見えるわけだ。皆さんもトンビや鷹を見たら、その飛びかたをしばらく観察していただければ分かると思う。きっと螺旋状に旋回しながら上昇してゆくのがわかる筈だ。


 まあ、こういう上昇風を利用して長時間のフライトができるのはもっと上達してからの話で、今の私には関係なさそうだ。
 ところで、こういう自然の風に恵まれなくても上昇できる方法がある。先ほど、上昇するには「エンジンでも付けない限り無理」と書いたが、そのエンジンを付けてしまう方法だ。これは、モーターパラグライダーと呼ばれている。
モーターパラ  普通のパラグライダーと違う点は、背中にエンジンを背負って飛ぶということ。背負うのは約200ccの2サイクルエンジンで直径約1mのプロペラを回す、巨大な扇風機みたいなものだ。このプロペラを回すと飛行機みたいに上昇することができるのだ。
 普通のパラグライダーは上昇風で上昇できるとは言っても、最初は山の上などの高い所から離陸する必要がある。しかしこのモーターパラグライダーなら飛行機みたいに平らな地面から離陸することができるというわけだ。

 ここのスクールは主にそのモーターパラグライダーを使って練習するという。これにより、離陸・着陸ができるだけの広い平地があればフライトできるし、重い荷物を背負って山へ登る必要がないという利点があり、反復して練習できるので上達するのに有効ということらしい。

 そんなこんなでこの日は過ぎ、沼田市街へ下って尾瀬方面へ国道120号をしばらく走った所にある出来たばかりの温泉センター、「望郷の湯」でゆっくりとくつろいだのであった。


 次の日、またも雨だった。
太平洋上にある低気圧から湿った空気が流れ込んでいて、ここ群馬だけでなく関東全域が雨だという。こういう時の過ごし方はまあ、いろいろあるが、それよりも早くこのパラグライダーというやつをいじってみたい...



 この連休の最終日、ようやく晴れ間が見えた。喜びの表情でN君らと近くにあるエリアへと向かう。
 そこは見渡す限りの牧草地で、ゆるやかな斜面になっていた。早速パラグライダーを広げてみる。一方、自分の体にはハーネスと呼ばれる器具を付ける。このハーネスに付いている金具で、パラグライダーを接続する。前日までの講義でだいたいの扱いかたは聞いていたが、改めて角田校長の指導を受けながら準備する。と言ってもいきなり飛ばさせてくれるわけではなく、しばらくは地上練習なのだが。

 パラグライダーの翼から出ている沢山のヒモの一部をまとめた部分を持ち、風上に向かって構える。そして両腕に持ったヒモを均等に引っ張るようにしながら走ると、地上に広げたパラグライダーが空気を孕みながら膨らみ、頭上へと立ち上がってくる。この辺は何となく凧上げをする感じに似ている。ただその凧が幅10mを越える大きさだという違いがあるが。

 しばらく練習してみるが、なかなかうまく行かない。左右のバランスがとれていないせいか、立ち上がってくる翼がすぐに傾いて、地面に落ちてしまうのだ。これは力があれば良いというものではなさそうだぞ。


 それにしても周りの景色がきれいだ。広々とした牧草地は、何故か心の中までも開放的にさせてくれる。ここは赤城山の麓の台地になっている所なので、眼下に沼田の市街を見渡すことができる。さらにその向こうには、台形状のシルエットが特徴的な三峰山、その右隣に見える武尊山、そして奥には谷川連峰が連なっている。昼になって同じ場所で弁当にするが、その味もまた格別というものだ。

 さて、午後も引き続き地上練習に励む。ようやく左右均等の立ち上げに成功する率が上がってきた。頭上に浮かんでいる大きな翼が傾かないように操作しながら緩やかな斜面を走ったり歩いたりする。勢い良く走るとだんだん体が持ち上げられてゆくような感覚があり、この時背中を押してもらうとほんの少しだが浮くことができた。なんとも言えない感覚だ。

 そうこうしているうちにスクールのメンバーの一人、Sさんが飛ぶというので、その飛びを見学することにする。初めてパラグライダーが飛ぶところを見れるぞ。
 装備を点検し、エンジンをかける。吹き流しを見て風の方向と走る方向を確認する。そしていよいよスタート! 走り出すと同時にパラグライダーの翼が立ち上がってくる。頭上に均等に上がった翼を確認するとエンジンを吹かし始め、走る速度を次第に早めてゆく。そして数m程走ったところで足が地面から離れ、高らかなエンジン音を残してパラグライダーは上昇を始めた。

 おおっ! 飛んだぁ!
 確かに飛んでいる。エンジンを付けているとはいえ、人間がぶらさがっているのは布で出来た翼である。本当に飛ぶんだぁ。
 感心して校長先生に、「いやあ、本当に飛ぶもんなんですねえ。」なんて言ったら、
「そりゃ、あったりまえですよ。」と一笑されてしまった。

 Sさんのパラグライダーはゆっくりと牧草地上空を旋回している。次第に高度を上げてゆき、やがて空に浮かぶ一つの点になった。


 自分が飛べるようになった今でも、このシーンは印象として残っている。こんな簡単な道具で、人間が自由に空を飛べることの素晴らしさを初めて体験した一瞬だった。




ページ最終更新:1998/3


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