イブの奇跡

 

長い夢を見ていた。
他の世界にいて、氏神様として戦っていた。
その世界は俺たちの世界とは別の世界で、でもとても良く似ていて、笑っちゃうことにはそこにも如月骨董品店がちゃんと存在した。
そこには如月がいるだろうか?
中央公園で最後に交わした言葉は非常にきまづく、会いに行くには憚られたが、それでも如月のところで必要な符を入手しなければならなかったのでしぶしぶ出かけていくと、中から出てきたのは俺が知らない如月で、しかも正真正銘男だった。
あの照れ屋で、恥ずかしそうに笑う如月翡翠はそこにはいない。
如月に会いたい。
知らない如月に会うたびに、俺は最後に見た如月の姿を思い出す。
唇を噛み締め、俺が八つ当たり同然に放った責めるような言葉に、悲しそうに、本当に泣き出してしまいそうなほど悲しげに首を振った。
その顔を思い出すたびに俺は後悔の念に苛まれる。
なんであんなことを言ったんだろう。
如月はそんなことを考える人間じゃなかったのに。
店に行くといつも笑顔で迎えてくれた。
誉めると恥ずかしそうに、でもとても嬉しそうに微笑んでいた。
俺の話をいつでも穏やかに受け止めてくれた。
本当にどんな手段を使っても俺の側にいようとしたのならば、最初ッから女であることなんか隠さないで、むしろそれを逆手にとって武器にしたはずなのに。
俺の八つ当たりにも怒らずに、ただただ悲しそうに首を振っていた。
もう許してもらえないかなぁ。
深いため息をつく。
ここは如月のいるところからとても遠くて。もしかしたら二度とあえなくなるかもしれなくて。それでも、もう一度だけ会いたくて。会って、どうしても謝りたくて、俺はもといた世界に帰るべく今日も戦う。


目が覚めるとそこは病室だった。
目の前に舞子の顔と、岩山院長の顔があってかなり吃驚したけど、俺は無事に自分の世界に戻ってくることが出来たようだった。
だけど、やっぱりそこには如月はいない。
「…龍麻。」
いたのは紅葉。
おそらく鳴瀧さんから言われてここにいるのだろう。
「…んだよ。」
ふてくされて返事をすると傲慢そうに、最初に会った時のように俺を尊大な態度で見下ろしてくる。だけど、口から毀れる言葉は以外に優しかった。
「…明日には退院できるそうだよ。」
「そか。」
俺は点滴の刺さった腕を動かさないように注意しながらベッドの上に起き上がる。
「…おまえ、ずっといたのか?」
尋ねると、僅かに考え込んでそして返答する。
「ずっとではないけどね。途中、家にも戻ったし。」
ベッドサイドに突っ立ったまま答える。
でも、随分と長いことここにいたことには違いないようだ。
「如月は…?」
それなら、と思わず問い掛けてからしまったと後悔したが、口にしてしまった言葉が戻せるはずもなく、そのまま俺は俯いた。
「…家に戻っているよ。」
短く返答がある。
家か。まぁ、そうだよな。俺は納得しながらもう一度最後に見た如月の顔を思い出していた。
「やっぱ、怒ってるよな。」
「自分で聞いてみれば?」
さっきとは違って、冷たい紅葉の口調に俺はむっとして眉をしかめる。
「なんだよ、冷たいじゃんか?」
「別に。ただ、僕は如月さんの気持ちなどわかるハズもないから聞いてみればいいと言っただけだ。…それに、心配するくらいなら最初から言わなければいいんだ。」
不機嫌そうな紅葉の言葉に俺は肩を竦める。
「たった一言でも、相手を打ちのめすには充分な言葉だってあるだろう?ましてや、あの真面目な如月さんのことだ。相当辛かっただろうよ。」
じろりと俺を見下ろし、それからふんっと鼻で笑ってゆっくりと出口に歩いていく。
「どちらにせよ、君は今日は何も出来ない。ゆっくりと、ベッドで反省することだね。」
そう言って紅葉は病室から出て行ってしまった。
「けっ、うるせぇよ。」
いなくなった紅葉に悪態をつきながら再び俺はベッドに横になった。
反省なんかもうずぅっとしている。
夢の中で、何度も反省してる。言わなきゃ良かったって後悔もしている。何度も心の中で如月に謝っている。だけど、全部本人に伝えなきゃ意味のないこと。
身動きのできない俺は、眠れない夜を過ごすしかなかった。


翌日はクリスマスイブだった。
京一が誰か好きな子がいるのなら呼んでくれると言って来たが、まさか如月を呼んでもらうわけには行かず、それを断って早々に家に帰ることにした。
久しぶりに自分ちに帰り着いてまずは風呂。入院中、ずうっと風呂に入っていなかったからあちこち痒い。
ゆっくりと風呂に入って、着替えると次は紅葉に電話をかけ、待ち合わせをして家を出る。
紅葉に頼んでいた品物はようやくできてきて、俺はその荷物を奴の嫌味とともに受け取り、家に置いてあった他の荷物と一緒に抱えて、ついでにケーキも買って如月の家に急いだ。この荷物は全部如月が貰ってくれないと意味がない。家に置いておくよりも捨てられても本人に渡した方がいい。
いや、そんなんじゃなくて。
本当はそんなの口実で、もう一度だけでも如月に会いたかった。
あんなことを言ってしまったから怒ってても当然だし、許してもらえなくっても、それでももう一度だけ如月に会いたかった。
謝って、許してもらえれば一番いい。だけどそんな楽観的なことを考えるほど俺は能天気じゃないから、そんな望みは最初ッから持ってない。だけど、とにかく謝りたかったし、俺の正直な気持だけちゃんと伝えたかったから。
如月の家に向かう電車に乗り込んで一息をつく。
いつから俺はこんなになってしまったんだろう。
最初は如月が側にいると嬉しくって、あいつの身に纏っている穏やかな水の気が心地よくって、いつ行っても嫌な顔せず、穏やかに微笑んで出迎えてくれて、嬉しくって、楽しくって、ともかく側にいてくれるだけでよかったのに、何時の間にかなんでも知っていたくて、如月の全部を欲しくなっていた。
如月が彼女になってくれて、俺はただの子供みたいに、如月にわがままを言っていた。
黙って微笑んでわがままを聞いてくれる如月が、本当に自分を愛してくれている気がしてはしゃいでいたけど、如月は自分のことをほとんど話してくれていなかったのに気づいてしまったのは村雨や御門と出会ってから。
好きだから、話してくれなかったことが悲しくて、好きだからいろんなことを知りたかった。
そして、すぐに俺が黄龍の器だということを知り、今までの全てがそのためだと知ってしまった。
絶望と嫉妬から生まれた言葉は鋭い刃となって如月の心に斬りつけて、後悔しても全ては遅かった。あれだけ酷いことを言ったのだ。もう二度と許してはくれないだろう。だけど、たとえ如月が俺を許してくれなかったとしても、俺はまだ如月のことが好きだった。
俺にもう一回だけチャンスがもらえるのなら、今度こそ、ちゃんと如月を大切にする。ずっと一生、大事にする。
もう、如月以外には考えられないから。
死にそうな目に会っても、如月のことしか考えられなかった。
まだ若いからそのうちにもっといい人が現れるかもしれないって人は言うかもしれないけれど、生死の間際にさえ他のことじゃなく、如月のことしか考えられないって言うのは、もうこれは龍山先生達のいう宿星ってやつ。
だから、もし、本当に奇跡があるのだとしたら、もう一度だけチャンスがほしい。
祈りながら俺は電車を降りた。


如月の店までは通いなれた道のりで、夕闇の街を走り、いつもの角をまがると如月の店が見えた。
とにかく謝らなくっちゃ。
俺はその一念でやってきたけれど、店の手前、10メートルまで近づいたところで店が休業なのに気が付いた。店は暗く、看板は中に入れられている。だけど中からは間違いなく如月の気が感じられるので、急いで裏の、玄関の方に回ることにした。
敷地沿いをぐるりと回っていく。敷地や建物の大きさの割には小さな門は相変わらず玄武の結界が張られている。それをなんなく通り抜けると玄関の前に立つ。
なんて言えばいいだろうか。
切り出し方を考えていた瞬間に、いきなり玄関の明かりが付いてがらりとガラスのはまった引き戸が開けられた。驚いて顔を上げると、玄関には如月が立っていた。
「いらっしゃい。」
いつものようににっこりと、優しげに微笑んでそう言った。
なんて言ったらいいものか返答に困って、とりあえずうなづくともう一度如月が口を開く。
「退院したんだね。…おめでとう。」
そう言われてもう一度俺はうなづいた。
すると如月は嬉しそうに笑って、それから俺に入るように促した。
「こんなところで立ち話もなんだから上がるといい。」
それは全く、あの中央公園でのことがなかったかのように、前と同じように変わらない対応だった。
どうしてそんなに普通にしていられるのだろう。怒っているのに、抑えているのか、それとももうそんなことも忘れてしまうほど俺は意識から疎外されたのか。
どちらにしてもとても悲しいことだった。
玄関でスリッパを用意している如月の後姿に声をかける。
「…如月…。」
振り返った如月は、心持首を傾げる。
「どうしたんだい?」
そう聞き返す声はとても優しくて。
「…怒ってないのか…?」
恐る恐る尋ねる僕に、如月は微笑んだまま答える。
「龍麻こそ、もう怒ってないの?」
言われて、俺は中央公園のことをすぐに思い出した。最後に如月と交わした会話では確かに俺は酷く怒っていて、如月がそのことを気にしているのを申し訳ない気持できいていた。やっぱり怒っているのだろう。それで当然の反応なのだ。
「俺は…。」
言いかけて、整理されてない頭はうまく動かずに、次の言葉も出なくって俺はそのまま俯いてしまった。なんていえばいいだろう。どうやって謝れば、ちゃんと俺の気持を伝えることができるだろう。本当に申し訳ないと思う気持と、如月をまだ思っている気持を。
「ああ、とりあえず中に入ろう。日が傾いてきたから随分冷えてきたよ。」
言葉が継げなくている俺を、如月は家に押し込んでそのまま居間に通される。いつも勝手気ままに振舞っていたのに、なんだか今日はいづらくて、正座をしたまま俺は如月がお茶を出してくれるのをじっと見ていた。
如月は俺専用の湯飲みに茶を入れてだしてくれる。まだこの湯のみがここにあるということが少しだけ気持を楽にしてくれた。
「…あのさ…この前…中央公園で…。」
俺は整理がつかないながらも、とにかく話し始めた。
「…俺、如月が…玄武だから…義務感で付き合ってるのかなって思ったら、すごく悲しくて。…いままでのこと、全部…そうだったかなって…。」
なんであんなことを言ってしまったか、その理由を話してみようとするけれど、美味く言葉に出来なくって、すぐに先の言葉に詰まってしまった。それでも、自分が思い浮かぶこと全部言葉にするために、さらに先を続けてみる。
「俺一人で、勝手に盛り上がってたかなって思ったら…悲しくなって。…すごい不安になった。」
だけど、全部それは俺の勝手な考え。こんなこと、如月に対する言い訳でしかないことに気付いて俺は情けなくなった。そう思ったからといって、如月にひどいことをいってもいいというわけにはならないのに。
「…ごめん。…何言っても、やっぱ言い訳だな…。」
言い訳だらけでみっともないけど、でも全部を知っていて欲しい。
「それに、村雨や御門が、オマエのこと良く知っててさ。…オレ、全然知らなくって。…なんで話してくれないかなーって…思ったら、なんだかすっげー悔しくって。」
こんなみっともないヤキモチをやく男なんて最低だ。
でも、嫌われててもいい。俺は俯いた顔をあげた。
「もう嫌いなら二度と顔を出さないからさ。…でも、これだけは信じて。…俺ね、すげー如月のこと好きなんだ。…如月が側にいるだけで嬉しくって、笑っただけでも嬉しくって。…如月がオレになんかしてくれるたびに、子供みたいに嬉しくって、バカだなって自分で思うほど嬉しくってさ。」
嬉しくて、幸せで、俺はずうっと側にいたいって本気で思ってた。初めて自分の本心を素直に言える相手ができて、失いたくないって思ってたのに。
「ほんとにごめん。…俺ね、ほんとは如月がどう思ってても、俺の側にいてくれればそれでよかったはずなんだけどさ。一回手に入れた、と思ったら全部欲しくなっちゃったんだ。…ほら、俺って欲張りだし。」
ほんと、どうしようもない性格。自分でも時折嫌気がさす。
「あんなこと言っておいて今更許してくれって、さすがのオレでもあつかましくって言えないし。…怒ってても、嫌われててもいいから、も一回だけ顔が見たかったんだ。」
その希望はちゃんと叶った。
きっと怒っていると思っていた如月の顔は、いつもとかわらない優しい笑顔で、最後としては申し分ない。
もう、これで思い残すことはない。
だけど、目の前の如月はおかしそうに笑っていた。
「え…とね。…怒ってなんかいないんだ。」
続いて発せられた言葉に、俺は一瞬自分の耳を疑った。
怒ってない?確かにいま、そう言ったのだ。
「僕が…ちゃんと言わなかったから…。」
独り言のように小さな声で呟いて、如月は何かを決意したようにすぅっと顔を上げる。その表情は微笑んでというよりも、強い意志を感じた。
「玄武云々じゃなくって…僕は龍麻が好きだよ。」
如月の口から出た言葉に俺は吃驚して息を飲んだ。本当に?そう聞き返したかったぐらいだけど、その表情からはとても冗談を言っているようにはみえなかった。…もしかして、俺にはまだチャンスがあるのだろうか。
「僕、最初っから普通の女の子として出会いたかったよ。街中をね、龍麻と一緒に普通のカップルみたいにして歩きたかった。手をつないでね、他愛もないことを喋りながら、歩きたかったんだ。」
恥ずかしそうに言う如月はとても可愛くて、同時に如月がそんなささやかな願いを持っていることさえわかってやれなかった自分が本当に情けなかった。測らずもそれは俺の願いと重なっているのだけれど。
「玄武じゃなければいいと思った。…でもね、同時に玄武でよかったとも思ったんだ。…玄武だからこそ、君の側にいることができるだろう?」
玄武だからこそ。俺はその言葉にはっと胸を衝かれた。
俺だって、黄龍の器で、玄武を長とする四神を側に従えていればよかったのに。それが一番の理由になることをどうして喜ばなかったんだろう。喜ぶどころか八つ当たりまでしてしまった。
「…もっと、早くに言うべきだったんだけど…。」
如月はすまなさそうな顔を俺に向け、その表情にぎくりとして、思わず顔がこわばる。
最悪のパターンを予想する俺に、如月は顔を真っ赤にして、それから深呼吸をしてから顔をあげて俺に告げる。
「僕は、龍麻を愛してるよ。」
全く正反対の言葉がでてきて、不意打ちを食らって、俺は硬直してしまった。
愛している。
きっと、俺が一番欲しかった言葉。
それがようやく聞けて、俺は安心して、不覚にも涙してしまった。
「良かった。」
向かい側に座っていた如月の側まで行ってぎゅうっと抱きしめる。もとから細かった体はさらに細くなっていて、俺はまた申し訳ない気持になってしまった。
もう二度と悲しませない、笑っていて欲しい。そのためならどんなこともする。
どうか、ずっとそばにいて。
イブに起こった奇跡に、俺は心の中でそう誓った。


                                   END

 

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