最後の日

 

学校に向かう道すがら、僕はまだ馴染めないスカートに戸惑いを感じていた。
足がすーすーする。
スカートなんて数えるほどしか穿いた事のない自分は、この格好がどうにも落ち着かない。今朝、出掛けに龍麻に『可愛い』と誉められ、気を良くして勢いで出てきてしまったが、やはり慣れないものは慣れない。
しかも、龍麻ってば、夜のうちに壬生に命令して勝手に人のスカートの丈を詰めてしまったので膝上でひらひらしてて、どうにかするとパンツが見えちゃいそうで歩く歩幅も自然とちぢんでしまう。…まぁ、その方が女の子らしく見えるんだろうけど。
ふと、隣を見ると御門と龍麻の協力で作り上げた人造人間が歩いている。ちょっと複雑な仕掛けがしてあって、僕の思う通りに動くようになっているこれは、さすがに声までは出せないので今日一日は僕は二人分を喋らなくてはならない。もっとも、今日は始業式で、学校は午前の早い時間に終わってしまうのでまだマシであるが。
やがて学校に近づくと、登校途中の女生徒達が酷く驚いた顔で僕らを見つめている。
その注目の中、僕らは学校に入り、まずは職員室へと出向いていった。
「おはようございます。」
僕らは職員室の入り口で礼儀正しく頭を下げる。
さすがに、僕らのことは先生の間でも噂になっていたらしく、僕らが入っていく姿をほとんどの先生が目で追っていき、僕らはその視線を受けながら担任の所に立つ。
男の僕が抜ける代わりに女の僕が転入するという形なので担任は変わることがない。先生は男の僕の転校を酷く残念がり、同時に女の僕の転入を喜んでくれた。
僕は夏前までは欠席がちで決して良い生徒とは言えなかったのに、例えお世辞でも惜しむようなことを言われるとちくりと罪悪感が走る。もう偽るのを辞めるだけなんだ、と自分に言い聞かせて納得し、まずは細かい書類の提出を済ませる。
入学の書類のほとんどは昨日中に提出してあったが、進路調査の用紙などは未提出のままだったので提出をする。男の僕とさほど進路が変わらない事は骨董品店を継ぐためだと理解してくれて、励ましの言葉をかけてくれた。
本来の僕の第一志望は国立で、前もって申し込んであったセンター入試は性別を男として出してしまっていたために受験することが出来なくなってしまった。仕方なく第二希望の大学を第一志望として提出したが、それは図らずも龍麻と同じ大学で、それと共にあの人とも係わり合いになることも覚悟しなければならなかったのだが、他の大学の同じような学部に行くのは学習内容からもあまり意味がないように思えたのでこれは仕方ない選択だった。
その他の細かい資料や書類を受け渡しが済むといよいよ先生と共に教室に向かう。すでに一般の生徒は始業式を済ませて教室に入っている時間だ。
先生と僕らが教室に入ると、それまでかなり煩かった教室の騒ぎが一瞬でぴたりと収まった。
「もう知っている者もいるかもしれないが、如月が家の都合で急遽転校することになった。」
先生の言葉にざわ、と声があがる。
「静かに。」
先生はその騒ぎを短い注意の言葉で抑える。
「如月の転校とともに、如月の妹が編入することになった。短い期間であるが、どうかみんな、仲良くしてやってくれ。」
先生はそう言うと僕らの方に向き直る。
「じゃあ、一言づつ挨拶を。」
促されて僕らはうなづいて、まずは男の僕から口を開く。
「家の都合で、急遽、東京を引き払うことになりました。…代わりに妹が入ります。よろしく。」
夕べの壬生と龍麻の予想通り、女の子の数人は涙ぐんでいる。…こんな光景、龍麻が見たら絶対に面白がるに違いないと僕は内心思っていた。
「どこに引っ越しちゃうの?」
女の子の一人の質問に、みんなが身を乗り出すようにしてその答えを聞きたがっている。
「関西方面に。酷く田舎なんだ。」
具体的な地名は挙げるべきではない。その答えにまだ不満のようだったが、余計な詮索が入らぬうちに女の僕が喋り始める。
「はじめまして。如月翡翠です。」
「ええ!?如月君と同じ名前!?」
みんながびっくりして僕らに尋ねる。
「骨董品屋の主人が翡翠を名乗るんだよ。」
男の僕はそう言って説明する。男の僕も女の僕も同じ翡翠という名前にするために飛水の里側の協力を得ていろいろと戸籍操作をしてある。
そう、僕という一人の人間のために用意された戸籍は二人分。そのことからもお祖父様が女に生まれた私に後々は男装をさせようと考えていたことが伺われる。
「まぎらわしい…。」
男子生徒の一人がつぶやいた。まぁ、同じ名前の方が動きやすかったからお爺様はそうしたのだけど、他人から見たらそう思うだろう。
その当時、お爺様はこうして二人が並ぶことなんてありえないと思ってたからそうしたんだけど。そう思いながら僕は自己紹介の続きを口にする。
「兄の代わりに東京の骨董品店を継ぐことになりました。卒業まで短い間ですが、どうぞよろしくお願いいたします。」
そうして僕は女性らしい仕草でゆっくりと頭を下げてみせる。これで大丈夫だろうか?とりあえず誰も疑っている人間はいないようでほっと安堵の息を小さくついた。
僕らはとりあえず一番後ろの、もともと男の僕の席であったところに椅子を2つ並べて座ってHRの済むのを待っていた。
3年生の3学期なんてほとんどすることがない。学校に来るのも1月の中旬までで、下旬になれば次々に始まる大学入試に向けて3年生は休みになってしまうのだ。HRは担任の先生から3学期の予定表を配られて、簡単な説明を受けただけで終わってしまう。
HRが終わると余計な詮索をされないよう、急いで帰ろうと席を立った。
「如月君。」
不意に後ろから名前を呼ばれる。
男の僕も、女の僕もほとんど同時に振り向くと橘さんが立っている。
「…転校だなんて…随分、急なのね…。」
ちくりと、僕の罪悪感がまた疼く。
結局、僕は彼女を騙しつづける羽目になってしまった。彼女にだけは本当のことを言うべきか考えたが、彼女は男の僕を多分好きだったから、そんなことをしたら彼女が傷つくと思い、彼女にも何も言わずに女に戻ることにした。
「…ああ。」
「…大学も…関西の方に…行くの?」
その質問に男の僕がゆっくりと首を振る。
「僕は…大学には行かないよ。…いろいろと…事情があってね。」
この学校を出て、僕の家に戻った時点で男の僕はもう消えてしまうから。大学はおろか、この世にも存在しなくなる。たった一枚、戸籍だけが男の僕の存在証明になるけれど、それもそのうちに消すつもりだし。
「また…会えるかしら?」
僕はなんと返事していいものか躊躇した。橘さんの好きだった男の僕はもういない。だけど、一緒に文化祭の実行委員をしたのはこの僕。
「…妹を…よろしく。」
そう言って男の僕と女の僕は揃って教室を出て行った。
ごめん、橘さん。
心の中で何度も何度も謝りながら、少しだけ前を歩く男の僕の背中を見つめる。
罪悪感に苛まれながら、それでも僕は後悔はしない。龍麻と一緒にいられるのなら、僕はなんだってする、自分さえ殺してみせるから。

みんなに捕まらないうちに家に戻ると龍麻はまだ帰ってきてはいなかった。
「ありがとう。助かったよ。」
男の僕にお礼を言うと、僕はそうするつもりはなかったのに彼はにこりと微笑んだような気がした。
そうして次の瞬間には元の、御門の持ってきた符に戻ると、そこには抜け殻のように男の制服が落ちているだけだった。
僕の長い男装生活はこれで終わった。
初めて男の格好をしたときには、いつまで続くのかと絶望的な気持になった。もう二度と女性に戻ることなんかできないんじゃないかと思ったこともある。飛水の役目も、玄武の使命も何もかも捨てて逃げ出したくなることも何度もあった。いつ現れるかさえ分からない黄龍の存在を疑い、男装生活に倦み疲れて玄武の力を持ったことを呪ったこともあった。
だけど、去年。龍麻がこの店を訪れてから、僕の生活は180度変わった。
まさか、こんな日が来るとは思いもつかなかった。
ゆっくりと制服を拾い上げ、クリーニング屋に持っていく籠の中に放り込む。
もう二度とこれを着る事もない。
これで本当に女の子に戻ったんだ。寂しく切ない気持が一瞬だけ心を支配する。だけど、これが終わりじゃない。これからが始まりなんだ。
女の子としての魅力に欠ける自分を、それでも龍麻は好きだと言ってくれた。だから、精一杯龍麻のためにできることをして、少しでも側にいられるようにしようと思う。足手まといにならないように、龍麻の邪魔をしないように。
珍しく感傷に浸って浮かびかけた涙を慌てて拭って、深呼吸をしながら昼食の支度をするために台所に入っていく。龍麻、今日はラーメンを食べてきちゃうかな?
考えながら冷蔵庫を開けると同時に軽快な携帯の着信音が胸で鳴る。
「翡翠?…俺。…これから帰るんだけどさ、京一のアホ、連れて行っていい?」
龍麻の後ろで『誰がアホだ!?』と叫んでいる蓬莱寺の声が聞こえる。
苦笑しながら承諾して携帯を切ると、もうすぐ帰ってくる食欲魔人のためのおいしい昼食の支度を始めた。


                                        END

 

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