11.24 神戸×横浜観戦記 
          「水どう」の生き方を地で行く男の物語 

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 旅はいつも軽い気持ちから始まる。今回もそう、当初は臨海の市原×磐田を見に行こうかと思っていた。横浜はアウェーの神戸だし、市原だと崖先生もいるはずなので終了後の呑みには困らないと言う理由だった。
 それが変化したのは2ndの会場が発表されてからだ。神戸の会場はウイングスタジアム。柿落としなのである。これには多少興味をそそられた。一度は柿落としのイベントを体験してみたいというのは誰しもが思うことである。まぁ、エコパや玉スタの例を見るまでもなくチケットは取り難いはずなので、運良く取る事が出来た時は行こうと決心したのだった。ついでに言えば最終節で横浜も残留を確定しているはずだし気楽な気持ちで見に行けるだろうと踏んでいたのであった。心配事と言えばチケットが直ぐに売り切れないかと言うことだけだった。
 発売日当日、仕事帰りにぴあに行ったら余裕でチケットが取れてしまった。かくして神戸行きが決定した。

 11月24日は連休のど真ん中。しかも紅葉真っ只中。一月前の時点で空いている宿など日本全国探しても見つかるはずも無い。それは数年前に身をもって体験した事実である(→ここの11.23付近参照)。これを踏まえて今回は日帰りを選択したのだった。加えて言えば翌日に仕事が入ってしまったので帰らざるを得ないということもあるのだが……。恨むぞ上司。
 当初は新神戸に停車するのぞみで優雅に行こうと思っていた。が、10月の散財がたたり懐が異常に寒い。そりゃ、旅行に行ったりサッカー行ったりPC買えば寒くなるというものである。旅費を浮かすために私のとった選択は一番安い「深夜バス」だった。しかも往復である。
 結果、23日夜に横浜を出発して翌日観戦後、大阪を出発し25日早朝に横浜に戻りそのまま職場へ直行というお得意のタイトな行程になったのであった。

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 初めての深夜バス。隣に乗っていた乗客も初めてらしく、さかんに携帯で「もう乗らない」と愚痴っていた。私はというと窓側が取れなかったのと乗り方のコツがつかめなかったことだけがマイナスだったが、そこそこ眠れたし及第点といった感じだった。もっとも降りた時に腰が痛かったのは歳なのかなと感じるのであった。なにはともあれ6:30バスは大阪駅に到着した。
 ひとまず神戸駅まで移動したのち軽い朝食をとる。つぎは昼飯を購入するわけだが、せっかく神戸まで来たのにホカ弁じゃ芸が無い。ここは駅弁ということで選んだのは「明石海峡大橋開通記念 ひっぱりだこ飯」というもので、強引な言い方をすれば「峠の釜飯 明石ver.」といったところか。容器が瀬戸物で食べ終わったあともお椀として機能するという優れもの。ということでこれを購入してスタジアムへ持っていくのだった。
 再び電車に乗り最寄のJR兵庫駅で下車して、いよいよ競技場へ向かうわけである。駅から徒歩15分あまりの行程なのだが道順など知っているわけが無い。すべてFeelingで行動するのみなのである。ま、開門時間まで3時間あるので何とかなるだろう。

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 まさか、1時間歩き続けるとは思ってもみなかったよ。S自由席の並ぶ場所まで行くのに競技場を一周してしまったのはまいった。早朝だと駅から向かう観客も警備員も少ないので、辿り着くのに手間がかかるとは思ってはいたがここまで苦労するとは……。
 ともかく並び口までは到着した。まだ工事は完了していないため砂埃のする駐車場で待つことになった。開門2時間前に到着した時点で、それほど列は長くなく70番前後でそれほど悪くない感じだった。
「新聞でも敷いてしばらく待つかな」
 と考えていた矢先、列の先頭のほうで怒声が起こっている。聞き耳を立ててみると、どうやら徹夜の人と整備員の並ぶ列が逆になっているみたいなのだ。簡単に言うと徹夜の列が「123…」と左→右に並んでいたら、あけて整備員は「…654123」と左←右に並ばせてしまったということである。徹夜で並んでいた人を並びなおさせればすぐに解決する問題なのだが、整備員が理解していないのかわけのわからぬ回答をするばかり。そうなると一番乗りの人の怒りはヒートアップするばかり。果てには顔を真っ赤にして
「話わかっとらん、おまえの頭カチ割って中調べたるワ」
 と叫ぶのであった。わたしはといえば、生でこのせりふを聞けたことに関西を肌で感じたのであった。
 ともあれずっと見ていたのだが、こっちにとばっちりが来ても困るのであとは無視することにした。しばらくすると列順は直っていた。

 開門直前。並んでいた列はダッシュ防止のため会場の座席入り口までは順番に、ゆっくりと、行進する事となった。たしかにいつもと同じ方法だったら、半券取った直後に良い席めがけてダッシュかけるに決まっている。ゆっくり歩くことで殺気立つことは仕方ないことだがこれが得策なのであった。まぁ、自分自身殺気立つ空間は至る所で経験済みなので耐性があるので心配は無かった。
 スタジアム内に入る前に後ろを振り向くと100人足らずだった列は駐車場いっぱいまで膨れ上がっていた。
 開門して数分後、混雑する列を抜けてゲートを抜けると、目の前には芝生の匂いがするピッチが広がっていた。

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 日立柏や三ツ沢などピッチまでの距離が近いスタジアムは結構行っているが、神戸ウイングには距離感に加え迫力というのがあった。メインを除く客席は入場前に想像していた2階建てに分かれた構造ではなく、ひたすら頂上まで登って行く1階のみの構造なのである。また傾斜も急なので、下から見上げるとこちらに向かって降って来るような錯覚を覚えるのであった。そして3時間後には、満員になったスタジアムで生き残りを賭けた試合が行われるのである。そう思った途端に急に胃が痛くなってきた。まいったね。
 今年は今までに無いほど横浜の試合を見ているのだが、先週の第14節からいきなり追い詰められたような感覚がつきまとうようになった。いろいろな場所で「降格したら44試合も見れるからいいじゃん」と笑っていたが、本当に落ちた時は「笑顔を忘れ無表情に佇む自分」となることは分かっている。本来は試合を楽しむはずなのだが、荒行に近い90分を耐えることになるのだった。
 とはいっても試合開始まではそのことは忘れて、オープニングセレモニーを楽しんだ。神戸市U-12東西戦・和太鼓・ブラバン・「翼をください」合唱などなど。この素晴らしいセレモニーを見ながら、ぼんやり呟いた。
「横浜国際も作り直してくれないかなぁ…」

 横浜ではマリノスキッズが場内を半周するが、ここはキッズなどという中途半端なガキはいない。女の子がフラッグを持って一周するのである。いやぁ可愛いわぁ。しかしその女の子度胸があります。ちゃんとアウェー側のほうも回るのである。相手が横浜だからなのだろうか?如何なる相手でも行っていたらそれは凄いなぁと思ってしまうのである。
 スタメンが発表される。横浜は俊輔がいないが神戸もシジクレイの名前が無い。ちょっと安心したが不安なことは変わりない。ツートップは鰤と安永あとは以下略とりあえずキーパーは榎本。本日も下様の出番は無いのか。キックオフの時間がせまるにつれて緊張感が高まってくる。ふと後ろを振り返るとビッグウェーブのようなバックスタンドは観客でいっぱいになっていた。うう、胃が痛い。

 試合が始まったが、詳細は覚えていない。前半で覚えているのは明神のおみごとFK。会場の雰囲気を一発で変えたカズのゴール。関東から配信される途中経過メール「稲城1−0東京 福岡1−0吹田 吹田2人退場」。負けは許されない状況なのだが相変わらずの温い展開……。気がつくと前半は終了していた。
 後半はもっと混沌とした。体感時間が30分にも感じられた密度の濃いというか間延びした開始10分間。キレキレの神戸GK掛川。関東からの絶望メール「福岡2−1吹田 さらに小島退場」。…小島ってどっちだよ。いよいよ負けられなくなった。司令塔は遠藤、交代後は上野・平間(!)などが勤めた、とくに平間の司令塔は凄かった。ヘタレの方向だが……。両チーム決め手を欠くまま試合は延長戦に突入した。そしてメールが到着した。
「福岡2−3吹田 ロスタイム5分」
 ……5分かよ!
 悠久にも思える5分間で、神戸のオーロラビジョンも後半終了後各地の途中経過を出したが、終了までは映してはくれなかった。やっと、延長開始直後「福岡敗退」のメールが届いた。残留確定の報に周りの観客ともども喜んだ。あとはこの試合を勝利で飾るだけだ。

−5−

 冬の神戸は17時過ぎなのに暗く、寒かった。試合は今年の横浜を象徴するフルタイムドロー、城の玉乗りプレー付きだった。今シーズン11度目の延長戦だった。福岡敗戦直後は来年もJ1で戦えるという安堵感はあったものの、結果が予想通りのドローなだけに来年のことを思うと安堵感など吹き飛び、こみ上げてくるのはため息だけだった。
 その後、ネットの観戦仲間と、帰りの深夜バスの出発時刻(22:30)まで、飲みに行くことにした。飲みの場所は神戸市内ではなく各人の移動に便利なように大阪になった。自分もバスの発着場が大阪駅だったので大変ありがたかった。駅から徒歩15分ぐらいの……あー場所忘れている、繁華街のほうのおしゃれな居酒屋に入った。
 飲み会はいろいろな話が聞けて結構楽しかった。ところで一緒に飲んだ人たちは気がついていたであろうか?21:30を過ぎたあたりから私の視線が落ち着きを無くしていたことを。話は無茶苦茶盛り上がっていたのだが、頭の中では「22時に会を〆れるか」ということでいっぱいなのだった。証拠にラスト30分間は話の内容はおろか、自分の飲み食いの記憶も残っていないのである。それでも無事22時に〆ることが出来た。ちょっと強引入った感じもあったが、参加者には感謝であった。
 その後は皆で大阪駅に向かって歩き出した。このペースなら出発時間の5.6分前に乗り場に到着と思いながら、バスの切符があるか確認した。そして、そのバスの切符を見た瞬間目が点になった。
 「大阪発22:20」
 その刹那、挨拶もそこそこに大阪駅に向かって走り出した自分の頭の中では派手に三尺玉が鳴り響いていた……。

−epilogue−

 今、自宅で観戦記を書いている。結局バスには発車2分前に無事乗り込むことが出来た。あけて翌日、深夜バスでの腰痛と大阪駅ダッシュの筋肉痛を苦しみながら仕事に勤しんだのだった。
 それにしても相変わらずタイトロープな旅行になるのだが、この旅行を羨ましがる人もいるらしい。たしかに飲み会などのネタにはなるが素人には危険だ。と考えている時、TVでWWFのCMが流れた。そこのコメントが彼らに送る言葉として最適なので締めの言葉にかえる事にする。

 「Please,don't try this at home(真似すると怪我するぜ)」

−了−