融雪

 

彼は自ら敵だと名乗った。その割には殺気も何もない、ひどく真剣な組み手のように戦いを挑んでくる。それは私が甘く見られているのか、それとも単に私の力を見たいだけなのか。彼から魔人特有のオーラが立ち上っていくのを見たときに、きっとそれは後者なのだと私は確信した。
拳武館高校。今回の事件の鍵となる高校。そこは私の師匠であり、後見人でもある鳴瀧のおじさまが館長を勤める学校である。私は今回のこの事件が起きるまで拳武館の持つもう一つの顔を知らなかった。
蹴り等の足技を中心とした彼の攻撃は私の操る武道と通じるものがある。そして、普通の人がまともにくらったらおそらく即死するであろう攻撃が拳武館の裏の顔を如実に示していた。
拳武館の裏の顔が人道的に許されることではないこともわかるし、反面必要悪であることも理解できる。奇麗事だけじゃ世の中は済まされないから。それならば彼はどうしてこの若さでこんなことをしているのだろう。
私の紅葉への興味はそこから始まった。
人の命を軽んじているわけではない。むしろ、その言動から暗殺を行うことの迷いが見え隠れしている。命の重さを分かっていながら、それでも奪わなければならない悲しみが彼を覆い尽くしている。そうしてまで生きている自分を嫌悪し、唾棄し、倦んでいた。足元にある屍の、その上に立つ不安定さを私も知っているから、彼に手を差し伸べた。
そうして彼は私の手をとり、敵から仲間になった。


翌日から彼には旧校舎潜りの固定メンバーとして都合のつく限り毎回参加して貰うようになった。旧校舎はアイテム入手、資金調達、実戦訓練に丁度いいのでよく潜っていたのだが、いざ一緒に戦ってみると彼の有能さには驚く。彼の持つ技は強力で大体の敵ならば安心して任せられる。多少打たれ弱いけれど、生命力がさして低いわけでもないし、敵が密集しているところへ一人でやらない限りは心配ないだろう。
「えーと、こっちは私一人でやるね。それから葵、紅葉に力天使の緑かけてくれる?その後に翡翠と小蒔にも。」
「ええ、わかったわ。」
返事をするが早いか葵が早速作業にとりかかる。
「それから、小蒔は葵の作業を待ってからあっち。2体いるけど頼んだよ?」
「オッケー。」
「京一〜?」
フロアの反対側にいる京一に向かって叫ぶ。
「おー、なんだー?」
「京一はー、そっち方面の頼むねー。」
「おっしゃあ。」
「醍醐はー、目の前のを倒したらー、京一に合流。いいー?」
「おうっ。」
「それから、と。」
フロアを見渡しながらみんなに指示を出していく。
「翡翠、あっち。あの辺のひとかたまりを撃破してね。紅葉は、翡翠と組んで。」
みんなに大方の指示を出してから戦闘を開始する。私は周りを敵に囲まれたところに立っていて、側にはザコ系が足の踏み場もないほどにいる。当然ながら一度に倒しきれず、多少の反撃をくらい頬や腕に僅かな傷を受けるけれど、こんなのはたいした怪我じゃない。次々にザコをなぎ倒し、最後に秘拳鳳凰で残りを一掃してからみんなを見る。だいたい片付け終わったようで、済んだ者からフロアの中央に集合する。今日はもう20階ほど制覇した。この階を最後に切り上げよう。時計を見ながらそう判断する。
「龍麻、怪我してるじゃないか。」
旧校舎の1階で戦利品の引渡しや報奨金の分配の最中に、私の腕や頬のかすり傷を見つけて翡翠は心配そうに眉をひそめた。
「あ?ああ、こんなのたいしたことじゃない。」
「ダメだよ、もし何かあったら…。」
「平気だって。」
「龍麻は無茶しすぎだ。さっきだって、あんなにいるのなら僕に任せてくれればよかったのに。」
「私が一番近かったから。受けるダメージも少なくて済むし。」
翡翠の心配性ゆえの小言に少しだけ言い訳をする。玄武だから、黄龍を守りたいのは分かる。確かに無傷で相手を倒せれば一番いいけど、多少の傷は覚悟で、無駄に戦闘を長引かせないように、合理的に早く決着をつけるっていうのはいけないだろうか。無論、他の人には怪我を負わせないよう気遣ってはいるけど。
「戦闘が長くなると他の人まで怪我をしますよ。」
ふと後ろから低い声で助けが入る。振り向くと、紅葉が立っていた。
静かだけど迫力は充分に込められた口調に流石の翡翠もうっと黙り込む。そこへさらに紅葉が畳み掛ける。
「それに、申し訳ないですが如月さんよりも龍麻のほうが耐久力があるし生命力もある。龍麻が処理にあたるのが一番だったと、そうは思いませんか?」
「しかし…。」
「無論、龍麻が心配なのは分かります。けれど、龍麻だってバカじゃない。ちゃんと我が身の安全くらい考えているはずです、そうだろう?」
急にこっちに振られて私は慌てて首をかくんかくんと縦に振った。
「ほんとに大丈夫だから。心配してくれてありがとう、翡翠。」
「龍麻がそう言うのなら…。」
ようやくそれで翡翠は引き下がった。沢山のアイテムを抱えて帰る翡翠の背中を見送りながらほっとして胸をなでおろし、傍らに立つ紅葉を見上げる。
「ありがとう。」
「思ったことを言ったまでだよ。」
紅葉はそっけなく答えて自分も帰ろうと鞄を持つ。
「私のやり方が悪かったのかなぁって思ったんだけど、おかげでちょっとだけ自信でた。ありがとね。」
毎度毎度、翡翠に怒られて少々自信を無くしかけていた私に、紅葉の弁護は自信回復につながる一言でもあったのだ。
「君は、センスあると思うよ。」
慰めてくれようとしたのか、照れたようにそっぽを向いてぼそりと呟く紅葉が、なんだか可愛らしくって、いつものすまし顔とのあまりのギャップに私は思わず見惚れていた。普段は冷たい人間を装っているのに、実は藤咲の言うとおりに優しい。それに、私のやり方もちゃんと認めてくれる。プロの紅葉からそう言われると、本当にセンスがあるように思えて、たとえお世辞でも嬉しかった。
「紅葉にそう言ってもらえると、嬉しい。」
そう言うと、彼は驚いたように最初は目を丸くし、それから切れ長で怖い印象を与えがちな目元を綻ばせ、口元も僅かに弧を描くようにしてふわりと優しげに微笑んだ。その顔は彼の硬質で冷たいイメージを根底から覆しちゃうような、見ているこっちが照れてしまうくらいにいい顔だった。
「じゃあ。」
だけど紅葉は一瞬でまた元のようなクールな顔に戻って、師走の新宿駅に向かって歩き出した。


12月中旬。さすがに期末テストを控え、私はいつも旧校舎もぐりに付き合ってもらっているメンバーにお休みを伝えた。メンバーのほとんどが3年生で受験や就職に忙しい。3年のこの時期、通常ならば受験生で勉強に身を入れなきゃいけない時期でもある。
「うーん。」
身を入れなきゃってわかってはいるんだけど。
私は目の前にある真っ白なノートと難しい数式の並んだ教科書にため息を落とした。
そう。分かっているんだけど、なぜか頭に浮かぶのは壬生紅葉。
この間のあの顔見ちゃったからなぁ。再びため息。ページを押さえる手を離すと教科書はぱたりと閉じてしまう。
普段の冷たい無表情な顔とは違う、優しい顔。なぁんだ、そんな表情できるんじゃないという感想と、ちょっとだけ早くなる鼓動。誰に対しても冷たくって、そっけなくってマリィなんかは怖いとまで言っている。なのに、あの笑顔。と、思い出すだけで顔が緩んでくる。
いや、そーじゃなくって、テスト勉強だ。私は緩みきった顔を引き締める。
強力な技の数々。わりと大物も平気で任せておけるし、最近は少しだけ積極的に動いてくれる。協力してくれる気持ちが嬉しくって、ありがとうって言うと、照れたように笑ってくれるようになった。その笑顔を見るたびに、胸がとくんと大きく鼓動をうつ。
もっと紅葉の笑顔が見たくって、ついあれこれと話し掛けてしまう。最初は無表情に、返事もなく聞いているのかいないのかも分からないほどだったのに、最近ではうなづいてくれたり、返事を返してくれたりする。迷惑だろうなと分かっているんだけど、何も言わずに付き合ってくれるから、ついつい甘えちゃっている。
それに、紅葉は私を対等の立場において考えてくれる。京一も醍醐も、特に翡翠なんかはその典型なんだけど、私を守るべきものとして考えてて、自分を私の保護者かなんかだと思ってる。確かに、性格的にはわがままだし、子供っぽいところがあるかもしれない。でも、少なくても戦いにおいてはみんなと対等だと思っているのに、ちょっとでも私が怪我すると大騒ぎする。騒ぐなら他の人が怪我した時も騒ぎなさいよね?って思うこともしばしばある。だけど紅葉は、紅葉だけはちゃんと私の行動の意味を理解してくれて、何でも頭ごなしに反対するんじゃなくってどうしてそう言っているのか、そうしたのかを考えてくれる。私をちゃんと一人前の武道家として扱ってくれる。
だから、紅葉といると楽だった。
もしかして、紅葉なら私がずっと最近心に思っている無理な願いを聞いてくれるかもしれない。密かな期待を胸に抱いたところではっと我に返った。時計を見ると11時。
「あー、もうっ!」
勉強しようと思っているのに気が付くと何時の間にか紅葉のことばっかり考えてしまう頭を振りつつ、私はもう一度教科書を開いた。
そして性懲りもなく、またあの笑顔を見せてくれることを祈って今度こそ勉強に打ち込むことにした。


                                                END

 

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