父、返る

 

「如月さん、小包でーす。」
郵便局の配達人が10センチ四方の箱を差し出した。僕は配達人の出した受領証2枚にサインをすると改めて差出人の名前を見る。
それは、父からの小包だった。
一体、なんだろう?差出人の住所は中国の南方の省になっていた。5月に来たときと住所は変わっていないらしい。向こうで何か珍しいものでも見つけたのだろうか。国際郵便で、しかも速達扱いで来ている。一体、どうしたのだろうか。中身に思い当たる節はなく、中身を調べるために荷物に添付されていたinvoiceを確認しようとしてはたと手が止まる。
宛先は如月骨董品店内緋勇龍麻様になっていた。
荷物に張り付いているinvoiceにはNo Commercial Valueとあり、その内容物については陶器としか書いていなかった。
大方、龍麻に何かプレゼントなのだろう。父は龍麻を随分と気に入って、夕食を待っている間も随分楽しげに話をしていたくらいだから。半年前のことを思い出しながら僕はゆるりと振りかえって座敷に目をやる。
「龍麻。」
僕は座敷で学校のテキストを広げて何かを見ている龍麻に声をかけた。本から顔を上げると目を少し大きく見開いて首を傾げて僕を見る。
「荷物が来ている。…父さんからだ。」
龍麻はあっと小さく叫び、慌てて僕の方に寄って来た。
「ああ…。」
荷物を手にとると、龍麻は悲しそうに、きゅっと唇をかみ締めて感慨深そうにその荷物をみた。しばらくそうしたあとに中身も見ずに大事そうに龍麻の鞄の中にしまいこんだ。
「翡翠、一緒に手紙がついてなかった?」
言われて、改めて配達人が一緒に持ってきた手紙類を見る。先ほど受領証は2枚あったから手紙があるはずと思って探すと、案の定もう一通、同じく速達で父からの手紙がきていた。その手紙の宛先は僕になっている。
「来てるけど…僕宛だね。」
そう言ってから茶色のB5版ほどの封筒を開けると中からは2通の封筒が出てくる。1つは僕宛、もうひとつは龍麻宛になっていた。
「こっちは龍麻だ。」
そう言って龍麻に手紙を渡すと、慌ててその封を切って中身を読み始める。
僕は同じようにしてもう1通の僕宛の手紙を読み始めた。
初めて見る父の字はお手本であるかのようにきっちりとした読みやすい字である。ところどころ掠れているボールペン書きでわら半紙のような多少質の悪い紙に書かれていたのは主に2つの事柄についてだった。ひとつは蓬莱寺と劉に会ったこと。蓬莱寺は学校を卒業してすぐに劉とともに中国へ修行をしにわたった。父が調べてる場所は劉の住んでいた村だというから出会うのも不思議はなかろう。向こうは当然、僕の父の顔など知らなかったはずだが、あれだけ酷似しているせいですぐにわかったらしく、しばらく彼らと行動をともにしていたという。それからもうひとつの内容は12月にはこの場所の調査を終了し、中国国内のほかの場所に移動するとのことだった。やれやれ。もうしばらく帰ってくるつもりはないらしい。僕は苦笑しながら手紙をたたんで元の封筒にしまうと龍麻を見た。龍麻は神妙な顔で食い入るように手紙を読んでいたが、先ほどよりも重いため息を漏らすとまたもとのようにわら半紙を大事に畳んで、さっきの荷物のように鞄に大事にしまいこんだ。
「荷物、中身を見ないのかい?」
聞いてみると龍麻はこくりとうなづいた。
「うん。中身は分かってるから。」
それだけ言って、庭に下りていってしまう。何が贈られて来たのか少し気にはなったのだが、僕に聞かれたくないようで、そのまま龍麻は竹箒を持って枯葉が散っている庭先を掃除し始める。そのうちに聞く機会もあるだろう。僕はそれきりその小包のことは忘れてしまっていた。


それから3日くらい後。11月ももうすぐ終わりになると到る所できらびやかに飾られたイルミネーションが輝き始め、1ヶ月近く先のクリスマスの雰囲気を醸し出し、街中を気の早いカップルが闊歩する。
今年は早々に倉の整理を始めていた。昨今の骨董ブームで品物の回転が速いため、ここらでひとつ在庫調査と仕入れ計画の練り直しもかねてのことである。龍麻と二人でまる一日をかけて倉の品物を点検、調査してみるといろいろなことが分かってくる。品薄なもの、余剰在庫や価値が著しく変動したもの。これらをもとにまた仕入れを考えねばならない。
「やっぱり茶碗類は人気があるからかなり品薄になってしまったね…また仕入れてこないと。…それから指輪かな。普通の人が身につけてもアンティークとして充分に価値があるからね。」
帳簿を見ながら言うと龍麻も横でうなづいている。一通り整理をすると僕は帳簿を持って龍麻と店の奥にある座敷に引き上げる。
「ああ、そうだ。龍麻、来週の金曜日はあいているかい?」
言われて龍麻の顔が曇る。
「ごめんなさい。…ちょっと用事があって…仕事も休みたいの…。」
来週の金曜日は龍麻の誕生日である。
去年のこの時期、僕はまだ龍麻へ思いを打ち明けてはいず、店を訪れなくなった龍麻にやきもきしていた頃だった。誕生日であるのを分かっていたのに、僕は結局何もできなかった。だから、今年こそは龍麻の誕生日を祝いたかったのだ。
「1日中?」
「…うん…。」
暗い表情の龍麻はそれきり俯いて押し黙ってしまった。
「じゃあ、その次の日。」
「それなら…。」
僕はいつもの龍麻らしくない様子を不思議に思いながら翌日の約束をとりつけた。
「龍麻?…具合でも悪いのかい?」
目を伏せている龍麻に聞いてみると慌てて首を振る。
「あ、ううん。なんでもないよ。」
「でも…。」
「ちょっとだけ疲れちゃった、かな。」
えへへへと笑う龍麻に僕は倉の整理を手伝わせてしまったことを後悔した。
「すまない…僕が、整理なんか頼んだから…。」
「あっ…違うよっ。」
慌てて弁解をする龍麻に僕は席を立つ。
「今日はお詫びにスタミナのつくものでも食べようか。買い物に行って来るから、店番を頼むよ。」
「あ、うん…。」
そうだった。壬生や村雨などとは違うのだ。もう少し、ちゃんと気遣ってやるべきだったのだ。僕は少し後悔しながら夕食の材料を買いに行く。
それにしても。
誕生日の用事とはなんだろう。それが多少気にかかっている。
もしかして後見人の、拳武館の館長の所へいくのだろうか。龍麻は節目節目には拳武館に挨拶に行っている。義理堅い性格なのだ。壬生の話によると拳武館の館長は壬生たち弟子にはかなり厳しくしているのに、龍麻に対してだけはどこをどうみても親ばか、という言葉がぴったりなほど甘いらしい。誕生日だから、挨拶に行くのだろうか。…それにしても1日中ということはない。
何かあるのだろうか。
龍麻と付き合うようになって、龍麻の生活や交友関係などほとんどのことを僕は知っている。真神に入る前のことでさえもちゃんとチェックを入れている。だけど、僕のデータからは誕生日に龍麻と約束をするような人間が思い当たらない。
…なんだか様子も変だったし。
急に僕の心は不安で翳る。
龍麻を信じていないわけじゃない。だけど、僕よりも大事な用事というのが気にかかる。しかもその用事がなんであるかを龍麻は口にしていないのだ。…いつもの龍麻ならこれこれこういう用事があるからダメなんだよって言ってくれるのに。…何か秘密をもたれてる。僕はそれがとても気にかかる。僕に言えないことってなんだろう。
考えたくはないのに、龍麻を信じていないような考えが脳裏を一瞬掠めてしまう。
どうして僕に言ってくれないのだろう。僕に知られたらまずいこと?
考え始めるとどんどん悪い方向に転がっていった。


そして当日。
僕は悪いとは思いながらもどうしても気にかかってしまって、龍麻の家の前に立っていた。
それだけでもかなりの罪悪感だが、罪悪感よりも不安の方が遥かに強く、僕はどうしても龍麻の用事とやらを確かめずにはいられなかった。僕の気を悟られてはならないと、気を潜め、龍麻のマンションの少し離れたところで待機する。
朝、8時。
龍麻が出てきた。普段の彼女はどこへといったと思うくらいに酷く元気がないのは丸まった背中を見ただけでも分かる。ジーンズに黒いコートを羽織って、目立たないような服装で、ゆっくりとした足取りで、新宿駅へと向かっているようだった。
西新宿のオフィス街を出勤していく人の群れに逆流するように駅に向かい、そして切符を買う。料金から考えて、かなり遠くまで出るようだった。それで1日予定が塞がってしまうのかとすぐに合点が行く。
龍麻は改札を抜けて長距離を行く電車に乗った。僕も彼女から少し離れたところに席をとって身を潜める。龍麻に気付かれている様子は全くない。龍麻は大事そうに鞄を抱え、悲しげに目を伏せて座っていた。いつも笑っている彼女のこんな表情を見るのは久しぶりで、行く先の用事が彼女にとってあまり良いことではないのを僕は感じていた。
人に何も話さず、一人で抱え込んでしまうのは彼女の悪い癖で、いつもこうして一人になったときに静かに悲しんでいる。
付き合って8ヶ月。もう少し、僕は頼りにされているのではないかと自惚れていたのだが、まだまだだったことに少なからず衝撃を受けていた。そんな悲しげにしているのなら、僕に話して楽になって欲しかったのに。龍麻のことならなんでも知ってるつもりだったのに、それが自分の思い上がりであった事に気付く。
何よりも、僕に秘密にしてしまうことが悲しかった。
電車の中で彼女は俯いて、眠ってしまっているのではないかと思われるくらいに身動きもせず、じっと、ただじっとしていた。
そうして、どのくらいそうしていたか、列車は終点に到着した。龍麻は降りて、反対側のホームに止まっている先を行く電車にすぐに乗り換える。僕も龍麻に見つからないように後に続いた。
特急で行ってもそれなりに時間がかかりそうな距離。龍麻はただじっと、何か考えながら座っているだけだった。何か考えるために各駅停車で来たのだろうか。
やがて乗り換えた電車も終点に到着した。そこはその県でも県庁所在地と並ぶくらいに大きな都市である。龍麻は改札を抜けると迷うことなく街中に出て、駅前にあるデパートの方に足を向けた。
何かを買うのだろうか?
そう思いながらついていくと、そのデパートの地下はバスターミナルとなっており、そこから市内のあちこちに向けてバスが出発している。龍麻は市内のはずれに行くバスの乗り場に並んだ。それを眺めながら僕は列には並ばずに少し離れたところで待っていた。バスに乗るときに注意しないと龍麻にばれてしまう。バスが到着すると地元の若い人の後ろに混ざって乗り込み気付かれることなく、うまく後ろのほうの席に紛れ込む。
バスは静かに発車して市内を巡りながら段々と郊外に抜けていく。お客さんは停留所につくたびに降りていき乗っている人も少なくなって、やがて次の停留所を知らせるアナウンスが寺の名前を読み上げたとき、僕よりも2つ前の席に座っていた龍麻は細い腕を伸ばして停車ボタンを押し込んだ。ほどなくバスは1軒の寺の前に止まる。
龍麻はそこで降り、僕も慌てて龍麻のすぐ後ろから降りた。ばれるかと一瞬ひやりとしたが、龍麻は僕など気にもとめずに、まずは道をはさんで反対側にある花屋に入っていった。すぐに彼女は手に花とお線香を携えて出てきて、そのまま道路を渡ると件の寺の中に入っていく。
境内の一番奥のほうに進む彼女はどうやら裏手にある墓地に入っていくようだ。
墓地、か。なんでこの時期に墓参りだろうか。彼岸でも盆でも、ましてや正五九の月でもないというのに。僕は訝りながら後をついていく。
入り口で桶を手にとり、水を汲み、さほど広くはない墓地の中ほどにある古ぼけた墓の前で彼女は立ち止まった。
桶を置き、花も線香も側に置くとまずは枯れた雑草を抜き始める。それを終えると丁寧に墓石に水をかけて墓石を清めた。
僕の位置からだと墓石の銘は見えないが、おそらく龍麻の両親か、または養父母の墓であろうということは推測できた。
やがて、龍麻は墓石の蓋に手をかけた。おや?と思っているとうーんと唸りながら重い墓の蓋を空けようとしている。いくら龍麻が強いからといって力持ちなわけではなく、しかも古いそれはかなり大きな蓋石なのでなかなか持ち上がらなかった。それでも諦めることなく龍麻は蓋を持ち上げようとしている。剄を使うと墓石のほうが粉々になってしまうため、あくまで自力で開けるしかないようだった。
やれやれ。
僕はどうしても見ていられなくなり、ばれるのを承知で龍麻の側に歩み寄る。気も隠さずに近づくと龍麻はびくりと肩を竦ませ、ゆっくりと僕のほうを振り返った。驚いた顔をしている龍麻の横にしゃがみこむ。
「手伝うよ。」
墓石の蓋に手をかける。二人でやるとそれはなんなく持ち上がり、中には大小さまざまな骨壷が納まっているのが見えた。
「ありがとう。」
龍麻は小さな声で呟くと鞄の中から箱を取り出した。
その箱は、見覚えのある、僕の父が先週龍麻に宛てて送ってきたものだった。龍麻はその箱を開けると中から小さな陶器の壷を出す。そうして墓の前に一度置いて手を合わせるとそっとその壷を小さな白い壷の隣に置いた。
僕は父からの小包の中身が龍麻の父親のお骨か、もしくは柳生と一緒に封じられた洞窟の土であるかどちらかであることにようやく思い当たった。父は劉の村にいて、そこでは龍麻の父が亡くなったのだから。
半年前、父が成田空港を出発する際に龍麻は深深と父に頭を下げて「お願いします」と何事かを頼んでいたことを思い出した。
「閉めるかい?」
僕の言葉に龍麻が小さくうなづいた。
墓石の蓋を元のように戻すと龍麻は花と線香を供え、鞄の中に入っていた缶入りのお茶をも一緒に墓前にあげると手を合わせる。
僕も一緒に隣で手を合わせて、もう一度龍麻を見るとまだ手を合わせたまま、その閉じられた瞳からは大粒の涙がぽろぽろと毀れていた。
毎度のことながら、僕は自分のニブさにあきれる思いがした。少し考えればわかりそうなものだったのを、気付きもせず、それどころか余計な邪推までしてこうして後をつけてきて。なんて最低な人間なのだろう。
「今日は…私の誕生日だけど…母の命日でもあるの…。」
呟いた龍麻の瞳から新しい涙がぼろぼろとこぼれて下の土に吸われていく。
「私は、母さんの命を犠牲にして…生まれてきたから…。私の誕生日は…命日なの。」
あ、と僕は小さな声をあげた。
そうだった。黄龍の器は菩薩眼の女性の命と引き換えに生まれてくる。龍麻の母は、自らのその命と引き換えに龍麻を産み落とした。
「私さえ生まなければ、母さんは生きていられたのにね。」
龍麻はぼろぼろと流れる涙をそのままに自嘲気味に笑って、そしてまたしゃがんだ膝に顔をうずめて泣き出してしまった。ひくひくとしゃくりあげる肩に、僕は何も出来ずに、ただ側にいることぐらいしか出来なかった。
「母のお骨の一部を龍山先生が持ち帰ってここに埋葬してくれたの。…それから、ずっとお母さん、一人だった。…いつかは、一緒にしてあげようって、ずっと思ってて…。そんなことぐらいしか、できないから。…こんな私なんか…。」
そうしてまた声も出さずに肩だけを震わせた。龍麻が泣いているのを見るのはこの上もなく辛くて悲しい。こんなときに蓬莱寺や壬生だったら、上手く慰めることが出来るだろうに、僕はその言葉も見つからずにぽんぽんと背中を叩いてやる事が精一杯で。
「それでも、僕は君に会えて嬉しかったよ。」
ようやく見つけた言葉はそんな陳腐な言葉でしかない。無論、そんな言葉では龍麻が泣き止むわけはない。
「…龍麻を生んだら命がないことを知ってて、それでも生んだのだろう…?」
こくりと、小さな頭が上下に振られ同時に艶やかな黒髪も一緒に揺れる。
「それほどまでしても、お父さんの子が欲しかったんだよ。…僕は女じゃないから分からないけど。」
想像でしかわからないけど、きっと龍麻のお母さんは命をかけてもいいと思うほどに龍麻のお父さんのことを愛していたのだろう。そして、命と引き換えになると分かっていても、あえて子をなしたかった。古い言い回しだけど、自分とお父さんとの結晶を残したかった。そういうことじゃないのだろうか。
それほどまでに人に愛されるというのはどんな心地なのだろう。
僕は目の前で小さく蹲って泣いている龍麻を見つめた。
いつか、龍麻も僕のことをそこまで愛してくれる日がくるだろうか。残念ながらその自信は全くなかった。…男として龍麻のお父さんがうらやましかった。
目の前で泣いている龍麻を慰められず、邪推をして後をつけるような真似をしでかし、頼ってももらえない情けない彼。それが今の僕だったから。
「龍麻…?」
龍麻が身じろぎしたのを見て声をかけると、彼女はポケットからハンカチを取り出して涙を拭い、ようやく顔を上げた。
「ごめんね。」
そう言って僕に笑いかけようとした顔に無理に貼り付けた笑顔が痛々しい。
「無理に笑わなくていい…。泣きたいときは、気が済むまで泣いたほうがいいから。」
それとも僕がいるから泣けないのだろうか。なんだったら僕は境内にでも戻ろうかと言おうとした瞬間、龍麻の瞳からまた大粒の涙がぼろぼろっと毀れて落ちていく。あとからあとから浮かんでは落ちていく涙に、龍麻はきゅっと切れそうなほどに唇をかみ締めて声も立てずに静かに泣いていた。全身を悲しみに震わせて、握りしめた拳が真っ白になるほどに力をこめて立ち尽くし、ただ泣いているだけだった。
僕はそうっと手を伸ばして龍麻の体を抱きしめた。びくりと一瞬、驚いたようだったが、やがてわずかに僕に体重をかける。龍麻の艶やかな髪を撫でていると、落ち着いたのか少しづつ強張りが融けて、やがて嗚咽が漏れ始めた。その嗚咽はだんだんと激しくなり、そして大きな泣き声になっていった。


夜7時。
僕たちは帰りの電車の中にいた。遅くなってしまったので帰りは特急に乗って帰ることにした。
「お墓参りに来るんだったらそう言えばよかったのに。」
僕の言葉に龍麻はしゅんとする。
「責めてるわけじゃないよ…ただ、もう少し、頼ってほしかっただけだから。」
「だって…嫌われたくなかったから。」
予想外の返答に僕は首を傾げて龍麻を見た。
「笑っている方がいいって、言ったから。それに泣いていると翡翠に心配かけるから。」
龍麻は悲しそうに顔を歪めて言う。
「かけてもいいよ。」
僕は隣に座る龍麻の手をそっと握る。
「龍麻の心配なら喜んでするから。…だから、一人で泣かないで。」
龍麻は困った顔をしている。うまく気持ちが言葉に出来なくてもどかしい。
「側にいることしかできないけど、それでも、二人なら悲しいことも半分になるだろう?」
一生懸命に考えて出てきたのはこんな言葉で、本当に自分の口下手には頭痛がする。
それでも龍麻はふわりと笑って、僕の手を握り返してきた。
「そうだね。」
そう言って、ことりと僕にもたれかかる。
「ありがとね、翡翠。」
車窓が僕からは見えない龍麻の表情が嬉しそうに笑っているのを映し出したとき、僕は少しだけ失っていた自信を取り戻した。
きっと、いつかはもっといい男になるから。どうかそれまで待っていてほしいと僕は心の中で祈っていた。


                                                END

 

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