The short history of |
"Jesus Christ Church in Japan" |
(日本イエス・キリスト教団小史) |
ここでは、わたしたち「日本イエス・キリスト教団」の歴史を紹介したいと思います。
わたしたちの教団が、どのような経緯をたどって歩んで来たかを知ることは、現在まで引き継がれてきた信仰の確認と継承、またこれから「わたしたちの教団が果たすべき役割」を知るためには、重要です。
日本の「プロテスタント教会」の歴史に触れつつ、短く『教団の歴史』を紹介させて頂きます。
「プロテスタント伝来」、「日本伝道隊時代」、「教団前史」、「教団史」の4つの時期に分けて、紹介していきます。
T「プロテスタント伝来」(1859年〜1890年頃)
江戸時代初頭から220年余り続いた「禁教政策」がゆるみはじめ、日本に「福音」が伝えられたのは、1859(安政6)年でした。江戸幕府の国是であった「鎖国」政策を突き崩し、通商国交の扉を開いたのは米国の「浦賀沖に黒船で来航」したことで有名なペリーや、初代総領事となったハリスたちなのでした。
当初プロテスタント「伝来ルート」は、3つ(横浜バンド<ヘボンら>、熊本バンド<ジェーンズら>、札幌バンド<後のクラーク博士ら>)がありました。このようなルートを通して、主に「外国人居留地」を拠点として、初代の宣教師たちが来日し、宣教活動を開始しました。「禁教政策」がまだ続いているにも関わらず、この年の暮れには日本人受洗者が起こるなど、すさまじい宣教状況であったようでした。
このように初代の宣教師たちは、巡回地や教会での伝道・牧会、聖書・讃美歌の翻訳事業、そして教会、神学校、ミッションスクールの建設などに、「日本伝道の推進」を目的にたくましいわざを進めていきました。
神奈川にいた宣教師ブラウンは、日本最初のプロテスタント教会「横浜基督公会」を開設し、そのころには押川方義、本多庸一、植村正久など、初代教会の指導者となった人々が救われていきました。
しかし明治維新(1868年)により、江戸幕府から明治新政府に政権が変わったにもかかわらず、基本的に「キリスト教禁止政策」の方針は変わらず、「浦上崩れ(1868〜1869)」や「潜伏キリシタンの摘発・説諭」といったことが続けられいきました。こういった「キリスト教弾圧」に対する欧米諸国の抗議・非難により、明治政府は「耶蘇教国禁」の高札を1873(明治6)年に渋々撤去しました。
1887(明治20)年には、旧新約聖書の日本語訳[文語訳]が完成し、新栄教会(東京)で感謝会があげられることになり、しばらくの間日本のプロテスタント教会は、順調に発展しました。
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