幕間

「やぁ、待たせたな。」
赤坂の料亭。
大学の合格祝いにと、龍麻は鳴瀧に誘われて身分不相応な高級料亭にいた。
生まれて初めて入るこのような場所に戸惑いながら料亭の最奥部にある一室に案内され、待つことしばし。
もういい加減、床の間の掛け軸や活けられた花なども見飽きてしまった頃にスーツ姿の鳴瀧と、それに続いて黒尽くめの紅葉が現れた。
「…紅葉!」
今日、ここに紅葉が来ると知らされてなかった龍麻は驚いた顔で名前を呼ぶ。鳴瀧に続いて座敷に入ってきて、先に席に着いていた龍麻の姿を認めると嬉しそうに顔を綻ばせた。
「…龍麻、遅くなって悪かったね。」
ホワイトデー以来、週に2,3度のペースで会ってはいても、こうして思いがけない時に合えると嬉しいらしい。
素直に悦びを顔に表した紅葉に、鳴瀧は意外そうに瞠目して龍麻と紅葉を交互に見る。
「…あ…すいません。」
注視されて慌てて、顔の緩みを直そうとする紅葉に鳴瀧は小さく笑うだけでそのまま龍麻の前に座る。
「今日はさっきまで会議でね。…会議には壬生も同席していたから一緒に祝おうと連れてきたんだ。」
そう説明すると、紅葉を龍麻の左隣に座らせる。
そうして、振り返って廊下に控えている仲居に飲み物を注文してからもう一度鳴瀧は龍麻に向き直った。
「龍麻、よく頑張ったね。」
いつもは厳しい表情を、穏やかに緩めてにこやかに言う。
「あれだけ厳しい修行と平行してきちんと勉強をしていたなど…本当に驚く。…そうは思わないか、壬生?」
急に話を振られて驚きながらもこくりと頷いた。
龍麻は極短期間で陰の龍の技、つまり紅葉の技を覚えたのだ。
普通、陽の技と陰の技、両方を操ることは無理だとされているようだが、それは龍麻には無関係のことだったらしく、鳴瀧でさえも驚くほど早くにそれを覚え、今では紅葉の最奥義である龍牙咆哮蹴まで繰り出してみせる。
ただし、俄か仕込みであることからその威力はやはり紅葉よりも落ちるのが難点ではあるが、それにしたって普通の人間が受けたら間違いなく即死する点に変わりはない。
紅葉は最初、陰の龍の技を龍麻が取得したと鳴瀧から知らされて酷く驚いた。いや、龍麻ならそれくらいはするかもしれないと密かに思ってはいたが、実際にあれだけの短期間にそこまで成長する龍麻の天賦の才に改めて感服もした。
本当に天才なのだと紅葉は思う。
飲み物や当座のつまみが運ばれてくると、龍麻は仲居からビール瓶を受け取って鳴瀧にお酌をする。
「…それでは。大学合格おめでとう、龍麻、壬生。」
その言葉に嬉しそうに龍麻は微笑み、紅葉も隣で僅かに口元を緩める。
「ありがとう、おじ様。」
「ありがとうございます、館長。」
鳴瀧はビールで、未成年の龍麻と紅葉はアイスウーロン茶で乾杯をし、喉を潤す。
一息つくと鳴瀧は目線だけで人払いを仲居に命じ、その足音が遠ざかり、座敷のあたりに誰もいなくなったのを確認してから、ようやく本題に入るべくゆっくりと口を開く。
「今日は龍麻に二つ話があってな。」
改まった態度に龍麻は小首を傾げた。
「…話?」
「ああ。龍麻にも是非知っておいて貰わなければならない話だ。」
龍麻がちらりと紅葉の様子を見ると、紅葉もその話の内容を知っているようで、平然としたままである。
「…なんでしょう?」
紅葉が慌てた様子がないことからもそんなに悪い話ではないだろう。
そう予想をつけて龍麻は話を聞くべく箸を置く。
「…龍麻も知っての通り、私のところには特殊組織があった。」
鳴瀧は低い、聞き取りにくい声で話し始める。暗殺集団とはっきり言わないのは人払いをしたがどこで誰が聞いているかわからないので用心してのことだとすぐに直感する。
「ところが、去年、その中の1人が失態を犯して騒動になったことがあった。龍麻は知っているだろう?あの八剣。あれの失態でね。」
龍麻はその言葉に去年戦った凶刃を振るう男を思い出す。欲のために動き同じ拳武館の仲間である紅葉でさえもその刃にかけようとした。
そういえば、とある暗殺事件で拳武館の制服の切れ端が発見されたという話を天野さんから聞いた覚えがある。きっとそのことなのだろう。
「…その事件は副館長が指揮していたものでね。その後、その失態を責められ焦った副館長一派が拳武館の実権を握るべく、私がある計画の準備のために海外に出ている際に、龍麻の暗殺依頼を勝手に受け、それに最強の壬生を巻き込み、壬生の抹殺を図ったのだ。…奴らから見れば壬生はまさに目の上のこぶだったからな。」
龍麻はよく覚えている。そのときに紅葉と初めて会った。
悲しいまでに強くて脆い人。自分を嫌い、呪い、それでも自分でいることを止められない人。
敵だと名乗ったくせに、私を殺そうとしなかった。だから紅葉を仲間にした。
もっとも、紅葉が好きになるとはそのときには全く予想もしなかった。
「…その事がもとで拳武館からは副館長一派は一掃できてね。龍麻には申し訳なかったが、不幸中の幸いとでもいうべき出来事だった。…そしてその結果、今日、会議で二つの決議が採択された。」
鳴瀧の目が少しだけ微笑んでいる。ということはやはり悪い知らせではないようだ。
「…われわれの組織は、その仕事内容を多少変えることとなった。」
「変える?」
龍麻は鳴瀧の言わんとしているところが分からず、首を傾げたまま鸚鵡返しのように尋ねる。
「ああ。無論、ターゲットの社会的制裁、それは続けるが今後は副館長一派のような金に目をくらませた愚か者を出さないためにやり方を少々変えることにした。」
「…やり方って?」
「これからは諜報部がその仕事の主役になるだろう。」
その言葉が示すのは諜報部による情報収集と、その情報の開示により社会的に抹殺する、ということだろう。今までにもそういった手段がとられなかったわけではない。ただ、それは効果を表すまでに多少の時間がかかるために、依頼者が好まなかった。
また、日本という国の特色でもあるが、喉元過ぎればで、悪事を働いてもしばらく冷却期間を置けば復帰できてしまうため、完全な社会的抹殺にいたらない、というのも問題であった。
その問題点を解決したらしく、今後はその手段を中心にやっていく、そういうことなのだろう。
ということは。
もう暗殺は行わないということだろうか。
龍麻が隣に座る紅葉を見ると嬉しそうにこくりと小さくうなづいた。
「じゃあ。紅葉はもう仕事はしなくてもいいのね?」
尋ねる龍麻に、鳴瀧はやや厳しい表情を崩さない。
「壬生には、違う仕事をしてもらうことになっている。」
その言葉に龍麻の眉が不安そうに寄せられる。
「私があの時、海外に渡っていたのもその計画のためでね。…われわれは今後、M+M機関に協力し、今後は人外のモノを相手に戦うこととなった。」
その言葉に驚いて龍麻は大きく目を見開く。
「M+M機関は龍麻も知っているだろう?龍麻の担任だったマリア・アルカードを狩ろうとした男、来須の属している機関だよ。」
龍麻はマリアとその男の戦いを直接知っているわけではない。ただ、犬神先生が教えてくれた。死にはしなかったが、マリア先生はそれによりさらに傷を負い、それを癒すために崑崙に向かったんだと、教わった。
マリア先生について龍麻は複雑な感情を抱いている。
綺麗で優しく、常に自分に気遣ってくれたいい先生であった。と同時に、それはただの生徒を思いやる気持からだけではなく、夜魔族の復興のために龍麻の黄龍の力を求めていたからということ。
龍麻は別に夜魔族を嫌うわけではない。その不幸な歴史に、人間の身勝手さを苛む気持もある。
しかし。やはり自分はそのためだけに力を貸すわけにはいかなかった。
後悔と憤慨と憧憬と同情と。いろいろな感情が複雑に交じり合って、未だに龍麻のマリア先生に対する感情はうまく整理できないでいる。
「…仕事の内容は、人に実害を成すモノの退治。そうだな、分かりやすく言えば退魔師とでも言えばいいのかな。」
紅葉が龍麻に言うとぱぁっと龍麻の表情が明るくなった。
「…じゃあ…。」
紅葉はその先の言葉を分かっているようで、微笑んでいた。
「…それじゃ…もう紅葉は…。」
「これからはなかなか大変なものを相手にしなければならないけどね。」
綺麗な顔を楽しげに綻ばせて笑った。それは本当に嬉しそうで。
紅葉がようやく開放されたのだと思うと、龍麻は泣きたくなるほど嬉しかった。
それを龍麻も望んでいたのだから。あの悲しい目をもうさせたくないと、ずうっと思っていた。
「無論、龍麻も壬生の力になってやってくれるとありがたいのだが。」
鳴瀧はそう言って笑う。鳴瀧の笑顔も本当にふっきれたように朗らかで。
龍麻はあの任務が紅葉だけではなく、鳴瀧自身にも重荷になっていたことをその表情から始めて知った。
「あ、…ということは、私が修行している間、その話が進んでいたって事?」
龍麻がふと思い出し、鳴瀧に尋ねると彼は苦笑しながらうなづいた。
「ああ。…龍麻が後継者になってくれるというのならば、あの仕事はもうすっぱりとやめようと、実は前前から考えていたのだよ。…やはり、どうあっても弦麻と迦代さんに申し訳がたたないからな。」
「それって、紅葉たちに悪いんじゃない?」
龍麻がじと目で鳴瀧に言うと、隣に座っている紅葉は首を振る。
「そうじゃないんだ。…これは僕たち実行部隊の願いでもある。」
意外そうに、龍麻が紅葉を見ると、紅葉は小さく笑う。
「…八剣たちのように、楽しんでやっている輩に他の者は少なからず危機感は抱いていたんだ。そういった者達は奢りからいずれはボロを出す。…それは僕らをも危険に巻き込むことに繋がる。」
「そっか…。」
「丁度八剣が失態を犯したのをきっかけにその意見は強まっていてね。」
じゃあ、自分が壬生の代わりにならなくても壬生はもう人を殺める事はなかったんじゃないかと思っていると、龍麻の不満そうな顔を見て壬生は言葉を繋げる。
「…僕らがこういう風に変わる事ができるのも、龍麻がいるおかげだよ。…龍麻がいなかったら、きっとそうはならなかった。」
「そうかなぁ?」
「そうなんだよ。…実際に、人外のモノを相手にするとなるとかなりの危険を伴うし、今までそういったモノを相手にしたことがなかったから、中にはやはり以前の仕事をした方がという声もあった。…だけどね、龍麻がいたから。…うちではあの正月の出来事はちゃんとみんな知っている。それほどの能力を持つ龍麻がいるならと、渋る人間も素直に賛成したんだよ。」
正月の最終決戦の話は、一般の人は知るところではない。ただ、何か巨大な建物が地中から現れ、そして消えた。その後、いくら調査をしてもその建物の残骸も何も発見できず、怪異として語られているのだ。
人的被害もほとんどないことから、それは徐々に伝説になりつつある。
その裏にあった激しい戦いのことを知るのはほんの一握りの人間達だけだった。
龍脈の力を取り込んだ陰の黄龍の器が暴走するのを止めたというのは、それだけで人並みはずれた力を示す。そういった力を持つ龍麻が拳武館に助力するならと、渋っていた人間も諸手を挙げて賛成に回ったのだ。
[んー。…まぁ、それならいいんだけどさ。]
納得した様子の龍麻に、鳴瀧は安堵の息をついて話の続きを始める。
「…それが1つめの話。もう1つの話というのは、今日の会議で、正式に龍麻を私の後継者とすることが決まったよ。」
鳴瀧の言葉に龍麻は再び驚く。
「無論、反対はなかったよ。…理事会、といっても、ほとんど組織の人間からなるものだが、みんな龍麻の力量はよく知っているからね。」
鳴瀧が自分のために早々に手をうったことに龍麻は少なからず驚いていた。
大学を卒業するまでにまだ4年もあるのに。
「…早めに決めておいた方がいい。…後継者の件で最強の壬生と龍麻を押すものとに別れては困るからな。」
龍麻の心情を察してか、鳴瀧が苦笑しながら付け加えたその言葉に龍麻はくすりと笑った。
「龍麻も、たまには道場に顔を出すといい。後継者がくるとみんなの士気も上がる。」
「ええ。そうします。」
龍麻の返事に嬉しそうにうなづいてから、鳴瀧は次の料理を運ばせるべく手をぱんぱんとうつ。
それを待っていたかのように、仲居さんが飲み物や料理を運び込んでくる。それらが一通り済むまで待ってから、鳴瀧は今度は顔を思いっきり緩ませる。
「…ところで。龍麻は合格祝い、何がいいかな。」
先ほどまでが拳武館館長の顔とするならば、今度はまるで娘に大甘な父親の顔で尋ねる。おそらくこんな甘い顔をした鳴瀧を紅葉は一度も見たことがない。
「何って。…タダでおじ様のあーんな広いマンションに住まわせてもらってるんですもの。これ以上なんてないです。」
希望を言わず首を振る龍麻に鳴瀧は不満そうに言う。
「それとこれとは別の話だ。…何がいい?」
やれやれ。
龍麻は肩をちょっと竦めてから何がいいか、考えをめぐらせる。
もともと龍麻は物欲の強い方ではない。身の回りの品物は今あるだけで充分だし、別にお金に不自由しているわけでもない。
困ったように首を傾げて考えていると、頭の中にぴんとひらめくものがあったらしく、悪戯っぽい笑顔を浮かべる。
「おじ様、予算はいくら?」
「いくらでも。」
簡単に請け負う鳴瀧に龍麻は唇の端をにぃっと吊り上げて笑う。
「おじ様のもの、というわけではないんだけど欲しいものがあるの。」
「何だね?なんでも言ってごらん?」
にこにこと鳴瀧は龍麻の望みを叶えるべく尋ねる。我が意を得たりとばかりに龍麻は頷くと望みのもの名を口にした。
「紅葉。」
鳴瀧は最初、龍麻が言った単語の意味が理解できないようで、間の抜けた顔で聞き返す。
「何?」
「壬生紅葉。」
そう言って紅葉を見ると、普段感情を表さない紅葉が珍しく真っ赤になっていて。
「み、ぶ…?」
「ちょーだい?」
わざと可愛らしい声で言って左隣に座る紅葉の右腕を取る。すると更に顔がぼぼっと赤くなり硬直した。
「お仕事に支障はきたさないようにするから。」
にこ、と笑いながら言うと、ようやく鳴瀧もその意味するところがわかったらしく、苦笑して大仰にうなづく。
「私は一向にかまわんよ。…むしろ、その方が私には喜ばしい。…あとは壬生次第だが。」
真っ赤な顔をしている紅葉に視線を向けると、ようやく硬直から解けたようで、右腕を取られたまま、顔を上げる。
「僕は…。」
耳まで真っ赤に染め上げ、ちらと龍麻を見、そして鳴瀧に視線を向けた。
「…龍麻が好きです。」
その言葉に鳴瀧は驚き、龍麻は嬉しそうに笑ってから悪戯っぽく笑う。
「…というわけだから。休日にデートの邪魔はしないでね?」
そうまで言われて、今後は休日に用を言いつけることも叶わなくなった鳴瀧は苦笑しながらうなづく。
「二人で行動をともにするといいこともあるしね。紅葉、1月に襲撃されたんでしょう?」
龍麻の言葉に紅葉が『あ』と短く声を漏らす。1月に新宿で襲撃されたときのことを言っているというのがすぐにわかったようだった。
「亜里沙ちゃんが教えてくれたの。…そういうこと、今後もないとはいえないから。一緒にいれば、退けるのに少しは力になれるでしょう?」
龍麻が、ね?というように尋ねると前に座っている鳴瀧もうなづいた。
「しかし僕は…。」
だけど、その申し出に不満そうに言いかけるのを龍麻は視線だけで制する。
「それに。私も去年は随分とあちこちで暴れちゃったから、逆恨みされるかもしれないし。紅葉にいてもらったほうが安心だわ。」
にこ、と紅葉に笑いかけると、それが単なる一緒にいるための理由だとはわかっていても嬉しくて。
「できるだけ一緒にいるよ。」
真っ赤な顔のままで言うと龍麻も満足そうにうなづいた。


そうして楽しい食事は終わり、料亭前で鳴瀧と別れた龍麻は、壬生と一緒に自宅にしている新宿のマンションに帰宅するため丸の内線に乗り込んだ。
「…びっくりしたよ。…あんなこというから。」
紅葉の言葉に龍麻は悪戯っぽく笑う。
「だって、おじ様に今からちゃんと言っておいた方が何かと便利でしょう?…それとも嫌だった?」
そんなわけがない。苦笑しながら首を振る。
「そんなことないよ。…ただびっくりしただけで。」
「良かった。怒ってるのかと思った。」
安堵の表情を浮かべる龍麻の手を取って自分の手と絡めるように繋いで、自分の膝の上にその手を置いた。
「今日、会議の前に病院に寄ったんだ。…母さんが、また龍麻を連れてこいって言ってた。」
しばらくそうして互いに無言でいたけれど、やがて思い出したように紅葉が言うと、隣で龍麻がぱっと顔を輝かせる。
「うん!私もこの前のお礼を言いたいから、行きたいな。…いつがいいかなぁ?」
うきうきとした様子で尋ねる彼女に穏やかな笑みを返す。
「いつでもいいよ。…それでね、今日、母さんに龍麻と付き合ってるって言ったんだ。」
「え?ホント?…なんて言ってた?」
吃驚したように、目を見開くと、紅葉は穏やかな微笑のままで答える。
「大事にしなさいって。」
反対じゃないと分かって、龍麻はほっとした顔を見せ、安堵の息をついた。
「…もちろん、母さんに言われるまでもなく大事にするつもりだけどね。」
その言葉に龍麻は嬉しそうに微笑んで、繋いだ手にほんの少しだけ力を篭めると、それに答えるかのように紅葉の手にも少しだけ力が篭め、二人の手は固く握られた。


                                                     END
 

 

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