「申し訳ありません。」
僕は館長に深深と頭を垂れる。
副館長派の造反を防いだものの、肝心の副館長の行方が掴めない。なんたる失態。僕は完全に色を失っていた。
「ああ、構わない…。どうせ居所は予想できる。…それに副館長の探査はおまえの仕事ではない。」
館長はゆったりとした椅子の背もたれに体を預けると手元の報告書を机に置いた。
「で。龍麻とはどうだったかね?」
急に聞かれて僕はどきりとする。館長は口元を僅かに綻ばせ、両手をおなかの辺りで組んで興味深そうに僕の顔を見る。
「…完全に負けました。」
「はははは。負けたか。」
快活に笑う館長に僕は憮然とした表情を隠し切れない。きっと館長は最初から龍麻に適わないことぐらい分かってたのだろう。
「どう思ったかね?」
どう、と言われても。僕はしばらく考えて彼の第一印象からゆっくりと話し始める。
「…自信過剰な人間だと思っていましたが…口先だけでなく、本当に実力もあり…、指揮能力もあります。…それに敵対する人間にも仲間と同等の評価が出来るのは…よっぽどの大器かバカか、どっちにしろ珍しいと思います。」
僕は叩きのめされる前に藤咲君のことで礼を言われたことを思い出した。
「だからでしょうか…仲間内に絶大な人気があるみたいですね。」
「絶大な人気、ね。」
館長はくすくすと笑う。
「で、壬生はどうだね?龍麻の舎弟になったんだろう?」
そうなのだ。僕は彼に負けた時点を舎弟にさせられたのだ。ただし、舎弟といっても別に使い走りにするとかではなく、大義名分がないと動けない僕を分かっててわざと『舎弟』という地位を与え、龍麻とともに戦う意味付けをしてくれたんだと思う。
最初は気付かなかったが、僕を陰の技の継承者と知っていたという事実と、館長との関わりから拳武館の、ひいては僕のポリシーを知っているであろうことがそう思わせていた。
彼の言動は大雑把に見えて実は巧妙に考えられているのではと僕は疑っている。
「頭のいい、食えない男ですね。」
「好き嫌いで言えばどうだ?」
おそらく館長は一番、それが聞きたかったのだろう。どう答えるか楽しみにしているようで目が笑っている。
「…まだ知り合って僅かですからどうともいえないのですが…多分、嫌いじゃないです。」
ほ、と館長は安堵の表情を見せる。
「おまえも分かっているかもしれんが龍麻が陽の技の継承者だ。…龍麻に協力してやるといい。」
「はい。」
僕は短く、了承の意を伝える。ただし、それに多少の硬さがあったのか、ふと館長の表情が僅かに曇る。
「これは命令じゃない。…龍麻の後見人として言っている。…どうか、助けになってやってくれ。」
館長はらしくなく僕に頼む。館長がそんなことをするのは初めてで、僕は慌ててしまった。
「僕は…僕の意思で…彼と一緒に戦いますから。」
館長はその言葉にとても嬉しそうに笑った。
館長室からそのまま下校し、まっすぐ真神学園に向かう。
僕の訓練、の意味が分かったのはそのときだった。真神学園の旧校舎の地下には底知れぬ洞窟があり、中には異形の者が蠢いている。
それらと戦いながら龍麻を始めとするほかのメンバーは今まで訓練を行ってきたという。いつもは10人ほどの編成で訓練を行うらしいが、僕の集中訓練ということでメンバーは龍麻、蓬莱寺、如月さんしかいない。
「ま、今日は初日だからかるーく行こうぜ。」
と言いつつ、かなりハードな訓練に、再び地上に上がってきた頃には僕はかなりボロボロになっていた。慣れているのか、僕以外の、龍麻や蓬莱寺、如月さんは余裕の表情で入手したアイテムの売り渡しの相談をしている。
「お疲れさん。…壬生、このあとヒマ?」
如月さんに売り渡しの相談が済んで、みんなで荷物を持って裏門から出て行くと龍麻が不意に尋ねる。
「ああ。」
「じゃあ、メシくってかないか?如月んちで。」
人の家に我が家のように誘う龍麻に、僕はちらりと彼の横を歩いている如月さんを見る。
「急に僕がお邪魔したら如月さんにご迷惑でしょう?」
すると、如月さんはいつもの穏やかな微笑をたたえて僅かに首を左右に振った。
「かまわないよ。良ければ寄っていくといい。食事は大勢のほうが賑やかで楽しいから。」
その言葉に僕の後ろにいた蓬莱寺も手を上げた。
「はーい、はーいっ。俺もっ!」
如月さんはうなづいて、急に増えた二人の客にも嫌な顔も見せずに駅に向かって歩き出す。
「本当によろしいんですか?急に増えたりして、おうちの方にご迷惑なんじゃ…。」
僕が尋ねると、彼は柳眉を寄せて苦笑する。
「僕は一人暮らしだから気兼ねすることはない。」
しまった、と後悔したが遅かった。慌てて謝ろうとすると横から龍麻が笑う。
「こいつの店、って言っただろう?」
確かに、そう言っていたかもしれない。僕が『如月さんのご両親の経営している店』と思っていたのは『如月さん自身が経営している店』ということになる。この人は僕と同じ年のはずだが、と改めてまじまじと彼の落ち着いた表情を盗み見た。確かに年齢の割には浮ついたところなどなく、落ち着いて、いつも穏やかに微笑んでいる。およそ僕とは全く違うところに立っている人なのだ。
「何か?」
ちらちらと見ていることに気付かれて、如月さんは不思議そうに小首を傾げて僕に問い掛ける。艶やかでさらさらとした黒髪が首をかしげるに従って頬を掠めて揺れる。わずかな挙措さえも雅やかで麗しい。
如月翡翠…。僕はようやくその名前を思い出した。
都内の男子高校生でも1、2の人気を争う美男子。茶道部の部長を務め、若干18ながらその独特の美意識には名だたる茶人も舌を巻くという。
そしてその美意識は経営する骨董品店にも反映され、彼の店にはありとあらゆるモノが集められ、一見乱雑ながら良く見ると吟味されたものが揃えられ、その造詣の深さに魅入られて店には各界の著名人から市井の一般人までありとあらゆる人々が客として訪れるらしい。
「いえ…。」
「おかしな奴だな。」
くすりと小さく笑うとゆっくりと視線を前に戻す。
「僕の母は小さい頃に死んで、父はどこか外国をうろついて音信不通。祖父もあの店を僕に譲ってからは行方不明。もう随分と一人が長いからなんと言うこともない。」
淡々と話して視線を僕に戻すとにこ、と優しく微笑んだ。
「だから気にせずともいいよ。」
どうやら僕が迂闊なことを聞いたと思ったのが伝わっていたらしい。それでわざわざそんなことを言ってくれて、僕は見かけだけでなく心根も優しい人なんだとそのときに実感した。
「僕も、一人暮らしです。」
僕の言葉に如月さんは微かにうなづく。
「父は他界していますが、母は病気で長期入院中なんです。…だから…。」
「そうか…。」
彼はそれこそ自分のほうが悪いといったように表情を曇らせる。しまった。僕は自分の言ったことが返って如月さんに気を使わせてしまうことになったのを後悔した。それで慌ててフォローするべく口を開く。
「僕も一人が長いものですから、もうなんともないんですが。…ただ、一人だと、食事のメニューを考えるが面倒なぐらいで。」
そう言うと彼はゆるりと微笑んで僕を見る。
「だったら、ヒマなときはうちに来るといい。ほとんど毎日龍麻がきているから一緒に夕食をとれば面倒じゃなくなるだろう?」
「それは…。」
「なぁに、かまわないさ。二人分でも三人分でも手間は変わらないから。…もっともうちは裏の方にあるから不便かもしれないが。」
「僕、バイクに乗るんで、もし止めるところがあれば…。」
「じゃあ、庭に止めるといい。サイドカーでもない限り1台ぐらいは止められる。」
心遣いに感謝しながら礼を言うと龍麻が不機嫌そうに振り返って僕に毒づく。
「そんなに親切にしてやらなくたっていいぞ。なんたって舎弟だからな。」
如月さんはくすっと笑ってちょっとだけ肩を竦めて見せた。その仕草が妙に子供っぽくて、いままで大人っぽい人だと思っていたからかなり意外で、急に親近感が沸いて好感が持てた。
電車の中で今日はおでんを食べようということになり、如月さん家の近所のスーパーで野菜やおでんだねを買って帰る。僕も如月さんも龍麻も一人暮らしのため買い物には慣れており、次々に必要なものを買っていく。
「そういえば、鍋って、大きいのあったか?」
龍麻に言われて、如月さんはさほど大きな鍋を持っていないことを思い出し、帰る道すがら金物屋でアルマイトの大鍋をひとつ買っていく。
如月さんの家に到着すると早速如月さんは台所に支度に入り、龍麻は本を読み始め、蓬莱寺はテレビを見る。特段することもない僕はせめて如月さんのお手伝いでもしようかと台所に入った。
「どうした?」
「お手伝いできることがあればと思いまして。」
「気にしないでいいよ。居間でゆっくりしているといい。」
僕が気を使っていると思っているのか、如月さんは大根の皮を剥きながら言う。
「料理は得意なほうなんです。」
それでも僕は手伝おうとすると、如月さんは笑いながらうなづき、流し下の扉のストッカーから包丁を抜いて僕に渡した。
「じゃあ、こんにゃくとか切っておいてくれるかな?」
「わかりました。」
そうしてしばらく無言で如月さんのお手伝いをする。
「最初は、驚いただろう?」
急に聞かれて顔を上げると如月さんはジャガイモの皮をするすると綺麗に剥いていた。
「龍麻。…悪気はないんだけどね。」
それでようやく彼の印象を聞かれていることに気が付いた。
「ええ…。最初は怒りもしたんですが…。」
「気が付くとペースに巻き込まれて、許してるだろう?」
図星を指されて多少うろたえながらうなづくと、如月さんは我が意を得たりと言った顔で微笑んでから続ける。
「君と最初に戦うときに、龍麻がつきあってあげてもいいって言っただろう?」
如月さんは剥き終わったジャガイモを水につけながら言う。そう、僕は勝てないだろうから無駄だと彼は言ったのだ。それでも戦おうとする僕に、付き合ってあげてもいいと恩着せがましい言い方をした。そのとき彼の尊大な態度にかなり不愉快に思ったのはまだ記憶に新しい。
「あれね。言い方は悪いけど、本当に戦いたくなかったんだよ。」
如月さんの言葉に僕は思わず手を止めた。
「それに、君から攻撃をさせただろう?いつもの龍麻だったら、先制攻撃しかけるよ。戦うのに自分がノーダメージの方がいいに決まっているだろう?」
そうだった。挑発していると僕は思ったけど、よく考えたら自分から攻撃を仕掛けるほうがリスクは少なく僕を倒せる。本当に僕よりも強いと思うのなら(実際には強いけど)僕からの攻撃を受けずに倒したほうがいいに決まっているのだから。
「どうして…そんなこと…。」
「自分だけ攻撃するのはフェアじゃないって思ったんじゃないのかな?」
そういいながら鍋を火にかけて大根と出汁の出そうなタネをどんどん鍋に入れていった。
「すごく人の悪いやり方なんだけどね。どうしてわかるのか、龍麻はいつも一番相手にあっているやり方で仲間を増やすんだ。壬生だって口で説得されるより、あのやり方が一番自分に利くと思わないか?」
振り返って微笑んで言われて僕は考える。確かに、口で理論尽くめで説得されるより、力で示されたほうが彼の技量も分かりやすい。僕は清廉な考えで行動する人、もしくは圧倒的な強さを持つものに叩きのめされなければ他人とはおそらく組しなかったであろう。そしてどっちが簡単に仲間になるかって言われたら僕は当然戦う方だろう。
「だからね。龍麻を悪く思わないでくれないか。」
如月さんの言葉に僕は顔を上げた。心配そうに眉をひそめる如月さんは僕がどう返事をするか待っている。
「悪くなんて思ってませんよ。…今日だって、僕のためにわざわざ訓練につきあってくれたんでしょうから。」
そういうと如月さんは心底ほっとしたような顔で息をつく。
「良かった。」
嬉しそうに呟いて微笑んだ。わざわざ彼のためにそんなことを言う如月さんはとても優しくて、少しだけ僕は彼が羨ましくなった。
「如月さんは、いつから一緒に戦っているんですか?」
「…知り合ったのは春だけど、一緒に戦うようになったのは夏だね。」
「如月さんはどうやって仲間になったんですか?やっぱり戦った?」
僕が尋ねると彼はおかしそうに口に手を当てて笑った。彼が声を上げて笑うのは初めてだった。
「いいや、僕は龍麻と戦うなんて、そんな命知らずなマネはしないよ。」
「僕は命知らずですか?」
「ある意味ね。…僕のときはね、龍麻、土下座したんだよ。」
「えっ!?」
僕は自分の耳を疑った。あの王様気質の彼が土下座をしたなんて到底信じられない。驚いて言葉も出ない僕に彼はくすくすと悪戯っぽく笑う。
「本当だよ。…だからね、本当に一番相手に効くやり方をするんだよ。」
たとえ如月さんに一番利くと言っても、あの龍麻に土下座をさせた。僕は目の前に立つ、柔和そうな微笑みの持ち主、如月さんが少し空恐ろしくなった。いや、何が一番すごいって、彼の考えをそこまで分かってしまうことだ。到底僕には理解不能の考えを、あのときに何の会話も交わしていなかったはずなのに、瞬時にそこまで理解するというのはある意味、一番すごい。彼は蓬莱寺を相棒と言っていたが、本当の意味での相棒は如月さんのほうなんじゃないかとさえ思った。
夕食を食べ終えて、明日までに生物のレポートを提出しなければ留年だという蓬莱寺は先に帰り、僕と彼と如月さんが残った。
台所で汚れ物を片付けに行く如月さんを手伝いに彼も台所に入っていく。僕は一人で居間に残されて非常に居心地の悪い思いをしていた。
せめてテーブルの上でも拭いておこう。そう思って台所に向かう。
「ダメだよ…。」
掠れたような如月さんの声が台所から聞こえた。
「なんで?…イヤ?」
笑いを含んだ彼の声。
「そうじゃないけど…。」
如月さんの声が返事を返す。
なんだろう?僕が台所に入ると、そこには、絶句してしまうような光景が繰り広げられていた。
如月さんを、彼が抱きしめて、あろうことかキスをしていたのだ。
「○※△☆×■!!!」
僕は瞬間、そこに凍り付いてしまった。
脳裏を『ホモ』という言葉が横切る。そういう種類の人がいるってことは知っていたし、僕も実は告白されたりしたことはあったけど、僕の知人でそういう趣味の人は初めてで、しかもそういう行為を目の当たりにしたのも初めてで、特にそれが彼らであったことがすごい衝撃だった。
「あっ…。」
立ち尽くす僕に先に気付いたのは如月さんのほうだった。
「ち、ちがっ…これは…。」
真っ赤になって、言い訳をしようとする如月さんは自分もかなり慌ててるようで、口を金魚のようにぱくぱくさせるけど、一向に言葉が出てこない。
「何のようだ?」
ぎろりと彼が僕を睨む。そうしている間も如月さんを抱きしめる手は緩めずに、如月さんの華奢な体は彼の体にぴったりと密着したままだった。
「あ、テーブルを…拭こうと思って…。」
そういう僕に彼は台ふきんを投げてよこす。それをキャッチすると慌てて居間に戻った。
別にホモが悪いとかそういうことは思わない。ただ、びっくりしただけで。
如月さんは誰をも引き寄せる美貌の持ち主だし、穏やかな笑顔と優しい心遣いのできる人だから、彼が如月さんを愛したところで不思議はない。それに如月さん自身も彼を愛しているならそれはそれで構わないじゃないか。僕が口出しするべき問題じゃない。
さっきの動揺にようやく納得をすると気を取り直してテーブルを拭こうとする。
「み〜ぶ。」
不意に後ろから名前を呼ばれて振り返るとにやにやと笑いながら彼が立っていた。
「な、なに?」
ぼくの声はまだ上ずったままで。
「ふふふ。」
悪戯っぽく笑うと、彼は僕にいきなり抱きついてきた。
「う、うわぁっ…た、た、た、龍麻!」
情けなくも僕は悲鳴を上げて、どうにか逃れようと体を捩る。
「ふふふ。離さないよ?」
妖艶に笑った龍麻の顔がすぐそこにある。僕はやられる!(なにをだ?)と一瞬、覚悟を決めてしまった。おかーさん。男に唇を奪われる息子をお許しください。
しかし。ぼこん、という鈍い音が至近距離でして、急に僕の体は自由になり、僕は恐る恐る目を開ける。
仁王立ちになった如月さんと、頭を抱えている龍麻が僕の側に蹲っている。
「ふざけすぎだ。」
如月さんの手にあるのはすりこぎ棒。台所から持ち出したらしい。
「壬生はまだ、そういう冗談に慣れてないんだ。…見ろ、本気で怯えてる。」
「だって、せっかくオトモダチになったんだからさー、ちょっとぐらいじゃれたっていいじゃんかよぉ。」
彼が口を尖らせて言うと如月さんはぎろりと、その美貌を怜悧な刃物にかえて目線だけで彼を黙らせ、僕に向き直ってすまさなそうに頭を下げた。
「驚かせてすまない。…僕は、…その…。」
言いにくそうに、如月さんがくちごもる。いけない。きっと如月さんからは言いづらいことだろう。僕は慌てて口を開く。
「ちょっとびっくりしただけです。平気ですよ。…男同士でも、別におかしいことじゃありません。」
そう言うと、足元で、ようやく頭の痛みから復帰しかけた彼が再び転がって大笑いを始める。
僕は何かおかしなことを言ったのだろうか?
困った顔でいる如月さんと、腹を抱えてのた打ち回るようにして、涙まで流して笑っている龍麻を見ながら呆然としていた。
「違うんだ…壬生…。」
困惑の表情を浮かべたままで如月さんが呟く。
「僕は…ホモじゃない…。」
自分がそういう性癖の持ち主であることはなかなか認めたくないだろう。僕はうんうんとうなづいて、どう言えば如月さんを傷つけずに済むか考え始めた。
「ああ、わかりました。彼だけ特別、なんですね?」
つまり、他の人には興味がなくって、彼にだけ、そういう思いを抱いてしまっている。そういうことなのだろう。
だけど、その言葉にさらに龍麻は爆笑して、もう、半分泣きながら笑い、如月さんはというと、さらに困惑の色を深くしている。
「僕は…女なんだ…。」
そうですか。如月さんが女役なんですね。そうですね、体格から言っても華奢ですし…と思いかけて、僕は耳を疑った。
「な、なんですって?」
念のため、間違いじゃないかもう一度聞き直して見る。
「僕は、こんな格好をしてるけど、男じゃなくって、女なんだ。」
僕が凍るのは彼らに出会ってから何回目になるのだろう。
呆然としている僕に、如月さんは困ったように続ける。
「だから、僕らは…ホモじゃないんだ。」
「俺たち、ノーマルだぜ?」
バカ笑いから復帰した彼は如月さんの肩を抱き寄せ、堂々と宣言した。
僕はというと、固まったまま動けずに立ち尽くす。
「たーだーし。こいつが女っていうのは秘密だぜ?」
「あ、ああ。」
「それから俺の彼女であることも。」
にぃっと彼は笑って僕の鼻先に顔を近づける。ホモじゃないってわかったけれど、僕はまださっきの恐怖に思わず顔を引いてしまう。
「こいつが女であることが秘密な以上、俺と付き合ってるのがばれたら両方ともホモ扱いだろう?別にさ、俺は構わんが、こいつは傷つくから。」
彼は小さな声で僕に告げる。なるほど。ちゃんと如月さんの気持ちを考えているらしい。
「わかった。」
「サンキュ。」
そう言って、彼はぺろりと僕の鼻を舐めた。
「■〒※×+%!!!!」
「龍麻っ!!!」
もう一度ぼこんという音とともに、目の前にあった龍麻の顔ががくんと下に崩れ落ちる。
「そういうこと、するんじゃないっ!」
如月さん…あなた、やっぱり強いですね。僕は心の中で密かにそう思った。
如月さんちからの帰り道。彼と二人で駅までの道を歩きながら、上機嫌で口笛を吹く横顔を見つめる。
如月さんもかなりの美貌だけど、彼もそれに負けてはいない。よく動く表情は決して見ているものを飽きさせないし、時折見せる妖艶な微笑は、きっともてるはずで。ただ、現在の人気で言うと如月さんがかなり上にいるのは、きっと常人では理解不能のこの性格によるものだろう。
「なんだよ。」
じぃっと見つめる僕に不審そうに彼が言う。
「いや、別に。」
ふいっと顔を背ける僕にくくっと喉で笑う。
「そういえばさ、壬生、手芸部なんだって?」
急に訪ねられて僕は返事の代わりに軽くうなづく。僕の返事に満足そうに笑うとさらに尋ねてくる。
「幽霊部員?それともちゃんと作ってる?」
「もちろん作ってる。セーターなら3日でできるね。」
そういうと、にんまりと龍麻が不気味な笑みを浮かべる。やな予感がしたが、口にした言葉はもう戻ってはこない。
「じゃあさ、作ってくれないかな?」
ああ、やっぱり。僕は心の中でやれやれとため息をついて尋ね返す。まぁ、セーターぐらいだったら構わないか。
「何を?君のセーター?」
彼は僕の耳元に口を寄せ、ぼそぼそと小声でオーダーをした。
はめられた。
僕はオーダーを聞いた瞬間、そう感じた。
不敵に微笑むその表情は、明らかに全てが計算だったと言外に物語っていて。
食事の後、僕だけを残して二人で台所に入ったのも、台所で如月さんにキスをしたのも、全て僕に二人の関係を目撃させるためのもので。
いや、その前に蓬莱寺だけを帰宅させたのも、きっと彼の計略。考えてみればレポートの話を持ち出したのは彼だった。
そして、きっとそれは全てこのオーダーのため、なのだろう。
彼にはできない。そして、そのオーダーの受注者は秘密を厳守しなければならない。そして、既製品では合うものが見つからないゆえのオーダー。
「君ね…。」
抗議をしようと口に仕掛けるが、きっと彼はとぼけるだろう。そういう男なのだ。
「君、じゃない。緋勇龍麻。名前、覚えてない?」
とぼけて、そんなどうでもいいようなことを言う。
「言ってごらん?龍麻って。」
にこ、と天使のような微笑で。
「…龍麻。」
「よくできました。…オマエのことは紅葉って呼ぶから。」
やや上目遣いで唇の端を上げてにぃっと微笑む顔は悪魔の微笑で。
ああ、完璧にはめられた。
それでも、不思議とオーダーを断る気にならないのはなぜだろう。
『気が付くとペースに巻き込まれて、許してるだろう?』
如月さんが台所で言った言葉を思い出す。
きっと龍麻は分かっていたのだろう、僕が龍麻を気に入りかけていたことを。だから秘密を分かち合うマネをして僕に甘えてみせる。そうされると、僕が断れないことを分かっていて。
本当にタチが悪い。
とんでもない人間と対になってしまった僕はこれからを考えると、些か不安にならざるを得ない。きっと、僕は一生彼の舎弟から抜けられないのだろう。
僕はそっとため息をつく。
そして、彼の側にいるあの優しい佳人に密かに心の中で同情した。
『毛足長めの毛糸で編んだ白のタートルネックのワンピース。もちろん、如月のサイズに合わせてね。』
クリスマスまでに間に合うか…?
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