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河川の中上流部の渓相についての考察

別冊 安倍川大河内堰堤と白濁化現象について


2010年6月3日掲載

はじめに
 2008年頃、安倍川上流にある「大河内堰堤」(おおこうちえんてい)付近での「雨の後に白い濁りが長期間続く現象」が問題になっている事を知りました。
 個人的には、安倍川では雨の後に水の流れが透明に戻るのが他の川と比べて遅い事を知っていました。また「大河内堰堤」下流での白濁化現象もある程度知っていました。
 しかし、それが河川行政において問題視されている事は知りませんでした。
 それが問題になっているのは、どちらかと言えば嬉しく、また頼もしく思えたものです。つまり、安倍川の治水行政がより良い方向に向かっていると思えたのです。
でも、それに関する情報をネットで検索してみた結果では、残念なことに問題が解決に向かっているようには思えませんでした。

 そこで、私自身でもその問題の解明に取り組んでみました。それは丁度「河川の中上流の渓相についての考察」をかなり書き進めていた時期でもありました。
 そうして2009年の夏には、「大河内堰堤」下流の「白濁化」問題についての文章をほとんど書き終えていました。でもどこか不充分な気がして発表を控えていたのです。
 「河川の中上流の渓相についての考察」を第10章まで書き進めた最近になって、再度、文章を読み直し、その欠落部分を理解できたように思いました。

 この「別冊 安倍川大河内堰堤と白濁化現象について」は2009年の夏に書いた文章に加筆、訂正した文章です。いくつかの資料を読み返し内容に誤りの無いように確認しました。新たに加えた資料もあります。
 元々は河川行政を担当する「静岡河川事務所」に提案、提出することを前提とした文章でしたので、現地を知らない人には分かり難い部分が残っていると思います。写真などももっと多く使用して分かり易くするべきだったかもしれませんが、そうでないことをお詫び致します。なお、写真はクリックすると拡大します。

 文中に頻出する「上流」「中流」「下流」の言葉はほとんどが「安倍川」での「上流」「中流」「下流」の意味です。この地域にあるいくつかの河川と同様に「安倍川」には地形的意味での「下流」はありません。一般的河川に見られる砂や砂利や小石の「中流部」がそのまま「海」に流れ込んでいます。この事にもご留意下さるようお願い致します。

 参考になる地図は「国土地理院」2万5千分の1の地図「湯の森(静岡)」です。
上記以外にネットで公開されている地図は、いずれもこの付近については地名が不正確です。利用しない方が良いかと思います。

 不足している写真その他などは参考資料とした
「流砂系の土砂収支ー安倍川と静岡県清水海岸の例ー」や
http://oce.oce.kagoshima-u.ac.jp/~kaigan/sediment/etextcp03/aberiver.PDF
「静岡河川事務所ホームページ」
http://www.cbr.mlit.go.jp/shizukawa/index.html
に多く掲載されていますので参考にして頂ければと思います。
 その他に参考にした資料については文章の最後にまとめて紹介しています。

 この文章は「河川の中上流の渓相についての考察」の実証編とでも言うべき性格を持っています。「河川の中上流の渓相についての考察」では一般的な事象について抽象的に記述していますが、ここではそれを具体的に説明しています。
 2008年以後、「河川の中上流の渓相についての考察」を記述する時には「大河内堰堤の問題」を常に意識していました。「河川の中上流の渓相についての考察」をより良く理解して頂くための材料になれば、と思います。




建設当時の写真と現在を比較する
 「大河内堰堤」の下流で生じている白い濁りの現象を考えた時、それを解明するヒントと思える事があります。それは、「白い濁り」の発生が近年になって発生して来ている事です。「大河内堰堤」建設当時やそれに続く数十年の間には「白い濁り」の問題の発生は無かったようです。
 ですから、「大河内堰堤」建設当時の状況と、現在の状況を比較して、その間に生じた差異を考えてみることは重要だと思います。その間に何らかの変化が生じたのに違いありません。そこで、まず最初に「大河内堰堤」の建設当時の状況について考察してみます。

 幸いなことに静岡河川事務所のHPに「大河内堰堤」建設当時の写真が掲載されていましたので、その写真を考察した後に、それを現在の状況と比較してみたいと思います。

2010年5月現在、この写真は掲載されていません。2008年秋頃までは確かに掲載されてたのですが、その時私が見た「大河内堰堤」建設当時の写真は、残念なことに現在は掲載されていません。以下の文章は、私がその時に見た写真を元に記述したものです。
但し、建設以前の写真が掲載されている資料がありましたので、参考にして頂きたく思います。

参考資料:「静岡河川事務所」HP>砂防のページ> 安倍川総合土砂管理計画検討委員会>第二回委員会資料>PDFデーダ>20ページ
http://www.cbr.mlit.go.jp/shizukawa/02_sabo/07_iinkai/abe_sougo/02/iinkai.pdf
ここには、「大河内堰堤」建設以前の写真だけでなく、昭和62年当時の「大河内堰堤」の写真も有ります。さらには、後述する「大河内橋」の写真と、その下の堰堤の写真も掲載されています。

建設当時の写真
 過去の写真を見て、まず第一に気が付く事は堰堤の下流にある大きな石や岩の多さと、それらによって形成されているきれいな渓流の様子です。

 私自身の少年期や青年期には「安倍川」上流に行く機会は全くありませんでしたから、過去において「安倍川」上流にこれほど多くの大きな石や岩があり、立派な渓流があったとは想像もできない事でした。私が見るようになった「安倍川」は、既に砂や小石ばかりが多い荒れた姿でしたから、この写真の状況は全く意外でした。

 堰堤の大きさから推察して、一抱えも二抱えもあるような大きな石や岩が多くあった事が分かります。もちろん渓流ですから大きな石や岩ばかりがある訳ではありません。砂や小石も多くあったに違いませんが、大きな石や岩の数が非常に多かった事は間違いないと思われます。

 もうひとつ、それらの石や岩が日に焼けているように思われます。古い写真ですから色合いが変化しているのかもしれません。HPに掲載するまでに色合いが元の写真より変わってしまったかもしれません。ですから、このことは定かではありませんが、とりあえず気が付きましたので記述します。

 石や岩が日に焼けていることは、それまでの何年か或いはそれ以上の期間に大きな出水がなかった事を表しています。 このことから考えると、「大河内堰堤」を建設した事の是非も問題になるかもしれません。しかしながら、過去の堰堤建設の可否を今になって論じても意味はないでしょう。ですから、そう言う見方もある事だけ記述しておきます。

最近の写真  「大河内砂防堰堤」

 ☆「大河内砂防ダム」は国土地理院発行2万5千分の1地図「湯の森(静岡)」の安倍川上流の地名「渡本」の上流約600mにあります。
 ☆2009年3月撮影。建設当時の写真と同じような位置から写したつもりです。
近くにある看板の説明によると、正式名称「大河内砂防ダム」昭和26年3月完成、ダムの高さ17m、長さ64mとあります。幅は約30mです。建設当時は2段の砂防ダムでした。上から2段が建設当時からの段差です。残りの1段は建設以後川床が低下して形成されたものです。
 ☆撮影時点で、水の落ち口から川の流れの水面までの高度差は約20mです。
川床の低下によって出来た段差の場所に大量のテトラポットと大型コンクリートブロックが積み上げられています。テトラ等の手前にあるのは右岸山腹崩壊防止工事のための仮橋です。

最近の状況
 建設当時の「大河内堰堤」の写真を撮影した場所とほぼ同じくらいの場所から、現在の状況を見て最初に気が付くのは、やはり、川床の低下によって出来た新たな段差と、堰堤の下にある数多くのテトラポットとコンクリートブロックでしょう。

 もう、随分以前に「大河内堰堤」の下部が崩壊して、それを修復したとの報道があった事を覚えています。現在見られる多くのテトラポットとコンクリートブロックはそのような事態が再び起きないように、堰堤の基部に数多くきっちりと並べたものだと思われます。
 建設当時の写真ではテトラポットやコンクリートブロックは全くありません。建設当時の写真では「大河内堰堤」の基部からそのまま堰堤下流の水面が始まっていました。

 現在は「大河内堰堤」の基部の下手にテトラポットと大型コンクリートブロックが何段か積み重ねられて、下流の水面はそのテトラポットとコンクリートブロックの下流端から始まっています。 「大河内堰堤」の基部からテトラポットとコンクリートブロック下流端の水面までは2.5メートルから3メートルあります。
 つまり、現在の「大河内堰堤」下流の川床は建設当時と比べてそれだけ低くなっているのです。

 撮影時は工事中だったために、接近して撮影したり、距離を測ったりすることを遠慮しました。したがって2.5メートルから3メートルと言う数値は正確ではないかもしれません。先に参考として表示しました「静岡河川事務所」の写真を見るともっと大きな数値のような気がします。

 さらに、建設当時の写真と比べると、大きな石や岩の数が少ない事にも気が付きます。石や岩があっても小さな石や岩ばかりです。
 もうひとつ、谷が随分狭くなっているのも明らかです。これは川床の低下と同じ事ですが、過去に多くあった石や岩はその多くが失われ、谷がより深く狭くなったことを表していると思われます。ですから、河原も狭くなっています。これらは堆積している土砂の量が減っていることです。

 繰り返しになりますが、過去と現在を比べて明らかに解る違いは、先ず、大きく低下している川床です。次に、堰堤直下の石や岩の大きさと、その量です。古い写真では大きな石や岩の量が多い。それに対して現在の状況は大きな石や岩が少ないと言えます。
 実は、これらことが問題の原因であり、同時に全ての状況を明確に表している表象でもあると考えています。 以下の文章はそのことの説明であります。




川床の低下が意味するもの
 「大河内堰堤」の下流側で川床が低下していることは、堰堤直下だけの問題ではありません。「大河内堰堤」の基部から始まって、下流の「大河内橋」の下にある石組堰堤の下流でも川床の低下は続いています。さらには、もっと下流の「平野橋」周辺にまで及んでいます。

 「大河内橋」の下の石組堰堤の場合、「大河内堰堤」の建設によって川床の低下が始まり、橋の橋脚付近でも川床が低下しました。そこで、川床の低下による橋脚の破壊や損傷を防ぐために、橋脚直下にこの石組堰堤が設置されたのです。石組堰堤の建設以後は橋脚部分の川床の低下は無くなりました。
 ですから、川床の低下は「大河内堰堤」直下が最も大きく、下流に下るにしたがってその量が少なくなり、「大河内橋」の橋脚部分で最も少ないと考えられます。

 しかし、橋下の堰堤の上流でも、その下流でも基本的状況に違いはありませんから、その石組堰堤の下流でも再び川床の低下が発生しています。先に挙げた資料ではその段差が6メートルと記されていました。

 川床の低下はこれらの場所だけで発生している訳ではありません。「静岡河川事務所」のHPで公表されている書類では、安倍川上流の多くの場所で川床の低下が発生していることが記述されています。
 これについては改めて言及するつもりですが、ここではとりあえず、「白濁化」の問題に限って話を進めたいと思います。

左:「大河内橋」より上流を見る       右:「大河内橋」より下流を見る

 ☆「大河内橋」は国土地理院発行2万5千分の1地図「湯の森(静岡)」の安倍川上流地名「下村」にあります。上流に向かった時、右岸より左岸に渡る橋です。

 これらの川床の低下はなぜ生じたのでしょう。それは「大河内堰堤」の下流でも、「大河内橋」の下の石組堰堤の下流でも、大きな石や岩が少なくなったり、無くなったりしたからです。

 渓流にある石や岩は川の流れに段差を作っています。石や岩が大きければ大きいほど段差は大きくなります。また、石や岩が多ければ多いほど段差の数も多くなります。多くの場合、それらの段差がある所では水の流れは白く波立ち、或いは白く泡立っています。滝や堰堤も大きな岩によって出来た大きな段差だと言えます。

 渓流の流れの傾斜は、石や岩が段差を作る事によって作り出されています。石や岩によって土砂が堰き止められて段差となり、その段差が流れの傾斜を維持しているのです。川の上流部で傾斜が大きいのは上流部ほど石や岩が大きくて数も多いからです。
 下流で傾斜が少なくなるのは、石や岩の大きさが小さくなり、石や岩の数も少なくなるからです。
 大きな石や岩が多い荒瀬では川の傾斜は大きくなっています。平瀬では石や岩の大きさが小さく、数も少なくなって傾斜も少なくなります。

 上流部であっても、大きな石や岩が少なくなれば川はその傾斜を維持する事が出来ません。大きな石や岩が堰き止めていた土砂が流下して行きます。川床は低下して傾斜も緩やかなものに変化します。
 「大河内堰堤」の下流や、「大河内橋」の下の石組堰堤の下流での川床の低下は、大きな石や岩の減少がもたらした自然な変化だと言えます。

 「大河内堰堤」より「大河内橋」までの約3.5Kmの間では、淵が出来ているのは、屈曲地点の岸壁や岩盤による5か所だけです。また、荒瀬が出来ているのは2か所のみです。よほど大量の石や岩が無くなっていると思います。

 大きな石や岩が減少して川床が低下する現象は短時間で発生して終了することではありません。長い時間をかけて徐々に進行して、どこかでバランスが取れるまで続くものと思われます。

 「大河内堰堤」下流や、「大河内橋」の下の石組堰堤の下流では、大きな石や岩の喪失によって土砂の流失が引き起こされ、それが長い時間を掛けて現在まで続いて来たのです。そして放置すれば、今後も続くということです。

 「大河内堰堤」の場合、約60年の期間で約3mの川床低下がありました。ですから、「大河内堰堤」直下では3mの深さの土砂を下流に流出させたことになります。
 「大河内橋」の下の石組堰堤の場合では、それが6mでした。




「大河内堰堤」の下流で発生している濁りについて
 詳細を検討する前に事実を確認する必要があると思います。私自身はその現象をそれほど多くの回数見ているわけではありません。

 私がそれを初めて見たのはもう何年も前のことです。何年のことだったか、季節がいつだったのかも定かではありません。上流より車で下って来る途中、「大河内堰堤」上流の「瀬戸橋」で見た水の流れはきれいに澄んでいましたが、「大河内堰堤」の下流では白く濁っていました。

 増水の後の川の濁りも最初は茶色ですが次第にその色が薄くなり最後に白っぽい濁りとなり、やがて透明にになるのが普通です。ですから、白い濁り自体は不思議とも思いませんでしたが、「大河内堰堤」の下流でその濁りが急に濃くなって発生していることが奇妙に思えました。

 その後も、同様の白い濁りを何回か目撃しています。川の中で何らかの工事を行っていれば流れの途中で濁りが生ずるのも不思議ではありません。でも、そのような事が無くて、ある地点から濁りが急に発生するのは奇妙な事と言えます。
 今回この文章を書くにあたり、上記の出来事がいつであったのか記録をしておけば良かったと思ったのですが、今となっては手遅れです。




濁りの原因
 では、なぜこのような濁りが発生しているのでしょうか。

 私は、二つの原因を考える事が出来ると思います。
 第一に、堰堤下流での川床の低下によって地盤の浸食が行われていると思われます。これが「白い濁り」の発生原因だと思います。
 第二に、堰堤下流の渓相がその場所にふさわしくない、より下流の渓相であること。これは「白い濁り」が容易に解消されない原因です。 

第一の原因について
 先に述べましたように、「大河内堰堤」の下流は川床が随分低下しています。それによって、「大河内堰堤」の下流では川底で地盤(堆積した土砂の下にある土砂や岩盤)の浸食が行われているのではないでしょうか。
 「大河内堰堤」下流では長い年月の間に川床が低下して、川底に堆積していた土砂の量も少しづつその量を減らしてきました。川底に大量の土砂が堆積している間はその量が減っていくだけでしたが、堆積した土砂の量がある程度減って来ると、それだけでは済まなくなるのだと思います。

 増水があると、川底の土砂は下流への移動量を増やします。砂や小砂利は舞い上がるように、小さな石や岩は転がるように、石や岩はゆっくりと、それぞれに移動するのだと考えています。増水の量が多いほど土砂の流下量も増えます。
 堆積した土砂の量が多い時は、それらが川底の地盤に影響を与える事は無かったと思います。でも堆積した土砂の量が減って来ると、それら移動する土砂は地盤を削り取って行くのだと思います。固いものを削ったり磨いたりする時に研磨剤を加えるように、それらの土砂は地盤を削って行くのだと考えています。

 「大河内堰堤」直下の流れは谷も狭く堆積している土砂も少ないため、少しの雨でも地盤を浸食する状況が発生しているのです。これは堰堤の上流部と比較すると明瞭です。

「大河内堰堤」上流の写真
 左:「大河内堰堤」直上流         右:「瀬戸橋」付近

☆「大河内堰堤」すぐ上の渓相は堰堤直下と少し似ています。堰堤直下に比べると、河原は広くて大量の土砂が堆積していますが、石や岩の大きさは限られています。最も大きなものでも一抱えあるか無いかです。砂や砂利が多く、あとは小さな石や岩です。
 ☆「大河内堰堤」より約1Km上流の「瀬戸橋」付近では、石や岩は多く見ることが出来ません。砂や砂利ばかりの河原が広がっています。

 「大河内堰堤」のすぐ上流では堆積した土砂が極めて多いため、余程の増水であっても川底の地盤(堆積した土砂の下)を浸食することはないでしょう。但し、川岸を浸食する機会は多いと言えます。
 「大河内堰堤」の上流では、より上流から流れてきた濁りと、水の流れる場所の土砂に含まれる濁りが下流に流れれば、水は澄んでくるでしょう。

 「大河内堰堤」直下の下流部では、堆積した土砂が少なく谷も狭くなっているので、少し増水すれば、土砂の移動により下の地盤への浸食がすぐに始まると考えられます。増水している間に浸食されて発生した微粒子は川底の岩や石や砂の間に含まれていきます。水の流れは岩や石や砂とともにこれらの微粒子も下流に流していきます。

 「大河内堰堤」の下流部では上流から流れてくる濁りと、以前から土砂に含まれていた濁りと、地盤を浸食して新たに発生させている濁り、この三つの濁りを下流に流していると考えられます。
 ですから、上流からの濁りが消えた後も発生している「白い濁り」には地盤の浸食によって生じている濁りが多く含まれていると思います。

 「大河内堰堤」の直下では、既に川床の岩盤が露出している所があります。もちろん、「大河内堰堤」建設当時では見られなかったはずの光景です。
 江戸時代に発生した「安倍川」源流部の土砂大崩壊以後に、ここまで川床が低下したことは無かったはずです。 岩盤が露出した後では急速な浸食は無くなるものと考えられますから、この場所の川床低下はほぼ最終段階にあると思います。

 これら川床の低下による川底の浸食は、「大河内堰堤」の下流では堰堤直下、
「大河内橋」下の小規模な石組堰堤下流でも、堰堤直下で特に著しいと考えられます。

左:岩盤が露出している付近の流れ   右:「大河内堰堤」遠望

☆堰堤より200m位下流です     ☆左の地点よりさらに200m位下流の様子

第二の原因について
 第二の原因があるために、発生した「白い濁り」が容易に消えません。
 その原因として先に述べた「堰堤下流の渓相がその地点にふさわしくない、より下流の渓相であること」を説明します。

 河川、渓流では上流部ほど石や岩は大きく、また多くあります。下流に近づくほど大きな石や岩はその数が少なくなってきます。そして下流になるほど砂や砂利の割合が増えてきます。これは、どの河川、渓流でも当たり前のことで、河川、渓流の原則と言っていいでしょう。

 川床の低下の所で「大河内堰堤」から「大河内橋」までの間で大きな石や岩が少なくなっていることを述べました。そして「大河内橋」下の石積み堰堤のすぐ下流でも同様の事が起きていいることを述べました。
 ところがそれだけではなく、「大河内橋」下の石積み堰堤の下流から「平野橋」までの間でも、同様に大きな石や岩が少なくなっているのです。 「平野橋」上流にも大きな石や岩が全く無いわけではありません。でも、その割合はとても少ないと思います。
 これは、それより約1Km下流の「真富士の里」の付近の流れを見れば明瞭だと思います。「真富士の里」の付近には大きな石や岩も少しは残っています。但し、決して多いとは言えません。それに、それらの石や岩は大量の砂や小砂利に埋まっています。

 河川、渓流でも石や岩の量や大きさの変化は一様では有りません。上流から下るに従って石や岩は順に小さくなっていますが、沢や支流や崖の存在によって不均一に変化しているのが普通です。
 でも「大河内橋」から「平野橋」までの区間の状況は極めて不自然です。沢や支流や崖の存在を考えると「平野橋」上流にはなおさらもっと多くの大きな石や岩が無ければなりません。

 「大河内橋」から「平野橋」まで約4.5Kmあります。その間に淵と呼べるのは、流れが岩壁にぶつかって出来ている1か所だけです。荒瀬も石積み堰堤直下の1か所だけです。あとは全てまるで下流のような瀬ばかりが続いています。

左:「大河内橋」下流の中平付近の流れ    右:岩の付近の拡大図

 ☆左は中平(「大河内橋」の約1Km下流)付近の流れです。その写真の左辺より1/4位のところ、手前の流れの向こう岸にある岩を拡大したものが右の写真です。
 ☆右の写真中央の岩は、その付近で見ることが出来る最も大きな岩です。こちらから見てその幅は、約1.2mです。

左:黒部沢出合い付近より上流を見る   右:左の写真の拡大

 ☆左の写真は「平野橋」(地図に明記されています)上流、黒部沢対岸より上流を見たものです。広い河原を浅くなった水が流れています。広い河原は平坦で、水の流れとの高度差は少なくなっています。左側の写真右辺から1/4くらいの場所にある岩を写したのが右の写真です。
 ☆右の写真中央にある岩はその付近で最も大きなもので、こちらから見てその幅は約2mです。

大きな石や岩が少ないことが濁りが消えない原因になっています
 河川、渓流では、雨による増水によって、水中に濁りが発生します。わずかな増水の場合では水がやや白っぽく濁るだけですが、増水の規模が大きくなると濁りは茶色くなります。さらに規模が大きな増水では、より濃い茶色になり、さらに進めば水の流れもドロドロとした泥水となります。

 雨が止むと、緩やかな減水と共にその濁りは、次第に薄くなっていきます。その順序は濁りが強くなる時とは逆になります。ドロドロが茶色になり、茶色も色が薄くなり、やがて白っぽくなって、さらにそれが進むと、ようやく透明な水が戻ってきます。

 この濁りの解消にはもうひとつの規則性があります。それは、濁りは上流から解消されて来るというものです。中流で茶色の濁りが薄くなれば、その上流では濁りは白っぽくなっています。もちろん、河川には支流もあり、降水の状況や河川の状況により一律に変化するものではありませんが、だいたいにおいて、この規則性は間違いのない所です。

 多くの釣り人はこの規則性を承知しています。ですから、濁りの具合によって釣り場の選択を考慮します。より上流へ行けば釣りが出来るのか、或いは釣りをあきらめるべきなのか。
 自然の増水による濁りではこの規則性が当てはまりますが、人工の濁りでは当てはまりません。例えば、上流へ行くほど濁りが強くなる事があります。これは上流のどこかで河川工事が行われている可能性があります。釣り人はそれらを判断して釣り場を選択しています。

 少し脱線しましたが、それではなぜ河川の濁りは上流から解消されるのでしょう。これには二つの理由を考えています。

 第一に、上流では、大きな石や岩が多いために、濁りの元となる微粒子を溜める隙間が少ない。下流ではその逆で、小さな石や岩が多いために隙間が多い。

 第二に、上流では、谷が狭くて大きな石や岩が多いために増水により流れの場所の移動が少ない。下流では、石や岩も小さくて谷間も広いために流れる場所の移動が多い。

 第一の理由は、分かりやすいのでこれ以上の説明はしませんが、第二の理由はもう少し説明します。

 大きな石や岩はその岸辺や水中にあることによって、水の流れの位置を決定しています。岸辺に大きな岩や石があれば、水の流れはそれによって制御されて流れの方向を定めます。また水中にあれば、その場所を深くして水の流れを導きます。
 これらの大きな石や岩は重量があるために少しの増水では移動しません。或いは移動があったとしてもその移動量は少ないと考えられます。

 これに対して、小さな石や岩は少ない増水でも容易に移動してしまいます。また、大きな石や岩が少なくなった場合でも、水の流れはその位置を変更し易くなり、少しの増水でも流れが変わります。当然、水の流れも移動していきます。

 水の流れが移動すると濁りが多くなるのは何故でしょう。
 濁りの元は小さな微粒子であると考えられます。流れの位置がいつも決まって同じ場所でしたら、堆積した土砂の間に含まれる微粒子は、水に洗われてその量が少なくなって行くと思います。
 水の流れの位置が変わると、それまでとは違う場所の土砂に含まれる微粒子を新たに流して行くことになります。多くの場合、その場所は過去の増水の跡です。ですから、それらの微粒子の量も大変多いと考えられます。

 これは、砂や小石の海岸で見ることが出来る現象と同じだと思います。穏やかな海では、小さな波によって砂や砂利が揺れながら少しずつ移動していますが、濁りは生じていません。これに対して、海が荒れて波が大きくなれば、深くにある砂や砂利も移動して濁りも発生してきます。

 「大河内堰堤」下流から「大河内橋」までの間でも、「大河内橋」から「平野橋」付近までの間でも、大きな石や岩が元々あった量よりも随分少なくなっているはずです。これが、その地点にふさわしくない下流の渓相である、の意味するところです。
 したがって、その区間では濁りが容易に消えないのだと考えられます。

 これらの事から、次のように言えると思います。 「大河内堰堤」の下流で、増水の後に新たな濁りが発生して、それが消えるのが遅いのは、「大河内堰堤」より下流にあった大きな石や岩が少なくなり、川床が低下して、渓相が変化したからです。




「大河内堰堤」の下流でなぜ大きな石や岩が減少したか
 それでは、なぜ堰堤下流で大きな石や岩が少なくなったのでしょうか。これについて、その原因を3つ挙げたいと思います。

第一に、堰堤上流より大きな石や岩が流れて来なくなったこと。
第二に、過去の砂利採取により大きな石や岩が流され易くなったこと。
第三に、大きな石や岩が川から持ち出されたこと。

堰堤上流より大きな石や岩が流れて来なくなった
 大きな石や岩が流れて来なくなった。これは誰の目にも明らかなことです。「大河内堰堤」の建設によって、その上流部に土砂が堆積するようになりました。それによって川の傾斜は少なくなり、大きな石や岩が下流に流れることが困難になりました。

 実際、堰堤のすぐ上流では大きな石や岩はわずかしか見ることが出来ません。堰堤の上流で見ることが出来るのは、まるで下流部の様な水の流れです。
 淵らしい淵もなく、砂利や小さな石が平坦に広がる河原を浅い水が流れています。かって堰堤の上流にあったはずの、大きな石や岩は今でもそれらの土砂の下に埋まっていると思われます。

 それだけではありません。この渓相は年々上流に広がっています。以前は多少は深かった「藤代川」出合い付近や「入島」付近の淵も随分浅くなっています。
 「大河内堰堤」の上流では、淵や荒瀬が無くなり平瀬や早瀬やザラ瀬ばかりになっているのです。

 これらの状況は「大河内堰堤」の建設だけが引き起こしたものではありません。「大河内堰堤」より上流の本流にも幾つかの砂防堰堤が、そして各支流にも数多くの砂防堰堤が建設されています。それらによって、堰堤上流の「安倍川」本流に大きな石や岩が流れてくることが大変少なくなりました。
 つまり、大きな石や岩が流れて来ないのは、「大河内堰堤」と本流及び各支流の砂防堰堤群がそれをせき止めているからです。

 渓流では、淵や荒瀬や瀬などの景観を、石や岩が作り出しています。それらの石や岩は、私が「自然の石組み」と呼んでいるところの、自然に出来た組み合わせによって流れの中でも流される事が少なく維持されています。

 しかしその「自然の石組み」は、上流から流れて来る石や岩が無くなると維持されるのが困難になります。渓流の上流部に石や岩が多くあったとしても、その場所への上流からの供給が無くなれば、石や岩が次第に流され、その場の石や岩の量は減っていきます。
 「大河内堰堤」の下流では、このことにより大きな石や岩の数が減り、川床が低下したと考えられます。

砂利採取によって石や岩が流され易くなった
 かって、「大河内堰堤」のすぐ上流とすぐ下流で砂利採取が行われていました。このことが堰堤下流に良くない影響を与えました。

 淵や荒瀬などの景観も、上流から流れて来る石や岩が無くなると維持されるのが困難になることを記述しましたが、石や岩だけでなく砂利の場合でも、上流から流れて来なくなるとそれまでの渓相が維持され難くなります。
 砂利も流れて来なくなると、大きな石や岩もその場に留まる事が困難になり、やがて少しづつ下流に流されていきます。大きな石や岩だけでなく砂利もまた「自然の石組み」を形成するための要素なのだと思います。ですから、淵や荒瀬や瀬などの「自然の石組み」も壊れて渓相も変化していきます。

 砂利採取の後でその場の渓流がその様相を変えてしまった例を挙げる事が出来ます。
 例えば玉川(安倍川支流西河内川を地元ではそう呼びます)の「西山橋」上流にあった砂利採取場の跡は砂や小砂利が広がるだけの広い瀬になってしまいました。
 「大井川」の「東河内川」合流点の下流では、畑薙ダム建設当時の砂利採取地であった場所が今でも砂利と砂が広がる河原のままです。

 砂利採取場のあとの渓相が平瀬になってしまった例はその他にもあると思います。
 「安倍川」で盛んに砂利採取が行われていた当時、砂利採取場は他にも何か所もあったと記憶していますが、それがどこで行われていたのか、当時は砂利採取が渓流に与える影響の事など考えてもいなかったので、ほとんど思い出すことが出来ません。

大きな石や岩が持ち出された
 「大河内堰堤」の下流で大きな石や岩が無くなった最大の理由は、それらが持ち出されてしまったことによるものだと考えています。

 「大河内堰堤」が建設された時代以後、いわゆる重機等の建設機械などの発達により、それまでは容易ではなかった大岩や大石の運び出しや運搬も容易となりました。
 それによって「大河内堰堤」下流に限らず「安倍川」から極めて多くの石や岩が持ち出されてしまいました。

 河川敷からの石や岩の持ち出しは禁止されています。ですから、河川管理者以外がそれを行えば犯罪となります。広い河川敷を持つ「安倍川」ですから、それらの行為が無かったとは言えないでしょうが、全体としてみればはそれらは少数でしょう。
 どのような工事が行われ、どのような事情があったかは知りませんが「安倍川」からは極めて多く石や岩が持ち出されてきました。これは誰の目にも明らかなことです。

 「大河内堰堤」下流の場合でも、全ての場所において著しくそれが行われてきました。
 「大河内堰堤」下流の「有東木沢」「白沢」出合いではそのことが極端に表れた状況になっています。あの場所は地形的に考えた場合、普通の場所よりもより多くの石や岩が堆積しているはずの場所と言えます。

 二つの大きな支流が流れ込んでいる。下流に谷の幅の狭まった大きな屈折地形がある。このことから、あの場所にはとても多くの石や岩があったはずなのですが、現在ではその他の場所よりもかえって少ない位の石や岩しかありません。あったはずの石や岩はほとんど持ち出されてしまったのでしょう。

左:有東木(ウトウギ)沢出合  右:有東木沢、白沢出合付近を下流より望む

 ☆有東木沢合流地点(「大河内堰堤」下流約1.5Km)では何故か本来の河川の状態が残されています。写真の中の上部を流れる本流と比べるとその違いは歴然です。これら自然状態の石や岩が残されているのは、有東木沢を渡る橋の上下の短い区間だけです。その上流の有東木沢では長い距離が3面コンクリートで覆われています。
 ☆有東木沢が本流と合流した直ぐ下流、約200mで、白沢が合流しています。白沢合流地点では本流同様に石や岩が持ち出されてしまったので、本流と同じような流れになっています。

(蛇足ですが以下についても指摘する必要があると考えています)
 あの場所の県道から水際までの間を埋め立ててしまったのも、間違いだったと考えています。
 特別な環境にあるあの場所は、特別大きな出水の際に遊水地的な役割を果たしてきたと考えられます。つまり、あの場所を埋め立てたのは遊水地的な場所を無くすことであり、下流に洪水をより発生し易くすることだと思います。

 ☆堰堤上流より大きな石や岩が流れて来なくなったこと。
 ☆過去の砂利採取により大きな石や岩が流され易くなったこと。
 ☆大きな石や岩が川から持ち出されたこと。
以上三つが「大河内堰堤」下流から石や岩が無くなった理由だと考えています。

 「大河内堰堤」から「平野橋」付近までの渓流の景色は荒れた渓流の姿である以上に、奇妙な光景と言えると思います。他の河川に比べて流程が短い割に流れの傾斜が強い「安倍川」の上流部において、このような渓流の景色があるのは異常であると言ってもいいと思います。

 この「大河内堰堤」下流の問題は「大河内堰堤」だけの問題ではなく「安倍川」の他の場所にある大型の「堰堤」でも同じことが発生していると思います。安倍川本流にある二つの大きな堰堤や玉川の堰堤などがそれです。




改善方法
 「大河内堰堤」の下流で発生する濁りを無くすためには、これまで述べてきたことを改善することだと思います。
 したがって、「大河内堰堤」から「平野橋」までの間で石や岩、特に大きな石や岩を増やすことしか解決方法は無いと思います。
 さらに、 濁りの問題だけでなく「安倍川」全体の治水を改善しようと考えるなら、「大河内堰堤」上流についても同様の方法を考える必要があります。

方法その1
 「大河内堰堤」上流の本支流の堰堤を改善して、石や岩が下流に流れるようにする。もちろん「大河内堰堤」も改善する必要があります。そして「大河内堰堤」の下流でも、いくつかある支流の堰堤も改善する必要があると思います。

 改善の方法は比較的単純です。堰堤をスリット型堰堤に作り替えて上流から石や岩が流れて来るようにする。または、堰堤の中央部を少し欠いて低くする事も考えられます。
 これらの方法の意図とその仕組みについては「河川の中上流部の渓相についての考察」第2章「堰堤について」をご参照下さい。

 工事自体は単純であっても、河川全体を考えた場合は容易なことではないかもしれません。と言うのは、もちろん誰でも気が付くように、それは土砂の流下量を一時的に増やす事だからです。
 下流から少しづつ少しづつ様子を見ながら、時間を掛けて実施していくより方法はないと思います。

方法その2
 堰堤を改善しても上流から大きな石や岩ばかりが流れてくるわけではありません。流れてくるのはそのほとんどが砂や小石であり、大きな石や岩があったとしてもそれらはごく少量に過ぎません。

 したがって、「方法その1」を採用したとしても、それによって渓流に石や岩が戻り、昔の姿には戻るためには長い長い時間が必要でしょう。河川、渓流の景色の形成には長い歴史があったのです。
 先に述べた「玉川、西山橋付近」や「大井川、東河内川、合流点下流」の砂利採取地の例を考えると、「大河内堰堤」下流でも十年、二十年、 いえ、それ以上に長い年月が必要でしょう。一度失われた渓流の回復は容易なことではありません。

 より短期間に効果を上げる方法が考えられます。と言うより、先にこちらの方法を実施しなければ「方法その1」は効果が無いかもしれません。
 「大河内堰堤」の下流に大きな石や岩を持ち込む方法です。 幸いなことに、「大河内堰堤」より「有東木沢」までの間は谷間が狭いので、案外容易に川床を上昇させることが出来るかもしれません。

 但し、テトラポットやその他、渓流でよく見かける人造の石の類ではその役目は果たせないでしょう。 その事は、すでに多くの場所に置かれている人造の石の状況を見れば一目瞭然です。
 それらの人造石は単独では流され易いので幾つも連続して或いは連結されて設置されているのが普通です。その連続して設置された人造の石の周囲にあるのはどこでも砂や小石ばかりです。

 それらの人造の石では隣に石や岩が並んだ「自然の石組み」を形成することが出来ないのです。人造の石や岩が作り出すのは、無機質で不気味で不自然な光景だけです。

 既に自然の景観が随分失われてしまった「安倍川」の上流にさらに、不自然な構造物を持ち込むのも大きな抵抗があります。 したがって、谷間に持ち込む石や岩は自然石でなければなりません。
 先に述べた理由から、それらの石や岩を「大河内堰堤」の上流から運びこむのは無意味です。ですから、それらは採石場から、或いは大きな石や岩が余っている他の河川から運び込まねばならないでしょう。

 多くの石や岩が必要になる事は容易に想像できます。先に述べた人造の石の場合と違って、持ち込む石や岩の大きさは必ずしも一定である必要はありません。もちろん特別に大きな岩は必要になるでしょうが、必ずしも特別大きな岩ばかりが必要になるわけではないと思います。

 そして、それらを出来るだけ自然に近い状態に配置させれば、上流から流下して来る土砂とそれらが一緒になって、「自然の石組み」を作り自然の段差を形成させる事が出来ると思います。そうすれば川床の土砂の堆積が厚くなり、浸食も少なくなり、濁りも自然と少なくなると思います。

 白い濁りの発生を防止する事を考えた場合、「大河内堰堤」直下の下流にこれらの方法を試みるのは悪く無い方法だと考えます。と言うのも、川底の浸食は川床の低下が大きい場所ほど激しいと考えられますから、川底の低下が最も大きい「大河内堰堤」直下での濁りの発生を抑えれば大きな効果が期待できると考えられます。




安倍川の治水
大谷(おおや)崩れ
安倍川の治水について考えるとき、必ず出てくるのが最上流にある「大谷崩れ」の大崩壊です。

 独立行政法人 防災科学技術研究所のHP「防災基礎講座」
>扇状地平野の洪水、
http://www.bosai.go.jp/library/saigai/s05senjyou/senjyouchi.htm
によると、
 「最上流部にある大谷崩れの大崩壊は、1630年ごろから100年以上引き続いて1.2億立方mの土砂を流出せました。・・この荒れ川を治める工事が・・以来営々と続けられてきました。・・・」とあります。
 文末に示した参考資料のいくつかにおいても「大谷崩れ」について記述されています。

 ですから、安倍川が荒れ川であり、大量の土砂とその治水の困難さの原因は全てこの「大谷崩れ」にあるとされて来ました。実際、私も長い間そのように信じてきました。
 でも最近は、この考え方が間違えているのではないかと思っています。

 もちろん引用した記述内容は事実であり、現在でも営々と続けられている「大谷崩れ」の治山工事が間違えていると考えている訳ではありません。私が考えているのは全ての原因をそこに求めるのは間違えているという事です。

 「大谷崩れ」周辺で続けられてきた先人や現在の人々の努力には頭が下がる思いがしています。でも、問題はそれらの下流にあります。特に最近40〜50年間位の治水工事はその目的とは逆に安倍川を荒れさせているのだと考えています。

 山地が雨水によって浸食されて、それら山地から産出された土砂が、河川の水によって流下して行くのは普通の出来事です。これらの土砂の流下の仕方は一様ではありません。
 砂や土は早く下流に流れていきますが、石や岩は長い時間を掛けて下って行きます。特別に大きな石や岩は容易に流下しません。これによって、渓流や河川の独特の景観が作られています。

 この事情は「大谷崩れ」やその他の「土砂崩れ」或いは「土石流」の場合でも同じです。様々な大きさの土砂が河川に流れ込んだ後で、最初に土や砂が流下して行きます。それに続いて徐々に大きな土砂が流下して行きます。
 ですから、「土砂崩れ」や「土石流」の跡には次第に石や岩や大きな石や岩が取り残されるようになります。

 これら石や岩、大きな石や岩はその他の土砂を堰き止めてその場所に段差を作り、全体の傾斜を維持します。河川上流の強い傾斜はこれによって維持されています。

 この石や岩による渓流の段差は水の流れに淵や荒瀬を作り、それら個々の場所の水深を深くしています。この淵や荒瀬は、その場所に曲がりくねった流れや水深を作ることによって、急激な増水の場合もそれを穏やかなものとします。
 また、水深があることによってその場に土砂を溜めて、上流から急激に流れ込んだ土砂の流下を穏やかなものに変えています。

 多くの人々の努力によって、現在では「大谷崩れ」から大量の土砂が下流に流れ込んでくることは少ないと思います。ですから、発生以来長い期間を経た「大谷崩れ」の下流には多くの石や岩や大きな石や岩があったはずです。それらによって、急激な水の流下も急激な土砂の流下も少なくなった可能性がありました。

 でも残念ながら、「大谷崩れ」の下流では幾つかの堰堤が作られ、石や岩や大きな石や岩も数多く持ち出されました。ですから、安倍川上流、中流では石や岩や大きな石や岩が少なくなり、土砂が必要以上に流下して川床が低下しました。
 これらは全て、最近40〜50年間に行われた治水事業によってもたらされたものです。

 安倍川から石や岩が少なくなっているとの認識は私一人のものではありません。
「静岡河川事務所」のHPでも「安倍川流域委員会」において、中流や下流で大きな石や岩が流下して来ないことが流域委員によって具体的に指摘されています。この安倍川流域委員は河川管理の関係者ではなく一般人です。また、同様にそれらの区域で淵が無くなった事も指摘されています。

 大きな石や岩が少なくなっているのが、安倍川が荒れている理由であると、再三説明して来ました。そしてその最も大きな原因は「石や岩の持ち出し」であると言えます。

 堰堤が行き過ぎて建設されたとしても、それより上流の石や岩の多くは上流に埋まっている事でしょう。その下流の石や岩が下流に流れたとしても、下流のどこかに止まっているはずです。
 上流のコンクリート護岸が石や岩を下流に流したと言っても、それらは、やはり下流のどこかに止まっていあるはずです。でも残念な事に、それら流下したはずの石や岩は「安倍川」のどこにもありません。

 ですから、「安倍川」が荒れた最大の理由は「石や岩の持ち出し」です。
江戸時代に発生した「大谷崩れ」だけをその原因にするのは間違えています。

石や岩の持ち出し
 山地からの土砂の流入の中でも「土砂崩れ」など規模の大きな場合では、土砂の量も多くなります。それに対して、河川の水量が大きく変動することは少ないので、そこからの土砂の流下量にも限りがあります。ですから、渓流、河川に堆積する土砂の量も偏在することが多いと言えます。
 このような場合に、河川、渓流からの土砂の持ち出しは治水の方法として有効なものと考えられます。

 しかし、それが行き過ぎたものとなれば逆に治水に悪影響を与えます。つまり、正常で秩序のある土砂の流下が阻害されます。安倍川での行き過ぎた石や岩の持ち出しがこれにあたると思います。

 上流で大きな石や岩の持ち出しがあれば、段差を失った土砂の流下が増えます。
 上流からの土砂の必要以上の流下は、もちろん中流下流の土砂の堆積となります。それが洪水の要因となる事は言うまでもないことです。
 ですから、石や岩の持ち出しは安倍川中流下流の治水にも悪影響を与えています。

 石や岩の持ち出しが治水に悪影響を与えているのは、上流の大きな石や岩だけの問題ではありません。上流だけでなく中流下流からの石や岩の持ち出しも土砂の流下を阻害します。
 石や岩は、それより小さな土砂の流下を促進しています。それらの石や岩は特別大きな石や岩ではありません。中流下流にある大きな石や岩は人の頭大の石や、握りこぶし大の石です。でも、それらが持ち出されれば、やはり、より小さな土や砂や砂利などの流下が妨げられます。

 石や岩の持ち出しだけが中流下流の土砂の堆積を悪化させているのではありませんが、大きな影響を与えていることは間違いありません。
 これらの事は本編の「河川の中上流の渓相についての考察」をご参照下さい。

 いつ、どこで、どれだけの石や岩が持ち出されたか、それを詳細に説明することは出来ません。私がそれを知るのは多くの場合、古い写真によってであり、過去に眺めた安倍川の景色の記憶によってです。でも、確実に極めて多量の石や岩が持ち出されています。

 それらの大きな石や岩の持ち出しは、いちどきに全て行われるのでは無いようです。先ず、重機が河原に入って大きな石や岩を集め、1か所にそれらを集めます。その後に、集められた石や岩がトラックに積み込まれて運ばれて行くようです。
 ですから、安倍川沿いの道路を行きかう多くの人々がこれらの光景の一部を見ているはずです。全てを観察している人は少ないと思います。
 中流の「玉機橋」(たまはたばし)下流では、河原に小型のトラックを乗り入れ、人の頭の大きさの岩を直接積んでいるのを何度か見た事があります。

 流域の住民の多くが、それらの工事や行為を直接見た経験を持っていると思います。また、多くの人々が「安倍川」の河原を観察して「石や岩の持ち出し」が行われている事を知っていると思います。それは、治水や景観や自然に興味を持って安倍川を観察して来た、釣り人や一般市民の皆さんです。

 「石や岩の持ち出し」がなぜここまで酷く行われてしまったのか、その状況や、原因を探し、早急に改善しなければなりません。
 そうしなければ安倍川の治水の困難さは増大していくばかりです。

石や岩の持ち出しとその資料
 安倍川上流の川床の低下と、中流部の土砂の堆積は「静岡河川事務所」のHPでも大きな問題とされています。HPに掲載されている多くの文書でも、この問題について、極めて詳細に調査されて記述されているのを見ることが出来ます。
 全く部外者の私は初めてそれらを見たときに、ここまで調査検討されているのか、こんなにも費用を掛けているのか、と驚いたものです。

 実際「静岡河川事務所」の皆さんは、これらの問題について熱心に取り組んでいると思います。もちろん「白い濁り」の問題の場合でも同様に詳細に調査されて検討されています。
 しかし、それらの文書においては持ち出された石や岩についての記述はまったくありません。少なくとも「静岡河川事務所」のHPにおいては、石や岩の持ち出しについて一言の言及もありません。HPにおいてはそれらの工事や業務は全く無かったことになっています。

 河川における石や岩の重要性を述べ、その機能について説明しているのは、今のところ、このHP上の私の文章に限られているでしょうから、仕方ないのかもしれません。でも、残念であり、不思議なことだと思っています。

 「安倍川」での砂利の採取については、その期間や場所について記述されて、その影響も検討されています。(ここで言う砂利採取は現在下流で行われている流路の確保のことではありません。過去に行われた中流部での砂利採取のことです。) なぜ、同様に川から持ち出された石や岩についてはその記述がないのでしょう。

 石や岩の持ち出しは、砂利採取事業が始められる前より行われていたと思います。また、砂利採取事業が終了した現在でも石や岩の持ち出しは続いています。
 それが安倍川の至る所で行われ、また長期間行われてきた事は間違いのないところです。ですから、持ち出された量(体積)は砂利採取による量に匹敵するのではないかと考えています。もしかするとそれ以上かも知れません。

 そのことを考えると、治水を検討する際に、石や岩の持ち出しが考慮検討の対象からまったく外れているのはまったく不思議です。

 さらに、持ち出された石や岩は、市場に流通すれば砂利や砂よりも高価な商品となっていると思います。
 ですから「静岡河川事務所」において、それに関連する資料が無いとは思えません。何らかの資料があるはずです。

 どれだけ有能な人材を集めて「安倍川」の治水を論じたとしても、その基礎となる基本のデーターが欠けていてはより良い結論を得る事は出来ません。それらの資料を是非公開してその他の資料と比べ、治水を検討する際の資料として役立てて頂きたいと思っています。

安倍川の治水
 私は、「安倍川」が日本一「荒れた川」だと思っています。 上流から下流まで満遍なく荒れています。
 上流では堰堤上に土砂を堆積させ、その下流は川床が低下して、共に渓流の姿が失われています。
 中流には土砂があふれ、堤防のかさ上げをしなければなりません。冬には水の流れが消滅することも珍しくありません。
 下流では流れなくなった土砂をトラックで運び出しています。
 上流から河口までの距離は約60Km。たいしたものだと思います。

 日本の河川には至る所で治水施設やその構造物が設置されています。それらが設置されていない河川はどこにも無いと思います。また、国土にこれだけ多くの治水施設や構造物を設置している国は日本以外には他に無いとも考えています。
 ですから、「安倍川」はもしかすると世界一かもしれません。もちろんそれは、人が手を加えた河川のうちです。人が手を加える事が出来ずに荒れている河川は世界中に数多くあるでしょうから。

 私は「安倍川」を、言うところの「先進事例」としてより多くの人々に知ってもらうべきだとも考えています。現在の治水のやり方を続けていけば、日本中の河川の上流や中流がこのようになると言う見本です。

 ですから「安倍川」は貴重な観光資源であるとも考えています。でも、その事を私はちっとも嬉しく思っていません。全く情けなく、恥ずかしく、腹立たしく、悲しくて泣き出したいくらいです。

 どうしてこんな事になってしまったのか。どうしたら改善するのか。多くの皆さんに見て頂きたい、考えて頂きたいと思っています。

 そして、いつの日か「安倍川」が日本一美しい川で、人々の知恵と努力が結晶した、治水が成功した川として認められるようになる事を強く願っています。



参考文献

国土交通省 「静岡河川事務所」ホームページ
http://www.cbr.mlit.go.jp/shizukawa/index.html  

国土交通省 「安倍川における濁水長期化現象に伴う水質調査」
株式会社スルガコンサル 技術部調査課 杉山 雄高
http://www.sz-cca.com/files/seminar/5d9efa2d8c76794b43f44895f09193ce.pdf

国土交通省 「静岡河川事務所」>砂防のページ>安倍川水環境検討委員会
>第1回>資料5(調査計画(案)について)
http://www.cbr.mlit.go.jp/shizukawa/02_sabo/07_iinkai/kankyo/01/5.pdf

国土交通省 「静岡河川事務所」>砂防のページ>安倍川水環境検討委員会
>第3回>資料「第3回水環境委員会」
http://www.cbr.mlit.go.jp/shizukawa/02_sabo/07_iinkai/kankyo/03/siryou.pdf

ようこそ「海岸環境保全学ホームページへ」(西 隆一郎)
「流砂系の土砂収支ー安倍川と静岡県清水海岸の例ー」
http://oce.oce.kagoshima-u.ac.jp/~kaigan/sediment/etextcp03/aberiver.PDF

国土交通省 「静岡河川事務所」、パシフィックコンサルタンツ(株)、坂田電機(株) 「安倍川砂防における低周波を用いた土砂移動実験」
http://www.sakatadenki.co.jp/technology/ronbun/pdf/ronbun007.pdf

独立行政法人 防災科学技術研究所「防災基礎講座」
http://www.bosai.go.jp/library/saigai/firstpage/readme.html

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