「こんにちは。龍麻、いますか?」
10月も終わりに近づいた日の午後。如月骨董品店に壬生がやってきた。大学の帰りらしく鞄を持っていたが、一緒に大事そうに紙袋も携えている。
「うちに来て第一声がそれとは、随分いい根性をしているじゃないか。」
そう言って、こめかみをひくつかせながら出迎えたのはこの骨董品店の若き店主、如月翡翠。
「ああ、如月さんこんにちは。」
壬生は涼しい顔でようやく店主の存在に気が付いたとでもいいたげに、とってつけたような挨拶をする。
「龍麻、来てますよね?」
断定口調で尋ねた彼に如月は不機嫌そうに答える。
「ああ、奥にいるよ。…龍麻、壬生が来たよ。」
奥に向かって声をかけると、はーいとかわいい声が奥の方から聞こえ、間もなく台所からひょっこりと龍麻が顔を出した。
「いらっしゃい、紅葉。今、お茶いれるね?」
「ああ、いいよ。これを渡しに来ただけだからね。」
そう言って壬生は持っていた紙袋を龍麻に向かって掲げて見せる。
「あっ!もうできたのっ!?」
まるでそれに飛びつくように、嬉しそうに龍麻が壬生に走りよった。側で自分の彼女がライバルに嬉しそうに飛びつかんとしているのに、内心穏やかではない如月は招き猫を磨きながら、ちらちらと二人の様子を横目で絶えず伺っている。
「見ていい?」
わくわくしたような顔で壬生に聞いている龍麻を見ると、壬生に嫉妬を覚えてしまう。
「ああ。」
そんな龍麻に満面の笑みで返事をする壬生から紙袋を受け取った龍麻がごそごそと中から引っ張り出したのは、白い可愛らしいフリルのついたエプロンと紺色の服だった。
「うっわー。紅葉、すっごい!可愛いっ!」
そう言って龍麻は服を体に当てて、どう?と壬生に向かって見せている。
「エプロンのフリルの量をふやしてみたんだ。それと、こっちの服は少しタイトにしてみたんだけど、どうだい?」
「うん、これならいけるねっ!」
側で見ていて、かわいいエプロンと洋服を手に、嬉しそうに交わされるやりとりの意味が全くわからない如月がとうとう口を出す。
「その服、どうしたんだい?」
にっこりと。できるだけにっこりと、内心のいらいらを隠すようにして龍麻に尋ねてみた。
「学園祭で、美術マネージメントクラスでコスプレ喫茶をするの。」
「コスプレ喫茶?」
「そう。いろんなコスプレでウェイトレスをするの。私、メイドの服を割り当てられたんだけどさ、そんなの持ってないし。紅葉が作ってくれるって言うから、お願いしたの。こんなに早くできるなんてびっくりした!」
「で、これがそうなのかい?」
「いい出来でしょう?」
自慢気に壬生が笑う。そうなのだ。この男は、こういう裁縫の類もお得意なのであった。裏の稼業が稼業なだけに、あまりに似つかわしくない特技なのだが、実際に出来上がったものを目の当たりにすると納得してしまう。既製品といわれたらそうかと思うほどの出来栄えだった。
「ああ、とてもよく似合うだろうね。…でも、龍麻。これでお客さんの前にでるのかい?」
「うん。これ着てウェイトレスやるんだよ。」
それが何か?と龍麻は不思議そうな顔をした。
可愛すぎる。如月はとたんに不安になる。壬生の作ってきた服は、あまりにもよく似合ってて、デザイン的には多少ロリコン気味のきらいはあったが、充分に龍麻の可愛さを引き出すもので、だから、かなり不安に陥る。
「翡翠もおいでよ。私、2日の午前中の担当なんだ。午後からは暇だから学校の中、案内できるしね。」
そんな如月の不安などまったく分かっていない龍麻はのんきに如月を誘っていた。
平日であるのがまだ救いだな。如月はそう思いながらうなづいた。
「紅葉もね。」
「もちろん。」
龍麻の誘いににっこりと壬生も微笑んだ。こいつも一緒か。如月は内心、少し面白くはなかったが、仕方がない。壬生だっておそらく製作した手前、きっと龍麻のメイド姿を見たいのであろう。本当は壬生などにそんな可愛い姿は見せたくないけれど。
「あ、そういえば、翡翠や紅葉の学校の学園祭ってどうなってるの?何もしないの?」
思い出したように龍麻が二人に尋ねる。
「僕は何も参加しないよ。サークルに入ってるわけでもないし、クラスでも参加しないからね。もし来るというなら案内するけど?」
壬生が言う。
「なぁんだ。残念。翡翠は?」
「うちは、美術論学科で和風甘味処をやるよ。」
その言葉に甘いもの好きの龍麻の目がきらりと輝く。
「わーい。翡翠は?出るのぉ?」
「確か、3日の午前が担当で、4日の後片付けに出るんだった。」
「行きたい、行きたーいっ!」
龍麻は目を輝かせて、尻尾があったらちぎれんばかりに振っているような可愛らしい表情で如月に言う。甘いものが大好きな龍麻が来ないわけがない。
「じゃ、3日に来ればいい。」
「うんっ。おごって、おごって♪」
「ああ、わかったよ。」
こういう時の龍麻はとっても可愛くって、彼バカと言われればそれまでなのだが、僕にできることはなんでもしてやりたくなる。そうか、龍麻が来るのなら好きそうなところ、チェックしておかないと。
龍麻の学園祭の当日。少し早めに出掛ける支度をしていると驚いたことに壬生が家までやってきた。
「抜け駆けはなしですからね、如月さん。」
剣呑な笑みを浮かべてしっかりと釘をさされる。カンのいい男ほど食えないものはない。如月はそう思いながらジャケットを羽織って壬生を伴い出かけていった。
龍麻の学校は文京区にある。上野の杜にある翡翠の学校からさほど離れてはいず、それがゆえに一部の講師などは翡翠の学校と掛け持ちをしている。私立の大学だから設備は明らかに如月の学校よりもこちらの学校の方が綺麗である。ただし、キャンパスはさほど広くない。
「さすがに、女子大。女の人が多い。」
校門を入ったところで壬生が当たり前のことを言って感心している。そこらへんを歩いている人の70%ほどが女性である。如月にはいえないが、内心、やっぱり一人で来なくて良かったと密かに胸をなでおろしていた。それは実際、如月のほうも同じことであったが。
「ええっと、龍麻のクラスは…。」
入り口でパンフレットを貰って二人で額をあわせるようにして覗き込んで龍麻のクラスを探し始める。
「一年美術マネージメントクラス。ああ、南校舎2階だそうだ。」
見つけた如月は細い指で地図の上をとんとんと指し示す。
「すぐに行きますか?」
壬生の言葉にちらりと時計を見る。龍麻の交代時間は1時といっていたがまだ12時を回ったばかりである。交代時間には少々早い。
「いや、まずは龍麻の好きそうなものを差し入れとして買っていこう。きっとおなかがすいたって騒ぐだろうから。」
如月の言葉に思い当たることのある壬生が微笑んでうなづいた。
「何がいいでしょうね?粉モノかなにか…。」
「模擬店は中庭だな。」
「ここをまっすぐ行けばいいんですね?」
行動予定が決まって二人同時にふとパンフレットから顔を上げると、回りには女の子の山。
「うわ。」
思わず、びっくりして叫んでしまいそうになる。
「如月さん、少しは何かで顔を隠したほうがいいんじゃないですか?ただでさえ目立つのに。」
壬生は非難の目で如月を見た。
「人をパンダみたいに言うなっ。壬生、おまえの責任でもあるんだからな。」
「どうして僕の?」
涼しい顔をして壬生が尋ねる。
「充分にもてる顔だ。君も少しは自覚を持つといい。」
「ここでどっちがもてるって話をしているのも不毛ですよ。とりあえず、移動しましょう。」
「ああ。そうするか。」
二人は慌てて逃げるようにして中庭に移動をした。
「ちょっとぉ、ニュースぅ。」
そう言って喫茶店の裏側に一人の同級生が入ってきた。龍麻はオーダーを見ながら飲み物を揃えているところだった。
「東美の若様が来てるんですって。なんでも男二人で来てて、もう一人もすごくかっこいいって。さっき、中庭にいたんですってよ。」
お客さんに出すウーロン茶を注ぎながら龍麻はもう一人が壬生であることがすぐに想像できた。なるほどなー。あの二人ならメチャクチャに目立つだろう。翡翠はいいとしても、紅葉はそこんところ無関心だから、騒ぎになってなければいいけどなー。そんなことを考えながらコップを揃えていく。
「ナンパかしら?」
「まっさかー。若様、彼女いるんでしょう?」
友達のその言葉にぎくりとする。そういえば、簡単に、ここに来るように言っちゃったけど、付き合ってるの、内緒にしてたんだよねぇ。それを思い出してつーっと背中に冷や汗がしたたる。
「もう一人の知り合いとか?」
「ああ、そうかもね。」
「でも、若様の彼女がいるのかもしれないよ?」
ぎくぎくっ。龍麻はいたたまれなくって、慌てて飲み物を運びに出て行った。
お客さんは女の人よりも校外の男のほうが多い。OLや、スチュワーデス、看護婦、婦人警官といった服装の同級生が応対しているせいであろう。
「おねーさん♪こっちはアイスコーヒーね♪」
「はーい。」
席数50くらいなのだが、朝から結構お客さんの入りがいい。目の回るような忙しさとまでは行かないまでも、そこそこに忙しい。
「まさか、若様がねぇ。」
裏に戻るとまだ翡翠の噂が続いている。
「でも、連れの人もすっごくかっこいいって言うし、あながち嘘ではないかもしれないじゃない?もし、友達がいるとして、その人のところに来るのだって男二人って言うのも妙よねぇ?」
「いやーん、若様、ホモなんて。」
龍麻はその言葉に思わずぶーっと吹き出してしまった。
「あれ?どしたの?ひーちゃん?」
「ホ、ホ、ホモ?」
どっからそういうことになったのか。
「なぁんだ、ひーちゃん、あんたもほんとは若様に興味があるんじゃない。」
みんながにやにやしながら言う。いつも、翡翠の噂話には極力加わらないようにしてきた。なんだか尾ひれがついてそうな気もしたし、他の子が翡翠の話をするのを聞くのがなんとなく嫌だったから。みんなには別に興味がないと言った訳ではないが、いつも話に加わらないのを興味がないと判断されてしまっているらしい。
「うりうり。いつもはそっけないくせにぃ。」
みんながこづいてくる。
「い、いや、あのね、私ね。」
「照れなくってもいいのよ♪ひーちゃん、彼氏には内緒にしてあげるから。」
彼がいるってことは言ってあるけど、それが翡翠だなんてことは一言も言ってない。まぁ、その前に誰も聞かなかったし、何より言えるわけがない。とりあえず、どうしてそんなことになったのかは聞いておこうと思ってみんなに質問をぶつけてみる。
「ど、どうしてホモって話に?」
「連れの子もかなりの美形らしいわよ。二人で仲良くひとつのお好み焼きを買ったって。彼女がいるとかいいながら、実は彼氏だったりして。」
「そのお好み焼きだって絶対、二人で分け合うんだよねぇ。」
本人達が聞いたら死ぬほど怒るぞ。内心、そう思いながら聞いていた。
「でも、ホモならうちの学校に来るかしら?」
「だから、友達がいるんでしょう?」
「誰よ?1年生?」
ああ、それを先に言わなければ!
「あの、ね、みんな。私ね。」
言いかけたところに、店のほうからきゃあ♪という声があがる。遅かったか。龍麻は思わず頭を抱えそうになった。表に出ていた友達が、興奮しながら裏に戻ってきた。
「若様、きたわよっ!」
ああ。ためいきとともに私は頭痛を覚えた。遅かったか。
「ホントにすっごい美形♪デッサンしたいくらい。」
なんとなく、私は面白くなかった。確かに、翡翠は美形だけど。もてるのも知ってるけど。自分の彼にしておくのはもったいない位だってわかっているけれど。胸にちりっと微かな痛みを覚える。覚悟はしていたはずなんだけど、こうやって人気を再確認してしまうと多少へこんでしまう。彼女として相応しくない自分がとても悲しくて。綺麗で賢くて女らしい、葵みたいだったら良かったのに。
「ひーちゃん、ひーちゃんってば。」
呼ばれた声にはっと我に返り、俯きかけた顔を上げるとみんながいっせいにこっちを見つめている。
「あ…ごめん。…なに?」
「何って…若様の連れの人が、ひーちゃんを呼んでくれって。」
紅葉だ。私は余計な詮索を受けないうちにさっきオーダーを受けたほかのお客さんのアイスコーヒーを持って表側に急いで出て行った。
「あ。いた。」
紅葉がすぐに私を見つける。私はとりあえず、他のお客さんにアイスコーヒーを出すと、二人に軽く手を振ってからお客さんのいなくなったテーブルを片付けに入る。
「うん、やっぱりよく似合うね。」
紅葉は満足そうにうなづいていた。片付けてるテーブルは二人のいるテーブルのすぐ側である。
「おかげさまで。ありがとね、紅葉。」
「どういたしまして。」
にっこりと紅葉が微笑む。
「もう少しであがれるんだろう?」
「うん。これで終わり。」
「じゃあ、廊下で待ってるよ。」
にっこりと紅葉が笑う。その間、翡翠はというと、ずっと不機嫌そうに黙ったままであった。
「ちょっとぉ、ひーちゃん、どういうことっ!?」
裏に戻ると皆から当然のように詰問される。
「知り合いだったのっ!?」
殺気だった集団がじりじりと詰め寄ってくる。こうなることは多少は予測されたんだけど、さすがに怖い。
「あ、あのね、ふ、二人とも、友達でぇ…。」
言い訳を試みるが、みんなの気迫に押されて後ずさりをしているうちに廊下のほうに転び出る。なんで、そんなに皆怒るんだよぉ。冷や汗をかきながら言い訳をする。
「なんで一言もいってくれなかったのよぉっ!」
「そ、それは…。」
「コトと次第によっては、許さないからね。」
もうだめ。そう思った瞬間だった。
「龍麻。」
後ろから冷静な声が聞こえる。これは紅葉の声だ。助かった。ほっとして体勢を立て直す。声がしたほうを見ると、ちょうど店から二人が出てきたところだった。
壬生がちろりと隣に立つ翡翠を見て何かを囁くと、翡翠は不機嫌そうな顔をさらに渋くしている。にっこりと、ひどく陰険な笑みを浮かべて紅葉が近づいてくる。
「もう、交代だろう?」
「あ、うん。」
「お友達?」
どーゆー状態か、分からないわけはないのに紅葉はわざととぼけて聞いた。その声にさっきまで問い詰めていたみんながさっと知らん振りをして、それぞれににっこりと営業用の笑顔を浮かべる。
「ねぇねぇ、ひーちゃん、彼氏?」
みんなが小声で尋ねてくるが、私が答えるよりも早く紅葉がみんなに返事をする。
「残念ながら違うよ。さぁ、龍麻。そろそろ行こう。案内してくれる約束だよね。」
紅葉が助けてくれたおかげでその場をなんとか乗り切ることが出来た。私は慌てて荷物を持つと着替えに更衣室に行き、普段着に着替えてから二人に合流した。
「ありがと、紅葉。助かっちゃった。」
「龍麻のためだからね。」
にっこりと優しい微笑を返す。紅葉もかなりいい男なんだけど、どうして翡翠みたいに騒がれないんだろう?そう思いながら紅葉の隣に立つ翡翠に目を向ける。なんだか、やっぱりむすっとしている。
「翡翠、来てくれてありがと。」
「ああ。」
随分とご機嫌が悪いようだ。さっきからずっと黙っているし、今の返事に慕って不機嫌そうな声だった。私、なんかしちゃったかなぁ?
「龍麻、お腹がすいているだろう?途中で買ってきたんだよ。」
そう言って紅葉がお好み焼きの包みをくれた。
「わぁ!ありがとうっ!もう、おなかすいちゃって、電池切れになりそうだったの。」
その場の気まずさを和らげるために明るく礼を言ってみる。
「ご飯にしてから、案内してもらうよ。」
にっこりと紅葉が微笑んだ。それでも隣の翡翠はまだ難しい顔をしたままだった。
私がお好み焼きを食べている間に簡単に学校のクラス編成を説明する。紅葉はパンフレットを見ながらその話を聞いていた。その間中、翡翠はずっと不機嫌なままで、黙り込んで一言もしゃべらない。かなり怒っているみたいだ。とても心配だったけど、紅葉もいるからどうしたのとも聞くことが出来なかった。翡翠は、ホントに怒っているときには黙り込むけど、その原因を決して他人には知られたくない人だから、紅葉がここにいる以上、その原因を決してしゃべらないだろう。
翡翠の様子に気をつかいながらも食事を終えると構内を案内して回った。いつも私が授業を受けている教室や、ご飯を食べている学食、それから他のクラスやサークルが出している模擬店やイベントを冷やかして回る。
「龍麻、お化け屋敷だよ?入らない?」
紅葉が嬉しそうに誘う。
「やだ。怖いもんっ。」
「いいじゃないか。僕が一緒に歩くから。」
「だって、怖いから、つい手を出しちゃったりしたら…。」
まさか、一般人に八雲とか浴びせるわけにはいかないし。
「それは、確かに危険だね…。」
紅葉も苦笑しながら言う。その間もちらりと翡翠を見るけど、やっぱり黙ったままだった。
私はというと、だんだん口数も減りそうになった。ただ、紅葉がいたから、元気な振りをしていたけれど、翡翠と二人きりだけだったらきっと重苦しい沈黙に支配されていただろう。
「今日は、ありがとう。楽しかったよ。」
別れ際、紅葉が私の手を握り締める。
「紅葉も、ありがとうね。おかげで助かった。」
「このくらいなら、かまわないよ。」
「また、一緒に遊ぼうね。」
「ああ。」
紅葉が家に帰るべく電車を乗り換えていく。それを見送ってから翡翠の方を振り返った。相変わらず不機嫌なままである。
「あの…じゃあ、翡翠。」
私は水道橋から新宿に戻ろうとしていた。
「…忙しいのに、ありがとね。」
なんだか、不機嫌な翡翠は恐くって、私は何を言っていいかわからなかった。何か怒らせるようなことをしちゃったんだなぁと思いながらもその原因が一向に思い当たらない。それでも翡翠が起こっているのは事実。
「あの…明日、行かないほうが…いい?」
恐る恐る聞いてみると、翡翠の眉がぴくりと動く。
「来たくないなら。」
冷たい口調でそう言われると、しゅんとしてしまう。やっぱり、何か怒らせるようなこと、してるんだ。
「翡翠…ごめんね。…私、なんか気に障るようなこと、しちゃったんだよね?」
一応謝ってみるけど、翡翠の不機嫌そうな顔が戻らない。
「あの…。」
何か、言って欲しいのに、何も言ってもらえなくって、悲しくって、もうだめかなぁと思ったらじんわりと涙がでてきてしまった。
「ごめ…。」
ちゃんと謝ろうと思っているのに、涙が出てきてしまって、声にならない。俯いてしまった私に翡翠は何も言わなかった。もう、だめだ。怒らせちゃった。
翡翠は、急に私の手を取ってぐいっと引っ張っていく。
「ひ、すい?」
そのまま無言で地下鉄にひっぱられていく。
「どこに行くの?」
翡翠は無言のままである。ただ、きりっと、唇を噛み切ってしまいそうなほどにかみ締めて厳しい表情のまま歩いていくだけだった。翡翠の家に向かう電車にそのまま乗せられる。
「ごめん。」
翡翠がぽつりと呟いたのは、翡翠の家の最寄駅で降りてからだった。
「僕が行かなければ、あんなにみんなに言われなかったのにね。」
そう言って、悲しそうに微笑んだ。
「僕の配慮が足りなかった。」
辛そうに、翡翠は呟いた。
「そっ、そんなことないっ。来て欲しいっていったのは、私だからっ。それに、あんまり女の子が多いところ、好きじゃないのに、わざわざきてくれたから…。」
翡翠は目元をゆっくりと綻ばせる。
「昔からなんだ。」
翡翠はぼそりと呟いた。
「僕が少し話しただけで、その子は他の子に苛められることがある。またなのかと思ったら…。」
翡翠は辛そうだった。きっと小さい頃からもてていて、当然それにまつわる女の子のやっかみでいろいろなことがあったのだろう。
「みんなに詰問されている龍麻を見た瞬間に壬生にも言われたんだ。『如月さんの人気のせいですかね?』って。」
そういえば、お店から出てきた紅葉が翡翠に何かを囁いていたんだった。
「だから、努めて学校内とその近くでは君と話をしないようにしていたんだ…すまなかった。…その…悲しませるつもりはなかった…。」
うなだれて、酷く悲しそうな表情で言った翡翠を怒れるわけなんてないし、もともと怒るつもりもない。全ては容貌の割には少し不器用な翡翠の優しさだから。
「ここまで来ちゃったから、どうせなら一緒に夕食たべよ?」
そう提案すると翡翠の顔がぱっと明るくなる。
「龍麻。今日は何が食べたい?」
にっこりと、嬉しそうに微笑んで翡翠が聞く。
「翡翠の作ってくれるものなら、なんでも!」
そう答えると、翡翠は尚更嬉しそうに微笑んだ。
END
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