雨上りの月夜に〜おまけ〜
「それにしてもなんだねぇ…あそこまで朴念仁とは。」 牛車の中で友雅が思い出し笑いをする。 「自分よりも上手がいたので安心しましたよ。」 憮然とした表情で鷹通が言う。友雅の屋敷へ向う牛車に鷹通は同乗させてもらっていた。友雅の屋敷に寄る前に鷹通の住まう屋敷に送り届けてくれるとのことだったので鷹通はその言葉に甘えることにしたのだ。 「ふふふふ。それにしては、うかない顔をしているねェ。」 「好きな女性を他人にもってかれて、しかもその男が馬鹿なことで悩んだ挙句相手を傷つけたとあっては笑ってなんかいられないでしょう?」 「おやおや。随分とご機嫌斜めだね?」 「普通、笑っているものなのですか?」 「いや。」 くすっと友雅が笑う。よりによって一番辛い役をこの青年は引きうけてやったのだ。 「それよりも鷹通、帰る前にうちに寄るといい。」 「どうしてですか?」 「そんな手で帰るつもりかい?」 友雅に言われて初めて自分の手がずきずきとしていることに気がついた。見ると所々内出血を起こしているらしく青くなっている。 「普段は何かを殴ったりすることなんてないのだろう?私や頼久と違ってここの皮膚が柔らかいから衝撃で傷ついたのだね。」 友雅に手をとられたまま鷹通はじっとしていた。さっき、頭に血が上って思わず頼久を殴ってしまった。頼久には悪い事をしたと思っている。驚いた彼の顔が思い出される。 「鷹通?」 友雅の声で我に帰る。 「あ、すいません。そうですね…。」 気のない返事に友雅は不審そうに鷹通を見たが、沈んだ表情でぼんやりと手の傷をながめているだけだった。 「ああ、いいよ。私がやるから。それよりも酒の用意をしてくれないか。」 友雅の邸宅は決して大きいとは言えない。藤姫や神子殿のいる土御門殿よりはやはり小さいが趣味の良いよく整えられた庭と、派手ではないが美々しい女房達と、落ちついた調度品が友雅の趣味の良さを表していた。友雅にいいつかって傷の手当ての道具を運んできた女房が今度は酒を用意しに下がって行く。 「友雅殿、私はすぐに帰りますので…。」 「まぁ、そう言わずに。せっかく来たのだからゆっくりしていきなさい。」 友雅が鷹通の前に座り込み、傷の手当てをするべく右手を取る。赤かった手は段々と色が変わり青くなりつつある。 「これはしばらく痕が残るだろうね。」 濡れた布で丁寧に患部を拭いてから傷口の様子を見る。 「痛むかい?」 「いえ…。」 手早く手当てを済ませてしまうと丁度酒の準備が整ったようで二人の前にあれこれと運ばれてくる。 「さぁ、遠慮なく飲むといい。」 友雅が鷹通に酒を勧める。杯を受け取った鷹通はしばらく酒を見つめて考え込むような顔をしていたが、やがて意を決したようにくいっと一気に酒を煽る。 「…っく、ごほっ、けほけほ…。」 「全く、無茶だねェ。」 友雅はそれでもまた鷹通の杯に酒を継ぎ足した。鷹通は新たに注がれた酒をじっと見つめていた。傍らにいる友雅は脇息に寄りかかって微笑みながら鷹通を見守っている。何を話すわけでもなく、ただ鷹通が酒を煽ると友雅が無言で注いでくれる。ずっとそれの繰り返しだった。 「私は奴当りをしてしまったのかも知れません。」 鷹通が言葉を発したのは随分と経った頃だった。あたりはすっかりと暗くなっており部屋の中には灯りがともされている。 「神子殿のためではなく…自分が悔しかったから、だから頼久殿を殴ってしまったのでしょうね。」 辛そうに告白する鷹通を友雅はずっと変わらぬ微笑で見ている。 「こんな、狭量な自分が…嫌になります。…こんな自分だから、きっと…。」 鷹通は俯いて、やがてわずかに肩を震わせはじめた。 「もっと…立派な人間にどうしてなれないのでしょう?…どうして私はこんな…。」 最後のほうは涙声で友雅にもよく聞き取れない。ぱたぱたと鷹通の着ている着物の膝に涙の雫がこぼれて吸い込まれて行く。 「鷹通。立派だとか立派じゃないとか、自分で決めるものではないのだよ?」 友雅が静かに話し始めた。 「自分では立派な積りでも、他人から見たら立派でなかったり、自分は立派じゃないと思っていても他人から見れば立派だったり。そんなものなのだよ。」 鷹通の膝には新しく雫がいくつかこぼれて消えて行く。 「狭量だから神子殿が頼久を選んだわけではないだろう?第一、頼久もあんな馬鹿なことで悩んでいる位だから、神子殿は全くそんなことをかんがえていなかったのだよ。」 おどけるように優しく友雅は言うが、相変わらず鷹通の顔は伏せったままである。 「肝心なのは、鷹通が正しかったかどうかだろう?…少なくとも私は鷹通は正しい行動をしたと思っているよ?」 鷹通の体がぴくりと動く。鷹通の性格ゆえ、正しいとか正しくないとかの言葉には敏感に反応を示すのを友雅は充分承知で言っていた。 「だから、仕方ないのだよ。こういうことは巡り合わせだから。なぁに、頬を一発ぶん殴る位、役得の頼久には当然の報いだよ。鷹通がやってなければ私がやるところだったからね。」 友雅の言葉にようやく鷹通は顔をあげてくすりと小さく微笑んだ。 「友雅殿…ありがとうございます。」 鷹通は深深と友雅に向って頭をさげた。 「なんだい、急にあらたまって。」 「慰めていただいて、すっきりしました。」 「別になぐさめようとしたわけじゃないんだけどね。」 「せっかくの心遣いですから、今日はゆっくりとさせていただきますね。さぁ、友雅殿、どうぞ。」 今度は鷹通から友雅に酌をする。友雅は切り替えの早い相棒に苦笑しながらふと東の空を見上げるとそこには下弦の月がかかっていた。 END |