「龍麻、18歳の誕生日おめでとう。」
「ありがとうございます、おじさま。」
拳武館高校、館長室。私は鳴瀧のおじさまに呼ばれていた。今日、18歳の誕生日を迎えた私にプレゼントをしたいというのだ。
今までは絶対に学校に呼び出すことをしなかった。今までは裏の仕事のことを知られたくなくってそうしていたようだが、今回、図らずも裏の仕事のことが私にわかってしまったために平然と学校に呼び出すことにしたようだ。
「この間は、本当にすまなかったね。」
「平気。私は怪我はなかったし、京一も無事だったし。紅葉には協力してもらっちゃっているし。」
「紅葉、ねぇ。」
おじさまはそう言ってくすくすと笑った。
「珍しいこともある。アレは他人に協力する性格じゃなかったはずだが。」
「え?そうなのっ?」
身を乗り出して聞く私に叔父様はさらに笑って言う。
「それに壬生を紅葉と呼べる人間は母親以外に知らないね。…よっぽど、龍麻は気に入られたんだな?」
そうだと嬉しいんだけどな。私は心の中でちらりとそう思うが、きっと違うだろう。
「直接紅葉を倒したからじゃない?上だと思ってるんでしょ、一応。」
私の言葉になるほどとうなづいた。
「彼がここで一番?」
「ああ、師範代でもある。もし、龍麻が例の話を受けてくれないのなら、私は彼を後継に指名しようかと考えているよ。」
私は拳武館高校を継ぐように言われている。自分でも先のことはどうなるか分からないし、まだなんとも返事はしていない。それよりも先に私はまだ自分の周りで起きている事件も解決しなくてはならないのだから。
「彼は、私なんかでは納得できないんじゃない?おじさまに心底忠誠を誓っているようだし。」
「でも龍麻は勝ったのだろう?」
「あの時はね。それでね、おじさま。今日はお願いがあるの。」
「なんだね?」
「紅葉ともう一度戦いたいの。いい?」
無論、だめというはずがない。そう考えての質問だった。
この試合の結果如何では私は紅葉に重要な頼みごとをするつもりだ。
期末テストが近いために旧校舎潜りを一時休むことにしたのは1週間前。うまい具合にそれから困った事件も起きていない。1週間ぶりに紅葉に会うのに、それが試合というのはあんまりにも色気がないけど、それでも顔が見れるならちょっと嬉しい。
おじさまがどこぞで電話を入れてからしばらくして紅葉がやってきた。
道場に案内してもらっている間に、その道筋にある窓には女の子が結構いる。みんな紅葉の方を見ているんだけど、当の本人はいたって無視。紅葉って、そういうのに興味なさそうだし。私は内心ため息をつく。やっぱり、女の子とかは面倒だと思ってるかな。ロッカー室で着替えて道場に入るとすでにおじさまが来ていた。
「しかし、なんだって急に?」
「彼の戦い方を確認したいの。それで場合によっては、彼には大事なお仕事を頼まなければならないから。」
「仕事?」
「他の仲間には決して出来ない、ね。きっと、紅葉みたいに実戦経験の豊富な人間じゃないと出来ないことなの。」
「それは、一体…?」
おじさまが私に聞きかけたところで丁度紅葉が着替えて上がってくる。道着をつけている彼をみるのは初めてで、正直に言うと、その凛々しさに少し顔が緩みそうになった。
いけない。これは真剣勝負。私はすぐに心を引き締める。
開始と同時に私も彼も体内で気を高め始める。まずはともに最奥義での応酬。ものすごい気の炸裂、吹き飛ばし効果でどちらも技を掛けられるたびに後ろに大きく吹き飛んでしまう。壁にあたるとその分のダメージも大きくなるから立ち位置にも注意しなければならない。互いに技の応酬で生命力を徐々に削っていく。私は自分の生命力を計算しながら戦っていた。今日の目的は紅葉を倒すことではない。紅葉の行動を見るためなのだ。
そろそろいいだろうか。私はわざと生命力が残り少なくなってから壁に近いところに立った。紅葉にとっては絶好のチャンスを作る。こんな時にはどうするかしら。
「龍牙咆哮蹴!」
一瞬の迷いもなく彼は最奥義をかけてくる。私はもろに食らって後ろの壁に吹き飛ばされてしたたかに頭を打った。痛いんだけれど、同時に嬉しくもあって、もしかしたらそのときに私は笑っていたかもしれない。ようやく私の願いを託すことの出来る人を見つけた。嬉しさと、でも思いっきり頭をぶつけちゃって痛いのと。残りの生命力がわずかな状態でようやく立ち上がった。とりあえず、やり返しておこう。私は紅葉に八雲と鳳凰のコンボ攻撃を仕掛けて彼を畳に沈めた。
私は肩で息をしながら畳の上に倒れている紅葉を見た。全力を出してくれたようで、もう起き上がる気力さえないようだ。窓に張り付いている彼のファンには申し訳ないし、紅葉にも悪いことをしたなと思いつつ、まずは自分の体力を回復した。続いて紅葉に近づいていく。紅葉にいつも装備してもらっていた反魂咒符は砕け散っていた。おかげで生命力は多少回復している。そのまま私は紅葉を回復させたが、気でも失っているのか目覚めない。
「紅葉、紅葉?」
ぺちぺちと軽く整った顔の、白い頬を叩く。うっすらと目をあけ、すぐに意識を戻すと起き上がって頭をぶるぶると振って完全に意識を覚醒させた。すぐ目の前にあの怜悧な美貌を見てしまった私はどきどきしている胸と、多少紅くなっているだろう顔を見られたくなくってわざとおじさまの方に向き直る。
「どう?後継者としては、合格かしら?」
「ああ。1年で随分と腕をあげたものだな。みちがえたよ。」
おじさまはにこにこと満面の笑顔で答えてくれる。
「そりゃあ、いろいろあったもの。まだコトが片付いたわけじゃないけどね。」
ここ半年の騒動の数々を思い出せば、自分がここまでになったのも別に驚くべき進歩ではない。そして、現在も不穏な動きは続いている。決着をつけるときが来るのはそう遠いことではないのかも知れない。最近、飛躍的に増大している自らの力がそう告げているような気がした。
「壬生は、少しは役に立ちそうか?」
不意に尋ねられて私はうなづいた。
「充分だわ。彼はとても強いし、それに優しいから。」
そう言って、紅葉を見るとなんだか複雑怪奇な顔をしている。これもまた初めて見る表情だなと内心微笑んで、私は暇を告げる。
「さてと。随分長居しちゃったから、そろそろ帰るわね。」
着替えにロッカー室に戻ろうとすると、慌てて紅葉が立ち上がった。
「送っていくよ。」
意外な彼の申し出に私は瞬間驚いて、でも嬉しくってうなづいた。
「ありがと。お願いするわ。」
1時間後。私は紅葉の家にいた。
紅葉にどうしてもお願いしたいことはとても物騒な内容で、うかつに人に聞かれたら変な誤解をされる。人の少ないところで話すといったら、彼はここに連れてきたのだ。無論、お邪魔できるのは嬉しいけど。マンションの一室、紅葉の部屋は驚くほどに綺麗に片付いていて、うちよりも綺麗だった。無駄なもののない、シンプルな部屋。
ケーキは好き?って聞かれたからどっかに美味しい店でもあるのかと思ったら、彼自身が作るというのである。部屋に入ると、紅葉は鞄と学ランを置いて、シャツの上に黒のエプロンをかけて早速準備に取り掛かる。
「えっと、何か手伝うこと、ない?」
ただぼーっと待つのもなんなので、私はおそるおそる尋ねてみた。
「ない。」
帰ってきた返答はとても短かった。そりゃそうよね。かなり作り慣れている感じだし。準備の手際のよさがそれを物語っていて、確かに私なんかの手出しは不要らしかった。それでも、一人でリビングのソファに座っているのは気が引けてしまうし、退屈だし。
「じゃあ、ここで、作るのを見てていい?」
すると、今度はくすっと笑ってうなづいてくれた。
粉や卵、バターやミルクが次々に混ぜられて、あっという間に泡立てられてふわふわのスポンジのタネになる。レシピも何も見ないで、暗記しているその手順にただ驚くばかり。翡翠といい紅葉と言い、一人暮らしの男の人って意外とマメなのねぇとしみじみ思う。
「で、ところで、僕にお願いって?」
あんまりに見事な手際に私は来訪理由を忘れかけていた。焼きあがるのを待つ間に飲んでいた紅茶のカップを置いてから話を切り出す。そうだった、それが一番重要なのに。私はこほんと軽く咳払いしてから言った。
「紅葉、私を殺してくれる?」
紅葉の反応を見るために依頼内容を大幅に要約して言うと、紅葉は一瞬固まった。思い通りの反応が少し可笑しくって笑うと彼は聞き直してくる。
「な、に?」
「だから、私を殺して?」
もう一度、はっきりと言うと彼は不審そうに眉根を寄せ、低い声で理由を尋ねられた。やっぱり、頭ごなしに反対はしない。たとえ答えがノーだとしても、それだけで嬉しかった。いつも冷静で、私の考え方を聞こうとしてくれる人。
「やっぱり、紅葉だわ。うふふふ、紅葉のそういうとこ、大好き。」
大好きな人にこんなことを頼むのは気が引けるのだけど。
「私の力は紅葉も分かってる通り、かなり強大なものになっている。それを私自身がコントロールできているうちはいいけど、もし、この力が制御できなくなったとしたら。最近ね、そんなことをよく考えるのよ。」
余りに急激に強くなっていく私の力。これがもしコントロールできなくなったら、最強を誇る私の力でもしみんなを傷つけてしまうことになったら。そう考えただけで恐ろしくなる。私のこの手で、大事な仲間達を傷つけるのだけは嫌。みんな私を信じて力を貸してくれるのに。それを裏切るような真似だけはできないから。
「他にもいるんじゃないのかい?蓬莱寺とか、醍醐とか、それこそ如月さんとか。」
やっぱりこんな頼みは聞いてもらえないようで、紅葉はありありと困惑の表情を浮かべて強力な技を持つ他のメンバーの名前を口にした。それを考えたことがないわけではない。秋頃から私は自分の力に脅威を感じてそれとなくみんなに聞いてみた。けれども京一も醍醐も一笑に伏し、翡翠は私に殺されるのなら本望だとまで言い放った。私が例え黄龍であろうとも、狂ってしまったらそれはただの狂人なのに。
「紅葉だけよ。私と戦って、隙があったときに迷わずに最強の技を叩き込んでくれたのは。」
私の言葉に責められていると誤解したのか、紅葉は慌てて反論する。
「あれは…本気だって言うから。」
「そうよ。もし、私が狂ってしまったら、あれで躊躇していたら自分がやられるわ。そうでしょう?」
紅葉が躊躇せずに私に龍牙咆哮蹴を食らわした理由。それは命のやり取りの中で一瞬の迷いが死に至ることを知っているから。そのことの大切さをみんなはわかっていない。私という強力な力の持ち主が暴走し、攻撃してきたとしたら一瞬の迷いさえみんなには命取りになる。そんな簡単なことがわかっていないのだ。狂っていればそこにはみんなのよく知っている緋勇龍麻はいない、ただ単に緋勇龍麻の器だけが存在し、心はまるで見知らぬ別の生き物になってしまう。
「だから、紅葉だけなの。ね?お願い。」
もう一度、重ねて頼むと彼はしぶしぶながらうなづいてくれた。
これでいい。これで私が狂ったとしても、皆が傷つくことはない。一人を除いては。その一人となってしまう紅葉には辛いことだろうけど。
ずっと長いこと悩んできた事柄が抜けて私はへたりとテーブルに突っ伏した。
「その代わり、君は僕以外の人に殺されちゃダメだよ。」
もちろん、そのつもり。私は笑いながらうなづいた。その言葉には彼なりの労りと決意が込められている。
紅葉はきっとこの約束の大変さが分かっている。
もし、本当に私が狂ってしまったら。その時の辛さをきっと分かっている。私を殺したらおそらく回りの仲間達が紅葉を放っては置かないだろう。いくら私とした約束でも、きっとみんな逆上して紅葉に襲い掛かるに違いない。そうならなかったとしても、以降、ずっとみんなからの謗りに耐えていかねばならなくなる。その苦しさも辛さも約束ゆえに耐えてくれると、そういうつもりなのだろう。
ごめんね。一番辛い役目だよね。心の中で紅葉に何度も謝る。
「できるだけ、そうならないようにするから。でも、もしそうなっちゃったら、ごめんね。」
強くなければ。誰一人として傷つくことのないように。どんなことがあっても私でいられるように。迷いも不安もすべてどこかに押しやって、曇り一つない私でなければ。辛いことだけどやらなければ、この人に迷惑をかけてしまう。もう既にかけているのだけど。
「ごめんね、紅葉。」
もう一度、今度は口に出して謝った。
「かまわないよ。僕も、君がそうならないようにできることがあったら協力するから。」
ホントに?私は顔を上げて紅葉の顔を見た。優しい顔で微笑んでいる。どうして笑えるの?酷いことを頼んでいるのに。
「ほら。」
紅葉は笑いながらポケットに入っていたハンカチを出して渡してくれた。そのときになって私は自分が泣いていたことにようやく気がついて、ほんとは自分のハンカチがあったんだけど、そこは素直にせっかく出してくれたのを借りることにした。ぱりっとアイロンが綺麗にかかったハンカチは紅葉のマメさを証明しているようだった。
「えへへへ。かっこ悪い。」
わざとおどけていったけど、笑ったはずなのに、目の前がじわりと滲んで紅葉の顔もぼやけてしまう。泣いている場合じゃないのに。
泣き顔を見せたくなくって少し俯いて涙を拭こうとすると、急に体全体が柔らかな暖かさに包まれた。
「あ…?」
一瞬のことでどうなったかすぐには把握できなかった。だけど、気付くと私は紅葉の腕の中にしっかりと抱きしめられていた。顔が一瞬で発火しそうなくらいに熱を持つ。
「あの、…その…。」
それは私だけじゃなくって、紅葉も同じだったようで困ったように、しどろもどろになっているのを聞いていたら思わず笑みが毀れてくる。なぐさめてくれようとして言葉よりも先に腕が動いた、そう言うことかしら?
「紅葉。ちょっとだけココ貸してね?」
それならいっそのこと好意に甘えちゃおう。暖かくて大きな胸で最適な場所を探して落ち着いた。こうして誰かに抱っこされるのって何年ぶりなんだろう。暖かさが酷く気持ちよくって、安心して、そうしたら急に涙が毀れてきた。途中まで止めようと努力したけどそれは一向に収まらない。張り詰めたものが急に緩んで、ついでに涙腺も緩んじゃって。泣いているのが分かったのか、紅葉はゆっくりと背中をあやすように叩いてくれる。
ごめんね。ありがとう。
もし、この先、私が紅葉にしてあげられることがあったら、どんなことでもするから。今は、もう少しだけ甘えさせて。
とくんとくんと紅葉の鼓動が聞こえる。穏やかで規則正しいその音がまるで辛さを溶かしていってくれるようだった。
END
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