パラグライダー初飛行の思い出

3.達成感



 その後も練習を続け、その日もエリアで地上練習に励んでいた。

「どうですか鈴木さん、そろそろ初フライトに挑戦してみますか?」
いきなりの角田校長の言葉に、私は迷った。生まれて初めて自分だけで「空を飛ぶ」チャンスだったのだが、なかなか踏ん切りが付かずにいたからだった。

 しかし、このチャンスを逃すと、また次の週末まで待たなくてはいけない。
 かと言って焦って今飛んでケガしちゃったらどうしよう、足折ったら車運転して帰れないなあ、それより会社へ何て言い訳しよう、いいやまてよひょっとすると墜落して死んじゃうかも知れないなあ…… などと、想像力豊かな頭は次々と不安にさせる事項を思い浮かばせ、私を躊躇させるのだった。

 でも校長がそう言うということは、私に空を飛ぶのに最低限必要な技量が身についているということだろう。落ち着いて考えて見ると、すでに地上での翼の扱いにはそれなりの自信がある。確かに初めての経験に際しての不安はあるが、恐いという感じはしない。
 しばらく考えた末、初フライトに挑戦することにして、その旨を校長に告げた。

「わかりました。では準備しましょう。頑張って!」


 校長や友人の見守る中、フライトのための準備を始めた。ハーネスはきちんと体に装着できているか、ヘルメットや無線機の状態はどうか、パラグライダーのライン(ヒモ)に絡みはないかなど、ひとつひとつチェックしてゆく。いくら初フライトとはいえ、自分の意志で飛ぶもの。準備も自分でやる。

 さあ、準備が終わった。エンジンを背負い、パラグライダーをハーネスの金具に接続する。エンジンを掛けてもらうと、アイドリングの振動が伝わってくる。全身に緊張を感じる。
 風の強さと向きをチェックし、いよいよスタートだ。


 両腕にパラグライダーを引く手応えを感じながら走り出す。次第にその重さが軽くなってゆくのは頭上に立ち上がってきた証拠だ。頭上を見上げると翼が均等に広がっている。

「はい、いいですよ。そのまま。 少しずつエンジンを吹かして!」
ヘルメットに着けたヘッドフォンから校長の指示が聞こえる。左手に持ったエンジンのスロットルレバーを握ってゆくとエンジンの回転が高まり、ぐいぐい後ろから体が押される感じがする。
 「まだ!まだ! もっと走って!」校長の声が聞こえる。頭上にある凧のように広がっている翼。そしてそれが傾かないよう必死に操作しながら緩い斜面を駆け下りる。

 すると、だんだん体が上へと吊り上げられてゆくのが分かる。これなら、飛べそうな感じがする。体が上へと引っ張られているのでだんだん走りづらくなる。実際にはこの走っている時間はほんの数秒なのだが、それがやけに長く感じられた。そして、そろそろだと思った瞬間、足が地面を離れてゆく。

周りの風景

 やった! ついに夢が叶った! 今、飛んでいる!
 地面が、ぐんぐんと離れて行く。何か、自分の意志とは別の力が働いているような不思議な感覚。
 気が付くと、地面がずーっと下の方にある。自分達の乗ってきた車が見える。いつも見慣れた車のはずなんだが、何かが違う。あ、上から見てるからだ! そう気付くのにそう時間はかからなかった。


 パラグライダーの操作自体は簡単で、両手に持ったブレークコードと呼ばれるヒモを引くだけだ。右手のブレークコードを引けば右に曲がるし、左手のを引けば左へ曲がる。実に単純だ。しかし操作の仕方は単純でも、自由にパラグライダーを操れるわけではない。

 運転免許証を持っている方なら、車の運転と似たものがあるといえば分かっていただけるかも知れない。車の方向はハンドルを回すことで変えるが、初めて教習所でハンドルを握った時は真っ直ぐ走らせることすら難しくはなかっただろうか。カーブでも、その曲率半径に沿ったスムーズな運転など最初はとても出来なかった。
 初フライトの感動もそこそこに、私はパラグライダーを操縦しなければならないことに気が付いた。何しろ乗っているのは私一人である。放っておけば私を乗せた翼は空のどこかへ飛んでいってしまう。適切に旋回して、然る後に着陸しなくてはならない。

 この着陸というのが、慣れない内はじつに難しく、技術を必要とする場面だ。何しろ、飛んでいる状態から着陸するという動作自体が、普段の生活では絶対に経験のできないことだからだ。パラグライダーには自由に高度を変える装置は付いてないし、空中でブレーキをかけて止まることもできない。まあエンジン付きのモーターパラグライダーであればエンジンを吹かして上昇することは可能であるが、いずれにしても着陸時エンジンは止まっているのと同じくらいの回転に下げてしまうので、あまり関係がない。

 この日生まれて初めて飛んだばかりの私にとって、次に心配になったのが、この着陸をうまく行えるかどうかだった。地上ではあんなに広く感じた牧草地も、空から見てみると広大な大地の一部にしか見えない。あんな狭い所へ果たして降りられるのだろうか? それに、何しろ自分でもわかるほど緊張している。知識として着陸の仕方は教わっていても、このパニック状態の頭では次に何をしていいのかわからない。


 そんな私に適切に指示を与えてくれたのがヘッドフォンから聞こえる校長先生の無線の声だった。

「はい、そこで右(のブレークコード)を肩まで引いてー。」
「はい戻す。」
「今度は左を肩まで」
「吹き流しを良く見て。」

 まるで先生が一緒に乗っているんじゃないかと思う適切さで指示を受ける。この時ほどこの無線機から聞こえてくる声を頼もしく思ったことはなかった。

 エンジンを絞り、左右にターンしているうちに高度が下がってきた。着陸しようとしている牧草地がだんだん大きく見えてくる。いよいよ着陸だ。


 飛んでいる時はそれほどの飛行速度を感じなかったが、地面が近づくにつれ、パラグライダーが時速30km/h程の速度で飛んでいるのが実感できる。すぐ下の牧草が前方から後方へと結構な速さで通り過ぎてゆくからだ。あと数メートル。

 もう少しで着地しそうな所で無線機からの指示が飛ぶ。「そこで両手を腰まで引いて!」 両方のブレークコードを引くことにより飛行速度を落とすためだ。このフレアーと呼ばれる動作により安全にふわりと着地することができる。指示通りフレアーをかけると流れ去る牧草の速度がゆっくりとなる。あと少しで足が付く。

 次の瞬間、階段1〜2段分から降りた位のごく軽いショックと伴に足に自分の体重を感じた。
 すぐに後ろを振り向き、まだ立ち上がっている翼を地面に降ろす。
 やった、無事に着陸できたぞ!


 再び初めて空を飛んだことへの感動が湧いてきた。何故か、足が震えている。
 ほんの数分飛んだだけだったが、私にとって忘れられない時間だった。
 空は青く、大きな塊となっている白い雲がゆっくりと動いていた。




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