手料理
「ひーすーいー?」 春、如月骨董品店。店の入り口のガラス戸をからからと開けて元気良く入ってきたのは、店主である如月翡翠の彼女、緋勇龍麻。 「おはよう。今日は随分と早いね。」 翡翠が読んでいた新聞をばさりとテーブルに置いて、微笑みながら顔を上げた。その笑顔は極上で、今年の春卒業した彼の母校では「プリンス」とあだ名されたほどの美貌である。涼しげな目元を綻ばせて、訪れた彼女の方に歩み寄る。 「すっごくいい天気で、気持ちいいから早く目が覚めちゃったの。」 後ろ手にガラス戸を閉めて、翡翠のいる店の続きの座敷の前まで入ってくる。上がり框のところから靴は脱がず、そのまま身を乗り出してにっこりと笑う。 「そうだね、外は確かにいい天気だね。」 宵っ張りで、朝の苦手な龍麻にしてはこんなに早朝から来るとは珍しい。翡翠は微笑んだまま庭の方に目をやった。朝の清浄な空気に、木々も嬉しそうである。 「ね、ね、今日はお店休みでしょう?出かけない?」 おねだりをするように、可愛らしい微笑で言われたら彼に抗えるわけはない。 「いいけど、まだ7時半だよ?」 「いいじゃん。ちゃんとご飯の用意もあるし。」 そう言って龍麻はさきほどからちらちらと彼女の後ろで見え隠れしている新宿方面にある24時間営業のスーパーの袋を掲げて見せた。用意のいいことだ。翡翠は苦笑しながらうなづいた。 「わかったよ。とりあえず、あがりなさい、龍麻。」 えへへへと笑いながら靴を脱いで座敷に龍麻が上がりこむと如月は袋の中身を確認する。お米と鮭、のりに冷凍の煮物用野菜とこんにゃく、鶏肉、卵。なるほど、メニューはおにぎりと、煮物と、卵焼きだとすぐに予想する。 「で、どこに行くつもり?」 「お花見。」 如月は都内の桜の名所を頭の中に浮かべてみた。今日は休日。きっと、どこもかしこも人だらけになっていることだろう。如月の家から一番近いのは江戸時代から続く桜の名所、飛鳥山公園であるが、この季節は凄い人出でゆっくりと桜を楽しむどころではない。旧古河庭園、六義園、小石川植物園。彼の家から近場の有名な庭園などを思い浮かべるがどこも人が多そうである。 「混んでそうだね。」 「それが、いいとこあるんだぁ。」 にっこりと龍麻が微笑む。 「どこ?」 「紅葉ン家。」 「壬生〜?」 壬生の家は葛飾区にある。2度ほど所用で訪れたことがあるが、マンションの最上階で、庭などなかったように記憶している。 「桜、あるのかい?」 「それがねぇー、紅葉ん家から桜並木が見下ろせて、それが結構いい眺めらしいよ?」 「なんで、龍麻がそんなこと知ってる?」 僕の知らないうちに壬生の家に遊びに行ったのであろうか。かすかな嫉妬心が芽生えるが、龍麻は全然それに気付かないようで、屈託のない笑顔でさらりと答える。 「昨日、遊びにおいでって、紅葉から電話があった。」 ンの野郎〜っ!翡翠は一瞬、彼らしくもなく怒り狂った。当然、表情には出ないけれども。 彼女、緋勇龍麻は陽の黄龍の器としての宿星を持ち、今年の正月に陰の黄龍の器である渦王須と、それを利用しようとする柳生と戦って勝利を収めた。彼女に協力する魔人たちは全部で25人。僕もその一人だった。みな、龍麻の人となりを慕い、彼女の下に集まり自分の力を彼女のために使うことを惜しまなかった。で、当然のことながら、そこには恋愛感情も発生するわけで。自称龍麻の相棒である蓬莱寺を始めとする13人(+分身1人)の男の魔人たちのほぼ全員が一斉に龍麻を狙っていた。クセのある男性魔人たちの激しい競争を勝ち抜いて、ようやく龍麻の彼という座を得ることが出来た幸運な僕は幸せをかみ締めている暇もなかった。何しろ、僕が最大最強のライバルと目していた壬生はまだ龍麻のことを諦めようとしていなかったのだから。僕の玄武という宿星はかなり黄龍に縁が深いが、壬生の陰の龍というのもまた黄龍に縁が深い。なんたって、龍麻と二人で方陣技が出来てしまうほどなのだ(悔しいことに僕は龍麻と二人だけの方陣技をもっていない、今度壬生を実験台に開発してやろう)。そして、彼の面倒を見ている拳武館高校の館長は両親のいない龍麻の後見人でもある。この半端じゃない関わり方が彼に無用な自信を持たせているらしい。それで、今になっても一向に龍麻を諦めようとはせずに、僕に隙あらば、龍麻を奪おうとしているのである。全く持って迷惑な話であるが。 「で、行くわけ?」 自然と嫌そうな口調になってしまうのは僕がまだ未熟な証拠。でも、自分の彼女がライバルの家に遊びに行こうとするのを快く思う男がいたらお目にかかりたいものである。 「うんっ。でもね、翡翠にも一緒に来て欲しいの。…ダメ?」 上目遣いに見つめられちゃ、それはもう来いと僕に命令するようなもので。僕は一人でいかれるよりはましかと、心の中で言い訳をしながらうなづいた。 「良かった。」 ほっとした龍麻がにっこりと微笑む。壬生に会いに行くのにそんな笑顔をして欲しくないものだが。そう思いながら僕はお弁当を作りに龍麻の持ってきたスーパーの袋をもって台所へ行こうとする。 「あ、私が作るからいいよ。お台所、貸してね?」 「龍麻が!?」 龍麻と親しく話すようになってから8ヶ月以上たつ。その間、龍麻は一度も僕の前で料理をしたことがなかった。僕が作ることがあっても、だ。まさか、壬生のために?僕は呆然としながら台所へ消えていく龍麻の後姿を見送った。 いつも、食事はどうしているのかと、前に質問したことがあった。そのときに『適当に。大体、帰りがけに京一や醍醐とラーメン食べちゃうし。』と言っていた。だから、僕は料理はしないものだと、そう思い込んでいた。ちらりと考えるのは今年のバレンタインデー。僕の家の郵便受けに入っていた和菓子は、形はナニだったが、味はなかなかのもので、かなり苦労したんだろうなと、僕は龍麻の奮闘を考えると涙が浮かびそうなほど嬉しかったのを覚えている。それを考えるとやはり少しはできるのだろうが、料理ができるなんて僕は龍麻から一言も聞いてないし、僕は、龍麻の手料理を食べたことがない。それを、僕だけのためではなく壬生のために?少なからず、僕はショックを受けていた。台所へ行くと、持参したお米を慣れた手つきで研いでいる龍麻がいる。 「翡翠?お釜かしてね。あと、調味料も。」 「あ?ああ…。」 やっぱり、料理、できるんだな。僕はがっくりしながら居間に戻った。 大体、龍麻は壬生に甘すぎる。奴が龍麻の兄弟子であるからとか、龍麻の後見人が壬生の恩人であるとか、そういうこと以外にも絶対に甘すぎる。蓬莱寺とか、醍醐とか、ことの始まりの一番最初から龍麻に加担している彼らよりも、仲がいい。確かに、蓬莱寺のように気楽に壬生を殴ったりすることはないが(というか、彼を殴るにはかなりの度胸と実力が必要だが)、絶大な信頼を寄せているのはよくわかる。彼は戦いの終盤に仲間になった。当然、それだけレベルが低かったのを、彼のためにわざわざ旧校舎でのレベル上げを何度も行い、そして最後の戦いにも彼は呼ばれていたのだった。それだけではない。彼は龍麻への好意を隠したりせず、こっちが赤面するような言葉や態度でオープンに示している。それに対して龍麻は嫌な顔をせずに微笑んで受けていた。村雨や御門といった連中もオープンではあったが、龍麻はそれに対して眉をひそめたり、うまくかわしていたりするのに。一体、この差はなんなのだろう。 僕は口がうまくない。だから、龍麻に対して彼女が喜ぶような言葉を言いたくても、どうしていいかわからないことがある。龍麻が欲しい言葉をかけてやれないことが多い。そんな自分に嫌悪して、なんとか直そうと試みてる。けれどうまくいかない。こんなに、龍麻のことが好きで仕方がないのに。 台所のほうから香ばしい、お肉を炒める香りが漂ってくる。煮物に入れる鶏肉でも炒めているのだろうか。 僕はショックを受けて、立ち直れないまま、そこにぼんやりとしばらくの間座っていた。 「はい、翡翠。」 急に声を掛けられてはっと顔を上げる。龍麻がにっこりと微笑みながら、僕の前にご飯とおかずを出してくれる。それは、さっき龍麻が持ってきた袋に入った材料でできていた。 「な…に?」 「朝ごはん。」 「僕に?」 「誰が他に食べるのよ?」 「あれって、お弁当じゃ?」 「違うよ。ご飯の用意って、言わなかったっけ?」 「言った…。」 「紅葉んちに行くのに、なんでお弁当持ってくのよ。んなの、どーせ紅葉が食べきれないほど作って待ってるに決まってるでしょ。」 そりゃ、そうだ。僕だって、龍麻が来るってわかってればそうする。 「じゃあ、なんで、これ?」 「無理につきあわしちゃうから、お詫び。たまにはいいかなぁって思って。」 龍麻は悪戯っぽく舌を出して笑う。その笑顔があまりにも可愛くて。思わず抱きしめたくなるのをようやく我慢した。せっかく龍麻が作ってくれた料理が冷めてしまうから。考えてみれば、人に朝食を作ってもらうのなんていつ以来だったろう?僕のために作られた食事。並んでいるのはどこにでもあるようなご飯のメニュー。だけど、それがひどく嬉しくって、涙が出そうになる。 「いただきます。」 手を合わせて、目の前に並んだおかずに箸をつける。とりあえず、煮物から。冷凍の野菜を使うと20分ほどで出来上がってしまう。ほどよく染みたサトイモの味は、なんだか懐かしい気がする。 「おいしい。」 「えへへへー。ありがと。」 恥ずかしそうに龍麻が笑った。 龍麻の笑顔を見ながら、こういうのっていいなあなんて思ったりして。あと2年で僕は成人する。そうしたら、龍麻を…。僕は密かに心の中で決意をした。 それまでどうか、龍麻の心が僕にあるように。僕は朝食を食べながらそんなことを祈っていた。 END |