龍泉寺が真神学舎と名前を変えて、
そこに寝起きしていた私たちもそれぞれに散っていった。
世情が不安定で、幕府と倒幕派双方の動きを探る命を里から受け、当分の間郷里に帰ることができない私は如月骨董品店に、龍斗さんは鬼哭村へと居を移していった。
今までは毎日会えたのに、会えなくなってしまった。
そう落胆したのもわずかの間。
龍斗さんは、毎日会いに来てくれる。
兄上にはからかわれながら、蓬莱寺殿や九角殿には呆れられながら、欠かさず毎日店に顔を出していた。
「ちわ。」
今日も、江戸を巡回して来たのだろう、随分と足を土埃で黒くしながらやってくる。
それでも疲れた表情などは微塵も見せず、外の蒸し暑さに額にはうっすらと汗を浮かべてはいるが、笑った顔は涼やかで。
「あ…こ、こんにちは。」
どきりと心の臓が跳ねて、いつもうまく挨拶ができない。
いつまでたっても、龍斗さんの笑顔に慣れなくて、声が上ずってしまったり、どもってしまったりみっともないところばかり見せてしまっている。
「今日はね、土産に板橋宿に寄って饅頭を買ってきたんだ。」
そんな私の様子など気にしないで、
そう言って下げていた包みを店の続きの座敷に置いてすいっとこちらの方に押し出した。
「少し休憩にしようよ。ね?」
「は、はい。」
真っ赤な顔で上ずった返事をして慌てて立ち上がる。
「いまお茶を入れてきますッ!」
ぱたぱたと慌てて台所にしている土間に入れば、蔵から戻ってきて埃でいがらっぽくなった喉を潤している兄上と危うくぶつかりそうになる。
「そのように急いでどうしたのだ?」
いきなり私に体当たりをくらいそうになった兄上は驚いた顔で尋ね、赤みが取れない私の顔を見ておかしそうにうなづいた。
「龍君が来ているのか。…どれ、少しからかってくるか。」
そういいながら楽しそうに店の方に出て行く。
それで余計に真っ赤になって、私は火照った顔のまま3人分のお茶を入れ始めた。
それにしても。
毎日、毎日、雨の日も風の日も龍斗さんはうちにやってくる。
私としては龍斗さんの顔を見られるのはとても嬉しい。…だけど、龍斗さんは辛気臭い私の顔を見て本当に嬉しいのだろうか。
龍斗さんが来てくださっても、嬉しそうな顔ひとつできないのに。ちゃんと笑って出迎えようとしているのに、なかなかうまく行かなくって。
そんな自分が悲しくなって落ち込みそうになり、自らの心を上向かせるためにいつも肌身離さずつけている数珠を取り出して見る。
柔らかな薄紅色の数珠は、龍斗さんがくれたもの。色は違うがこれと同じものを龍斗さんも持っている。贈り物には他意はないのかもしれない。だけど、これだけでも龍斗さんと繋がっていることが嬉しくて。少しだけ気持ちを取り直す。
お茶を入れ終わるとお盆に乗せて店の続きの座敷に運ぶ。
すると兄上にからかわれて苦笑している龍斗さんが見えた。
「どうぞ。」
龍斗さんにお茶を出すと、嬉しそうに微笑んで私に礼を言う。
「それにしても、龍閃組はよほど暇と見える。こうも毎日、うちに顔を出すなど。」
少々咎めるような口調で兄上が言うのを、私は驚いて止めに入る。
「な、何をおっしゃるのですかっ!龍斗さんは毎日、江戸中を歩いて、不穏な動きがないように…。」
「あー、いいの、いいの。」
弁明しようとする私を龍斗さんは微笑みながら止める。
「奈涸の言うとおり、暇なのには違いないから。」
「しかし…。」
「任務にかこつけて、こうして涼浬ちゃんに会いに来てるのは、確かに暇人のやることだしね。」
涼やかな目元をほころばせて言われると、三度私の顔は朱に染まる。
「…龍君。…言って置くが…。」
兄上の気が剣呑になるのを察知した私は、おろおろと、どうにかして兄上を宥めようとするけれど、そんな兄上の様子にも一向に構わずに龍斗さんは相変わらず、いやむしろ楽しそうに笑ったまま。
「大事な妹に、そうそうちょっかいを出されては困る、か?」
いかにもおかしくてたまらないといった風に言う龍斗さんに、兄上は台詞を取られて言葉に詰まってしまう。
「大丈夫。大事な妹さんはちゃんと大事にするからさ。」
「ぬ、ぬけぬけと!」
私はとんでもないことをさらりと言われて思わず硬直してしまった。言った龍斗さんはにこにこと、私を見て微笑んでいる。
兄上は普段の冷静さはどこへやら、すっかりと逆上し、額にぴきぴきと血管を浮かせてぎりぎりと歯軋りをしている。
この様子を里のみんなが見たら、さぞかしびっくりすることだろう。
いつも冷静で、何事にも動じない、無の境地を行く兄上がこんな風になるなど、きっとみんな信じない。
兄上との舌戦を制した龍斗さんは、勝ち誇った笑みを浮かべて口を開く。
「そういえばさ、涼浬ちゃん、来月一日、お祭りにいかないかい?」
「は?」
急に脈絡のない話を振られて、思わず聞き返してしまう。
「ほら、岩淵街道沿いに富士神社があるだろう?もうすぐ山開きで、お祭りがあるからね。」
言われて、私は音無川を渡って少し行った所にある富士山を模った塚を擁する小さな神社を思い出した。
「あ。…ええ。」
「富士講というのだけれど…。涼浬ちゃんは知っている?」
尋ねられてこくりとうなづいた。
富士山を信仰する民間宗教で、関東のあたりでは随分と流行っているようだ。江戸や江戸周辺のあちこちに富士塚と称する小さな小山を見かけた覚えがある。
「確か、駒込にも。」
「ああ、そうだったね。…駒込の方がよかったかな?」
ここからならば駒込に赴くよりも岩淵街道沿いの方が近いだろう。私はそう判断をして首を振る。
「わかった。…じゃあ、一日に迎えにくるよ。」
そう言って、龍斗さんは立ち上がるとうーんと伸びをひとつする。
店の外から入ってくる斜めの日差しに、一瞬龍斗さんの背中が逆光になってシルエットのようになる。背中の龍は背筋をそらしたせいか、くしゃっと顔が歪み笑っているように見えた。
日差しが随分と店の奥まで入り込んでいることから、既にかなり遅い時刻になっていることに気づき、視線を上げると、振り返った龍斗さんと視線がかちりと合った。
もう、帰ってしまうのだろうか。もう少し、話をしていたかったのに。
「お茶、ご馳走さん。またね、涼浬ちゃん。」
「はい…。」
だけど引き止める言葉は出ず、視線が合ってしまって照れた挙句にした呆けた返事に龍斗さんはくすりと笑うとひらひらと手を振って店の外に出て行った。
せめて、ご馳走様くらい言えればよかったのに。
ぽつりと残されたお饅頭を恨めしげに見つめて、ため息を一つついた。
「あ。」
それでも、一緒にお祭りに行けるのは嬉しくて。
思い切って浴衣を新調しようと、呉服屋さんで反物を選んでいると、飾ってあった男物の反物に目が吸い付いた。
「これかい?」
店の主人が私の視線に気がついて、飾ってあった反物を取ってこちらにやってくる。
「いいものだよ。…柄がね、少し奇抜だけど。」
そう言って転がすようにして広げると、ぎろりとこちらを睨みつける龍の顔。うねった胴はしなやかで、まるで踊るような躍動感に満ちていて。木綿に力強い線と鮮やかな色で描かれていて、その手には光る玉をしっかりと掴んでいる。玉の部分
をよく見ると銀糸で刺繍がしてあって、きらきらと本当に光るようだった。
黒地ではあるが、その生地を覆う漆黒は冷たくなく、むしろ柔らかな風合いで、爛々と輝く龍の目も金糸で刺繍が施してあり、地の黒との色の対比がすばらしいが、浴衣にするには
かなり珍しい意匠である。
「少し傾き過ぎてね、なかなか似合う御仁がいない。…どうだい、買うんだったら安くしておくよ?」
主人はそう言ってそろばんをぱちぱちとはじいて私の前に差し出した。
やや高いけれど、出せない金額ではない。
いつもは白の胴着を身につけているけれど、きっと黒も似合うだろう。
仕立てた浴衣を着ている龍斗さんを思い浮かべると、それはかなり似合っていて。
「か、買います!」
「毎度。」
男物の反物を買ったのは初めてで、それが恥ずかしくって、自分の分は買わずに、そのまま逃げるようにして店を出てきてしまった。
はぁ、とため息をつきながら手の中の反物を見つめる。
買ってから、急に不安に陥る。身につけるものを贈るだなんて、図々しいのではないだろうか。やっぱり、これを返品して…。
そう思うけど、今更また返品しに行くのももっと恥ずかしく、ため息をつきながらそれを抱えて家に戻った。
「兄上。お願いがあります。」
夕餉の後、風呂を浴びてさっぱりとしてきた兄上に巻尺を手に近寄っていく。
「なんだい?」
「寸法を取らせてください。」
そういいながら、返事も待たずにさっさと寸法を測っていく。
兄上は龍斗さんよりも華奢だから、少し寸法を足せばいい。
「なんだい?着物でも誂えてくれるのかい?」
嬉しそうに尋ねる兄上には申し訳ないが、これも失敗をしないため。
「兄上のは夏までにちゃんと…。」
言い訳を口にすると、兄上はやれやれと肩を竦めて大げさに嘆いてみせる。
龍斗はあの胴着で充分だとか、案山子が着ている着物を着せておけばいいとか、ぶつぶつと文句を言う兄上の言葉を聞かない振りをして寸法を計り終える。
兄上の体格と、頭の中の龍斗さんの体格を比較しながら寸法を決め、忘れないように書き付けていく。
お祭りまであと5日あまり。自分の浴衣は作るには間に合わないけれど龍斗さんのだけは間に合うだろう。
頭の中で生地の裁断の寸法を考えながら自分の部屋にしている座敷に入っていった。
裁縫をするなんて久しぶりで、こちらには裁縫の道具を持ってきていなかったので、結局くけ台から針や糸にいたるまで全て揃えるようになってしまった。
裁縫は苦手ではないし、そこそこ綺麗にはできあがるけれど時間がかかる。
手があまり早くない。
それでも、龍斗さんに少しでも喜んでもらえれば。
その一心でもくもくと生地を裁断し、縫い始める。
上背があるから縫う距離も長くて、以前、兄上の浴衣を作ったときよりも遥かに時間がかかる。意外な手間に、寝る時間を惜しんで裁縫に励む。
遅くまで起きていると行灯の油がすぐになくなるけど、そんなことはどうでもいい。
とにかく、せめて前の日までには仕上げておかないと、当日龍斗さんに着て貰えなくなる。
眠い目を擦りながら、ちくちくと、一針ごとに龍斗さんのことを考えながら縫い続けた。
「兄上。…あの…内藤新宿まで出かけてまいります。」
店先でどこぞの屋敷の蔵から掘り出してきた壷を磨いていた兄上に一声かけてから、あれこれと詮索されないうちに家を出る。
大事に縫い上げた浴衣を風呂敷に包んで、それを抱えて龍斗さんに会いに。
浴衣はなんとか間に合った。今日、渡しておけば、明日には着てこれるだろう。
この時間なら龍斗さんは鬼哭村から出たばかりで、丁度内藤新宿あたりで行き会えるはずだ。そう思いながらも自然と早足になって行く。
なんて言って渡そうか。
『明日のために、作りました』
これじゃあ、いかにも明日のお祭りに気合が入っているようで(実際に入っているけど)みっともない。
『たまたま入った呉服店で見つけたんです。』
これもいかにもいいわけっぽくておかしい。
『いつもお土産をいただいているお礼です。』
これなら、大丈夫だろうか?
なんとか贈り物をする口実を見つけると、早足はさらに早くなり、ほとんど駆け出しているようになる。
龍斗さんは貰ってくれるだろうか。
よくできた、と自分では思っている。
だけど、受け取ってもらえなかったらどうしよう。
いつも胴着だけど、着物が嫌いとか、そういうのはないだろうか。
それよりも、柄が気に入ってもらえなかったらどうしよう。
寸法はあれで大丈夫だったろうか。
いろいろな不安要素が出てきて、足の速さが少し緩む。
嫌だったら、捨ててもらっても構わない。
そう付け足せば、龍斗さんの負担にはならないだろうか。
あれこれと考えながら足を進めていると、あっという間に内藤新宿に着いてしまった。
「…どこだろう。」
龍斗さんが普段からよく立ち寄るのは、真神学舎、お蕎麦屋、茶屋。それから円空和尚がいらっしゃる長屋とか。
内藤新宿外れの追分で、まずは長屋あたりから様子を見ようとその方向へ足を向けると、宿場の中心部の方から、こちらに向かって歩いてくる龍斗さんを発見することができた。
良かった!すぐに会えた。
急いで近寄ろうとした瞬間に、龍斗さんと誰かが一緒にいるのがわかり、本能的に足を止めて様子を伺うと、一緒にいるのは美里さんだということに気がついた。
とくん、と心臓が大きく鼓動をうつ。
美里さんは大事そうに、名前と同じ大きな藍色の風呂敷包みを華奢な両腕で抱えており、楽しげに微笑んでいる。
私は急いで物陰に身を隠し、さらに二人の様子を伺った。
「…手を煩わせてすまなかった。ありがとう。」
龍斗さんは少し照れたように微笑んだ。そんな龍斗さんの表情を見るのは初めてで、嬉しそうなその表情が向けられているのが自分ではないことに、ちくりと、微かな不快感が胸の中に沸き起こる。
「構わないわ。…私、裁縫は得意なんですもの。」
龍斗さんと同じように微笑んで返事をする藍さんの裁縫、と言う言葉にぎくりとし、一瞬、息を呑む。
「きっと似合うわ。」
その言葉にさらに体全部が強張る。
彼女が抱えている包みが着物であることがわかったからだった。
艶然と微笑む彼女に龍斗さんも嬉しそうに破顔して応え、そうしている姿が何の違和感もなく、まるで本当の夫婦のようで。
追分の、道標のところで二人は立ち止まる。
彼女は悪戯っぽく笑ってからその包みを龍斗さんに手渡した。
「ありがとう。」
それを大事そうに受け取る龍斗さん。
もうそれ以上は見ていられなくて、二人に気づかれないように私はそっとその場を離れて走り出した。
やっぱり、美里さんと付き合っていたんだ。
そう思うと胸が苦しくなる。
そうなんじゃないかとは以前に蓬莱寺殿や小鈴殿が言っていた。
龍斗さんは話に昇るたびにそれを否定していたし、それどころか私を好きだと、富士山から帰ってきて、二人だけで会った時に言ってくれた。
だけど好きだって言ってくれたのは、きっと仲間としてとか、そう、妹分としての好きに違いない。それを勝手に誤解して。
毎日店に来てくれるのも、きっと私がそそっかしくて、愚鈍なほど頑固で、それをわかっているから心配して来てくれるだけなのに。兄上だって、いつも私を心配してくれている、きっとそれと同じ事なのに。
嬉しそうな態度ひとつできない女を、好いてくれる男性なんているわけがない。
それに比べて、美里さんは女の私から見ても綺麗で、優しくて、働き者だし、気が利くし、申し分ない。
龍斗さんの隣に立つに相応しい女性ではないか。
「おや、おかえり、涼浬。」
店に戻ると店番をしていた兄上に声をかけられたけど、それに頷くだけでそのまま自分の部屋としている座敷に入る。
抱えていた包みを置くと、無性に悲しくなって来た。
他人を恋しく思うのは初めてで、どうしていいかわからなくて。
もっと龍斗さんに喜んでもらうことができればいいのに、簡単なことさえできなくて、それどころか余計なことをしてしまう。
こらえていた涙がぼろぼろとこぼれていく。
愚かだった自分が悲しくて。一生懸命に作った浴衣が悲しくて。
龍斗さんが好きで好きで、その思いが混ぜもののない、ほんとの気持だったから余計に悲しくて、記憶にないほど久しぶりに泣いた。
「涼浬ちゃん…?」
しばらくして、座敷に近づく足音に慌てて袖で涙を拭うと、障子の外からかけられた声は龍斗さんのものだった。
びっくりしたのに少し遅れて、会いたくないという感情が沸き起こる。
「…涼浬ちゃん、いる?」
困ったように尋ねてくる声に、どうしようと狼狽しているともう一度声をかけられる。
「入っていいかな?渡したいものがあるんだ。」
「い、今はちょっと…。」
理由も何も浮かばずに、ともかく会いたくなくって拒否の言葉だけ伝える。
「ここで待っていていい?」
再度尋ねられて途方にくれる。
どうしても顔をあわさなければいけないだろうか。
気は進まないものの、このまま拒否し続けていたら龍斗さんのことだから、心配して事情が分かるまで引かないだろうし、その方が面倒になると思い、無理矢理に感情を封じ込め、少しだけ話をする方が得策だろうかと思案する。
幸い、目の赤いのも少しは薄れてきているはず。
風呂敷包みを文机の下に押し込むと、それが見えないように障子の方に向かって、文机を後ろにして座った。
大きく深呼吸をして、気を入れなおして、背筋をしゃんとのばす。
「どうぞ。」
座敷の中からそう応えると、待っていましたとばかりに、すぐさま障子が開いた。
「ごめんね、忙しいのに。」
にこ、といつものような優しい笑顔を浮かべて部屋に入ってくる。
そして私の前にすとんと座り込む。
「これ。」
すいっと私の前に差し出したのは。
さっき、内藤新宿で、藍さんから受け取っていた風呂敷包みに違いない。藍で染めたそれには見覚えがあった。
「え?」
驚いて龍斗さんの顔を見ると、龍斗さんは悪戯っぽく笑ってから包みに手を伸ばしてその結び目をするすると解いて、包みを開く。
すると、中には。
白地に赤や青の朝顔の柄の浴衣があった。
それはどう見ても女物で。
その浴衣と龍斗さんの顔を交互に見る私を愉快そうに笑って、浴衣を手に取ると私の肩に当てて様子を見る。
「うん、似合う。」
満足そうに微笑んでから私の膝に浴衣を置いた。
「…明日、これを着てくれるかな?」
私は混乱していて、状況がよく飲み込めないでいる。
「これ…?」
ようやく尋ねる単語を喉の奥から搾り出すと、龍斗さんは恥ずかしそうにぽりぽりと鼻の頭を掻きながら応えてくれた。
「…似合うかなと思って。せっかくお祭りに行くんだから、ね?」
そう言って、膝の上に置いてあった浴衣をもう一度取って、今度は広げて私の肩にかけてくれる。
「ああ、ぴったりだな。反物で見つけたんだけど、涼浬ちゃんの寸法、分からなかったから、藍に頼んでおおよそで仕立ててもらったんだ。」
あ、と短い声が唇からもれる。
朝の、あの新宿追分での光景はそうだったのか。
藍さんが渡したこの荷物は、龍斗さんの浴衣などではなく、龍斗さんが私のために作ってもらった浴衣で…。
自分の早とちりにかぁっと真っ赤になる。
「気にいらなかった?」
何も返答のない私に、不安そうに龍斗さんが眉根を寄せる。
「いっ…いいえっ!…すごく…嬉しい…です。」
驚いて、満足に言葉も出てこない頭を必死で回転させながら返事をすると、安堵したように大きく息をついて不安の表情を和らげて笑った。
「よかった。…女の子に贈り物をするのになれてなくってさ。緊張したよ。」
その言葉に、私は後ろに隠してある荷物を思い出し、振り返って風呂敷包みを文机の下から引っ張り出す。
「あっ…あの…。…龍斗さん…。」
「ん?」
「これ…。」
そう言って荷物を龍斗さんの方に押しやると、不思議そうに首を傾げている。
「貰っていいの?」
こくんとうなづくと、嬉しそうに笑って風呂敷の結び目を解く。
龍斗さんは普段はとても大人っぽい顔をしているのに、嬉しそうに笑うと途端にとても幼くなる。
「あ。」
中に入っていた浴衣を見ると、龍斗さんが驚いたように短く声をあげて、それを手にとる。
「…すごい。…俺、ほんとに貰っちゃっていいの?」
こくんと再びうなづくと、龍斗さんは浴衣を広げてまじまじと柄を見て、それから羽織ってみる。
「いつも…お土産いただいているお礼なんです。」
消え入りそうな口調で呟くと、龍斗さんは慌てて手を振る。
「あっ…あんなの、別に大したことじゃないのに。…一緒に自分が食べたいだけなんだよ。」
そういえば、兄上もそんなことを言っていた。
龍斗さんはお酒も飲むけど、甘いものも好きらしくて、鬼哭村に兄上がいた時もしょっちゅう風祭殿と甘いものを取り合って喧嘩をしては、九角殿や桔梗殿に呆れられていたらしい。
たとえただのお相伴でも一緒に食べたいと、そう思ってくれることが私は嬉しかった。
浴衣の方は予想した通り、やっぱりよく似合っていて。寸法も大丈夫そうでほっとした。
「…俺、龍の柄って好きなんだよね。」
にこにこと微笑みながら前を合わせて、肩口の柄の出方などを見ている。
「涼浬ちゃんが縫ってくれたんだ?」
「はい。」
「…ありがとう。…着物に、涼浬ちゃんの気が入ってる。」
嬉しそうに言う龍斗さんの言葉に真っ赤になってしまった。
そういえば、龍斗さんのことを考えながら縫ったから、龍斗さんほど気に聡い人ならそういうの、感じ取れるのかもしれない。
耳まで痛いほどに熱くなっているのを、龍斗さんは微笑んで、私の前に膝で進んでくると、不意に顔を近づけてくる。
次の瞬間、左頬に柔らかいものが当たった感触と同時に、ちゅ、という音がして。
何をされたのか思い至って硬直している私に、龍斗さんは悪戯っぽく笑って、私の顔を覗き込む。
「奈涸には内緒。」
きっと、兄上が知ったら龍斗さんは無事じゃすまないだろうから(でも、龍斗さんが倒されることはないだろうけど)。
三度うなづくと、龍斗さんは楽しそうに笑った。
END |