聖書とは

 聖書は、旧約聖書と新約聖書の二部になっています。旧約聖書は、今から3500年ほど前に書かれ、39巻から成立っており、 大部分はヘブル語で記されています。内容は、天地創造についての記事から始まり、人類の歴史、またイスラエル民族の歴史であり、次に神への祈り、賛美の詩、教訓的な詩であり、次にイスラエル民族と世界に対する預言と警告と信仰者への励ましです。

 著者は、神ご自身である。詳しく言えば、神が預言者たちを通して語られた神のことばの記録です。神はまず、信仰のある忠実な者を立てて預言者となさいました。神は彼らに、身近なことについての預言をお与えになりました。人々は、その預言が成就されるのを見て、彼らが神によって立てられた預言者であることを認めました。その後に神は彼らに重大な、また数百年、あるいは二千数百年後に成就されるべきことについての預言を語らしめました。それが正確に記録されたものが、旧約聖書です。

 すなわち、旧約聖書は、キリスト以前に語られた神のみことばです。

 新約聖書は、初めの四部は、取税人マタイ、無学な青年マルコ、医者ルカ、漁師ヨハネの四人によって記されたイエス・キリストの言行録であり、キリストの十字架上の死と埋葬と、死後三日目の復活とその四十日後に天に帰って行かれたことまでの記録です。

 次にあるのが、使徒たちの活動の記録です。

 その初めの数章は、使徒ペテロの活動について記されており、その後のものは、すべて使徒パウロの活動についての記録です。

 その後の大部分は、使徒パウロの諸教会宛の書簡であり、また使徒ペテロ、使徒ヨハネ、イエス・キリストの兄弟であるヤコブとユダの手紙であり、最後はヨハネによる黙示録と言って使徒ヨハネによる、終末についての預言です。

 新約聖書が第一世紀に、すなわちイエス・キリストの十字架(西暦30年)後から、西暦90年頃までの間に書かれ、また書かれた後に、異常なスピードで地中海沿岸に流布したことには、非常に大きな意味があります。

 それはイエス・キリストがこの地上にいて、数多くの奇蹟を行ない、神のことばを語られたことを見、また聞き、イエス・キリストと個人的に接したことのある人々が数多く生存していた時代に新約聖書が書かれ、読まれ、真正なる記録として認められたことを実証しているからです。

 現在、残っている新約聖書の写本は、パピルスに書かれたもの、羊皮紙に書かれたものの断片まで合わすと約4000もあり、その中で一番古いものは、ヨハネの福音書の一部が記されているもので、西暦120年から130年の間に書かれたものと認められています。それはエジプトの古い町の跡から発見されたものです。

 もう一つ大変重要なものは、聖書の一節か二節が記された土器の破片です。それを考古学用語でオストラカと言います。

 それらは、貧しいクリスチャンたちが暗記用に用いたもので、聖句が暗記された後に捨てられたに違いありません。それらも非常に数多く発見されており、捨てられた時代を正確に証明している他の遺物とともに埋もれていたものです。それによると、新約聖書は第一世紀の終わり、すなわち西暦100年頃には、地中海沿岸のあらゆる地方に広まっていたことが明白に証明されています。

 さらに使徒たちの後継者ら
ポリュカルポス→AD70年生まれ、AD155年殉教
イグナチウス→AD95年殉教
イレナエウス→AD120年頃誕生、AD157年殉教
によって書かれた書簡が現存していますが、その中に使徒パウロ、ペテロ、ヨハネらの書簡からの引用が非常に豊富に行なわれています。このことからも、新約聖書が使徒たちの時代、すなわち第二世紀の初めには諸教会に知られていたことが証明されています。

 チェスター・ビーティ・パピリと呼ばれている一群のパピルスに書かれた新約聖書は、恐らく西暦220年頃に書かれたと認められているものを含み、さらにボードマー・パピリと呼ばれているパピルスの断片は、西暦200年より前に書かれたものを含んでいます。

 羊皮紙に書かれた新約聖書の写本で一番古いものは、シナイ写本とバチカン写本です。それらは、西暦350年頃に書かれたものと認められています。エジプトのアレキサンドリヤで発見された、アレキサンドリヤ写本は、西暦400年代に書かれたものです。

 このように、大量の写本が存在するということは、昔に書かれた他の書物には類がないことであり、新約聖書は特別です。

 現代、新約聖書が世界のベストセラーであり続けていることは、言うに及ばぬことですが、世界の歴史の中で書かれた数多くの書物の中に、聖書を書き写すために払われた努力と犠牲に匹敵するものを払われた書物は全くありませんでした。初め書かれた時から、新約聖書ほど急速に流布し、読まれ、尊ばれた書物は他に一つもありません。聖書は世界中で全くユニークであり、特異なのです。

 すなわち聖書は、書かれた時から完全に信頼されうるものとして認められてきました。そして現代でも、全く信頼すべき神の私たちへのメッセージです。

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